明眸皓歯今何在。
2012.09.23 Sunday
昨日、第483回現代中国映画上映会の『山の郵便配達』を観てきました。
開場30分前に会場に行ったら自分ら一番乗りでした。鼻息が荒くってはづかしい……。でも、開場時間が近づいてきても他のお客さんの影すら見えず。やっぱり時節柄なのかしら、それとも劉燁さんに人気が無いのかしらぐっすんと疑心暗鬼を生じたりしていましたが、開映までにはそれなりにお客様もおいでになってひとあんしん(といっても七分の入りってかんじだったかな)。
某所に転載されていた現代中国映画上映会さんのニューズレターを読んでたら、
「諸般の事情によりフィルム上映は今回が最後」
とありました。
主催者HPにはそうした記述は無いので、会員様向けの情報なんでしょう。
「日本国内で」では無く、本上映会においては「今回が最後」なのかもしれませんが(未確認)、ともあれ劇場公開を逃した身としてはフィルムでの鑑賞に間に合った貴重な機会になりました。
経年劣化で映像の状態は良くなく、途中でフィルムがぶっつり途切れかけてあおざめたりする一瞬もあり。自分のすきな役者の実質銀幕デビュー作というスペシャルな作品だからこそ、いろいろと手に汗握ってまいりました。ホールで、でかい音量で鑑賞してみると、家で再生しているときには聞こえなかった音が聞こえてきて、新しい発見もあったり。会報にあった解説で、これまで全然気づかなかったことを教えていただいたりもして。
そこに載ってた劉燁のフィルモグラフィー31本(1998年の『世紀之夢』から2012年の『王的盛宴』まで)のうち、数えてみたら26本を観ていました。
自分自身が郵便袋背負って遠くまで旅してきちゃったような気持ちになりました。
この映画が製作されたのは1998年。国内の審査に通ったのは同年11月11日だそうです。
そのひと月半後に私はいわゆる「会社員」というものをやめ、自分の裁量でできる在宅仕事でごはんをたべるようになりました。そしてそのまま、組織というものに戻ることなく今日に至ります。
劉燁のフィルモグラフィーと自分の在宅仕事歴って、ああそうか重なってんだ、とかぼんやりと気づいたりしていました、冷たい雨の日曜日の今日は。そんなふうに思ってこの映画を観れば、また違う感慨にとらわれたりもするんだろうな。
ぼんやりと気づいたといえば。
映画の最後のほうで息子さんが、赤い糸にむすんだ翡翠の御守りを首からさげています。
風雨橋(※トン族特有の建築様式だそうです)の上で手紙を風に飛ばされるところと、2日目の夜の宿で、Tシャツを脱いで眠るところ。
でも、そのふたつのシーンのあいだの、河原で次男坊にチュウするとこではそれが無い。
単純に考えれば「つながってません」てことだが、それ以前に終盤になってのこの御守りの出方も些か唐突です。普通は四六時中身につけているものだから(風呂はいるときも外さない)、だったら冒頭からつけてなきゃおかしいしさ。もしかしたらトン族の村に泊まったとき、あの娘さんにもらったって設定なのかも知れないなあとか好意的に解釈しておきます寝顔まじかわいいんで。
あーもーこんなかわいいの毎晩ひとりじめしてた捍東が本気でうらやましい。映画ちがうけど。
●辺境なれど、逆境に非ず。──『山の郵便配達/那山 那人 那狗』
開場30分前に会場に行ったら自分ら一番乗りでした。鼻息が荒くってはづかしい……。でも、開場時間が近づいてきても他のお客さんの影すら見えず。やっぱり時節柄なのかしら、それとも劉燁さんに人気が無いのかしらぐっすんと疑心暗鬼を生じたりしていましたが、開映までにはそれなりにお客様もおいでになってひとあんしん(といっても七分の入りってかんじだったかな)。
某所に転載されていた現代中国映画上映会さんのニューズレターを読んでたら、
「諸般の事情によりフィルム上映は今回が最後」
とありました。
主催者HPにはそうした記述は無いので、会員様向けの情報なんでしょう。
「日本国内で」では無く、本上映会においては「今回が最後」なのかもしれませんが(未確認)、ともあれ劇場公開を逃した身としてはフィルムでの鑑賞に間に合った貴重な機会になりました。
経年劣化で映像の状態は良くなく、途中でフィルムがぶっつり途切れかけてあおざめたりする一瞬もあり。自分のすきな役者の実質銀幕デビュー作というスペシャルな作品だからこそ、いろいろと手に汗握ってまいりました。ホールで、でかい音量で鑑賞してみると、家で再生しているときには聞こえなかった音が聞こえてきて、新しい発見もあったり。会報にあった解説で、これまで全然気づかなかったことを教えていただいたりもして。
そこに載ってた劉燁のフィルモグラフィー31本(1998年の『世紀之夢』から2012年の『王的盛宴』まで)のうち、数えてみたら26本を観ていました。
自分自身が郵便袋背負って遠くまで旅してきちゃったような気持ちになりました。
この映画が製作されたのは1998年。国内の審査に通ったのは同年11月11日だそうです。
そのひと月半後に私はいわゆる「会社員」というものをやめ、自分の裁量でできる在宅仕事でごはんをたべるようになりました。そしてそのまま、組織というものに戻ることなく今日に至ります。
劉燁のフィルモグラフィーと自分の在宅仕事歴って、ああそうか重なってんだ、とかぼんやりと気づいたりしていました、冷たい雨の日曜日の今日は。そんなふうに思ってこの映画を観れば、また違う感慨にとらわれたりもするんだろうな。
ぼんやりと気づいたといえば。
映画の最後のほうで息子さんが、赤い糸にむすんだ翡翠の御守りを首からさげています。
風雨橋(※トン族特有の建築様式だそうです)の上で手紙を風に飛ばされるところと、2日目の夜の宿で、Tシャツを脱いで眠るところ。
でも、そのふたつのシーンのあいだの、河原で次男坊にチュウするとこではそれが無い。
単純に考えれば「つながってません」てことだが、それ以前に終盤になってのこの御守りの出方も些か唐突です。普通は四六時中身につけているものだから(風呂はいるときも外さない)、だったら冒頭からつけてなきゃおかしいしさ。もしかしたらトン族の村に泊まったとき、あの娘さんにもらったって設定なのかも知れないなあとか好意的に解釈しておきます寝顔まじかわいいんで。
あーもーこんなかわいいの毎晩ひとりじめしてた捍東が本気でうらやましい。映画ちがうけど。
●辺境なれど、逆境に非ず。──『山の郵便配達/那山 那人 那狗』