蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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ちっちゃいやつらのゆかいなじかん。
やつらがはじめて出逢ったのは、一年前のきのうのこと



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齢ににあわぬ一刻者・胡皓康と、生まれついての愛嬌者・劉諾一。
胡軍劉という宿命のふたりを父にもって生まれてしまったふたり。
頑是無いお年頃のやつらはいざ知らず、そうしたことがいずれやつらにとって枷になり軛になったりもすんのかなあ、なんて思いながら、『爸爸去哪儿第三季』のオンエアを心待ちにしていた一年前のきのうでした。


頑是無いお年頃の子どもが金を稼ぎすぎるのはけしからぬという当局の鶴の一声で、『爸爸去哪儿』という番組そのものが制作中止に追い込まれてしまったのが、今年の2月のこと

胡軍劉共演という奇跡を叶えた、その代償としてこの番組が幕をおろすことも、もしかしたら最初っから織り込み済みだったのかも知れないなあ。
だってそもそもありえないことだと思っていましたもの、一年前のきのうは。
こんな罰当たりなことやっちゃって、ただで済ましてもらえる筈なんか無い。
死人が出たりするんじゃないか、とか、おおまじめに考えていましたもの。
死人を出さずに第16期まで走りぬくことができて、ほんとうによかった。

第一季・第二季出演の子どもらに比べると、第三季の子たちは番組以外の露出はかなり控えめだったのではないかと思います。内々で当局からのお達しがあったのかも知れないし、同じ轍を踏むことの無いよう親御さんが自律的に戒めていたということかも知れません。番組打ち切りという残念な事態をうけて、プライベートでのお付き合いも済し崩しになくなってしまうのかなあ、とも思っていました。
そんなころ、劉さんが微博にあげたのがこれです。

小伙伴的快乐时光

あれから一年経ちましたがやつらの絆は途切れること無くつづいていたもよう。
とても嬉しかった。
とても嬉しかったのでうかうかと流行りものに乗っかって、『おそ松さん』風アバターが作れる「まつメーカー」ってので康松と諾松を作ってみたりしました。



康松.png諾松.png


ご愛敬てことでひとつ。



北京人民芸術劇院による胡軍さん主演舞台『人民公敌』(ヘンリック・イプセン作『民衆の敵』)が首都劇場で本日初日。劉さん主演映画『夜孔雀』があす公開。

時を同じくしてやつらのおとうさん方面も、いろいろ動きだしております。

| 22:05 | 爸爸去哪儿第三季。 | comments(2) | - |
遥かに照らせ山の端の月。──『藍宇』其の是拾呉
「魔の五月」とは、そもそも萩尾望都の『ポーの一族/小鳥の巣』に登場した言葉でした。
中州に建つガブリエル・スイス高等中学。五月の創立祭の前日にロビン・カーが張り出し窓から沼に落ちて死に、ロビンが死んだ1年後の同じ日、学校と同じ名のガブリエル・スイスが沼地で溺れて死にます。そしてその1年後。真の「魔」であるところのエドガーとアランがガブリエル・スイス高等中学にやってきて、3年目の「魔の五月」が幕を開けるのです。


たとえば2015年のいまじぶん。
私は正しく「魔の五月」を生きていました。
5月15日に胡軍さんと劉さんがおふたりお誘い合わせでこんなあられも無い事態になり、そこから約半年のあいだというものは、日々邪悪な夢想に塗れて暮らしておりました。

たとえば2016年5月11日。
復活したザ・イエロー・モンキーの『THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016』初日でした。
密林さんで『藍宇』DVDをぽっちりした日から数えて七年目のことです。

これだって毛頭偶然などというものでは無い。
なにもかも、連鎖する「五月」という魔のシーズンが呼び込んだ事態にちがいないんだわ。

そんなようなことを考えながら、七年前に『藍宇』に出逢ったきょう、5月13日を迎えています。


5月11日にイエロー・モンキーのライヴが始まるまで、ちらとも考えてみなかったことがあります。
イエロー・モンキーが活動していたころ、『藍宇』という物語は未だこの世に存在していなかったのだ、ということです。
イエロー・モンキーのライヴに通いまくった1993年11月24日から2001年1月8日までのあいだ、私は『藍宇』という物語をまったく知らずにいました。そりゃそうだ。そのころ關錦鵬はまだ『藍宇』を撮影していなかったんですからあたりまえすぎてばかみたいな話です。でもつい2日前の19時、国立代々木競技場第一体育館でM-1“プライマル。”のイントロが鳴り響くまで私は、そうしたあたりまえのことに微塵も思い及ばずに生きていました。
つまり『藍宇』を知った私が生で聴くイエロー・モンキー楽曲というものは、『藍宇』を知らなかった2001年以前とはまったくちがう響き方をした、ということです。


M-1“プライマル。”からM-24“JAM”まで。
陳捍東と藍宇のことをいつも何処かで考えてしまっていました。
最愛のバンドの復活に纏わる混沌と情熱とエモーション。思い出すさまざまのこと。ともにライヴに通った、死んでしまった友人のこと。泣きながら笑いながら惑溺しながら、同時にひっそりとささやかに佇むあの美しい藍宇の部屋にも、慥かに私は居たのです。


と、いう次第で。
5月11日と5月12日のイエモンさんのセットリストから、「理由はよくわかんないけど自分にはここがすごく『藍宇』でした」な一節を引っこ抜いて並べて見たいと思います。なんでそこがすごく『藍宇』なのか、そもそもよくわかんないので理由も書きませんが適当にお察しください。毎度のことですが愉しいのはおもに私ばっかりという事態でした。ほんとうにすみません。吉井さんもごめんね。


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| 21:55 | 藍迷。 | comments(2) | - |
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