蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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『警察故事2013』預告出炉。
これだけじゃなにがなんだかわかんないけどわからぬなりにヘヴィーな事態なのだな、ということは窺えます。こちらからご覧ください。


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贔屓の引き倒しもええとこな画像の取り扱いからあたかも劉燁さん主演ムービーであるかの如き体ですがもちろん主演はジャッキーさんです。ジャッキーさんファンの皆さんすみません。新作映画のなかで動いてる劉燁さんを拝むのがすげえ久しぶりなので理性の箍がはずれました。ふつうに人相悪いけどでも横顔はやっぱり綺麗ですてきんぐです劉燁さん。加えて本日は『風暴』のあんつぁま単体海報も解禁されてました。ありえないくらいふつうに人相悪い。捍東藍宇がお誘い合わせで夏祭りのテキ屋みたいな風体の2013年ディセンバーでもハートはサバイバー。冬至を過ごす相手とあてどなくラララ暗躍暗躍。



| 23:29 | 警察故事2013。/ポリス・ストーリー レジェンド | comments(8) | - |
聖三角。──『アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ』+『ロスト・イン・タイ』@2013東京中国映画週間

『説文解字』に、「三は、天地人の道なり。」とあり、三は天地人の数として聖数とされる。また、『後漢書』に、「三は数の小終なり。」とあり、『史記』には、「数は、一に始まり、十に終り、三に成る。」とある。つまり、三は成数(まとまった数)とされ、三によってすべてを代表させるという意味がある。

(ウィキペディア「三筆」より)


今年の東京中国映画週間では、「三人」がテーマであるような2作品を観ました。
10月22日にはこちら。

『アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ』(原題:中国合伙人)

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1980年代、情熱と夢を抱いた3人の青年が燕京大学で出会う。そこから彼らの30年に及ぶ夢と挫折、友情の物語が幕を開ける。代々アメリカ留学をしている名家の出身・孟暁駿(鄧超)はアメリカで成功することを夢見ている。ロマンティックで自由主義者の王暘(佟大為)は改革開放初期のパワー溢れる時代の中で青春を謳歌していた。大学受験に2度失敗した農村の青年・成冬青(黄暁明)は孟暁駿に憧れ勉学に励み彼女も出来て充実した学生生活を送っていた。そんな中、孟暁駿だけが渡米ビザの取得に成功し残りの二人は厳しい現実に失望する。


「三人」はひとりが抜けた瞬間にがらがらと崩れる、そういう危険も孕んでいます。ひとり抜けてもまだ「ふたり」いるから「ふたり」でやってきゃだいじょぶだよね、というもんじゃないです。「三」でなくなってしまえば「二」にも「一」にも戻れない。なにもかもいちどきにぜんぶだめになる。「関係」を描いていながら「関係」に対して露呈する個々人の尻腰の弱さを「絶望」とか「やさしさ」とか「無常」といったものに綺麗に掏り替えているようなお話が私は苦手で、儘にならない日常のリアルを儘にならないまま描くからこそリアル、なのかも知れませんがすくなくともそれは自分にとっての「物語」じゃない。「儘にならないものだわねえ」で終わりじゃなくて、儘にならぬ地平に立って、「そこからどうするか」を描くことが物語の使命だと思うし物語だけがもちえる飛距離だと思うんです。『アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ』は「儘にならない」に果敢にタチムカウ、

傷ついても負けても壊れてもだめになりかけても死んでも絶対にもちこたえてやるぜ舐めんなよ。

という、「三人組」ならではの底力を描いた映画だったと思います。

成冬青は大学講師の職も失い落ち込んでいたが、王暘の助けもあり廃工場跡で英語教室を開校、成功の第一歩を歩み始める。アメリカで挫折し帰国した孟暁駿も加わり3人は力をあわせて教育業界での成功を収める。


