蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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今年のうちに。
いまを猿じゃねえ去ることふたとせのむかし。

捜狐微博で胡軍さんと劉燁さんが相互関注(=フォロー)しあっとるやんけラブラブやんけこんちくしょう(意訳)という記事を書きました。
でも、そのあとしばらくして、胡軍さんは劉燁さんを捨てもといリムってしまったのでした。
理由はわかりません。
劉燁さんはいまだに関注してるっていうのにこのひとでなし野郎リアル陳捍東っっ!!
とか、当時はちょっとまじでおもったものでしたよ。


そして2012年。
師走の声を聞いてから、にわかに胡軍さんと劉燁さんが





すいません画像を間違えました。
にわかに胡軍さんと劉燁さんが、わんこがらみでシンクロしまして。





なんだろうこれはなにか縁起のよいことがふたりに起きるというお告げなのかしら。
と思っていたらば本日、新浪微博で胡軍さんが劉燁さんを関注しまして。
自分的にはある意味抜き打ちつうか不意打ちつうかいきなりデレたつうか。
空港の駐車場で再会した藍宇に捍東がもじもじしつつもあつかましい笑顔で連絡先聞く場面なんかが走馬燈のようによぎりまして。
「それって捜狐でリムった罪滅ぼし? ねえ罪滅ぼし!? ねえねえおしえて胡軍さん!!」
などとテカテカしていましたら劉燁さんも胡軍さんをご関注。
2012年もつまりにつまったあげくのマリアージュって次第でした。
サンキューアイラブユー。








| 22:21 | blanc et noir | comments(10) | - |
髭姫様無頼控。──『項羽と劉邦』上巻(新潮文庫)



紀元前3世紀末、秦の始皇帝は中国史上初の統一帝国を創出し戦国時代に終止符をうった。しかし彼の死語、秦の統制力は弱まり、陳勝・呉広の一揆がおこると、天下は再び大乱の時代に入る。──これは、沛のごろつき上がりの劉邦が、楚の猛将・項羽と天下を争って、百敗しつつもついに楚を破り漢帝国を樹立するまでをとおし、天下を制する“人望”とは何かをきわめつくした物語である。


そもそも「人望」とはなんでしょうか。
劉邦は人望を得て勝った。
項羽は人望を得られずに負けた。
『項羽と劉邦』というお話を雑にまとめれば、そういうことになってしまうようなのですが。


『項羽と劉邦』で司馬遼太郎が彫琢する劉邦は、大器の片鱗を覗かせながらも、概ね、痺れるようなだめ人間です。
その「だめ」がなんというかもうはちみつのようにあまい。いっそ媚薬といってもいいくらいです。

「やれやれ、ほんとに劉邦さんはだめなんだから」
「自分がいなきゃなーんにもできないよね、劉邦さんは」

とかなんとか苦笑しつつも嬉しくてぞくぞくしながら劉邦の「だめ」という蜜を貪り、気持ちよく「だめ」に溺れ「だめ」に籠絡されてしまう、そんなばかものどもが全巻通じて跡を絶ちません。

その「だめ」こそが、蕭何の言を借りて司馬さん曰くところの「類のない可愛気(かわいげ)」。
劉邦というひとが生まれながらにそなえている手管です。
しかし本人は手管などとはさらさら思っていない。たいそう無邪気にかつ無自覚に世にも狡猾なことをやってのけるのでますますたちが悪い。
『項羽と劉邦』において、

「ひとびとは如何にして心配するのを止めて劉邦を愛するようになったか」

ということについて、つまり、おもに劉邦の人望つうか天性つうかだめさ加減つうか可愛気が如何にひとびとの目を眩ませ狂わせていったかということについて、原文抜き書きながら辿ってみようかなあとかおもってこんな感想文書き始めたのですがのっけから、

