唐代の中国。ある日、13年前に女道士に預けられた隠娘が戻ってくる。美しく成長した彼女は完全な暗殺者に育て上げられていた。標的は、暴君の田季安。彼と隠娘は、幼き頃一緒になることを決められていた、かつての許婚であった。どうしても田季安に止めを刺せない隠娘は、遣唐使船が難破し鏡磨きをいて暮らす日本人盛宴に助けられながら、暗殺者としての自分に情愛があることに戸惑い、運命を自らに問い直す……。
2013年秋、東京中国映画週間で観た二作品について、主要人物をめぐる「三人」というかたちにこじつけた
感想文 を書きました。
2015年秋に公開された表題の『黒衣の刺客/刺客聂隐娘』と、そして東京フィルメックスで観た『最愛の子/亲爱的』という二作品も、自分が長年惹かれている、というかもはや取り憑かれているようなテーマにおいて、何処かで屹度つながっているのだな、と思えるものでした。
それは「子どもが消えて、数年を経たのちに帰ってくる」ということ。つまり。
かみかくし【神隠し】
人が突然行方不明になったとき、神や妖怪にさらわれたと解釈すること。
神隠し事件には、失踪したまま戻ってこない場合と、期間は長短さまざまであるが戻ってくる場合とがあり、後者の場合、神に連れられて異界を巡ったという不思議な体験談が語られることがある。神隠し信仰は、人さらい、事故死、失踪といった残酷な現実を隠蔽する機能をもっていた。
(小松和彦/日本歴史大事典)
『黒衣の刺客』のヒロイン聶隠娘はある理由を以て女道士、嘉信公主のもとに預けられたのであり、『最愛の子』の田鵬も天狗に拐かされて諸国漫遊していたのでは無く安徽省の農村で李紅琴の手によって育てられていたのですから、これらの物語は厳密な意味で「神隠し」とはいえないのかも知れません。でも、どちらにせよその子は、なにものかの手によって両親と引き離され、異界ともいうべき世界にしばらくのあいだ隠されていた。それゆえにこのふたつを神隠しの物語と呼んでも不都合は無いのじゃないか、という気がするのです。
(『最愛の子』については、2016年1月16日の劇場公開後にあらためて書いてみたいとおもっています。)
あたりまえのようにそこにいた無辜のものが前触れも無く姿を消し行き方知れずになる不思議。「行方不明」が「正体不明」になって戻ってくるおそろしさ。神隠しの物語が湛える蠱惑とは畢竟、そうしたことではないでしょうか。
かつて最愛の子であったかれと、かれを迎える人々とのあいだに横たわる、けっして埋められない空白。
それでもあたりまえのように営んでいかなければならないその先の日常。
そうしたことがどうも気にかかるのです。
五歳のころ、私は自分が両親のもとから「いなくなること」ばかりを考えていました。そのために、全財産(といってもおもちゃの指輪やキャラメルや「きいちのぬりえ」など)を詰め込んだハンドバッグをふたつ、常に携帯して暮らしていました。幸か不幸かいなくなること無く今日に至っております。当時はむろん「神隠し」などということは知らなかった。知らないまま、「此の世で無い何処かへ行ってしまって二度と戻らないわたし」という物語をこしらえて、うっとりしていたようでした。
かつてそういう五歳児だったから、『黒衣の刺客』という映画になにがしか感情を揺らされたのかも知れません。
『黒衣の刺客』のもとになった物語、裴鉶による「空を飛ぶ侠女──聶隠娘」(
『唐宋伝奇集(下)』/岩波文庫 )によれば、聶隠娘とは、唐の貞元(785ー804年)のころ、魏博節度使の武官であった聶鋒の娘であり、行きずりの乞食尼に見込まれて行方知れずになった少女。「隠娘」というのは文字どおり、「世を捨てた娘」「人に見られてはならない娘」を意味する通り名なのでしょう。裴鉶の物語においては聶鋒の娘の本当の名は明らかにされませんが、維基百科の「刺客聶隱娘」の項によれば彼女の名は「聶窈」というそうです。「窈」は「ひそか。かすか。奥深くてかすかにしか見えないさま」という意味で、どこか「隠」に通ずる名といえます。姓の「聶」そのものが「ことばを口中に含んで小さな声で話す。ひそひそとささやく」ことをあらわす字であり、「窈」という名は「聶」との響き合いから付けられたものなのかもしれません。
