蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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六合。
2009年8月27日午前9時47分に最初の記事を投稿してから、きょうで六年が経過しました。

臭跡を辿った挙げ句にゆきつく果てが何処かは、ゆきついてみないとわかりません。

なんて書いていますが、たとえば一昨日深更に起きたひとつの出来事がそのとき想像していた「ゆきつく果て」なのかといえば、勿論そうでは無い筈です。
記事のなかで「五障の雲」という表現を使っています。
「五障」とは、こういうものです。


ご・しょう【五障】
1 女性がもっている五種の障害。梵天、帝釈、魔王、転輪聖王、仏の五つになれないとするもの。五礙(ごげ)。五重。
2 修道上の障害となる五種のもの。煩悩障、業障、生障、法障、所知障の五つ。



「五障の雲」とは、「五障を月の光を覆う雲にたとえていう語」です。
たとえば私のだいすきな長唄「京鹿子娘道成寺」の歌詞に、

我も五障の雲晴れて 真如の月を眺めあかさん。

みたいなかたちで出てきます。カッコイイ。
「真如の月」とは、「明月の光が闇を照らすように、真理が人の迷妄を破ること。煩悩が解け去って、あらわれてくる心の本体を月にたとえた語」です。
五障の雲の果てには屹度、真如の月がある筈なのです。
でもこの六年をかえりみても、そして七年目のこの先も、五障の雲が晴れ渡ることは無いのだろう──というか五障の雲のなかから出ることを善しとせず、孑然ととじこもり鬱鬱と彷徨うことになるのじゃないだろうかと、いう気がします。

正直に申しますとこのブログだってさすがに六年はつづくまいと、始めたころにはそうおもってもいました。
2001年2月に『藍宇』が殺青した当時は32歳と22歳だった胡軍さんと劉さんは、私が此処を始めた時点で41歳と31歳になっていました。六年経ったいまじゃあ47歳と37歳です。

47歳と37歳に、「その先」なんか無えだろ。
と、おもってもいました。

ところがどうやらふたりには、まだ「その先」があるみたいなんです。

おどろいたわ。
人生って奥が深いのね。
もうこれ以上はないと思っても まだ先があるんだわ。

そういうことは、六年つづけてみなけりゃわからなかったことでした。
そういうことが僅か乍らわかったこと。
それが唯一、「つづけた」ことへの冥加でありましょうか。


まる六年のきょうなのに“五”障のことばっか書いていて。だったらまる五年だった去年に書きゃあよかったじゃ無えかとおもわないでもありませんが。とりあえず縁起担ぎと数字合わせを兼ねてタイトルには「六」を入れてみました。「六合」とは宇宙のことです。


りく・ごう【六合】
天地と四方。
上下四方。
また、天下。世界。全宇宙。六極(りっきょく)。

liuhe【六合】
上(天)・下(地)・東・西・南・北の六つの空間。
(広く)天下;宇宙



47歳と37歳にあるその先。
深深と藍ばかり湛えた宇宙の中の、取り留めもつかぬような遙かな果て。
32歳と22歳が嘗て身を置いていた現実と、47歳と37歳がいま身を置いている現実が、五障の雲晴れた先の何処かでふたたびつながることも、あったりするのでしょうか。
あったらいいとおもいますし、六年前に私がかんがえていたのとはまったくちがうかたちで、それが2015年の新しい現実になっているんじゃないか、ともおもいます。



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2001─2015



※引用は『精選版日本国語大辞典』『大辞泉』『中日辞典』(すべて小学館)、パーム20『愛でなく VI』(獸木野生/新書館)による。

| 23:04 | 藍迷。 | comments(4) | - |
緊急事態。
♪しゃんらんららん、ら〜ららら〜ん。
グッドイブニング皆さま。
毎日どうしてこんなにくそあづいのでしょうね、という記事を書こうと思ってもたもたしているうちに、きょうあたりはまだアウガストだというのに早くもセプテンバーのような涼しさじゃないですか。しまった。目算がはずれてしまいました。しかし微博方面おもに私の特別関注コーナー方面はくそあづかった。