「パン(邦)」
 は、にいちゃんという方言で、ときにねえちゃんというときも、パンという。劉邦とは、
「劉兄哥(あにい)」
 ということであった。


性別からしてよくわからないことになっていてこまったものです。

『史記』によれば劉邦の字(あざな)は「季」。
「季」とは、植えた作物が実って収穫する、それぞれの季節の「すえ」を意味するのだそうです。
百敗ののちに巨大な一果を得たという点では、正しくその名が指し示すとおりの人生だったのだなあと思います。
しかしとりあえず劉季とは、「劉さんちの末の子」ということでしか無い。本名が「あにき」で通り名が「末っ子」です。「劉邦(劉兄哥)」という仲間内の呼びかけが本名として定着してしまったということなのですが、佐竹靖彦氏は『劉邦』で、
「かれは本来、季という本名をもっていたが、亭長になったのを機会に季を字とし、本名は邦であると称したのであろう」
としています。

「劉邦という名前はいかなる正史にも載っていない」
「劉邦という名前は近現代になってはじめて人びとの口に上るようになったのであり」
「劉邦の本名とされる邦の名の由来には、触れるべからざる秘密が隠されている」
『劉邦』佐竹靖彦著・中央公論新社刊

触れるべからざる秘密。
それは「劉邦」という名が、「よくいえば任侠の徒、悪くいえば群盗の一員であったことを示唆する」ということ。そんな外聞の悪い名を、漢王朝初代皇帝の正史に記すわけにはいかなかったのではなかろうか──ということです。
しかしそれもすべてのちの世の話。沛県豊邑中陽里(現在の江蘇省徐州市沛県)の農家に生まれた劉邦さんは、「龍の子」と噂され、「龍顔」といわれる立派なお顔をぶらさげてお育ちになり、ひげと背丈ばかりがむやみと伸びてしまいました。家業をきらってぶらぶらごろごろと日を暮らし、ごろごろしているうちになんとなく人気が出てしまって、兄哥兄哥と慕われます。

劉邦の最初のプロデューサーともいうべき能吏・蕭何は、出会った当初、劉邦のことをどうもあんまり快く思っていなかったようでした。
なんだかみょうに気に障る。
不愉快である。
なのに目を離せない。
気になってたまらない。
この男はいったいなにものなのだろうか。
この男は自分にとって、いったいどういう意味をもった存在なのだろうか。
もちまえの生真面目さで律儀に分析と考察を重ねていく蕭何。いやいやそれはつ恋ってもんじゃないんですかとか、つい思ったりするんです。優等生のメガネっ娘委員長が遅刻早弁喧嘩万引常習の問題児を真人間にしようとがんばっているうちにうっかり惚れてしまいましたみたいなね。蕭何の劉邦への思いには、ちょっとそんなテイストもあったりなんかします。

劉邦は行儀がわるく、すこし酔えば横に長くなって肘枕をし、ときどき癇癪をおこすと、その男を口汚くののしった。類がないほどに、言葉遣いが汚かった

類がないほどに汚い言葉遣いの具体例は書かれていませんが、

(あの下品さが、たまらなくいやだ)
 と、蕭何はおもっている。


と、劉邦が気になってたまらない蕭何ですらそうおもっているくらいだからどうせ性的なこととか放送できないようなことをあけすけにまくしたてていたりするのにきまっています。
しかし劉燁さんが劉邦を演るとなるとどうもほよよんとした風情が勝っちゃって、言葉遣いの汚さとか行儀の悪さとか下品さとかどすけべさとかがうまくイメージできません。『王的盛宴』ではそのあたりいかがなっているんでしょう。「他妈的」とか「兔崽子」的な台詞を吐いておられるとのことなのですが。
イメージできないといえば司馬さんがつかう比喩もです。ときどきアバンギャルドすぎて宇宙に行ってしまうのですが、

遠目でみると、劉邦の体全体が鰻の化物が立って歩いているように見える。

立って歩く鰻の化物ってなんだよ。
まっくろで、ぬるりつるりとしていて(「つかみがたい人物」の比喩ということかしら)、でもふだん立って歩く習慣の無い鰻がうっかり立ちあがってしまったものだからどっかぐらぐらしててバランス悪い的な。
そういうものでしょうか。
のちに項梁(項羽の叔父さん)が劉邦を評して曰く、

