蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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降冬的故事。──『藍宇』其の是拾翅


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何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ。

あなたに抱かれて。
あなたと乱れて。
ひとつに生まれて。
ふたつに別れて。



(「ALRIGHT」/吉井和哉)



陳捍東と藍宇が出逢った1988年に結成されて。
藍宇が生きた時間と同じ、28年を経て再生を果たし。
私が『藍宇』のDVDを購入した5月11日に復活後初のライヴツアーが初日を迎え。
そんな因果なバンド、ザ・イエロー・モンキー、その新曲“ALRIGHT”が一斉解禁されるんですよと告知された、その日が。

よりにもよってきょうです。

『藍宇』が殺青(=クランクアップ)を迎えた、2月10日なのです。
自分のなかで、おわりとはじまりが、ぐるんとループを描いていくような。
そろそろ解けるんじゃないだろうかなあ、と思うそばから新しい呪いに搦め捕られていくような。
そんなかんじがいたします。


『藍宇』が殺青を迎えた日の翌日に『キャロル』という映画が観客に向けて解き放たれるというのも、そうした無間の呪いのひとつかも知れない。
とかそんなことをおおまじめに考えているのは全世界探したって私だけで良いです。


『キャロル』は、1952年のクリスマスのニューヨークで出逢った美貌の人妻キャロルと舞台美術家を目指す19歳のテレーズの、真冬の道行の物語。

映画誌の仕事をしているのでタイトルだけはずいぶん前から知っていたし、カンヌ国際映画祭でルーニー・マーラが女優賞を獲った、などという情報も仕入れていましたが、肝心の物語についてはよくわかっていなかった。でも、浦川とめさんがご自身のブログで、
「しきりと『藍宇』が思い出されて、胸苦しいような思いと余韻にひたってしまいました」
と書かれているのを読んで、気持ちがちょっとざわっとしました。
その「ざわっ」は、フィクションで扱われる同性どうしの恋の常套みたいに(つまりは『藍宇』みたいに)『キャロル』もまた、どちらかの死を以て終わることになるのではないか、という「ざわっ」でした。


どんな物語であれ基本的にハッピーエンディングがすきです。ハッピーエンディングといっても、登場人物がみな不幸のどん底に叩き落とされあるいは無残な死を迎えたとしても主人公ひとりは命ながらえてきょうも新しい朝がきましためでたしめでたし、ということではありません。
主人公ひとりが不幸のどん底に叩き落とされあるいは無残な死を迎えたとしても、未だ明けない世界になけなしの光──希望を残してひっそりと消えてゆく。
そういうことが、自分にとってのハッピーエンディングです。
『藍宇』は、藍宇の死を以て終わる物語ではありますが、私にとってはこのうえ無く正統なハッピーエンディング・ストーリーといえます。だから私が『藍宇』に夢中になるのもあたりまえなのですが、とはいえ主人公が自己犠牲的に美しく命を落とすお話だったらなんだってすきだ、というわけじゃあ無い。

同性どうしの恋がどちらかの死を以て悲恋に終わる、という常套は数多の物語を生みだしてきました。でもそれは、凡手が使えば陳腐な凡作しか生まない諸刃の剣でもあります。カンヌで女優賞獲るような『キャロル』がそうした凡愚な真似をしでかしている筈も無いのですが、公式サイトで、
「魅かれあうふたりは、心に正直に生きようとして、思いつくまま西へと向かう旅に出る」
なんて読んでしまったら早くも頭のなかは

此の世の名残。夜も名残。死にゝ行く身を譬ふれば。あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。

ちかえもん。もとい近松門左衛門先生畢生の名作『曾根崎心中』おはつ徳兵衛道行の場になってしまうじゃあないですか。
「魅かれあうふたりは、心に正直に生きようとして、思いつくまま西へと向かう旅に出る」っての、捍東と藍宇でちょっと見てみたかったわ、という気もいたしますけれどもね。ていうかわしの腐れ脳内では疾うにそういう次第になっていたりもしますけれどもね。

ともあれ『キャロル』にかんじた「ざわっ」をどうにかしたく、映画にさきがけてパトリシア・ハイスミスの原作を読んでみることにしました。


エミール・クストリッツァの『アリゾナ・ドリーム』で、リリ・テイラー演ずるグレースが、「物語の前半に拳銃が出てきたら、後半でかならずそれが火を噴くということなのよ」みたいなことをいいます。
『キャロル』においても西への旅のはじまりでキャロルの所持する拳銃が登場しますし(映画の予告篇にも出てきます)、美しくせつなくたおやかなラブストーリーとばかり思っていたものが途中からどんどんサスペンスフルな苦い展開になっていくもんだから、「ざわっ」がどうにかなるどころか、読んでいるあいだ終始ざわざわしっぱなし。
でも、佳い物語でした。


