台上の誘惑。
2013.12.30 Monday
撞球台にもたれかかっている向かって左のおじさん。
彼がなにものなのか、すぐにわかる方はごく僅かだろうと思います。自分も見た瞬間はわかりませんでした。李華彤さんです。お名前言ったってもっとわかんなかろう。『藍宇』で「劉征」だった、あの御方です。
おとといがお友達の誕生日パーティーだったそうです。そこで撮られたこのお写真を、我的微博のフォロワーさんがぬかりなく捍東藍宇と並べてRTしてくださいました以下引用。
『藍宇』に登場するさまざまなものごと。『藍宇』に出逢う以前と以後とではそのとらえ方がまるで変わってしまって今日に至ります。たとえば「冬至」であったり「緑色の毛布」であったり「黒ラベル」であったり。「撞球」というのもそうです。単なる遊戯であり室内球技であるものが、時としてこんなふうに、『藍宇』に深く関わった彼らをひもづけするツールとして機能する。ひもづけてみたいというのは私たちの業にすぎないのだが。
胡軍さんと關姐姐と撞球。
劉燁さんと撞球。
ずっと書きたくって書けてない、劉征という人物についても、来年は書いてみたいです。
『藍宇』については語りたいことやりたいことが山のようにあって、というか汲めども尽きぬ泉のようで、ほんとうにこんな映画にはこの先まず出逢えないだろうという気がします。いまから自分の尻に火を点けておきますがシナリオと字幕の採録・編集というのを来年はぜひやってみたいのです。
んで『藍宇』つながりで。
クリスマスイヴに出た劉燁さんのこのインタヴューをご存じの向きも多かろうと思いますが。
再让我演“同志”我也没问题
タイトル一瞥してなにかと前のめりになってしまいましたが、べつに煽情的なことを言っているわけじゃ無いのです。演じた役について酷評されて落胆したこともあったけどいまはもう他者の無責任な評言にぐらつくこともなくなったし来年は本命年の36歳になるし、蛇が脱皮するみたいに変化することを待っていて、だから「『藍宇』で演じたような同性愛者の役をオファーされたとしたってやっちゃうよ」みたいな流れのようですざっくり意訳ですが。
同性愛者の役というのは、役者さん的には(特にリアルで同性愛者でない役者さん的には)すごくやり甲斐があるんでしょう。劇中で同性どうしのちょっと激しめの濡れ場があったりしてそれに果敢にチャレンジなんかすれば、称賛されたり映画賞をもらえたりすることもあったりするし、映画そのものの出来はなんじゃこりゃだったとしても「あの○○さんがなんと同性愛者役を演じて、しかも××さんとの過激なベッドシーンもございますですよ!」ってだけでおいしい看板になるし世間様だって「おお!」みたいにどよめいてくださるだろうしそっち系がだいすきな腐ったファンも増えるでしょうしね。まあちょっと意地悪な見方をすればですけど。なんかどうもこの、同性愛をテーマにしたフィクションにまつわるお得感みたいなものにいらっとしちゃうことが私はあって。それはなんでかといえば同性愛というものがいたってふつうではなく、いまだに目をそばだたせるものとしてある、ということの裏返しのような気がして。
とはいえ『藍宇』という作品が胡軍劉燁というふたりの役者にとってそういうものだったこともまちがいないし否定もしません。胡軍劉燁にとって『藍宇』は出世作であり、彼らの役者人生においても不世出の作品であり、永遠に超えられないファーストアルバムのようなものである。だからこの先彼らがオファーに応えて同性愛者を演じたとしたって、それは断じて「陳捍東」にも「藍宇」にもなりゃしない。そういうことは揺るぎなくあるんですけれど、たとえば胡軍さん劉燁さんが同性愛者の役を演じるということになったりすりゃあ(そしてまさかの三度目の共演とかになったりすりゃあ)世間様がどよどよっとなることは火を見るよりも明らか。そのとき自分はどんなふうに感じるのであろうか愉しみなようでも怖いようでもある。しかしその問題(笑)発言の前にある、
毕竟我是演员,这是我的职业。
という発言はすごくいいな。
こういうことをさらりと言ってのける役者はすごくいいな。
なんて、上記のインタヴュー読みながらさまざまにものおもふ年の瀬でございました。
自身の「変化」の譬えとして「蛇」をつかっておられるのも、拙ブログ的には嬉しいポインツでした。かえすがえすもこのブログタイトルにして良かったです。つけるときにはびみょうに不安もあったけど。
あと、日本では年男・年女といいますが、中国におけるそれ、「本命年」というのはそのまま厄年のことなんですってね。厄年のひとは春節から赤いものを身につけて厄除けにするんだそうです。劉燁さんもきっとまっかなぱんつをこっそり穿いたりなさるんでしょうね。「你不穿也挺好的」とか言いざま脱がす手とか思い浮かんでしまう因果者でほんとうにすみません。でもかえすがえすも自分、1998年にネット始めたとき「レッド」というハンドルにしといて良かったですよ。2014年、劉燁さんの極北の護りはこの名にかけて滞り無く!