(ああ、あの背の高い男。……)
 項梁は、うらやましいような劉邦の美髯と堂々たる体躯をおもいうかべた。
 ただ、体が長いわりには、上と下とがどこかちぐはぐで、風が吹けば倒れそうな感じでもあった。


やっぱりぐらぐらしています。
龍に似た風采といえばなんだかかっこいいかんじですが、龍だってじっさい立たせてあの短い足で歩かせてみりゃ中国の獅子舞的な、どっかおもしろかわいい生きものでしょう。

(あいつがきた)
 ときがときだけに、蕭何はうんざりした。


そんな鰻の化物的なものがここ一番というときにぐらぐらと門口にあらわれて「ごめんください」とか挨拶してたら蕭何だってうんざりかもしれません。でもそんな蕭何も、

(劉邦には徳というほどのものはないが、ちょっと類のない可愛気がある。このことは、稀有なものとして重視していいのではないか)
 と、思いはじめた。


絶賛籠絡されつつありました。
聡明な蕭何ですらそうなのですから況んや夏侯嬰をや。

「あっしが居なければ、劉あにいはただの木偶の坊ですよ」

夏侯嬰のこの言葉こそが、劉邦らぶーなひとら全員の気持ちを代弁しています。
劉邦ってひとは、身体ばかりじゃなく、全般的にすごくぐらぐらしていたのでしょう。
美々しく立派なビジュアルをもっているくせに、不用意に無邪気で無自覚で素っ頓狂なことをやらかすのであぶなっかしくて見てらんない。

でも、自分が居れば。
自分が秘かに支えてやれば、このひとはきっとなんとかなる。

そう信じてるひとがまわりにいっぱいいて、彼らひとりひとりの「あっしが居なければ」──つまりそれが「人望」というものなのでしょうが──に感応してすなおに股ひらいちゃうようなところが劉邦にはあったんでしょう。傍でみてるとはらはらしちゃうという点で項羽と劉邦は似ているが項羽の場合は「ひとり」で充溢している。みっしり詰まった重たい「ひとり」を抱えてだれよりも速く疾駆する筋肉をもっている。支えてもらう必要など無い。ていうかなまじっか支えてやろうとすれば瞬時に薙ぎ倒され踏み殺されてしまう。


でも劉邦はぐらぐらしていた。
「人望」というもののつけいる隙があった。

(劉邦は、空虚だ)
 だからいい、と蕭何は思うようになっていた。


秦朝末期の混乱のなか、沛という生まれ故郷を護りたいという強い意志を、蕭何はもっていました。
当初、地元のひとらの人望は劉邦でなく、すぐれた吏である蕭何にこそあった。
けれども蕭何は、自分はその器では無いと見切っていた。
お天道様の下で脳天気にごろついている劉邦が、果ても無いようなうつろさをかかえていることを蕭何だけが知っていた。得体の知れない、でも滴るようなチャームをもつこのごろつきを、「天命」の名のもとにひとかどの人物に仕立て上げる。その役を果たせるのは自分を措いて他に無いことを、蕭何だけが知っていた。
蕭何が「だからいい」と思った、つまり蕭何が劉邦という目に賭けたそのときに、遠い未来の劉邦の勝利が決まったともいえるのではないでしょうか。


劉邦というのは概ねだめ人間ですがすぐれて感覚的なひとです。

 といって、劉邦という男は、いわゆるあほうというにあたらない。どういう頭の仕組みになっているのか、つねに本質的なことが理解できた。
 むしろ本質的なこと以外はわからないとさえいえた。