そういう展開の、実話に基づくサクセスストーリーで、中国人と日本人の感覚の違い(たとえば権利や金銭に絡むあれやこれや)に戸惑ったりちょっと辟易する場面もあったけれど、中国人はそれだけ奥歯をぎりぎり噛み締めてここまでやってきたんだなと、メカラウロコな気持ちにもなりました。サクセスストーリーなので当然ハッピーエンドなわけですが、ハッピーエンドに持ち込むまでにはいろいろあって、その「いろいろあった」が甘く、苦く、せつない。前途洋々だった孟暁駿は美しい国・アメリカで辛酸を舐め尾羽打ち枯らして帰国する。孟暁駿にひたむきに憧憬をぶつける成冬青の、ちょっと鬱陶しいくらいのやさしさがそんな孟暁駿を追い詰め傷つける。他人事で無いくだりだった。孟暁駿と成冬青とのあやうい均衡のあいだで緩衝材のような役を以て任ずる王暘は飄飄とのんきな風貌の陰に繊細でこまやかな心情をにじませる。王暘ののほほんさに救われる場面が多かったからこそ、その王暘のめでたい結婚披露宴のあと、酒や料理の残骸が散らばるなかで三人が本音を曝して衝突してしまう場面がとりわけつらい。佟大為はこの役の演技で台湾金馬奨助演賞ノミニーだそうですがそれも納得でした。こういう友達がひとりいれば、自分なんかずいぶん楽になるんだろうなあという気がしました。


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主演三名はすべて大陸の役者で、「中華圏映画『香港スター頼み』は終わり、実力&ルックス備えた中国人俳優が台頭」という記事がちょっと前に出ていましたが、本作の場合は香港の導演+大陸の役者という組み合わせだったから良かったのかも。

本編にはぜんぜん関係ないですが入学試験に合格して田舎から出てきた成冬青が燕京大学の門を潜るところは『建党偉業』でヤング毛沢東(劉燁)が北京大学にやってきた場面にそっくりでした。黄暁明の絵に描いたようにイモイモしい青いイモジャー姿もイモジャーラヴァーズにはちょっとたまりません。しゃおしゃおラヴァーズにもいろんな意味でたまらないかもしれません。そしてこれまた本編にはぜんぜん関係ないが、アメリカに行ったことも無いのに訳知り顔でアメリカを語る大学教授に向かって孟暁駿が吐いた台詞が「您去过美国吗?」。孟暁駿が一瞬、黄色いダサダサシャツの男の子にみえましたとかもう言うを俟ちませんです(笑)。『藍宇』においても本作でも、「アメリカ」はひとつの国である以上の夢であり憧憬であり、そして解けない呪いです。それに縛られる苦しさ、そこから自由になるためのなりふりかまわぬ奮闘。傷ついても負けても壊れてもだめになりかけても死んでも絶対にもちこたえてやるぜ舐めんなよ。そういう気概ひとつを抱いて三人が「美しい国」へ逆襲に乗り込む大詰め。甘く苦くせつない「いろいろ」を経たからこその痛快、でした。


そして『アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ』の二日前に観たのがこちら。

『ロスト・イン・タイ』(原題:人再囧途之泰囧)

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強力ガソリン添加剤「油覇」の開発に成功した徐朗(徐崢)は、タイに滞在する大株主の同意を取り付けて大儲けしようと、バンコクへ。一方、開発パートナーの高博(黄渤)も、別の企みから密かに徐朗の後を追っていた。偶然機内に居合わせた王宝(王宝強)も巻き添えに、3人の中国人の一触即発タイ珍道中が始まる!


ロードムービーって旅人が「ふたり」だと旅路の果てには破滅と死しか無いみたいな、ちょっと不穏なかんじになる。必ずしもそればっかりじゃないけれど、たとえば『道』(フェデリコ・フェリーニ)とか『スケアクロウ』(ジェリー・シャッツバーグ)とか『テルマ&ルイーズ』(リドリー・スコット)とか『トゥルー・ロマンス』(トニー・スコット)とか『デッドマン』(ジム・ジャームッシュ)とか、自分のすきな「ふたり」のロードムービーはわりとそっちに傾くようです。十返舎一九『東海道中膝栗毛』だってざっくりいえば50歳と30歳のゲイふたりの駆け落ち話ですし。でも旅人が「三人」になると、旅路の果ての景色はほんのりあかるくて、そこにうっかり希望なんかもよぎってしまう。これまた自分のだいすきな『赤ちゃん泥棒』(コーエン兄弟)とか『プリシラ』(ステファン・エリオット)とか、これは「ロードムービー」からは外れるかもだけど『サボテン・ブラザーズ』(ジョン・ランディス)とか。
「ふたり」だと互いしか見えなくて、みつめあったまま手に手をとって突っ走ってしまうけど、「三人」だと三辺が支えあってバランスがよくなる、みたいなことなんでしょうか。