五年ののち。ふたたび現れた乞食尼は「すっかり仕込みました。お引きとりください」と聶鋒のもとに隠娘を送りとどけ、消え去ります。なにを「仕込みました」かといえば人殺しのわざです。「いつも娘を想って、向いあって涙を流すばかりであった」聶鋒とその妻は、隠娘が戻った当初こそ喜んだものの、暗殺に明け暮れる娘をみるうちすこしずつこれを怖れるようになり、揚げ句「あまり可愛がらなくなった」といいます。
隠娘は門前を通りがかった鏡磨きの若者を見初めて夫とし、聶鋒の死後は魏博節度使の刺客となりますが、陳許節度使・劉昌裔の暗殺を命じられた際に劉昌裔の明敏なことに感じ入り、それからはかれのために働くようになります。
『黒衣の刺客』には劉昌裔は登場せず、聶隠娘(舒淇)が命を狙うのは当代の魏博節度使でありかつての許婚であった田季安(張震)です。ふたりの縁談は朝廷と魏博との争いのなかで破談となり、隠娘は田季安の正妻、元氏(周韻)の実家から命を狙われたために、田季安の養母嘉誠公主のふたごの姉、嘉信公主(許芳宜)に託され、そしてその身を「隠された」──ということになっています。
『藍宇』という映画、或いは『画魂』というドラマにおいては、其処此処に置かれた鏡をとおして登場人物たちの虚と実、過去と現在、予見する未来といったものが映し出されていましたが、『黒衣の刺客』においても鏡を挟んで向き合うかのような相似の像が、意図的に配置されているように思いました。隠娘の夫となる若者が「鏡磨き」を生業にしていることに関係づけているのかも知れません。
たとえば嘉誠公主と嘉信公主を許芳宜が二役で演じていますし、隠娘の伯父田興(雷鎮語)を狙う刺客精精兒と元氏をどちらも周韻が演じています。原作の精精兒は劉昌裔の命を狙う刺客として登場し隠娘に斃されますが、映画の精精兒は元氏のもうひとつの姿という設定。数合の撃ち合いの末に精精兒の黄金の仮面を斬り落とした隠娘は、仮面に隠された精精兒の正体が元氏であると知ります。田季安そのひとが「鏡」となって、かつての許婚隠娘と隠娘のかわりに娶った元氏がともに凄腕の刺客として生き、刃を交わすさまを映し出す──侯孝賢監督がそういうことまで意図されていたかどうかは存じませんが、個人的にひどく痺れる仕掛けです。嘉誠公主と嘉信公主の姉妹も田季安を挟んでその養母と暗殺者という生死の対称を描いていますし、元氏と隠娘はまた、田季安の愛妾瑚姫(謝欣穎)を呪殺せんとするものと呪いを解いて彼女を救うものとしても対立している。事ほど左様にじつは田季安というひとこそが、『黒衣の刺客』という物語を動かしているのかも知れません。「自立していて、不屈で、孤独」(監督談)な女たちの中心に居ながら為す術も無く「美貌の暴君」をやっているだけの田季安。公式サイトやパンフレットのあらすじで「暴君」と書かれながらその暴君たる所以が映画ではまったく描かれない田季安。いやもしかして描かれていたのかも知れませんが、そういうことよりも宴会で太鼓を叩いてくるくる回っていたお姿ばかりが懐かしく思い出されます。演者張震自身が「宮廷のダンスの場面は、太鼓の演奏もあったので、約1ヶ月間練習しました。この太鼓のメロディが非常に深く印象に残っています」と語っているので私の印象もあながち間違っちゃいなかった、と勝手に意を強くしております。
『黒衣の刺客』という映画は2015年のベストワンに推されるほど激賞されるいっぽうで、「クソつまらん」「なにがなんだかわかりません」「退屈」「寝たわ」「監督の自己満映画」「監督の自慰映画」といった悪評も多く、所謂観る人を選ぶ映画ということになるのでしょう。官能には個人差がありますから、すべての観客がひとつの映画を観て、等しくなにがしかの感動をおぼえる筈も無いのです。だからといって、「すべての観客が等しくなにがしかの感動をおぼえるものがすなわちエンターテインメントなのだからこんなのエンターテインメントじゃ無いんだ」という論には首肯致しかねますが。私は神社仏閣巡りがすきなものですから、自分もおまいりしたあのお寺この神社がこんなにも美しくフィルムに収められている、というだけで只管うっとりでしたし、上述のような仕掛け(じゃ無いかも知れないけど)を読んでいくのが愉しくって、つまり「entertainment=愉しませるもの」という意味でこの映画は自分にとっては十二分にエンターテインメントたりえたし、そしてまた、「此の世で無い何処かへ行ってしまって二度と戻らないわたし」にあこがれていた女の子が成長すれば、