本質的なこと以外はわからない。
ものごとの解はわかるが式を立てて説明しろとなるとできない。
式を立てるのは自分の仕事じゃないからどうだっていい。
最終的に正しい解にたどりつく道を選びとれさえすればそれでいい。
時機と場を得ればそれなりに事を為してもみせる。泗上の亭長さんにしてもらえば見栄はって立派な冠を作って、はりきってお仕事に励んだりします。そのいちいちがなんだか可憐でこまってしまう。
父や兄に疎まれ、厄介者扱いされて、本人ももしかしたら自分はこのお父さんの子じゃないのかもしれないとおもいつつ、やくざな道に足を踏み入れ、きまった仕事にもつかず、無為に日々を暮らしていた劉邦。
のんきそうにみえたとしても、焦慮も不安もそれなりに抱えて生きていたんじゃないでしょうか。
それが豪奢な大器であればこそ、「未だ盈ちていない」ことがつらくも虚しくも感じられるということだって、あるんじゃないでしょうか。
劉邦自身はそれを自覚していたかどうか。
大法螺を吹きながらも、自分がそれほどの大器であることを、じつはよくわかっていなかったのかもしれません。
己の美しさを器自身が知らず、汚れたままに、ただそこにある風情。
そこにせつなさをみいだす人間だけが、どうにかこの美しい器を自分の手で盈たしてやりたい、盈つるさまを見てみたい、というやむにやまれぬ衝動をおぼえる。


そんな劉邦は、項羽の目に、どのように映っていたのでしょうか。
上巻の後半で劉邦は項梁率いる楚軍に身を寄せ、そこで項羽と出会います。
のちに生涯の宿敵同士となるふたりには、楚軍の将軍として滅秦の旗のもとに手を携えて戦っていた時代があったのです。
小学生のときにジュニア向けにアレンジされた項羽と劉邦のお話を読んで、仲良しのふたりだったのにどうして最後は血みどろの殺し合いになっちゃったんだろうと、えもいえず悲しくなったものでした。
ひとは変わる。
その思惑を大きく超えたところで、あともどりのきかない齟齬が生まれることだってある。
かつては盟友でもあったふたり、という美しい前提があればこそ、のちに展開される彼らの死闘が仄かに甘美な色を帯びて映ったりもするんだけれど、まあ小学生のころはそんなことまでわかりゃしなかった。
出逢った当時、項羽は劉邦をこんなふうに見ています。

(おもしろいおやじさんだ)
 と、項羽はおもわざるをえない。かれは劉邦という男がきらいではなく、なにか、自分とはまったくちがう仕組みの男だと思っていた。劉邦はかれとちがい、しばしば秦軍に敗けているが、敗けるということによほど鈍感なのか、いくら敗けても、大きな片頬に小鳥の糞のような白い微笑をたえずくっつけて、顔色の変わることがなかった。


劉邦が感覚的なら項羽は感情の塊のようなひとで、己の信奉する「美」にかなうかかなわないかで物事の好悪をきめるところがある。項羽の劉邦に対する印象が「きらい」から出発していたのなら、ふたりの関係もちがうものになっていたのかもしれません。でもそうではなかった。
項羽は劉邦をばかにし、侮りつつ、しかし憎めず、なんだかおもしろく思っていた。
自分とはまったくちがう相手のしくみ。それをものめずらしく眺めながらも、どこかで「勝てない」と、無意識にしろ感じていたのじゃないでしょうか。そういう意味では項羽もまた、劉邦の「可愛気」に殺られたひとりといえる。なにしろおそろしい仔です、劉邦。
劉邦という男、ならびにたちの悪いその「可愛気」を危険なものとみなしていたのは、楚軍のなかでは項羽の参謀である范増ただひとり。
項羽と范増による劉邦の捉え方のちがいが、つづく中巻で語られる「鴻門の会」の伏線にもなっています。

じつのところ范増が退却を説いたときは項羽はかならずしも怡々とせず、むしろ復讐をとなえ、陳留城など踏みつぶしてしまおう、などとつぶやいたりしたのだが、劉邦の顔をみるといきなりその説に従ったというのは項羽の性格に欠陥があるのか、それとも相手の劉邦の人柄にえたいの知れぬなにごとかがあるのか、あるいは項羽は劉邦に魅かれるところがあるのか、いずれにせよ、このことは黒い翳(かげ)りのように、范増の脳裏で消えがたいものになった。