『ロスト・イン・タイ』では徐朗と王宝に徐朗を追う高博が絡んでの三人旅。徐朗がタイへ向かう飛行機に乗ったあたりからベタすぎるギャグの釣瓶打ち、案に相違して(笑)日本語字幕もまずまずまともだったので(誤脱字少々あり)安心して笑っていられます。私らの前の列に中国人の親子連れが座ってて、上映始まってからも若いお母ちゃんふたりの私語がうるさかったんですが、途中から全員前のめりで爆笑してたんで、あんまり気にならなくなりました。
三人旅とはいえ実質は徐朗─王宝による「2」の比重が高いです。それだとよくある「笑って笑ってほろりと泣けるドタバタ珍道中」で終わるところを、高博がところどころで重石になってくれるおかげで「3」として安定しています。憎まれ役の高博を演じる黄渤さんは些か損な役回り。でもライバルでありかつては親友であった徐朗を情報端末駆使して精密に追いかけ追い詰めながら、彼への複雑な感情(憎悪とか執着とか寂寥とか)を絶妙に滲ませるこのエキセントリックな男は、黄渤さんが演じたからこそ愛すべきキャラクターになったんだと思います。管虎監督の『杀生』でも村いちばんの嫌われ者で、悪さの限りを尽くして最後の最後で泣かせやがってこんちくしょうみたいな役を彼は演じていますが、『杀生』に次ぐ公開作となる本作の高博もそれに通じる匂いがありました。徐朗と王宝はちいさな衝突をくりかえしつつも、そのたびにどんどん距離を縮めて親密になっていき、クライマックスで徐朗はついに高博の手を離し、王宝を選ぶ。高博はひとりタイに取り残される。踏んだり蹴ったりな顛末ですが、タイへの旅を通して高博もまた変わり、変わったことへのご褒美は彼にもちゃんと用意されている。そういうとこもいい。


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黄渤さんにくらべて最強の儲け役は王宝強。私このひとは劉徳華主演、葛優さん張涵予さんも共演の『イノセントワールド─天下無賊─』で名前を覚えました。人を疑うことを知らぬ、ナイーヴでちょっと足りない出稼ぎ青年役がかわゆくて、たいそう佳かった。本作でもやっぱり人を疑うことを知らない、ナイーヴでちょっと足りない葱餅職人青年を演じて、これまたすごくはまってます。「ナイーヴでちょっと足りない山出しの青年」というのが彼の定番になりすぎてるきらいもあるようです。かつての劉燁さんの得意技もまたそんなでしたが、「ナイーヴ」の突き抜け方のベクトルが劉燁と王宝強では随分ちがう。たとえば徐朗が胡軍さんで王宝が劉燁さんだったらどんなお話になったべかと性懲りも無くお約束の妄想をしてみましたがどうひっくりかえってもコメディにならん。悲劇になる。私が彼らを「ふたり」としてしか見られないせいもあるのですが、落語めいた三人旅じゃなくて旅路の果てには破滅と死しか無い近松の道行になっちゃう。ていうかそうしたい(笑)。おらやっぱり『真夜中の相棒』を胡軍さんと劉燁さんで観たいんでがす。ま、ひとくちに定番のナイーヴのといっても役者の個性でいろいろってことなんですね。王宝強はなにしろ身体能力高いひとだなと思って履歴をみたら少林寺で武術修行を積んだんだそうだ。先般、陳凱歌監督の新作『道士下山』の主演に決まりました。成龍、李連杰、甄子丹などが候補に挙がってた役です。すごいな王宝強。カンフースター志望だった彼の武術の腕を、これで漸くがっつり拝むことができそうです。あ、そうだ。離婚するしないですったもんだしてる徐朗の奥さんを演じてる女優さんにどうも見覚えが、と思ったら陶紅(タオ・ホン)さんでした。『天上の恋人』で王家寛(劉燁)が恋する朱霊を演ってた女優さんです。
| 16:00 | 電影感想文。 | comments(2) | - |
活着。