日本における七夕、7月7日の夜にはこんな会話をなすっていたおふたりでしたが、中国における七夕節8月20日を経て25日深更、なにを思ったか胡軍さんが「为了两个共同的儿子,干杯!」というつぶやきとともに斯様なお写真をドロップ。


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(※劉さんの表情がわかりづらかったので、すみません、ちょっと加工しました)


两个共同的儿子。

この場合「两个」はつまりそのなんだ、胡軍さんと劉さんを指すのですよね。ええとつまりそのなんだ、「おれたちふたりの子」と、いう意味になるのでしょうか。さらりとものすごいことをおっしゃっている気がしますが中国では親愛の表現としてコモンセンスなんでしょうか。百歩譲ってコモンセンスだったとしたって良いけれど、これ陳捍東だったひとが藍宇だったひとに向かって万人の前で堂々と吐く台詞として考えてみるとはたしてどうなんだ。追いかけても追いかけても逃げて行く月のように指と指の間をすり抜けつづけたバラ色の日々が6年ゆめみつづけてなお見果てぬ夢的な風景が、「リヤル」として其処に立ち現れてしまったと錯誤したとしたって、それを罪とはいえないのじゃあ無いでしょうか。すみませんいろいろ混乱しているので私の気持ちそのままアヴちゃんに代弁していただくことにする。





上記の微博の前段として諾一が体調を崩すという緊急事態がまずあって、その流れで昨夜から今日にかけて、天下万民の前でのラブコミュニケーションが以下の如く交わされた次第なのですが。













『爸爸去哪儿』第三季・河杭村客家土楼の巻のロケでは、映画撮影のため参加できない劉さんに代わって胡軍さんが、諾一霓娜兄妹の面倒をなにくれとなくみてやっていたせいもあるのでしょうが(ふたりに虫除けスプレーを塗ってあげるところとか、ほんとうにたまりませんでした)、ここでも胡軍さん、「咱娃」(おれたちの子)とおっしゃっていて。
これも中国に於ける親愛の表現としてはコモンセンスなのかも知れないけれど。
かも知れないけれど胡軍さんの載せたお写真のふたりの表情は、これお酒も入ってるんだろうし多分に「役者」も入っているとは思うんですけれど、「コモンセンス」からあまりに大きく逸脱しているような。
ここからはじまる物語でもあるかのような。


1988年の七夕節は、調べてみると8月18日であったらしく。
冬至の再会で藍宇が言った「四個月」を手掛かりにたどると、捍東と藍宇の最初の夜は8月の20日前後であったろうと。
ふたりの居た其処は、正しく「鵲の渡せる橋」であったのですね。
『藍宇』クランクアップから15年目の夏。
ふたりの出逢いと同じころ。
8月25日のちいさな「奇跡」に、狼狽えつつ(笑)感謝。
| 22:08 | 藍迷。 | comments(10) | - |
《爸爸去哪儿3》第4期20150730。
雲南省西双版奈(シーサンパンナ)・タイ族自治州二日目。









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例によっておとうさんたちが軽い運動をやって朝ごはんをゲット。そのあとは、約150頭の野生のアジア象が暮らしている森へ向かいます。父子がそれぞれ3つのルートに分かれて象を観察するという趣向ですが、ルートのひとつはふたりのおとうさんがヘリコプターに乗って空中から象の痕跡を追い、それを撮影するというもの。





撮影クルーの大人たちがつねに周囲にいるとはいえ(映っていないだけで、こどもらの安全確保のために相当数のスタッフが同行していると思われます)、右も左もわからぬ熱帯雨林でおとうさんと離ればなれになるのはちいさい子であればだれだってこわいものです。最年長とはいえまだたった6歳、さすがの康康も「こわいよ」と訴え、胡軍さんも「だったらいっしょにいてやるが、どうする?」と訊きます。ここはあまえてしまいたいけど、年少の軒軒、大竣、夏天が「パパと離れるのはぜったいにいや!」とゴネるからにはいちばんおにいさんのおれが身を引かねばこの番組は成り立たぬ。内心めっちゃこわいけど、ぐっとこらえておとうさんを志願させる康康。






