蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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呼び銭。
呼び銭とは、お財布に入れておくとお金を呼んでくれるお金のこと。
中国の古銭が良いといわれています。
赤貧洗うが如きミゼラブルな身の上ですので、とりあえず縋れる藁には縋っておきたい。
じゃないといつまで経っても中国に行けません。

新年に伴ってお財布を新しくしまして、新しいお財布に入れる呼び銭を五帝古銭にしようと思いました。
「五帝」とは、順治、康煕、雍正、乾隆、嘉慶という、清朝で隆盛をきわめた五人の皇帝のこと。
風水方面ではその五帝が発行した銅銭を「五帝古銭」と呼び、財運を良くしてくれたり、ものごとを好転させてくれたり、魔除けになったりするといわれます。
お財布に入れるのに5枚はかさばるので、1枚にしました。






清朝第四代皇帝康煕(こうき)帝の、康煕通寶。
お店の説明では古銭ということなのですが、ほんとにほんものの古銭なのかどうか、見る目が無いのでわからない。康煕帝の治世は17世紀半ばから18世紀初頭、日本でいえば江戸時代初期。赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたりしているころです。しかしそんなに時代がついてるようにもみえない。まあレプリカだってべつにいいんです。康煕帝というところがポインツなのです。
なぜならばこのおかたは諱(いみな)を



げんよう

と申し上げるのです。
お生まれになったのが「3月18日」(旧暦)だったりするのです。
ほらもう素通りできなーい。

古来中国には、臣下が皇帝の諱の字やその音の使用を避ける「避諱」という慣習がありました。
劉燁さんが康煕年間に生きて役者をやっていたら、皇帝と同名という禁忌に触れてしまいますから、劉燁さんは「劉燁さん」じゃなかった、かもしれなかったんですね。


清朝皇帝といえば。
年頭から東博で『北京故宮博物院200選』が開催されています。呼びものの「清明上河図」は1月24日までの展示だったので、見そびれてしまいました。なんでも入場してから現物を拝むまでに数時間かかるという、とんでもないことになっていたみたいです。見られなかったのは残念ですが、いまの気分的にはだんぜん「康熙帝南巡図巻」です。2月になったら上野に行ってまいります。
| 00:37 | 瑣屑。 | comments(2) | - |
虹をつかまえた。
まえにも書いたんですが、
「スターさんのプライベートネタは記事にしません」
というのがいちおうここの基本的方針なのです。
しかしやっぱりこれは血迷わざるをえません。


2012年1月22日、劉燁さんに第二子ご誕生。詳細→





ふたりめのお子さんができたと伺ったときから、最初がぼっちゃんだったから今度はパパそっくりの美少女だとええなあとひそかに祈ってまいりました。言霊様ありがとうございます。叶いました。お嬢様だそうです。すごくすごくおめでとう。お名前は

劉霓娜(Liu Nina)

ですって。
ニーナちゃんか。
ニーナといえば“追憶”です。
そんな、おもに中高年ジュリーファン方面をむやみに喜ばせるようなお名前をつけていただいちゃって、ますますありがとう劉燁さん。

「霓」は、日本語読みでは「げい」。



にじ。
ふつうの虹の外側にできることがある薄い虹。
転じて、五色の色。
昔、これを雌雄と考え、雄を虹(コウ)、雌を霓(ゲイ)といった。

(漢字源)



捍東から別れを切り出される場面で、藍宇がなんだか唐突に、虹の話をしますね。
あるとき家の窓から外をみていて、大きな虹をみつけた。写真に撮ろうと思ってカメラを持ってきたときにはもう、虹は消えてしまっていた、と。
虹という現象のはかなさと藍宇という男の子のはかなさが共鳴しながら空にとけていくような、印象深いエピソードでした。(虹の七色に「藍」が含まれているのも、きっと偶然じゃありません)

拙ブログの名前に「蛇」の字がついている理由はいくつかあって、藍宇が語る虹の話もそのひとつです。
中国では虹は天をつらぬく蛇に見立てられ(なので「虹」には虫偏がつきます)、そして龍の一種とも考えられてきました。
龍の年2012年生まれの女の子に「にじ」を意味する名。これ以上無いくらい素敵な名付けだなあと思います。
藍宇がつかまえられなかった虹を、あなたはつかまえたんだね。
良かったです。嬉しいです。




| 15:06 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(10) | - |
春節快楽。
イヤー・オブ・ザ・ドラゴンがきましたね。
おめでとうございます。