DESPERATELY CHASING THE DRAGON ──the black hole@室生──
この記事に書いたようなことを嬉々としてしでかし、「もう金輪際森から出たくなーい」とかぬかす人間になるのだなあということも、消えない烙印のような甘苦い痛みを以て、思い知った気がします。
聶隠娘という女の子は全き無辜の存在だった。彼女の両親は娘を凄腕の人殺しになどしたくはなかったし、彼女自身も自分が人殺しで暮らしを立てる身になろうなどとは思ってもみなかった筈です。ちいさきものが、何処かの誰かの事情によって自由を奪われ、何処かの誰かのすきなように、そのありようを変えられてしまう。「空を飛ぶ侠女──聶隠娘」にあるように、娘の帰りを待ちわびていた親ですら、一種のばけものになって戻ってきた娘をもう愛せない。『黒衣の刺客』にあるように、母が毎年娘の成長に合わせて仕立てていた豪奢な衣装がもはや彼女には似合わない。といいますか、あの場面で舒淇が纏う衣装が舒淇をまったく美しく見せてくれていない。だってなにしろ舒淇なんだから如何様にも美しく装わせることはできたと思うのに、敢えてあんなに野暮ったいかんじに仕上げたということ、それがつまり聶隠娘そのひとの居心地の悪さを明らかにしているのかなと思ったりもしました。元氏や瑚姫が白粉や紅をたっぷり使い花鈿をほどこした艶やかな化粧をしているのにひきかえ聶隠娘がほぼ素顔というのも、聶隠娘がいまだ男を知らない、浄らかな身であるからなのでしょう(原作では夫を持ちますが)。清浄であるがゆえにその殺人技も尋常ならざる域に及んでいるのかも知れません。しかし師匠の嘉信公主が刺客としてあってはならないと指摘した聶隠娘の「情」の部分、誰かを愛すること(つまり、浄らかでなくなること)によって彼女がみずからすすんでその「情」に振り切ったとき、その殺人技はよりいっそう深化するだろうという気もします。それが彼女にとって幸福なことかどうかはわからないけれど。
いかにして帰つて来たかと問へば、人々に逢いたかりしゆゑ帰りしなり。さらばまた行かんとて、ふたたび跡を留めず行き失せたり。
(『遠野物語』/角川文庫)
行方不明となり、正体不明となって、ふたたび此の世に戻ってきた子。
黒い衣を纏い、帷や木立、夜闇のつくりだす影のなかに慎ましく佇む彼女。
空の青、日の光、吹き渡る風、葉叢のざわめき、鳥啼く声。それらを従えた聶隠娘の孤高と寂寞。
脳のうしろに蔵われた匕首のように、いつまでも忘れられません。
傷の手当てをしてくれた鏡磨きの青年(妻夫木聡)を新羅に送るために聶隠娘が村に戻ったとき、村の老人が言います。あの娘は約束を守ったよ、と。
原作では聶隠娘の夫になる青年だけれど、映画ではふたりのあいだに「恋」と呼べるほどのエピソードは無い。屹度戻ると約束するシーンすら無い。聶隠娘というなみはずれた技と力の持ち主が、すでに無辜では無く忌まれ疎まれる存在となった彼女が、恐らくは義侠ゆえに、日本からきた青年との約束を律儀に守る。そのささやかな願いと情熱に落涙しました。冬日の照らす枯野を青年と老人、そして彼らを護るように付き従う黒衣の背中がちいさく遠くなり、そしてすっかり見えなくなるまで、涙はずっと、流れつづけました。
《刺客聶隱娘》片尾配樂
VIDEO
本作の撮影は日本の寺社に於いてもおこなわれたそうですが、そのうちのひとつ、聶隠娘の回想に登場する嘉誠公主の場面が撮られたのが牡丹で名高い奈良県桜井市の
長谷寺 だそうです。
「長谷(はせ)」は「初瀬/泊瀬(はつせ)」とも記し、谷川健一氏によればその本来の意は「果つ瀬」「終瀬(はてせ)」ではなかったろうか、と。
「隠/隠國(こもりく)の」は、山に囲まれた地形であるところから「泊瀬」にかかることばで、「『はつ』に身が果つの意をふくませて、死者を葬る場所の意をこめている例もある」のだそうです。人麻呂の歌にもあるように泊瀬は火葬の地、葬送の地であることから黄泉の国に通ずる地ともとらえられていたようで、嘉誠公主という亡き女性が姿をあらわす場面がそういう場所で撮影されたというのもなかなか興味深いことでした。