羅杰。
2016.03.30 Wednesday
芳紀二十三歳の砌に胡軍さんが主演なすった『ゴドーを待ちながら』の舞台について先日書きました。
『ゴドー』の2年のちに出演された、同じく孟京輝氏演出によるジャン・ジュネ『バルコン(阳台)』。
2年まえに微博で分けていただいたお写真から(詳細はこちら→■)、当時の舞台の映像が何処かに残っているらしいとは思っていましたが、見つけることができずにいました。
それがついこの3月25日にビリ動に上がっていたのを教えていただき。
【胡军】1993年孟京辉话剧【阳台】片段
たった12分強ではありますが、芳紀二十五歳の砌のはしたない大胸筋を堪能させていただきました。
『バルコン』は、岩波文庫にある言葉を借りれば「権力と幻想の表象ゲームが、『幻想館』の客と娼婦の性的演戯に変換され、革命を挫折させる」物語。叛乱軍が暴動を起こし、銃声響き渡る不穏な空気のなか、とある娼館で、さまざまな役柄に扮した客と娼婦のコスプレごっこが展開されていきます。
胡軍さんが演じたのは、水道工事屋でアンドロメダ地区の委員会(叛乱軍側)の男「ロジェ(羅杰)」。惚れた娼婦シャンタルを娼館から足抜けさせたものの、革命のアイコンとしてシャンタルを王宮のバルコンに立たせて歌わせようと考える叛乱軍に、「道路工事の女百人と引き換えに」彼女を引き渡してしまう。ダイアローグのはしばしから想像するに、上の映像はその場面を描く第6景のもののようです。
そしてこれよりも随分と短くなりますが、別の場面の映像もありました。
阳台片断
「軍臨天下・内部資料」(「軍臨天下」というのは胡軍さんのファンサイト的なもの)などとものものしく謳っているとこをみますと、もしかしてこれ外に出してはいけなかった映像なのかしら。たしかに、男どもによってたかってお洋服を脱がされて、白のデカパンいっちょうで“リパブリック讃歌”を朗々とおうたいになる胡軍さんは、あんまりおおっぴらに御開帳したくないかんじもします。『ゴドー』のときにつづいてここでもあしもとはおぼこい白ソックス。白ソックスに白デカパン、そんな居た堪れ無い衣装を裏切って何処までも如何わしい芳紀二十五歳の砌の肉体。
ちなみに『バルコン』終幕において、ロジェは自らの手で自らを去勢します。そうした場面がこの先に待っているのだとおもふと、金に糸目はつけねえから完整版を観てみたいというきもちにも、なろうというものじゃ無いですか。
『バルコン』というお話は「演ずること」「役者であること」がテーマにもなっていて、ずきずきするような台詞が彼方此方に鏤められています。ご興味おありの向きはぜひ、お読みになってみてください。
個人的に胡軍さんの声で聞いて耳の穴を濡らしてなにかとちがう作品のふたりなんかに思い馳せてみたいロジェの台詞を、以下ちょっとだけ抜き書き。
愛しているよ、君の体、君の髪の毛、君の乳房、君の腹、腸(はらわた)も、体液も、君の匂いも、君のすべてを。
君は俺のものだ。
俺はシャンタルを引き離したのだ──引き離したのだ、墓穴から。ところがもう俺から逃げ出し、天に昇ろうという
お前を盗み出したのはな、一角獣や双頭の鷲にするためじゃなかった。
一角獣とじゃ、セックスはできないだろうが?