キトラ古墳の四神図「青龍」推定復元図(奈良文化財研究所飛鳥資料館



大寒のおととい、『十一ぴきのネコ』という、すごくおもしろいお芝居を観てきました。
おなかぺこぺこの11匹の野良ネコたちが、北の夜空に輝く星の下の湖に棲むとほうもなく大きい魚を捕まえるために冒険の旅に出るというおはなし。

おなかぺこぺこのままここを動かずにいて野垂れ死ぬか。
ちょっとつらくてもがんばって旅をして、大きな魚をつかまえておなかいっぱいになるか。

という二択を前に、ネコたちは後者を選びます。
選んだ挙げ句にいろいろあったし、最後は決してハッピーなエンディングではありませんでした。でも主人公「天晴れ指導者のにゃん太郎」(北村有起哉)がネコたちに突きつけるこの二択が、ちょっと胸に響きました。
いるかいないかもわからない。つらい旅をして湖にたどりついても、そんな魚はじつはいないのかもしれない。いても捕まえられないかもしれない。疑念と逡巡をいだきながら旅をしている、未来の無いネコたちの「いま」が、すごく素敵だったのです。

黄河中流に「龍門」という急流があって、そこをのぼりきった魚はたちまち龍に変ずるといわれます。のぼりきれなかったら魚のまんまだし、悪くすりゃ死んでしまうかもしれない。魚だってそういう「かもしれない」をいだきながら、龍になれることを信じて龍門をのぼろうとするんでしょう。

思い描いた結果を出せなかったのに、「がんばった」過程ばかりを無闇と美化したがるひとがいますが、自分はそういうのは真っ平御免です。いま為すべきことに魂をこめれば、こめたなりの結果に、自ずとなるのだろうという気がします。それ以上でも以下でも無く。いま為すべきこと。見つけるのはなかなか難しいようにも思うし、しかしあんがい容易く為せてしまったりするのかもしれません。それもすべては時機に投じてこそ。

そんなふうにネコなみに「いま、なにを為すべきか」しか考えずに生きていますから、未だ来たらぬ未来へ向けての野望とか希望とか展望とか抱負とか、年があらたまったところでそういったものはあまりこう、雄々しくいだいたりしません。いだいたとしても深く静かに潜行するたちなので殊更に吹聴もいたしません。
ですがとりあえず、はらぺこのまんまでいるよりは、魚を捕まえにいきたいな。
そして龍の申し子である高祖劉邦を劉燁さんが演じる『王的盛宴』がこの龍の年に公開される(であろう)ことを、年頭第一の寿ぎとしたいと思います。



そんな私の今年の護りはこれ。



年末に清水寺で買った「青龍まもり」(京の東=青龍の地を守る、清水の観音様の化身である龍のおまもり)。
そしていただきものの龍の玉璧です。
いつもいっしょに持ち歩いています。
| 13:36 | 瑣屑。 | comments(8) | - |
ぎゅっとしててね。
『建元風雲』方面の続報無いなあ、なんだかのんびりしてるっぽいなあ。
などと思ってたら很酷すぎるにいさん画像ドロップされとりました。うわーん油断も隙も無い。





我昏迷了。3秒くらい白目でした。さあそこの奥さんも素敵スライドショウでレッツ昏倒→


雑誌『GQ』のグラビアだそうです。
「映画」がテーマのようです。
撮られる側としてはいわずもがな、撮る側としてみてみてもこんな性的なひといないです。
私じつは「手」フェチでして、でっかくて骨張ってて、でも指はほっそりと長くて関節がごつごつしてなくて、爪のかたちがきれいで煙草もたせると超絶にあう、そういう手に弱いです。吉井和哉さんとか。劉燁さんの手にも直球で殺されます。女の子なら南明奈さん。ほんとにパワフルでうつくしい手をしてらして毎度見惚れます。

一方で胡軍さんの場合、自分の思い描く理想とは真逆。むっくりした手。ぶっとい指。しかしそれが煙草持つと、





五感もれなく刺激されてしまう。
観賞したい手じゃない。じかにからだに触れられたい手。頭なでられたい。殴られたい。ぎうっとされたい。清潔じゃなくていい。むしろ清潔じゃないほうがいい。あかぎれだらけだったり、爪のあいだに泥とか入っててほしい。たとえば上記スライドショウにあったこれなんか、