胡軍さんだって勿論、康康がこわくてたまらないのはようくわかっているんだけれども、いったん口に出したからにはあとに引けないせがれの立場もまた、わかりすぎるほどわかっています。そして、一度決まってしまったことはもう覆せない。ほかの子らがはしゃぐかたわらで、頼りがいのあるおとうさんの腹に頬をよせて、内心の葛藤と必死で闘う康康(このときの葛藤があとになって大爆発を引き起こすのですが)。







どうもこの父子を見ていますと、「士は己を知る者の為に死す(死為知己者死)」とか「壮士ひとたび去りて復た還らず(壮士一去兮不復還)」とか、おもに『史記』「刺客列伝」方面の故事成語が過ぎってしまいます。さていっぽう、ひとたび去りて復た還らなかった刺客をかつて演じたおとうさんとその子。




こわくなんかねえよ!





尊敬する(そのわりに名前がおぼえられない)康康哥哥がみせた男気に刺激されたか、意地を張る諾一。しかしよく話を聞いてみると。


パパとはなれる!
だってみんなでへりこぷたーにのりたいもん!



完全に企画の趣旨をとりちがえていました。
へりこぷたーにのるのはおまえじゃなくておとうさんなんですよ、諾一。
そんな、生来の天然ぼけ体質とはいえそこまで諾一が言うのならしかたが無い、と胡軍さんにつづいて劉さんが志願。その瞬間の胡軍さんの、さまざまな思いが去来したっぽい表情のびみょうさがちょっといいかんじでした。





いいのかおまえそんなこといっちゃってせがれがぞうにふまれでもしたらどうするまあおれはおまえといっしょにへりこぷたーにのれるのはねがってもないけどね。
(あにき心の声・レッド代読)

自分と離ればなれになることになんの痛痒も感じていないっぽい諾一にくさってしまった劉さん(とそれをおもしろがる胡軍さん)ですが、






同情を引こうといつものようにうそ泣きをしていると、いたいけなおとうさんを慰めに寄ってきたはずが、逆に泣きだす諾一。







生来の天然ぼけもおとうさんと離ればなれになるのはやっぱりつらかった。
けっきょく康康は林老師とクリスさんが、諾一は鄒市明さんが、それぞれめんどうをみることに。





【チームA】:林老師 大竣 クリスさん 夏天 康康
【チームB】:市明さん 軒軒 諾一


まんがいち象に遭遇したときは、
1. S字を描いて逃げませう。
2. 太い樹木にのぼりませう。

以上2点をふまえて出発です。
そうして餓鬼の居ぬ間にふたりのおとうさんは。










手に手をとって愛の空中散歩へ。
おもえば「爸爸去哪儿」という番組タイトルは、正しくこのふたりのこの瞬間のためにあったんじゃないでしょうかみたいな気がしました。
しかしおとうさんふたりがウキウキランデブーだったまさにそのころ。

地図が雑すぎて描かれている橋が実際には無かったり、方向音痴なくせに自信だけは満々な某おとうさんのおかげで道に迷ったり、すっかり不安になったところへお誂え向きにけだものの咆哮が響きわたって一同もれなく恐慌状態、あぶなくなったらきっとたすけにいくからなと約束してくれたおとうさんは声を限りに呼べど叫べど諾一ぱぱとたのしそうにへりこぷたーで行っちゃうし、ちくしょうおれはおやじにみすてられたもうここで死ぬと絶望したり、恐怖が裏返ってめっぽうハイテンションになってしゃべりづめだったり、象から逃げるはずみにすっころんで膝をぶって大泣きとか某おとうさんが首からさげてたカメラが顔にぶちあたって大泣きとかなにかと痛い目にあっていたりと、おもにおとうさんに置いて行かれたお子らを中心に森のなかでは地獄絵図が。





















(クールでかっこいいおにいさんだと思っていたのに……)
夏天もまじどんびきでした。


ちょっとおもしろかったのが、象があらわれるかも、ときいていきなりべそをかく諾一の気を逸らそうと市明さんが、
「森のなかでいちばんこわいいきものはなーんだ?」
となぞなぞを出すくだり。
諾一は「蛇」と答えるのですが、あとすこしで目的地に着くというところで彼らの行く手に大きな蛇が立ち塞がる。諾一の答えはこの事態を予言していたのか! しかしそのまえにこんな話もある。