項羽は劉邦に魅かれるところがある。
范増の見解を借りて、さらっととんでもないこと書いていますが司馬さん。
正しく「魅かれている」としか表現できない、そうとしかいえないような愛憎と執着と情熱に彩られた軌跡を、このあとの巻を通して、ふたりは描いていくのです。


(つづく)
(※太字引用部分はすべて司馬遼太郎『項羽と劉邦』による)

【参考】:髭姫様・序説。



| 12:50 | 王的盛宴。/項羽と劉邦 鴻門の会。 | comments(2) | - |
処女降誕。
「それをするのがはじめてである」
ということを表すのに「処女」という語を冠するのは、日本語も英語も中国語もいっしょみたいです。

a maiden speechといえば「処女演説」。
a maiden voyageといえば「処女航海」。
virgin soilといえば「処女地」。
an unclimbed peakといえば「処女峰」。

そしてa maiden workといえば「処女作」。
「7電影」の終尾を飾って劉燁導演的処女電影作品『洋流之前』の完成披露試写会が北京で敢行されたようです。おめでとうございます。





●記事とか→ 
●作品ならびに試写会のもようとか→






作品は──ちょっとよくわかんなかったすいませんっ!!
なんとなく緊迫した、サスペンスフルな空気は伝わってまいりましたが。
それよりも、彼は世界をこんなふうに映像というかたちに捉えるのか、というのがみていて新鮮だったです。
劉燁さんはめがね+キャップのるーちゃん完コピ導演ルックでご登壇。王学兵さん(たぶん)や管虎導演(たぶん。あんなでっかいひと他にいない)、常継紅ねえさんもご挨拶してます。

それにしたって。
上の海報の美麗王子とブサかわいいこのわんこが





どういう回路を経れば「似とる」に着地するのであろうか。
それとも常姐だけが知っている、ちょうイケてないときの劉燁さんはまさかこんななのであろうかまさか。
いろいろ問い詰めたいです。


| 18:11 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(8) | - |
小萱。
劉燁さんのエージェントである星美千易社長・常継紅小姐の飼ってらっしゃるわんこが劉燁さんと同じ日生まれで常小姐はとてもよく似ているというんだが自分的はどうも承服しかねるよ、てなことを劉燁さんが微博に書いていました。
自分も、常小姐の意見には到底賛同しかねるのですが。
どういうわんこかはこちら参照。→

こいつはこいつで百歩譲って味のある風貌と言って言えなくも無いさ。
だがしかし自分的に劉燁さん激似じゃねえかとおもっていたのはこの仔さ。





陸川監督の川制作の宣伝スタッフさんのわんこで、名前はたしか「小萱」といった。
お鼻まわりがちょっとうすぐろいとこらへんが、劉燁さんというよりむしろ劉邦さんぽくて。
小学校5年生のときに拾ってきて17年飼ったうちのわんこのこいぬ時分にもどこか似ていて。
ひとめでフォーリンラブでした。

あやういほどにちいさく可憐だった小萱。
日々大きくなってゆく小萱の姿を見るのが楽しみで、飼い主さんの微博に通っていた。
でもある時期からふっつりと更新がなくなって、気づけば小萱の記事すべてが彼の微博から消えていた。
マンション暮らしでは飼いきれなくなって誰かに譲り渡したか、或いは病気か事故かで死んでしまったか、事情はわからないし知り合いでないから訊ねることもできない。


ついに逢わずに終わった一匹の仔犬はしかし自分にとって、間違い無く愛すべきものだった。


私は私の愛すべきものだけを愛したい。
祝福の日からとりこぼされたもの。
だれからもかえりみられなかったもの。
ひっそりと息絶えたもの。
狷介で孤独だったもの。
世を拗ねていたもの。
涙に暮れていたもの。
うしろむきなもの。