もはや「キーを叩く」って体じゃないとおもいます。押さえつけてねじ伏せて拉ぎ倒す。相手がタイプライターでも力加減なんかいっさいせん。それがにいさんクオリティ。だもんですから、





そんな手でぎうっとされたこのときの劉燁さんは、いかばかりの気分を味わったのだろうかと。
思いはいつもそこへ着地し、そして妄想の旅路へとたゆたっていくのでありました。





表題は1978年午年が生んだ天才のこの名曲から。
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| 12:14 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(4) | - |
desperately chasing LAN YU ──『藍宇』其の弐拾壱
ぺきんへ行きたしと思へどもぺきんはあまりに遠し。
遠いことも遠いんだが、ほいほい中国へ出掛けてなどゆけぬ、ミゼラブルな身の上のわたしでありました。
せめてはお金かかんない妄想に溺れて気ままなる旅にいでてみん。


いわゆる「聖地巡礼」なるもの。
『藍宇』についてそれをやってみようというときにとっかかりになるのは、映画のエンドロールに「特別感謝」として掲げられている以下のクレジットです。

北京友誼賓館(Beijing Friendship Hotel)
北京華北大飯店(Beijing Huabei Hotel)
北京碧水庄園(Beijing Green Rivers Manor)
北京巴那那娯楽有限公司(Club Banana, Beijing)
北京巴黎春天婚紗店(Paris Spring Bride Plaza, Beijing)


陳捍東と林静平が結婚写真を撮った写真館が北京巴黎春天婚紗店で、冒頭に登場する撞球場のあるクラブが北京巴那那娯楽有限公司でしょうか。北京碧水庄園は、「藍宇的北歐」様によれば、捍東が藍宇に買ってあげたおうちのあるエリアだそうです。
ホテルの名前がふたつありますが、捍東が住んでいた、そして藍宇が童貞喪失した昭和のラブホ臭いあのホテルはどちらなのかといえば、おなじく「藍宇的北歐」様によりますと、北京華北大飯店のほうだということです。
北京友誼賓館がどこに登場してるんだかはよくわかんない。削除された捍東と静平のバブリーな新婚さん場面かもしれません。)


北京華北大飯店、調べてみますと「大飯店」じゃなくって「北京華北大酒店」という名称のようでした。





撮影に使われた客室は、何階の何号室なのでしょう。
捍東の気持ちをつかむために胡軍さんが実際にひと晩をそこで過ごしたという、あの部屋は。

もうみられなくなってしまっている『藍宇』公式サイトで、『藍色宇宙』には収められていない、ごく短いメイキング映像が公開されていました。
捍東、あるいは藍宇の視線をなぞるように、うすぐらいホテルの廊下をさまようキャメラ。
映しだされては消える、いくつかの部屋のナンバープレート。
最後に出てくるのがこれでした。





4011号室。
4階の11号室。
そこなんでしょうか。
確たる証拠はなにもありませんが。
ミゼラブルな身の上のわたしがまかりまちがって北京に行けたとして、このホテルの4011号室の前に立って扉を叩けば、
そしてまんがいち、扉が開かれてしまったなら、
1988年のあの夏の夜にもう一度、「戻って」いけるんでしょうか。



ああ行きたいなあ。
そしたらもう死んでもいいかもしれないです。



これはまあ「聖地」ではないんですけれど。
検索していたら、「藍宇」を名前に掲げているホテルをふたつ見つけました。
ひとつは天津にある天津藍宇賓館
もうひとつは内モンゴル自治区巴彦淖爾(バヤンノール)市にある臨河藍宇飯店
「藍宇」というのは自分にとってはわすれがたく特別な名ですが、ホテルの名称に使われるくらい、中国では普遍的な表現なのかもしれません。北京にすらゆけないのに天津とか内モンゴル自治区巴彦淖爾市とか無理。とおもいますがでも、もしも訪れる機会に恵まれたならやっぱり泊まってみたいです。
| 17:21 | 藍迷。 | comments(4) | - |
田家の三兄弟。
劉燁さんの、ニューなドラマのお仕事が発表になってます。→