寄る辺無きちっちゃいやつが寄る辺無きままにただ前を向いている。


そういうものにめっぽう弱く出来ている仕様なのでこまります。雅安地震のときのわんこ二宝もそうだった。萌宠物、直訳すると「萌えペット」。かわゆかったり笑えたりする動物のお写真を載せてくださる微博さんで出逢ったこの仔はしかし「萌」なぞという一字には到底収まりきれないし「癒やされましたあ(はぁと)」的な愚昧なる感想とも無縁。雑踏に踏みつぶされそうに稚く、汚れきって、首のところにどうも傷を負っているようだ。おなかをすかしているのかも足取りも覚束無いのかもいまはもう死んだかも。どこから歩いてきたのかそしてどこへ歩いていくのか。双眸になにを映しているのか。あれこれ想像してみるが想像などはなから力尽きる。寄る辺無きちっちゃいやつがひとりで背負えるぶんをひとりでひきうけて愚痴も垂れずだれのせいにもしてない、このかんじ。ただ生きて歩いて生きていく途上の一瞬。こんなふうにあれればという一個の憧憬のかたち。



そして有病の因果者ゆえ天安門事件の夜に白いシャツを血に染めて恋人の腕のなかにもどってきた男の子をあたりまえのように重ねてしまってあらためて涙ぐんでしまったりもしました。


| 10:56 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
起风暴。
黄渤さん主演作『101回目のプロポーズ』、昨日が初日でした。おめでとうございます。太極拳の交流会に出場したので1回目の上映には行けなかったが、自分の出番が終わったその足で午後の回にかちこみました。ネットでは視聴していたものの、日本語字幕+でかいスクリーンというのはやっぱり良いもんです。黄渤さんざっとこのぐらいキラキラしとった@自分ビジョン(笑)。


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台風18号直撃でしたまちコメディ映画祭の『ロスト・イン・タイランド』参戦諦めてしょんぼり→本作の公開が迫ったころになって日本版エンディングテーマ“SAY YES”を歌っている某デュオ某メンバーの薬物スキャンダル暴露という釣瓶打ちに、どこまでストームブリンガーなんだ黄渤と正直気が気じゃありませんでした。けっきょくエンディングテーマを中国版の“立秋”に戻して事無きを得ました。考えてみたら“SAY YES”のインストは劇伴で頻繁に登場するし、エンディング直前のクライマックスシーンでも大音量でばかすか流れてお話を盛り上げています。その直後にエンドロールでまた同じ曲がばかすか流れたらくどかった。穏やかな“立秋”で締めて正解だった。怪我の功名ってやつかもしれません。しかしやはり残念は残念なので台湾ライヴバージョンを貼っておく。






何度も観てるしお話もわかりきってます。そういうことを忘れるくらい黄渤さんが佳い。劇場で観てあらためてそう感じました。浮世離れしたお人形さんのように美しく、お芝居もまたお人形さんの林志玲が「人形としての悲哀」みたいなものまでうっかり漂わせてしまったのも、黄渤さんの芝居に感ずるところが大きかったからじゃないでしょうか。奇しくも“SAY YES”の歌詞に《硝子ケースに並ばないように》というフレーズがある。そうか、硝子の箱に護られたお人形さんがみずから硝子をぶち破って(破片によって傷を負うことを怖れずに)外に出てゆくお話でもあったのかこれ、てなことにもいまさら気づいた。名のある映画祭に出品されるような映画じゃないし、プロットは至って単純だし、ひねりも無けりゃ気が利いてもいないです。ただ「良くなろう」という、「良くなろう」と思って、そこで立ち止まらずに行動する人間のお話。人が人と関わることで、それまで意識したことも無かった「自分」に気づくお話。自分の意思で何かを決めたことが一度も無かった、「人の好さ」という美名に隠れて、その実ただ流されるままだった男が、なけなしの勇気を振り絞った一歩を踏み出すお話。それだけです。それだけなのに、手練れの役者が演じることで、ものすごくはなもちならないあつくるしい迄の純情も「なんかちょっと、好いたらしいわ」と思わせる。ほんとにしみじみうまい、そして油断のならない役者、黄渤さん。