 やがて先行の者があわただしく駈けもどってきて、このさきは通れません、と報告した。きくと、沼から這いあがった大蛇が小径に胴を横たえて動かないでいるという。きいたとたん、劉邦の壮気が酔いに乗って全身をかけめぐった。わしは壮士である、壮士とは勇往して畏れざる者をいうのだ、と叫びつつ前進した。
 なるほど、径に丸太をたおしたようにして灰白色の大蛇が横たわっている。
「こいつか」
 劉邦は剣をふりあげ、力まかせに大蛇の胴を撃ち、狂ったような勢いで撃ちに撃って胴を両断してしまった。

(司馬遼太郎『項羽と劉邦』/新潮文庫)

蛇のなきがらのそばで泣いていた老婆が、白帝の子である我が子が赤帝の子に斬られてしまったと嘆く、ゆえに劉邦は白帝(=秦)を滅ぼす赤帝の子なのである、と『史記』「高祖本紀」はいいます。
『王的盛宴』において劉邦そのひとを演じた役者の子が、労役から逃亡しあても無く夜道を彷徨う劉邦みたいに、森のなかで蛇に遇う。
これひょっとしたら蛇は仕込みだったりするのかもしれませんが、物語としてはちょっといいかんじです。

ちなみに市明さんのなぞなぞの答えですが、森のなかでいちばんこわいいきものは「麋鹿(ヘラジカ)」。
「麋鹿」のピンインはmilu、「迷路」もmiluで、つまりいちばんこわいのは「道に迷うこと」という。
麋鹿は別名を「四不像」ともいうそうで、辞書によれば、角が鹿に、尾が驢馬に、蹄が牛に、頸が駱駝に似ているが、全体として見ればどれにも似ていない(四つのものに“不像”)ということから「得体の知れないもの」「なんともつかない状況」の喩えにも使われるのだそうです。お勉強になりました。

ところで軒軒。
映像で観るかぎり、森のなかを歩いているあいだ、こやつは一度たりとも泣かなかった。
康康や諾一が泡をくったりめそめそしたりしているのにひきかえ、いちばんちいさい軒軒はひとり泰然としていました。勿論おとうさんがいっしょということで心強かったせいもあるでしょうが、泣いている諾一を慰めたり励ましたり、おもしろいことをやってみせて笑わそうとしたり。おとうさんに命じられたからそうしなければとがんばっているんではなく、状況まるごと受け容れて、どこか楽しんでいるかんじ。大事なよそさまの子である諾一におとうさんがまず気を遣って、自分のことはちょっと疎かにされていても、拗ねることもない。よくわからないものはよくわからないまま、まるっこい体で駆け抜けてゆく軒軒は、目の前にある現実(だけ)をぶれずに見ている子なのかもしれない、と思いました。森を出たあと、おいしそうな食べもの飲みものを紙のお金で競り落とすというゲームの段になれば一転、泣いてわめいてぐずってわがままをいうおなじみの軒軒にけろりと戻る。ぶれてない(笑)。






康康が競り落としたアイスクリームの溶け残りでこそこそ乾杯しているおとうさんたちのらぶいかんじも些かもぶれてない(笑)。


目の前にある現実を見ているという意味では林大竣もそうかも知れません。
夜営しているところに明け方ちかく象がやってきて、テントも荷物も捨てて逃走したあと、日が昇ってからそこへ戻ったときの大竣の行動がちょっと不思議でした。立ち去りかけて踵を返し、その場の景色をそのままビデオに収めるよう、おとうさんに頼む大竣。おとうさんといっしょに過ごした幸福な一夜の記憶、打って変わっていろんなものが散らばりひっくり返されたキャンプの現実。五歳に満たないこどもの目には無残なものと映ったでしょう。ほんの数時間とどまったにすぎない場所への、言葉にし難い愛おしさと悲しさに泥む息子に、この番組の撮影が終わったらおかあさんもいっしょにまたここへ来ようとおとうさんは言う。心に刻まれたものと目に映ったものの記憶は、そのとき彼のなかで、どんなふうに醸成されているのでしょうか。