わすれられたもの。

幸福な人間が酔い痴れる幸福な「愛」に近づくことを厭うすべてのもの。
私はあなたたちとともにいたいと思います。



以下無許可なのでまずはあやまる。
ごめん、微博主さん。
あなたが撮った小萱を、ここに留めおくことを、どうぞ御容赦ください。

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| 21:35 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(0) | - |
待宵。──『藍宇』其の燦拾壱
2012年最初の記事に、2012年冬至に世界が滅びる可能性について書いた。
そのときは今年の冬至も22日であると思い込んでいたのですが、正しくは昨日、12月21日が2012年の冬至であった。世界が滅ぼうが滅ぶまいがゆず湯には入ったし、かぼちゃはきらいなのでもちろんいただきませんでしたが、一夜明けても世界はとりあえず持ちこたえているようにはみえます。
横浜は生憎の雨模様。それも午後には上がる。いっそ夕刻から雪になってくれりゃ素敵だったのに。
雪害に悩まされぬ者ゆえのわがままをたれつつ24年まえの今日に思い馳せてみる。



1988年12月22日。
木曜日。
冬至。

月齢、13.1
月名、小望月。

「小望月(こもちづき)」とは望月つまり満月の前夜の月のこと。
翌12月23日が満月だったのでそれで正しいのだけれど、季語的には秋に分類される。別名を「待宵(まつよい)」。これも「翌日の十五夜の月を待つ宵」という意味の秋の季語。12月につかうとすれば気違いもとい季違いではある。そもそも降りしきる雪空に月など望めなかったろうが、「待宵」という語には、

「来ることになっている人を待つ宵」

という美しい意味もある。

とすれば1988年12月22日の宵にこれ以上相応しい言葉も無い。待つ宵。彼らにとってそういう夜であることがはるかむかしからの約束であったとしか、思えないし思いたく無い。
ふたりがふたりともに「来ることになって」いた。
ふたりがふたりともに、待っていた。
待っていればこそ出逢う手筈は調う。
返すそばから手札が揃ってゆく奇妙さには『藍宇』をめぐるこの3年で馴染んだし、でもそういう揃い方をするというのも自分が強く願い求めているからなのかも。
門は叩かなきゃ開かないし、虎の仔も穴に這入らない限りつかまえられないもん。
数合わせの好きな身としては、「1988年12月22日」をあらわす数秘「33」(もしくは「6EX」)が、藍宇を演じた役者自身のそれとぴったり重なるという事実にも、ちょっと血湧き肉躍っちゃう感。






※中国での冬至節について→
彼の地では古来、長寿を祝してお年寄りに靴や靴下を贈る習俗があったそうで、いまでも北のほうではあたたかい服なんかを贈るんだとか。
「マフラーをあげる」ってのもちょっと通じるかも。
藍宇はお年寄りじゃないけども北の生まれの仔だから、もしかしたらそういう習慣を知っていたかも。
それだからよけい、マフラーひとつのちっちゃいあったかさが、心底うれしかったのかもしれない。


| 10:06 | 藍迷。 | comments(6) | - |
王的拾遺24・幾久。
仕事終わりに微博覗いてみたら、小指と小指がからんでいました。





載せたのは劉燁さんですが。
記事にもなっちゃった。→

劉燁さんが「拉勾」って打ってるんで読んだ当初はなんのことだかわかんなかったですが、記事見出しにあるように「拉鈎(la gou/ゆびきり)」で辞書には載ってます。
ゆびきりするだけならなにもこんな密室でダブルベッドなぞ背景にせずとも良かろうものを。
なにを考えているんでしょうか。
「いいえ、なんにも」という気もしますが。
ゆびきりという習慣が中国方面にもふつうにあったのだということを、今夜二王に教えられた私でした。そうはいっても、

ゆび-きり【指切】

小指などを切断すること。主として男女間、特に遊女と客の間において、誓約の証として、あるいは心中のほどを見せようとして、女が小指を切って男に贈ること。

(精選版日本国語大辞典)


