在川崎的陰界。
2016.04.17 Sunday
気鬱な日々が続いています。
しかしきょうは久しぶりに楽しい午後を過ごすことができて、ちょっと気が晴れました。
先月『藍宇』&胡軍劉方面のありがたいものをたくさんお送りくださったSさんに、ついにお目にかかることができたのです。カエルさんもお誘い合わせでランチしてきました。そこでまたしてもありがたいものをたくさんいただいてしまいました。「私はもう引退した身ですから……」とおっしゃるSさんでしたが、日本における『藍宇』まわりがリアルタイムに熱かった情熱の時代の生き証人に直接お話を伺えて、訊いてみたかった胡軍さん劉さんまわりのあんなことこんなこと(ブログには到底書けぬはしたない内容)にも快くお答えいただけた。とんでも無く有益な数時間でした。かんしゃかんげきです。ありがとうございますSさん!
ランチの場所は川崎でした。
川崎といえば、『九龍風水傳/クーロンズゲート』を愛する者なら一度は探訪しておくべきディープなスポットがございまして。
Sさんとお別れしたあと、強風のなかを訪ねてみました。
電脳九龍城砦 ウェアハウス川崎。
ここは、かつて香港にあった九龍城砦をテーマに作られたアミューズメント施設です。
90年代後半に『九龍風水傳/クーロンズゲート』というゲームに耽溺し、2004年に『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness』という書籍を買いました。著者グレッグ・ジラードさんのHPで在りし日の九龍城砦の姿を見ることができます。
Greg Girard Kowloon Walled City
私が九龍城砦に惹かれたのはやはりそこに「生活」があったから。
ひとびとの日々の営為というものが連綿と、みっしりと詰まっていたから。
九龍城砦が取り壊されず無人の儘に放置されたならば、素敵に凄まじい廃墟となりはてたことでしょう。廃墟は廃墟でたいそう佳きものです。でも、なぜ廃墟が佳きものであるかといえば、かつて其処に誰かが住んでいた、その時間の記憶がありありと残っているから。魔窟と呼ばれる場所にも淡々と営まれる暮らしがあった。その暮らしのなかでいくつもの新しい命が生まれ、笑って泣いて生きて死んだ。それ以上のものは無く、そしてまた、正しくそれ以上のものも無い。
ウェアハウス川崎は、「在りし日の九龍城砦を偲ぶ」とまではまいらないのでしょうが(そもそも「在りし日の九龍城砦」を知りませんし)、『九龍風水傳/クーロンズゲート』のあの異様に美しくおそろしい世界に迷い込んでしまったかの如き錯覚を其処此処で体感できる、稀有な場所であることはたしかです。
錆びついた自動ドアががらりと開き、禍々しい紅にいろどられたアプローチの先にあるもうひとつの扉をくぐると、うすぐらい通りが奥まで延びています。通りの左右からは姿無き住人の話す広東語が聞こえてきます。其処はもう陰界九龍城。気分は超級風水師。まずは重慶花園に消えた鏡屋を捜さなければ。
しかしきょうは久しぶりに楽しい午後を過ごすことができて、ちょっと気が晴れました。
先月『藍宇』&胡軍劉方面のありがたいものをたくさんお送りくださったSさんに、ついにお目にかかることができたのです。カエルさんもお誘い合わせでランチしてきました。そこでまたしてもありがたいものをたくさんいただいてしまいました。「私はもう引退した身ですから……」とおっしゃるSさんでしたが、日本における『藍宇』まわりがリアルタイムに熱かった情熱の時代の生き証人に直接お話を伺えて、訊いてみたかった胡軍さん劉さんまわりのあんなことこんなこと(ブログには到底書けぬはしたない内容)にも快くお答えいただけた。とんでも無く有益な数時間でした。かんしゃかんげきです。ありがとうございますSさん!
ランチの場所は川崎でした。
川崎といえば、『九龍風水傳/クーロンズゲート』を愛する者なら一度は探訪しておくべきディープなスポットがございまして。
Sさんとお別れしたあと、強風のなかを訪ねてみました。
電脳九龍城砦 ウェアハウス川崎。
ここは、かつて香港にあった九龍城砦をテーマに作られたアミューズメント施設です。
90年代後半に『九龍風水傳/クーロンズゲート』というゲームに耽溺し、2004年に『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness』という書籍を買いました。著者グレッグ・ジラードさんのHPで在りし日の九龍城砦の姿を見ることができます。
Greg Girard Kowloon Walled City
私が九龍城砦に惹かれたのはやはりそこに「生活」があったから。
ひとびとの日々の営為というものが連綿と、みっしりと詰まっていたから。
九龍城砦が取り壊されず無人の儘に放置されたならば、素敵に凄まじい廃墟となりはてたことでしょう。廃墟は廃墟でたいそう佳きものです。でも、なぜ廃墟が佳きものであるかといえば、かつて其処に誰かが住んでいた、その時間の記憶がありありと残っているから。魔窟と呼ばれる場所にも淡々と営まれる暮らしがあった。その暮らしのなかでいくつもの新しい命が生まれ、笑って泣いて生きて死んだ。それ以上のものは無く、そしてまた、正しくそれ以上のものも無い。
ウェアハウス川崎は、「在りし日の九龍城砦を偲ぶ」とまではまいらないのでしょうが(そもそも「在りし日の九龍城砦」を知りませんし)、『九龍風水傳/クーロンズゲート』のあの異様に美しくおそろしい世界に迷い込んでしまったかの如き錯覚を其処此処で体感できる、稀有な場所であることはたしかです。
錆びついた自動ドアががらりと開き、禍々しい紅にいろどられたアプローチの先にあるもうひとつの扉をくぐると、うすぐらい通りが奥まで延びています。通りの左右からは姿無き住人の話す広東語が聞こえてきます。其処はもう陰界九龍城。気分は超級風水師。まずは重慶花園に消えた鏡屋を捜さなければ。