彼がなにものなのか、すぐにわかる方はごく僅かだろうと思います。自分も見た瞬間はわかりませんでした。李華彤さんです。お名前言ったってもっとわかんなかろう。『藍宇』で「劉征」だった、あの御方です。
おとといがお友達の誕生日パーティーだったそうです。そこで撮られたこのお写真を、我的微博のフォロワーさんがぬかりなく捍東藍宇と並べてRTしてくださいました以下引用。
『藍宇』に登場するさまざまなものごと。『藍宇』に出逢う以前と以後とではそのとらえ方がまるで変わってしまって今日に至ります。たとえば「冬至」であったり「緑色の毛布」であったり「黒ラベル」であったり。「撞球」というのもそうです。単なる遊戯であり室内球技であるものが、時としてこんなふうに、『藍宇』に深く関わった彼らをひもづけするツールとして機能する。ひもづけてみたいというのは私たちの業にすぎないのだが。
胡軍さんと關姐姐と撞球。
劉燁さんと撞球。
ずっと書きたくって書けてない、劉征という人物についても、来年は書いてみたいです。
『藍宇』については語りたいことやりたいことが山のようにあって、というか汲めども尽きぬ泉のようで、ほんとうにこんな映画にはこの先まず出逢えないだろうという気がします。いまから自分の尻に火を点けておきますがシナリオと字幕の採録・編集というのを来年はぜひやってみたいのです。
んで『藍宇』つながりで。
クリスマスイヴに出た劉燁さんのこのインタヴューをご存じの向きも多かろうと思いますが。
再让我演“同志”我也没问题
タイトル一瞥してなにかと前のめりになってしまいましたが、べつに煽情的なことを言っているわけじゃ無いのです。演じた役について酷評されて落胆したこともあったけどいまはもう他者の無責任な評言にぐらつくこともなくなったし来年は本命年の36歳になるし、蛇が脱皮するみたいに変化することを待っていて、だから「『藍宇』で演じたような同性愛者の役をオファーされたとしたってやっちゃうよ」みたいな流れのようですざっくり意訳ですが。
同性愛者の役というのは、役者さん的には(特にリアルで同性愛者でない役者さん的には)すごくやり甲斐があるんでしょう。劇中で同性どうしのちょっと激しめの濡れ場があったりしてそれに果敢にチャレンジなんかすれば、称賛されたり映画賞をもらえたりすることもあったりするし、映画そのものの出来はなんじゃこりゃだったとしても「あの○○さんがなんと同性愛者役を演じて、しかも××さんとの過激なベッドシーンもございますですよ!」ってだけでおいしい看板になるし世間様だって「おお!」みたいにどよめいてくださるだろうしそっち系がだいすきな腐ったファンも増えるでしょうしね。まあちょっと意地悪な見方をすればですけど。なんかどうもこの、同性愛をテーマにしたフィクションにまつわるお得感みたいなものにいらっとしちゃうことが私はあって。それはなんでかといえば同性愛というものがいたってふつうではなく、いまだに目をそばだたせるものとしてある、ということの裏返しのような気がして。
とはいえ『藍宇』という作品が胡軍劉燁というふたりの役者にとってそういうものだったこともまちがいないし否定もしません。胡軍劉燁にとって『藍宇』は出世作であり、彼らの役者人生においても不世出の作品であり、永遠に超えられないファーストアルバムのようなものである。だからこの先彼らがオファーに応えて同性愛者を演じたとしたって、それは断じて「陳捍東」にも「藍宇」にもなりゃしない。そういうことは揺るぎなくあるんですけれど、たとえば胡軍さん劉燁さんが同性愛者の役を演じるということになったりすりゃあ(そしてまさかの三度目の共演とかになったりすりゃあ)世間様がどよどよっとなることは火を見るよりも明らか。そのとき自分はどんなふうに感じるのであろうか愉しみなようでも怖いようでもある。しかしその問題(笑)発言の前にある、
毕竟我是演员,这是我的职业。
という発言はすごくいいな。
こういうことをさらりと言ってのける役者はすごくいいな。
なんて、上記のインタヴュー読みながらさまざまにものおもふ年の瀬でございました。
自身の「変化」の譬えとして「蛇」をつかっておられるのも、拙ブログ的には嬉しいポインツでした。かえすがえすもこのブログタイトルにして良かったです。つけるときにはびみょうに不安もあったけど。
あと、日本では年男・年女といいますが、中国におけるそれ、「本命年」というのはそのまま厄年のことなんですってね。厄年のひとは春節から赤いものを身につけて厄除けにするんだそうです。劉燁さんもきっとまっかなぱんつをこっそり穿いたりなさるんでしょうね。「你不穿也挺好的」とか言いざま脱がす手とか思い浮かんでしまう因果者でほんとうにすみません。でもかえすがえすも自分、1998年にネット始めたとき「レッド」というハンドルにしといて良かったですよ。2014年、劉燁さんの極北の護りはこの名にかけて滞り無く!