10年前、人間によって傷を負わされ、保護されたちいさい象、然然(ranran)。
その14歳の誕生日をみんなで祝い、ひとり森へと還ってゆく然然を見送ります。








はじめての森も、森のどこかにたしかにいるけれども姿を見せない象も、「得体の知れないもの」という意味では「四不像」であるといえます。生きていくこともまたそうです。こどもらに限らず、おとうさんにとっても、私らにとっても。
見て、知って、触れて、感じてしまえば愛すべきもの。
見ず知らず触れず感じなければいつまでもおそろしいまま。
なんともつかない状況に囚われず。闇雲に畏れず。立ちどまってもいいから。わんわん泣いてもいいから。日の光も月の光も届かない冥い森のなかでも、その道を照らしてくれるほのかなものに、私たちはみんな、きっと出逢える。それだけ信じて前へと進む。
祝福って、そのぐらいでちょうどいいんだと思いました。

| 17:04 | 爸爸去哪儿第三季。 | comments(2) | - |
懐旧往事。──『藍宇』其の是拾而
胡軍さん劉さん共演の『爸爸去哪儿』第三季、その放映が始まってからがとくに顕著なのですが、微博まわりで先達の迷様たちが、われもわれもと『藍宇』お宝公開を始めました。各国ヴァージョンのDVDとか台湾版ボックスセットのおまけグッズとかポスターとか台湾珍蔵版DVDのおまけポストカードブックなどなどのお写真が、日々TLを賑わせております。日本が誇る『藍色宇宙 LAN YU FANBOOK』も、「禁無断転載」の断り書きを無視して一部ページが堂々と載せられてしまっている始末。
拙ブログは不完全ではありますが『藍宇』に関する私的アーカイヴを目指していますので、公開していただいたものはありがたくかっぱらいもとい頂戴し、保管させていただく方針でございます。以下おもに自分のお愉しみとして。


【智行基金會籌款限量版《藍宇》明信片】

『藍宇的北歐』さんに、
「『藍宇』公開時、香港の劇場窓口で販売されていた7枚セット。裏面には映画の科白が書かれている。30HK$。」
とあった「ポストカードセット」ですが、これがそうじゃないでしょうか。こんな素晴らしいものが劇場窓口で手に入った、ゆめのような時代もあったのね今世紀初頭には。劇場窓口つうても香港に行かなきゃ買えないんですけれど。でも当時の私がすでに『藍宇』をすきだったらば、『藍宇』観てこれ買うためだけに香港行きました。一も二も無い。ええ。


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@控非非様、多謝!


【藍宇後遺症】

『藍宇的北歐』さんの「藍宇的書架」に、この記事の日本語訳が載っています。6年前のいまごろ、幾度と無く読みかえし咀嚼し反芻しました。このブログを始めようときめたきっかけのひとつです。こうしてみると写真もすごく佳い。原文ちゃんと読んでみたい。


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@lanyu318様、多謝!


【『POP ASIA』2002年6月号】

バックナンバーを探してみましたがもはや手に入らないようでした。そういえば持ってるけどもう要らないわという方がいらっしゃいましたら捨てると思って私に下さいお願いします。テキストこそこそ抜き書き。


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見上げるほどの長身、浅黒い肌、シャツをはだけた胸と、あまりの美丈夫ぶりに一同目が釘付けになったところに響いた低音のセクシー・ヴォイス。カッコいいという次元を超えた、完璧な男の中の男だった。心のカメラで何度もシャッターを切りつつ、時々我を忘れながら話を聞いた。

「『東宮西宮』と『藍宇』はまったく違う映画だ。同性愛映画として見た場合、『藍宇』の方が純粋で深い映画だと思う」
「抵抗があるとしたら、役柄を理解することに関して。俺は同性愛者じゃないから、自分の表現を信じきれない。男女が愛を語る時と、男と男が愛を語る時では、やっぱり違うと思うんだ」
「役を演じる時に、俺は役を自分の体に引き寄せる。『藍宇』の時も、自分が役の捍東だったらどう表現するか、と考える。だから煙草を吸ったり酒を飲んだりするのも、それは胡軍の動作であって、演技をしたり描写をしたりはしない」