黄渤さんまつりツーデイズの2日目、猛烈台風27号が指呼の間にせまった本日夕刻は、2013東京・中国映画週間でこれを観てまいります。


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いいかおだ!(笑)。


どうも27号がきそうですということになった先週あたりから、またしてもストームブリンガーか黄渤と正直気が気じゃありませんでした。ただいまこちら横浜では雨がどしゃどしゃ降っていますが、どしゃどしゃ降ってるだけなので電車も止まんないと思うし。24日あたりにくるらしい27号のことを考えると憂鬱ですが(26号によって被災した皆様には衷心より御見舞い申し上げます)、嵐を以て嵐を制す。御本家ディープ・パープル聴きつつひと月前のリベンジは、きっちり果たさせていただきますぜ。




| 11:16 | 電影感想文。 | comments(2) | - |
着ル・裸・斬ル。
数年前に放映された『天元突破グレンラガン』というアニメーションがすきでした。同じスタッフの手になる『キルラキル』が先週からスタートしています。『グレンラガン』は最初から最後まで前のめりで観ていましたが『キルラキル』はどうでしょう。おもしろいし嫌いじゃないが『グレンラガン』ほど前のめりになれてないことはたしか。ただ『グレンラガン』以上に私を前のめりにさせる要素がひとつある。それは「服」ということ。そして「服に着られる」ということ。


父の死の謎“片太刀バサミの女”を追い求め、本能字学園に転校した流浪の女子高生・纏流子。
本能字学園には着た者に特殊な能力を授ける「極制服」があり、その力と絶対的な恐怖によって生徒会会長・鬼龍院皐月が学園を支配していた。
“片太刀バサミ”を知るという皐月。流子は皐月にその事を聞き出そうとするが…。

その出会いは、偶然か、必然か。
学園に巻き起こる波乱は、やがて全てを巻きこんでいく!





着ル斬ル餓ル鬼ル─生キル。
字をあててみるといろんな「キル」がある。
「生きる」のなかに「殺す」もある。

『キルラキル』に登場する「極制服(ごくせいふく)」には一つ星から三つ星までのランクがあって、本能字学園を支配する鬼龍院皐月によって生徒たちに下賜される。
焼失した生家に戻った流子はしゃべるセーラー服「鮮血(せんけつ)」に出会う。
「鮮血」が流子に言う。
「私はまた眠りたくない! 私を着ろ! 四の五の言うな! こうなったら力尽くでも着られてやる!」
流子に纏いついた「鮮血」は流子の血を吸うことで起動し、「鮮血」を纏った流子は人知を超えた「神衣(かむい)」の力を手にする。そして、その力を使うほどに流子は失血し、消耗していく。


ね?
私が前のめりになるのだって無理は無い。
「極制服」にしろ「神衣」にしろ、『PROMISE 無極』における「華鎧」であり「黒衣」じゃないですか。
鬼龍院皐月って北の公爵・無歓じゃないですか。
そして皐月が子飼いのだれかに「神衣」を着せて纏流子に相対させる、みたいな展開になったりしたら。
みなまでゆわずともそれって一も二も無く鬼狼じゃないですか。