「結婚」という檻に囚われたキャロルが陳捍東で、夢を叶えるためにニューヨークに出てきたテレーズが藍宇。どうしたってそういう切り分けをしたくなりますよ。キャロルの親友アビーの存在も、ちょっと劉征ぽいといえばぽいし。クリスマスを挟んで展開する「真冬」の物語というところもいっしょ。フランケンバーグ・デパートの人形売り場でカウンター越しにキャロルとテレーズが言葉を交わすところなんか、人波を挟んでほほえみあう捍東と藍宇の、マフラーの場面彷彿でしたし。
というふうになにかと『藍宇』を投影してみたくなるのは私の病が重いせいで、とはいえやはりふたつは別の物語です。キャロルとテレーズ、それぞれにあやうい風情を漂わせていても、それは最初に懸念した、西への旅=死出の道行的なこととはまったくちがう。世界がわたしに意地悪するからもうこんな世界なんかこっちからさよならよ、みたいなことじゃ断じて無くて。いまいるこの厄介事だらけの世界に「わたし」というものを刻むために、手を携え、曙光をもとめて闇路をたどる。ひとりとひとりで。ときにはふたりで。
『キャロル』は、そういう物語でした。


疾うに打たれてしまったエンドマークの彼方に往生際悪く渇望してやまないその先の、あるいはもうひとつの、捍東と藍宇の物語。こうもあってほしかった、ああもあってほしかったと降りつもるばかりの未練。
『キャロル』の最後の一行を清々しく読み終わって顔をあげて、やっぱり自分のなかにはそういう想いがあるんだな、ということが見えたりもしました。
儘ならぬ憂き世の儘ならなさを絶唱するのみで終わる、つれなくて意地悪で、そして潔い物語。
15年前のきょう、はじまったのです。



●2011年2月10日 地久天長。──『藍色宇宙/MAKING BLUE』
●2012年2月10日 後朝。──『藍宇』其の弐拾弐
●2013年2月10日 人人平安。──『藍宇』其の燦拾貳
●2014年2月10日 搬家。──『藍宇』其の燦拾勒
●2015年2月10日 切切偲偲。──『藍宇』其の是拾


| 17:37 | 藍迷。 | comments(2) | - |
イヤーオブザモンキーな男。
祝大家春節快楽!


ついこのあいだ新年明けましておめでとうございますと言ったばっかな気がしますが春節は別腹。
本日2月8日は、旧暦2016年の元日にあたります。
丙申の年です。丙が火、申が金で火剋金。相剋は良くないこととされていますが、火に溶かされた金属がふたたび固まって新しいかたちをつくりだす、という解釈もできるんだそう。なにがしか、これまでの努力がかちっとしたかたちになる、そんな年になりますよう。

干支ということでいえば申と午というのがなんかどうも自分にとってはスペシャルといいますか。ひと月まえのきょう再生を果たしたほれたバンドの名前にも「猿」が入っておりますし。ちょっとええわと思うおひとは生まれ年にこの干支を持っていることが多いです。
大槻ケンヂさんとか吉井和哉さんとか(1966年丙午)。
長瀬智也さんとか椎名林檎さんとか(1978年戊午)。
佐々木蔵之介さんとか呉秀波さんとか(1968年戊申)。
昨今でいうならばディーン・フジオカさんとかですね(1980年庚申)。

『藍宇』という映画の主演俳優おふたりの干支(戊申と戊午。奇しくも揃って十干が戊だ)を知ったときも、
「うむ。宜なるかな」
てなかんじでした。2年前の甲午の年にはそのうちのおひとりが本命年を迎えましたし、そして今年はもうおひとりが本命年を迎えます。きょうは朝起きて、いのいちばんにまっかなぱんつをお穿きになったかしらうふふふふ。



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坚毅的眼神以及不羁的笑容,每一张照片都诠释着不同的胡军。颠覆以往的硬汉造型,将男人绅士、洒脱、深沉、睿智的一面多角度、多元化呈现,其鲜明的个性表露无遗。即将48岁的胡军将迎来自己人生中第四个本命年,他亦刚刚度过一段充满困惑的中年,“终于明白很多东西可以扔掉,可以不管,没必要去争、去抢。”无论是玩荒诞派戏剧也好,在荒郊野岭拍戏也好,胡军始终还是那个有规有矩的古代人,他在大哥面前甘做小弟,在小弟面前也可以做带头大哥,在男性社会的构架里,他活得如鱼得水。这是一个男人学习如何接受自我的故事。



来月には、満48歳のお誕生日もやってまいります。
恭喜發財、万事如意!

| 13:45 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(2) | - |
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