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〈台湾金馬奨〉で最優秀主演男優賞を受賞、〈香港電影金像奨〉でも主演男優賞にノミネートされた。受賞は逃したが、香港人たちは“できるやつ”と密かに羨望のまなざしを向けていた。

「この世界を身近に感じていた部分はあります。自分もごく普通の人間だし、選ばれた者が入る世界とはとらえていませんでしたね。4年間、演技を学び、それから5000人の中の20人に選ばれたりするうちに、今では少しは素質があったかなと思っています」
「僕の父も単調な生活をしている人で、子供の頃は一緒に散歩に行っても、40分くらい一言もなかったり。あの父子(注:『山の郵便配達』)の単調さは、見慣れている感じでした」


@控非非様、多謝!


【『藍宇』的聖地】

こんな記事も書いてしまいましたが、やはり一度はやりたい聖地巡礼。漫然と訪れてお写真撮って終わりじゃ無くて、当時のふたりを切り取って現在の風景に重ね合わせてみるという、これは素晴らしく批評的な試みだと思います。敬服。


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@写意_life様、多謝!


| 23:06 | 藍迷。 | comments(8) | - |
《爸爸去哪儿3》第3期20150724。
くそあづい上にくそいそがしく、感想文を書く時間がなかなかとれません。この回だって7月放映だったのに気づけばいまはもうアウガストじゃないですか。この調子だと最終回の感想文は年の暮れぐらいになるかも知れません。そんな『爸爸去哪儿第三季』第3期、陝西省につづくロケ地は雲南省西双版奈(シーサンパンナ)・タイ族自治州。








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恒例お部屋選びゲームは、おとうさんズが8分以内に現地の女性たちの髪をタイ族ふうに結いあげ、そのできばえをプロの髪結さんがチェックして美しい順に順位をきめ、その順位に従って優先的にお部屋を選べるというもの。まずは髪結さんにお手本を見せていただきます。





そののち、年齢も髪の長さもまちまちな5人の女性のなかから好みのモデルさんを選ぶんだけどもなにしろ胡軍さんが早かった。いのいちばんに若くてそこそこチャーミングな娘さんに手をつけていました。ご自身の太太にもびみょうに似てるとこがあるのでこういう女性がタイプってことなんですよきっと。ところが髪を結われてるあいだ、この娘さんが片時もじっとしておらず(もしかしたらこのひとだけ仕込みかも知れない)。むくむくの指で慣れぬ仕事に苦心惨憺の胡軍さんがブチギレて、身動きするたんびに

「あああああ動くな動くな動くな!」
「ぐらぐらしてんじゃねえー!」
「しゃんとしねえかこのアマ!(意訳)」


と、怒りのバリトンヴォイス炸裂。


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【髪結い審査結果】
1位 劉→1号房:有華麗孔雀的花草房
2位 鄒市明→2号房:美酒飄香的醸酒房
3位 胡軍→5号房:視野快闊的風景房
4位 夏克立→3号房:具有傣家特色的造紙房
5位 林老師→4号房:歴史悠久的木房子


諾一が1号房を選んだのをみて例によって軒軒が1号房がいいとぐずりだす。

諾一ちょっと涙目になりつつも男気を見せて1号房を軒軒に譲る。

それをみていた劉さんが1号房がいいとぐずりだす。

諾一ふたたび男気を見せていたいけなおとうさんを慰める。


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諾一の男気に皆が感動しているあいだに、鄒市明さんとクリスさんに
「夜になると孔雀がお尻をつつきにくるぜ」
「やつらは咬みつくぜ」
とよってたかってだまくらかされてにわかにびびった軒軒が1号房を諾一に返上するなど、すったもんだを経て皆さんおさまるところにおさまりました。前回のロケでは身から出ました錆ゆえにとんでも無い穴ぐらを引き当ててしまってガツカリな劉さん父子でしたが(今回の貧乏くじは前回と打って変わって林老師・大竣父子)、いちばん綺麗なお部屋を手に入れることができてとくにおとうさんが得意満面です。白い紗の蚊帳をおろしたロマンティックな寝床にしどけなく横たわる、小藍宇な諾一サービス画像をどうぞ。


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つぎはお部屋のなかに隠してある任務カードを探しだし、それに記された指令に従って白衣に着替え、「貝葉書院」という禅宗のお寺でプチ修行です。その模様がこちらの記事にとりあげられていました。
『慢●漫说』吃多少,打多少!