そういう起源があるということをおふたりはご存じなのかご存じで無いのか。どうせご存じで無いんだろうなあと思いますが、なにしろ絵として綺麗なので不埒なことも考え甲斐があって、この上無く、愉しゅう御座います。
そして、いまさら死んだ子の年を数えるが如き繰り言で誠に恐縮ですが、捍東と藍宇で、死ぬほど見てみたい図でも御座います。


| 23:35 | 王的盛宴。/項羽と劉邦 鴻門の会。 | comments(6) | - |
梭梭。
ご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、このブログには、グリムスというブログパーツをくっつけています。
記事を書いて投稿するにつれて苗木が育っていき、大人の樹に成長したら地球のどこかに植林されるというものです。
本宅で先に始めて、2010年8月、最初の子が内モンゴル自治区に旅立ってゆきました。

このたび、妾宅の長男坊が、2万8000本のともだちといっしょに、同じく内モンゴル自治区に植えられました。
2010年におくりだした子は「沙拐棗(サカイソウ)」。
こっちの子は「梭梭(ササボク/suo suo)」だそうです。

この木は砂漠の乾燥に強く、根っこに漢方薬となる菌を寄生させることができます。梭梭が元気に育てば育つほど、根の菌も育ち、3年後には肉従蓉(ニクジュヨウ)という漢方薬の原料が収穫できます。こうして「植林」と「村人の現金収入」の一石二鳥となるため、この木を推奨しています。


こんな木です。




つぼみは可憐なかんじだが、育てばでっかくなるようだ。


捍東と藍宇の子どもとも、無理やりいっていえないことも無いわけでした。
『藍宇』のこと。捍東と藍宇のこと。胡軍と劉燁のこと。
それだけを書きたくて、その衝動と熱で以て始めてしまったのがここなんですから。
捍東と藍宇への、多分に不埒な私の思いが、言葉を養分に育ち1本の苗木となって、おそらく私は一生行かないであろう内モンゴルの砂漠まではるばると旅をして、そこに根を張る。
ささやかに途方も無い話です。
途方も無くてひどく脆弱でちっちゃい、しかし現実です。


達者でな。



【追記】
2012年12月26日の微博で劉燁さんが、

时光如梭

という成句を書いていました。
辞書引いたら「梭」は機織りの「杼(ひ)」をあらわし、

「杼のような(形の・速さの)」

「月日のたつのが杼が動くように速い(月日如梭)」
「人の往来が杼の行き交うように激しい(人来人往如同穿梭)」

などの成句があるんだとか。
「梭梭」の項にも、「杼のように素早く行き来する」という意味が載ってました。
勉強さしてもらいました。ありがとう。


| 11:39 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
blanc et noir・dix-huitième──monogamus.
胡軍さんと劉燁さんが、相前後して封面降臨しておられます。





スライドショウ。
●OFFICIAL HOMMES→
●FASHION WEEKLY→



胡軍さんはティーンエイジャーの時分にぶいぶいゆわせてて老いてますます盛んな(笑)バイカー的コンセプト。
劉燁さんはいかにも瀟洒で、かすかにノワールのかほり。
まったく関連は無いのですがお写真の雰囲気に、なんかちょっと響きあうものがあるなあとおもいます。
響きあうものがあろうがなかろうが火の無いところに付け火をしてでも煙を立てるのがヲタの業です。つかそういう趣旨のカテゴリです。間髪容れずひっつけてすまぬ。







劉燁さんが立ってるとこ。
『藍色宇宙』にちらりと出てきた藍宇が捍東に見初められた場所に見えて仕方が無い。


| 16:36 | blanc et noir | comments(8) | - |
パンクス姫参上。
なにかこう、魔女の呪い的なものでしょうか。
昨日微博に行ったらばいきなり姫があられも無いアタマに。





これまで映画のお役で茶髪にしたり白髪にしたりしたことはあったけど、素で、しかもこのアバンギャルドなお色とスタイルというのはなんつうか思いきったなあイエたんよおい。星美千易のパーティー仕様なのか、このあとのお仕事のためなのかはよくわかりませんがそんな真っ赤なアタマで

