Della Robbia Blue。──『藍宇』其の是拾戯
2017.12.22 Friday
恋というものを知ったの。
それも突然、これでもかってぐらい、たっぷりと。
まるで、それまで影になっていたところにいきなりパッと、
目のくらむような、光をあてたように──
そんなふうに世界がわたしの目の前に現れたの。
冬至です。
世間的には風呂に柚子を浮かべたり、かぼちゃを煮て食べたりする日です。
どちらも江戸時代に始まった風習だそうで、なぜ冬至に柚子でありかぼちゃなのかという理由も諸説あるようです。かぼちゃは夏の野菜で陽の気をもつから、それを陰の季節である冬に食べることで陽の気を補う、というのがそのひとつ。柚子もかぼちゃもその色が(そのかたちも)、陰のきわまるこの日を境に復活へと転じる(=一陽来復)太陽を思わせるからかな、なんて思ったりもします。
冬至が近づくにつれて──というか冬至が近づかなくっても。オールタイム病んでいますので──なにかと『藍宇』のことを考えていました。
すこしまえにAmazonプライム・ビデオに入った『キャロル』をまた観て、自分の書いた記事を読み返してみたりね。
おとといはBunkamuraシアターコクーンで大竹しのぶと北村一輝の『欲望という名の電車』を観ました。
ここでも何度か書いていますが「2」という数秘をもつ私が素通りできない、取り憑かれる、病んでしまう、そういう「ふたりの物語」がいくつかあります。『欲望という名の電車』もまたそう。20代のはじめごろ、エリア・カザン監督によるヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランド主演の映画を観て、そのあとテネシー・ウィリアムズの戯曲を読んで、ブランチがかわいそうでずっと泣いていました。
はじめて舞台を観たのは10年前。2007年11月の東京グローブ座。ブランチが篠井英介、スタンリーが北村有起哉でした。
そして此度が二度目です。
数秘「2」の自分が素通りできない、取り憑かれる、病んでしまう、その集大成でもあるような『藍宇』。それを知ってのちにはじめて観る『欲望という名の電車』。
なににせよ『藍宇』前/『藍宇』後では世界はまるでちがう現れ方をするものだしブランチの科白を借りるならそれこそが「恋」だ。
16歳のときに恋におちて結婚した美しい少年は、じつは同性愛者であった。
いやらしい、と詰られて少年はピストル自殺を遂げる。
彼の死によって負わされた絶望と慚愧。
目をそむけ耳を塞ぐようにして、つぎつぎに男に身をまかせた。
そういう過去をもつ、落魄した名家の令嬢ブランチ・デュボア。
もしも陳捍東が、藍宇と出逢うことの無いままに生きていたとするならば。
いえ。
出逢ってのちに無慙な事故で藍宇を喪った陳捍東は。
あるいはまた「藍宇」という光にはじめて照らされた陳捍東は。
ブランチ・デュボアのようだったかも知れない。
なんて思ったりした。
「欲望」という電車に乗って「墓場」という電車に乗り換えて、六つ目の角で降りてしゃなしゃなと「天国」にやってくるブランチ・デュボアは、ドレスもネックレスもイヤリングも手袋も帽子も、なにからなにまで白ずくめ。
西欧において白は、純潔や貞節、光明や真理、そして処女そのものを表す色です。
てあたりしだいに男と寝ていた女がそうした色を纏う意味と理由については、こちらの論文が解き明かしてくださっています。
白からデラ・ロッビアの青へ― ブランチ・デュブワの心の動き
https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3804&file_id=22&file_no=1
古代中国において、白は不吉な色であり、喪の色でもありました。
白を纏うものに出逢えば一族もろともに死ぬであろう、といわれていました。
五月の初めの逢魔時、ブルー・ピアノが聞こえるニューオーリンズの「天国(Elysian Fields)」にふらりと現れるのは、そういうものでもあるのです。
たとえば天安門事件の夜、『北京故事』においても『藍宇』においてもかれが白いシャツを(だれかの返り血が点々と付着した白いシャツを)着せられているのも、もしかしたら、そんな理由があってのことなのかも知れないです。