修行其の一は坐禅。暑いのと眠たいのとで舟を漕いでしまう諾一。






其の二は自分を生んでくれたおとうさんおかあさんの恩に感謝しての拝礼。
先のロケでは岡っ引き感半端無かった林大竣ですが





こうしてみると小坊主感もものすごかった。
お辞儀をするときの手の揃え方が異常にかわいい。
こういう小坊主人形ありますよね、木魚にもたれて居眠りしてたり腹這いになってあまえた顔でみあげてたりするやつ。みうらじゅんさん曰くところの「甘えた坊主」。そんないやげ物、もといかわいい小坊主を前に林老師の涙腺も決壊だったのは言うを俟ちません。

其の三はお昼ごはん。禅宗では食事もまた修行。お米と野菜だけの精進料理(素食)です。ごはんとおかずをめいめいお碗によそっていただきますが、自分がよそったぶんは残さずきれいに食べなければなりません。つまり自分が食べられるぶんを按配してよそわなければなりません。しかしそこは頑是ない餓鬼どもですから「按配」とか考えないやつは考えない。めしばかりてんこ盛りにするやつ。おかずだけてんこ盛りにするやつ。こどもなりに人生いろいろでした。











軒軒、夏天、康康がきれいに食べおわって席を立っても、己の限界を視野にいれずに盛りすぎた諾一と大竣はまだ終わりません。給食がたべられなくて日が暮れるまで居残りをさせられた小学生時代のかなしい思い出とか、ちょっとよぎってしまいました。一騎討ちの結果、最後まで残ったのが林大竣。他のひとらを待たせた罰として仏塔のまわりのお掃除をさせられますが、その姿がますます小坊主感満載です。一休さんの恰好させたい。白いきものに黒いスカートみたいなやつね。あのスカートは「腰衣(こしごろも)」というそうですが、正式には「裙子(くんず/qunzi)」。正しく中国由来のスカートでした。





食べ物を粗末にしてはいけません、出されたものは残さずありがたくいただきましょう、というのが日本的な美徳ですから、日本人にとっては禅宗の食事作法は比較的受け入れやすいと思うのですが、中国では「残すこと」がマナーであったりします。食いきれないほど料理を出すことがすなわちおもてなしであり面子であり、それに対して「もうおなかいっぱいです食べきれないほどのご馳走をどうもありがとう」という意味で、最後にちょっとだけ残すんだそうです。昨今微博から「完食キャンペーン」が始まったりなどして事情はいくぶん変わっているようですが、「ちょい残し」がグッドマナーとされる中国で育ったこどもらの目に、完食を旨とする禅宗の食事はどう映ったのか、ちょっと気になるところではあります。

修行のあとはお部屋にもどってお昼寝。そして地元おとうさんズと対決するおたのしみ運動会です。関係無いですがたまたま父子ペアルックかつ父子ともにアングルもいっしょだったご両家。






最初のゲームは目隠しをして「傣家特色美食」を食らい、早く完食したほうが勝ちというもの。ひるめしでの「完食」という修行はこのための伏線だったのか、という気もします。ゲームが始まるまでなにが出てくるのかはわかりません。先鋒は胡軍番長の「市明、行け!」というぜったいに逆らえない鶴の一声で最年少ぱぱ鄒市明さんに決定。以下、順番と食ったもの。

一番 鄒市明/知了(セミ)
二番 胡軍/唐辛子で味付けしたマンゴー
三番 林老師/蚱蜢(中華稲蝗=イナゴの一種)
四番 夏克立/牛撒撇(牛の胃袋で作る名物料理)
五番 劉/水蜈蚣(ムカデ)