●嫁とチュウしたり→
●おうたをうたったり→

大活躍でした。

しかしまたこの、おうたがね……。
なんかもう、みなまで論評したく無いね……。
これまで劉燁さんについてはなにかと居た堪れ無い思いをする局面が多々ございましたが正しく居た堪れ無さオールタイムベストファイブ入りましたってかんじだね……。
バックで男女の踊り子さんがスパニッシュに舞っておられるところで、94年ザ・イエロー・モンキーのジャガーハードペインツアーがよぎったりなんかしました。

【参考資料】“薔薇娼婦麗奈”
(個人的には『藍宇』裏テーマ)


劉燁さんがおうたいになっているのは“玫瑰香”というお歌なのですが、劉燁さん過去にもこれ歌っててね……。
黒歴史↓




3年前に『藍宇』で劉燁さんを知った直後に動画検索しててうっかり観ちゃって夜中に腹がよじれたこともいまとなっては素敵な思い出だね……。
でもそんな赤毛姫が昨夜。

続きを読む >>
| 14:45 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(10) | - |
歓迎光臨・藍色番外地。──『藍宇』其の燦拾
『藍宇』DVDにはさまざまなバージョンがあります。
個人的な覚え書きも兼ねて、世界の『藍宇』まとめ記事なんてものも1年前に書いてみました。

いまから10年すこしまえ、台湾の群體工作室という会社が『藍宇』の「加長版」なるものを出しました。
オリジナルバージョン(86分)の『藍宇』に、削除された未公開シーン(捍東と林静平の新婚+倦怠期シーン、捍東と藍宇のお風呂シーン、雪の公園のシーン)を入れ込んで、100分ほどのロングバージョンに編集し直したものだということです(観たことがございませんのでその詳細はわかりません)。
勿論そんなもんを勝手に作って勝手に売られたプロデューサーや監督が承認する筈も無く、一時は訴訟という話も出たようだし、ショックを受けた香港のファンのあいだで不買運動が起きるなど、ともかくこの「加長版」なるものは相当な物議を醸した代物だったようです。そのあたりのお話は「藍宇的北歐」さんに書かれています。

群體工作室製作・発行の台湾版『藍宇』を私は2点持っておりまして、うち1点は本編から独立した映像特典というかたちで未公開シーンを収録しています。
加長版がすったもんだしたあと群體工作室は未公開シーンを本編から除き、おまけとして収録し直した版を出したということですから、たぶん私の持ってるディスクはそれに相当する内容でしょう。
台湾版『藍宇』すなわち加長版、と私も『藍宇』にはまった当時はそう思っていたし、いまだにそういうワードで検索してここを訪問してくださる方もいらっしゃいますが、いま現在流通している台湾版についていえば、『藍宇』本編は日本版と同じ(しかし無修正の)86分版です。

ただ、「藍宇的北歐」さんによれば、そのディスク(本編86分+特典の未公開シーン)に「ポストカードブック+サウンドトラックCD」をつけた「完全珍蔵版」なるものがあったという。


えーと、前置きが長くなってしまいましたがじつは先月、『王的盛宴』公開カウントダウンまつりのまっただなかに、その「完全珍蔵版」がおうちに来ていまして。
たまたま某オークションに出ていたのをみつけて入札したところ、終了まで私以外にどなたも入札なさらなかったため、結果的に私が落札という体になったと、いう次第でございまして。
なにしろ『王的盛宴』で狂騒状態だったもんでちょっと落ち着いてからご報告しようと思っていて、今日になってしまいました。劉邦さんのもさもさした萌え画像や萌え動画にテカテカしながら、いっぽうではそんなものにもテカテカしていた私でございました。


ディスクそのものは同じの持ってるんで珍しくは無いんですがなにがテカテカってジャケがです。





すてきー。
あざとい商売だなあとわかっちゃいるけどこういうのに弱いー。
無許可で勝手に加長版とか編集して出して金儲けしやがってばかやろうという印象を群體工作室には持っていたけど、ちょっとこのジャケで勘弁してやる(げんきん
そしておまけのポストカードブック。

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| 11:33 | 藍迷。 | comments(10) | - |
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