妹の夫にレイプされて発狂したブランチが「天国」を去る日。
彼女が纏う色は青。
青は聖なる色であり、生命の力を表す色であり、同時に、早世したひとの棺を覆う布の色でもあるといいます。
15世紀イタリアの彫刻家で、釉を使ったテラコッタ技法を開発したルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia)というひとがいます。かれの甥のアンドレア・デッラ・ロッビア(Andrea della Robbia)が、その技法を用いて作品を作った芸術家のなかで、最も有名な人物なのだそうです。
アンドレアの作品に使われている青こそが、ブランチのいう「デラ・ロビア・ブルー」(デラ・ロビアの青)なのでしょう。
「Della Robbia Blue」で画像検索してみますと、かれの作例をみることができます。
そうそう、シアターコクーンの舞台においてブランチが最後に纏っていたのも、正しくこの青でした。
四つめの画像の作品は“Prudence”という題名で、これは聖母では無く、「分別」「慎重」(=prudence)を擬人化したものであるようです。
老人と若い女の双つ面。
右手に手鏡。左手には蛇。
鏡と蛇はそれぞれにいろいろなものの寓意でもあります。
「鏡」を多用する映画に病み、「蛇」を冠したブログを営む私が、一年でいちばん長い夜にこういうものに巡り会うというのも、ふしぎだけどほんとうのことでした。
●茫茫人海。──『藍宇』其の拾九
●待宵。──『藍宇』其の燦拾壱
●ひらく夢などあるじゃなし。──『藍宇』其の燦拾互
●聖馬利亜。──『藍宇』其の燦拾穹
●夢の曲。──『藍宇』其の是拾澯
●月待者。──『藍宇』其の是拾鹿
戯曲の引用はすべて『新訳 欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ著/小田島恒志訳 慧文社)による。
それも突然、これでもかってぐらい、たっぷりと。
まるで、それまで影になっていたところにいきなりパッと、
目のくらむような、光をあてたように──
そんなふうに世界がわたしの目の前に現れたの。
冬至です。
世間的には風呂に柚子を浮かべたり、かぼちゃを煮て食べたりする日です。
どちらも江戸時代に始まった風習だそうで、なぜ冬至に柚子でありかぼちゃなのかという理由も諸説あるようです。かぼちゃは夏の野菜で陽の気をもつから、それを陰の季節である冬に食べることで陽の気を補う、というのがそのひとつ。柚子もかぼちゃもその色が(そのかたちも)、陰のきわまるこの日を境に復活へと転じる(=一陽来復)太陽を思わせるからかな、なんて思ったりもします。
冬至が近づくにつれて──というか冬至が近づかなくっても。オールタイム病んでいますので──なにかと『藍宇』のことを考えていました。
すこしまえにAmazonプライム・ビデオに入った『キャロル』をまた観て、自分の書いた記事を読み返してみたりね。
おとといはBunkamuraシアターコクーンで大竹しのぶと北村一輝の『欲望という名の電車』を観ました。
ここでも何度か書いていますが「2」という数秘をもつ私が素通りできない、取り憑かれる、病んでしまう、そういう「ふたりの物語」がいくつかあります。『欲望という名の電車』もまたそう。20代のはじめごろ、エリア・カザン監督によるヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランド主演の映画を観て、そのあとテネシー・ウィリアムズの戯曲を読んで、ブランチがかわいそうでずっと泣いていました。
はじめて舞台を観たのは10年前。2007年11月の東京グローブ座。ブランチが篠井英介、スタンリーが北村有起哉でした。
そして此度が二度目です。
数秘「2」の自分が素通りできない、取り憑かれる、病んでしまう、その集大成でもあるような『藍宇』。それを知ってのちにはじめて観る『欲望という名の電車』。
なににせよ『藍宇』前/『藍宇』後では世界はまるでちがう現れ方をするものだしブランチの科白を借りるならそれこそが「恋」だ。