だいたい虫ばかり食わされていました。
鄒市明さん胡軍さんが勝ち、林老師とクリスさんと劉さんが負けて、地元おとうさんズの勝利。
次の氷を溶かしてなかに入っているピースをとりだしパズルを完成させるゲームは、平熱の高そうな胡軍さんがみずからの肌でばりばり氷を溶かしまくって『爸爸3』チームの勝利。
最後はこどもらによるバケツリレー。二番手諾一の致命的なコントロールの悪さが仇となって地元チームの勝利。2対1で地元チームの優勝がきまりました。
運動会のあとは、そうです、6月のロケんときに撮っていたあの水かけまつりです。でもふんどしいっちょうの胡軍さんが仁王立ちするみこしを裸男どもがかつぐ的なステキまつりじゃなくって(ちぇー)、タイ暦6、7月(陽暦4月中旬)ごろに行われる「潑水節」というタイ族のおまつりだそうです。水をかけられると幸せになるんだそう。そういえば番組冒頭でも、村に到着した父子たちにひとびとが水をかけて歓迎していました。

記事読んでしみじみ思い返しましたがこのときは、空港を歩く胡軍さん劉さんのあいだを繋ぐが如く、虹が架かったものでした。
びみょうにぎくしゃくしているふうなおふたりの関係がどんなことになっていくのかもわからなくて、そうした吉凶ひっくるめて「虹」というマジカルな卦に託し、「その先」を占っていたような気がします。
とくにこの第3期では、どっちかというとこどもの側に軸足を置いている劉さんが滴るように濃厚な胡軍さんの父性に感応してあまったれ、それを胡軍さんがにこにこしながら受け容れる、ところどころでそうした気配が濃厚にかんじられました。陳捍東と藍宇のあいだにあった、歴然と恋人どうしでありつつも擬似的な父子をにおわせる関係。勿論往時そのままでは無いにせよ、その再構築を今更乍らみせられているような。どうもなんだか現実のほうが夢すぎて、あまりに自分の熱望していた物語めいていて、対応の仕方がよくわかりません。


運動会のあとはおとうさんのつくる夕ごはんです。
劉さんちはどうみても塩入れすぎなじゃがいもの炒めたのと、ちょっとやわらかめのおかゆのようなごはん(水加減をまちがったのかも)に醤油をかけたの。






前回のコーラもそうでしたが、醤油かけただけのごはんでも、おとうさんが作ってくれればおいしそうに食べる諾一がなんとも可憐です。
胡軍さんがこしらえたのは野菜のたまご炒め。私も作っていただきとうございます。しかもここでいきなりめがねという飛び道具を!! どうしてくれようか!!






夕食のあとはタイ族特有の竹製ロケット花火「高昇(gaosheng)」をとばします。竹でつくった発射台に高昇を立てかけ、おとうさんが梯子をのぼっていって導火線に火を点けるというミッションは、見ているこどもにしてみればかなりのスリル。





第1期から一貫して、めっぽうクールなかんじで通してきた康康のモードがここでがらりと変わります。はじめのうちこそおとうさんに「でかいのをとばしてよ」とか言っていたくせに、いざおとうさんが他のひとよりもはるかにでかい高昇を選ぶとにわかに血相変えて「危険だ!」と止めにかかる。






憎まれ口を叩き皮肉にまぎらせながらもしんそこおとうさんを愛し、支持し、その身を案じている康康。
発射が成功すれば大声で賛辞をおくり、男らしくかっこいいおとうさんへのリスペクトをあらわにする康康。
父である胡軍さんは勿論、康康のもつそうした豊かな感情というものをちゃんと見抜いているわけです。
ほかのおとうさんもこどもらもみなそれぞれに佳いのですが、わけても胡軍さんと康康の描く景色は毎回なにかと見応えがあります。すでに7月31日放映の第4期も観てしまいました。密林のなかで父と離ればなれになってしまった康康の、「クール」をかなぐり捨てた、無様なほどになりふりかまわぬ豹変ぶりが、やはり最大の見どころでした。
たくさん泣いて大きくなること。
それこそが「こども」という仕事。
だれかの惜しみない愛情が、その仕事を完遂するための大きな助けとなることは、きっと間違いが無かろうとおもうのです。


| 09:57 | 爸爸去哪儿第三季。 | comments(4) | - |
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