「みなまでゆわず」というかひたすらそれだけ言いたい私だ毎度すいません。



「鮮血」を纏った流子は乳も尻もほぼまるみえの恰好で羞恥に頬染めながら戦うことを強いられます。鬼狼はそういうはしたない事態にはなりません。でも、前にも書きましたが『無極』というお話のお約束上ぜったいにありえない、「黒衣を纏わない鬼狼」のデザインは存在します。映画の最後のほうで鬼狼が黒衣を脱いで分解する一瞬でその一端を知ることはできますが、正子公也さんの画集に収録された全像には遠く及びません。黒衣から解放された鬼狼が、分解すること無く、まったくちがうなにものかとして生まれなおすとしたらああいううろこ持ついきものになったんじゃないか。綺麗で穢い、そういういきものとしてたとえば破壊だの殺戮だのをほしいままに「生キル」。おそろしいし痛快だしたぶん私はそういうものになることを渇望していて、そうあれない自分をそうあれない鬼狼に重ねて共感しているんだと思う。黒衣を傷つけられるとひどい苦痛を感じダメージを受けるため自分に「触れられる」ことを極度に怖れているというあたりにも。それって黒衣に「着られて」しまうまえの鬼狼が、だれにも触れられたことの無いヴァージンであったということなのか。着られてしまったことで純潔を喪失し、最初に純潔を与えた相手以外には奪われないようになにものにも傷つけられないように鎧われてしまった。無歓によって。黒衣によって。或いは鬼狼自身の意思で? なんだかいろいろ止め処も無くなってしまった。『キルラキル』がきっかけというわけでも無くて、ことあるごとに考えてしまうんです「黒衣に着られる」ってどういうことなのかを。なにものかに肉体を侵され支配される状態というものを。なにものかに肉体を侵され支配された人間の精神がどういう状態になるのかを。そもそも「黒衣」ってなんなのかということを。畢竟、「自縛」と「自由」ということを。
『キルラキル』では極制服も「鮮血」も現在のところは着脱可能。だがこの先、脱ごうとしても脱げない、みずからの意思で脱ぐことはみずからの死(=Kill)を意味する、そういうおそろしい衣服の物語になってゆくのかもしれません。そういうおそろしい物語になってゆくことを、そして私をもっともっと前のめりにさせてくれることを、ひっそりとアツく期待しています。



【『PROMISE 無極』関係感想文】
Blue sky and true mind. ──『PROMISE 無極/Wu Ji』
美麗的尸体──鬼狼。
燁如花──土牢や身に海棠の雨を受く。


| 13:06 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(3) | - |
未だ神のうち。
2010年10月10日午前10時にご誕生あそばした劉燁さんちのご長男、劉諾一さん。
すくすくとお育ちになり、本日めでたく満3歳を迎えられました。
おめでとうございます。ちょっとまえまでこんなだったが。





いまじゃコケティッシュな妹こいぬもでき、ぱぱ同士がノリで(たぶん)決めたいいなずけ(呉彦祖さんちの呉斐然姫)までもいるという御発展ぶり。早いものです。





ご存じのように日本では、3歳の11月15日に「髪置」の儀式をおこないます。

髪置(かみおき)

幼児が頭髪を初めてのばす時にする儀式。
小笠原流では白髪をかぶせ、頂におしろいの粉を付け、櫛で左右の鬢を三度かきなでて無病長寿を祈るのを例とした。現在でも男子の袴着、女子の帯解とともに「七五三の祝い」として残されている。


(精選版 日本国語大辞典)


「七歳までは神のうち」なんてことを申します。
幼児は此の世とあの世の境目を漂っている状態にあり、7歳ではじめて「人」として魂が定まる。翻っていえば乳幼児の死亡率が昔はそれだけ高かったということでもあるし、或いは「神隠し」の名の下に公然と間引きを行える年齢、ということでもあったようです。すべてを「神」の業とすれば現実の陰惨にいちいち思い悩まなくて済む。そういう救済のしかただってたしかにある。そういうふうに救済でもせねばやりきれないことだってあるのでしょう。だがいまこの現実で日々繰り返される、歴とした親どもによる子らへの虐待そして殺害は、いるのかいないのかもわからぬ「神」のせいにして済ませることなど到底致しかねる。親にだっていろんな事情があるだろうがそこで踏みとどまりもちこたえるのもまた親であればこそ。その一線を越えるか越えないか。道はどこで分岐するのか。越えてしまうとき、そして越えた先に見える景色ってどういうものなのか。