もう一分だけ。愛してる。俺の命より大事だ。まだ、夜は明けちゃいない。
俺には我慢できない、君なしでいることが。
君の優しさ、君の情愛はあまりにも強く、君を学校の授業のように厳しく、飢えのように辛く、氷の塊のように不屈のものにしている。
君は俺を包み込み、俺は君を体のなかに抱いている。
俺は、俺の選んだ役を、その運命のぎりぎりの突端まで、導く権利があるはずだ……いや、この俺の運命をだ……やつの運命と俺の運命とを、一つに合体させる権利が
【参考】
女中たち/バルコン
ジャン・ジュネ作 渡辺守章訳(岩波文庫刊)
『ゴドー』の2年のちに出演された、同じく孟京輝氏演出によるジャン・ジュネ『バルコン(阳台)』。
2年まえに微博で分けていただいたお写真から(詳細はこちら→■)、当時の舞台の映像が何処かに残っているらしいとは思っていましたが、見つけることができずにいました。
それがついこの3月25日にビリ動に上がっていたのを教えていただき。
【胡军】1993年孟京辉话剧【阳台】片段
たった12分強ではありますが、芳紀二十五歳の砌のはしたない大胸筋を堪能させていただきました。
『バルコン』は、岩波文庫にある言葉を借りれば「権力と幻想の表象ゲームが、『幻想館』の客と娼婦の性的演戯に変換され、革命を挫折させる」物語。叛乱軍が暴動を起こし、銃声響き渡る不穏な空気のなか、とある娼館で、さまざまな役柄に扮した客と娼婦のコスプレごっこが展開されていきます。
胡軍さんが演じたのは、水道工事屋でアンドロメダ地区の委員会(叛乱軍側)の男「ロジェ(羅杰)」。惚れた娼婦シャンタルを娼館から足抜けさせたものの、革命のアイコンとしてシャンタルを王宮のバルコンに立たせて歌わせようと考える叛乱軍に、「道路工事の女百人と引き換えに」彼女を引き渡してしまう。ダイアローグのはしばしから想像するに、上の映像はその場面を描く第6景のもののようです。
そしてこれよりも随分と短くなりますが、別の場面の映像もありました。
阳台片断
「軍臨天下・内部資料」(「軍臨天下」というのは胡軍さんのファンサイト的なもの)などとものものしく謳っているとこをみますと、もしかしてこれ外に出してはいけなかった映像なのかしら。たしかに、男どもによってたかってお洋服を脱がされて、白のデカパンいっちょうで“リパブリック讃歌”を朗々とおうたいになる胡軍さんは、あんまりおおっぴらに御開帳したくないかんじもします。『ゴドー』のときにつづいてここでもあしもとはおぼこい白ソックス。白ソックスに白デカパン、そんな居た堪れ無い衣装を裏切って何処までも如何わしい芳紀二十五歳の砌の肉体。
ちなみに『バルコン』終幕において、ロジェは自らの手で自らを去勢します。そうした場面がこの先に待っているのだとおもふと、金に糸目はつけねえから完整版を観てみたいというきもちにも、なろうというものじゃ無いですか。
『バルコン』というお話は「演ずること」「役者であること」がテーマにもなっていて、ずきずきするような台詞が彼方此方に鏤められています。ご興味おありの向きはぜひ、お読みになってみてください。
個人的に胡軍さんの声で聞いて耳の穴を濡らしてなにかとちがう作品のふたりなんかに思い馳せてみたいロジェの台詞を、以下ちょっとだけ抜き書き。
愛しているよ、君の体、君の髪の毛、君の乳房、君の腹、腸(はらわた)も、体液も、君の匂いも、君のすべてを。
君は俺のものだ。
俺はシャンタルを引き離したのだ──引き離したのだ、墓穴から。ところがもう俺から逃げ出し、天に昇ろうという
お前を盗み出したのはな、一角獣や双頭の鷲にするためじゃなかった。
一角獣とじゃ、セックスはできないだろうが?
もう一分だけ。愛してる。俺の命より大事だ。まだ、夜は明けちゃいない。
俺には我慢できない、君なしでいることが。
君の優しさ、君の情愛はあまりにも強く、君を学校の授業のように厳しく、飢えのように辛く、氷の塊のように不屈のものにしている。
君は俺を包み込み、俺は君を体のなかに抱いている。
俺は、俺の選んだ役を、その運命のぎりぎりの突端まで、導く権利があるはずだ……いや、この俺の運命をだ……やつの運命と俺の運命とを、一つに合体させる権利が
【参考】
女中たち/バルコン
ジャン・ジュネ作 渡辺守章訳(岩波文庫刊)