16歳のときに恋におちて結婚した美しい少年は、じつは同性愛者であった。
いやらしい、と詰られて少年はピストル自殺を遂げる。
彼の死によって負わされた絶望と慚愧。
目をそむけ耳を塞ぐようにして、つぎつぎに男に身をまかせた。
そういう過去をもつ、落魄した名家の令嬢ブランチ・デュボア。
もしも陳捍東が、藍宇と出逢うことの無いままに生きていたとするならば。
いえ。
出逢ってのちに無慙な事故で藍宇を喪った陳捍東は。
あるいはまた「藍宇」という光にはじめて照らされた陳捍東は。
ブランチ・デュボアのようだったかも知れない。
なんて思ったりした。
「欲望」という電車に乗って「墓場」という電車に乗り換えて、六つ目の角で降りてしゃなしゃなと「天国」にやってくるブランチ・デュボアは、ドレスもネックレスもイヤリングも手袋も帽子も、なにからなにまで白ずくめ。
西欧において白は、純潔や貞節、光明や真理、そして処女そのものを表す色です。
てあたりしだいに男と寝ていた女がそうした色を纏う意味と理由については、こちらの論文が解き明かしてくださっています。
白からデラ・ロッビアの青へ― ブランチ・デュブワの心の動き
https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3804&file_id=22&file_no=1
古代中国において、白は不吉な色であり、喪の色でもありました。
白を纏うものに出逢えば一族もろともに死ぬであろう、といわれていました。
五月の初めの逢魔時、ブルー・ピアノが聞こえるニューオーリンズの「天国(Elysian Fields)」にふらりと現れるのは、そういうものでもあるのです。
たとえば天安門事件の夜、『北京故事』においても『藍宇』においてもかれが白いシャツを(だれかの返り血が点々と付着した白いシャツを)着せられているのも、もしかしたら、そんな理由があってのことなのかも知れないです。
妹の夫にレイプされて発狂したブランチが「天国」を去る日。
彼女が纏う色は青。
ユーニス きれいだねえ、その水色のスーツ。
ステラ 水色じゃなくてライラック色。
ブランチ 二人とも違うわ。これは「デラ・ロビア・ブルー」って色なの。古い肖像画でマリア様が着ている服の色。
青は聖なる色であり、生命の力を表す色であり、同時に、早世したひとの棺を覆う布の色でもあるといいます。
15世紀イタリアの彫刻家で、釉を使ったテラコッタ技法を開発したルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia)というひとがいます。かれの甥のアンドレア・デッラ・ロッビア(Andrea della Robbia)が、その技法を用いて作品を作った芸術家のなかで、最も有名な人物なのだそうです。
アンドレアの作品に使われている青こそが、ブランチのいう「デラ・ロビア・ブルー」(デラ・ロビアの青)なのでしょう。
「Della Robbia Blue」で画像検索してみますと、かれの作例をみることができます。
そうそう、シアターコクーンの舞台においてブランチが最後に纏っていたのも、正しくこの青でした。
四つめの画像の作品は“Prudence”という題名で、これは聖母では無く、「分別」「慎重」(=prudence)を擬人化したものであるようです。
老人と若い女の双つ面。
右手に手鏡。左手には蛇。
鏡と蛇はそれぞれにいろいろなものの寓意でもあります。
「鏡」を多用する映画に病み、「蛇」を冠したブログを営む私が、一年でいちばん長い夜にこういうものに巡り会うというのも、ふしぎだけどほんとうのことでした。
●茫茫人海。──『藍宇』其の拾九
●待宵。──『藍宇』其の燦拾壱
●ひらく夢などあるじゃなし。──『藍宇』其の燦拾互
●聖馬利亜。──『藍宇』其の燦拾穹
●夢の曲。──『藍宇』其の是拾澯
●月待者。──『藍宇』其の是拾鹿
戯曲の引用はすべて『新訳 欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ著/小田島恒志訳 慧文社)による。