愛されてすこやかに育つお仔たちをみるにつけ、卑怯な暴力にさらされ理不尽に命を絶たれた数多の子どもたちのことを考えてしまう。命を絶たれるまで彼らがひたすら渇望していたたったひとつのことを考えてしまう。あたたかい陽があたるほどに濃くなる影のこと、影のなかにいるだれかのことを、考えてしまいます。
とはいえ、生まれてそして生きることは、やっぱりハッピーであってほしい。
彼と彼のご家族にとって、今日がハッピーな一日でありますよう。
| 11:00 | 瑣屑。 | comments(5) | - |
恵比寿でrendez-vous──ザ・リベンジ。
横浜中華街映画祭は後手に回りましたがこっちは間に合いました。

2013東京/沖縄・中国映画週間、
10月17日より開催です。


今年上映されるのは以下の8作品です。

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【東京上映スケジュール】

●アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ(原題:中国合伙人)
10月18日(金)14:00〜(新宿ピカデリースクリーン1)
10月20日(日)16:10〜
10月22日(火)16:20〜
10月23日(水)18:30〜

●北京ロマンinシアトル(原題:北京遇上西雅图)
10月20日(日)13:30〜
10月22日(火)13:40〜
10月23日(水)13:30〜

●ロスト・イン・タイ(原題:人再囧途之泰囧)
10月19日(土)13:20〜
10月20日(日)18:40〜
10月23日(水)11:10〜

●初恋未満(原題:初恋未满)
10月17日(木)18:10〜
10月20日(日)11:10〜
10月23(水)16:10〜

●捜査官X(原題:武侠)
10月19日(土)15:40〜
10月22日(火)11:10〜

●海洋天堂(原題:海洋天堂)
10月19日(土)11:10〜

●最愛(原題:最爱)
10月22日(火)18:50〜

●狼たちのノクターン〈夜想曲〉(原題:大追捕)
10月19日(土)18:10〜

※『アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ』10月18日以外の会場は、すべて東京都写真美術館です。
※詳細は映画祭公式サイトをご参照ください。→



ざっとプログラムを俯瞰してみますと嬉しいような悲しいような。
過去に日本で劇場公開されたことのある作品を入れるなら、あんな未公開作品とかこんな未公開作品とかを組み込んでくれたってよかったじゃないですか、というのが偽らざる正直なきもちです。おもに『王×○宴』とか『厨×戏○痞△』とかですが、ええ。百万歩譲って字幕がトンデモだっていいですから。『○的盛×』の劉邦さんがおんなのこ言葉だっていいですから。むしろそれ正鵠を射ていますから(笑)。ていうか字幕がトンデモな件を毎年毎年ツイッターなどでつっこまれるのがかなしいしイヤだしだいいち翻訳してる時間なんかそもそもねえんだよ、とかいう理由で既公開作で半分埋めたんじゃあるまいな……とか、ついつい黒い疑念も頭をもたげてしまうのであった。


とはいえ、黄渤さん主演映画が時を同じくして日本で2作も公開という恭喜恭喜な事態です。
台風18号のおかげでしたまちコメディ映画祭に行きそびれた身としては、これでようやくリベンジを果たせます。いつの間にか邦題から「ランド」がとれちゃって人生いろいろですが『ロスト・イン・タイ』と『101回目のプロポーズ』、どちらも公開初日が10月19日(土)。タイムテーブルとスケジュール次第では1日に2回黄渤さんに逢うことだってできるのだ。わー夢のようじゃ。


もうひとつ楽しみなのが陳可辛(ピーター・チャン)監督、黄暁明(ホァン・シャオミン)、鄧超(ダン・チャオ)、佟大為(トン・ダーウェイ)主演の『アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ』。
主演三名様も豪華だし、しゃおしゃおの貧相な青ジャージもたいそう魅惑的ですが、ちょっとまえに微博で拾ったお写真でその主演三名様がこんな萌えくるしい事態になっていたため



「こ・これは観ねばッ!!」
と、いきなりお熱が上がってしまったわし(げんきん

主演のおひとり鄧超さんは、いまさら申すまでもございませんが『宮廷の諍い女 (後宮甄嬛傳)』の甄嬛(しんけい)こと孫儷ちゃんのダーリンです。1979年生まれ中央戯劇学院出身。『戦場のレクイエム』で胡軍・張涵予両大哥とも共演なさっています。『戦レク』のお役も良かったけど、『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』で鄧超さんが演じておられたアルビノの大理寺少卿・裴東来(ペイ・ドンライ)、この子がめっぽうかわいかった。『コネクテッド』のマドモアゼル(劉燁さん)然り、わたくし「こなまいきで鼻っぱしらの強い白髪のかわいこちゃん」にひじょうに弱くできておりますのでペイたんはどストライクでした。マドモアゼルとちがって(とほほ)頭も切れるし運動神経もばつぐんのペイたん。本記事の趣旨とはほぼ関係無いですがいつか載せたいと虎視眈々だったのでどさくさまぎれにペイたん単体海報を載せておくー。




| 11:29 | 電影瑣聞。 | comments(6) | - |
国慶節快楽。
と、下のひとが申しております。
下のひとと国慶節はまったく関係が無いはずです。
所縁があるのは10日先の双十節じゃないだろうか。でも、双十節なんかぜんぜんおめでたくない、双十節をお祝いするのなんか死んでも(死んでるけど)いやだ、などとわがままを申しておりますので十月の表紙巻頭に登場していただきました。





元の画像は遵命さんより。忝のう御座います。この夏に文京区でランデヴーしたときに見せていただいてひとめぼれいたしました。とくに左頭頂部から顔面にかけてのひろびろとしたスペース。こんなの提供されたら是が非でもデコってみたいじゃないですか。いつかキラキラデコデコ閻ちゃんを御披露するべく精進してまいります!
で、そんな閻魔の閻ちゃんもやむをえずしぶしぶ祝福しております国慶節の本日。地元ィ横浜中華街でもステキなイベントがくりひろげられています。




お天気がいまいちなのでちょっと心配なのですが、雨が降らなきゃ夕方から夜にかけて、毎度そのあいらしさでわたくしの理性のタガをはずすもふもふお獅子ズ4頭が中華街をねりねりとねりあるきます。





ぎゃー。どの仔でもいいから1頭おうちに連れて帰りたい。お庭が広ければ全頭連れて帰りたい。こんな可憐ないきものが黄昏の中華街を神出鬼没の予定の本日、御用とお急ぎで無い向きはぜひぜひおでかけくださいまし。後手後手のお知らせで恐縮ですがこちらの映画祭もただいま絶賛開催中。


「第2回横浜中華街映画祭2013」

●会期:2013年9月28日(土)、29日(日)、10月1日(火・国慶節)、5日(土)、6日(日)、10日(木・雙十節)
●会場:横浜中華街 中華菜館 同發新舘ホール
●主催:シネマ・ジャック&ベティ
●公式サイト→

●上映作品:ブッダ・マウンテン 希望と祈りの旅/藍色夏恋/花の影/夢の向こう側 ROAD LESS TRAVELED/李小龍(ブルース・リー) マイブラザー/奪命金/三国志英傑伝 関羽/紅いコーリャン


本日は午後から陳柏霖(チェン・ボーリン)さんの舞台挨拶付き『ブッダ・マウンテン』上映(チケットは完売・当日券無し)、そしてファンミーティングも開催されるそうです。ファンミかあ。『藍宇』バブル後のロスジェネ世代のずぶんに、この先そんな日は、めぐってくるのかしら……。



【追記】

太極拳の稽古が終わったあと、雨上がりの中華街でもふもふなやつらをおもうぞんぶん追いかけまわしてきました。国慶節というおまつりの日のわりには人はすくなくて、ちょっと淋しいかんじ。
関帝廟どまんまえの茘香尊酒家さんへ乱入し、お食事を愉しむお客さんに襲いかかって頭をがぶがぶ。
そしておもむろに祝儀を奪って去る。

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ナイト関帝廟。
関帝廟通りの中華料理店「興昌」。ネオンがすてき。
同じくネオンがすてき。横浜中華街映画祭の会場にもなっている「同發新舘」。

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