タイトルは『火线三兄弟』、訳すと「最前線の三兄弟」てなことでしょうか。抗日ものだそうです。抗日ものかあ。あんまし嬉しくねえです。が、そこらへんの抗日ものと一緒にしてもらっちゃあ困るよ的なドラマになるらしい。タイトルどおり3人兄弟のお話で、演じているのは張涵予・劉燁・黄渤という金馬奨影帝トリオ。
張涵予さんは『戦場のレクイエム』で胡軍さんと共演、『孫文の義士団』では閻ちゃん@胡軍さんに命を狙われる孫文だったおかたです。
黄渤さんは、『レジェンド・オブ・フィスト─怒りの鉄拳─』で、「ホアン警部」というコミカルかつ情味のあるキャラクターを飄々と好演して、たいそう素敵でした。
そんなおふたりとの共演。個人的にすごく嬉しいです。

張涵予さんが長兄の田大林を、黄渤さんが末っ子の田三林を演じ、劉燁さんはまんなかの「田二林」という人物を演じます。老三じゃなくて老二、長男坊じゃなくて次男坊です。満を持してわんこがわんこを。いやもちろんちがいます。リンク先の記事によれば田二林は、

「単純善良的英俊男人」

だそうです。単純ないいやつってことですねわかりやすい。しかも「英俊男人」。デフォルトでハ ン サ ム設定です。まあ。ハンサムだなんてそんな、どうしましょう。どうもありがとうございます。スチルを見たらなんか縞柄のお着物着てるっぽいのですが、







上記リンク先の情報をざっくり要約すると、料理の才能をレジスタンスのおっさんに認められて日本料理屋に板前に化けてもぐりこみ、同胞からこの売国奴野郎と誹られつつ諜報活動をし、何度もあぶない目に遭うんだが生来のハンサムなのでおかみさんや女給さんにすっかりかわいがられ、女に助けられていくたびも虎口を脱しながら、やがて強い理念をもつ革命闘士に成長していく──的なことで合っていますでしょうか。

ひとことでいえば「艶福家」ですか。三銃士でいえばアラミス的立ち位置です。アラミス的キャラを劉燁さんが演じる。似合ってる似合ってないとかこの際考えたくありません。それ以前にいろいろ楽しみすぎて死にそうだもう。
に、してもこの縞柄のお着物。
劉燁さんがお召しになると料理屋の板前つうよりか上野広小路あたりの丁稚小僧さんのようでかわいらしい。
そんなおぼこいたたずまいで女のひとのハートをわしづかみ。油断も隙も無い。


【追記】
御本人様微博にセット写真らしきものが載ってたんですがこれどこの居酒屋。




時代考証的にびみょうどころじゃなくまつがっているっぽい気が……楽しみすぎて死にそう(笑)。
| 20:11 | 三兄弟×厨子戏子痞子/厨戏痞。 | comments(4) | - |
ウエルカムトゥトーキョー。
あれは去年の六月のことじゃった。
生まれてはじめて「映画のエキストラ」ちうもんを、体験したんじゃったのお。
なぜかおじいさんになってしまいました。そのくらい、もはや昔のことのようにおもわれるそんな顛末→


個人的にはづかしい追憶満載映画『初到東京/東京へ来たばかり』ですが。
きたる3月、中国全土公開が決定したそうです。浦川留さんのブログで教えていただきました。日本公開日程はまだ発表になっておらないようですが、そして公開されても上述のような事情なので劇場で観るのがかなりこっぱずかしい。こそこそ劇場に行ってこそこそ観てこそこそ帰ってこようと思ってます。




浴衣を着た秦昊さんがなんだか祗園祭の稚児さんみたいなおぼこさです。自分が実際に目撃したのもだいたいこんなかんじのひとでした。左っ側のちんぴら的なひとは『南京!南京!』の中泉英雄さん。一時は「安藤政信が出てる!?」と噂になっていましたが、中泉さんを安藤さんと見間違えたものとおもわれます。




そして、明敏な奥さんならもうお気づきですわね。
カプセルホテルで秦昊さんと向き合って碁を打っているロマンスグレイの殿方は、小市慢太郎さんであらしゃいますよ。
ロケ場所着いて、いきなり倍賞智恵子さんを至近からお見上げたときはそのあまりの神々しさとすずやかな佇まいのうつくしさに腰がぬけかけましたが室内ロケじゃあ奥さん、なんと小市マンと同じ場面に映っちゃったのよちんぴらエキストラのこのあたしがっ。
それが、ある意味最高のギャラです。(ロケ弁もおいちかったです)


ちなみに自分が参加した日は、地元ィ横浜のこちらでの撮影でした。館内にはひっそりと、こんな素敵な階段もあります。




| 12:05 | 電影瑣聞。 | comments(6) | - |
blanc et noir・quatorzième──attente fiévreuse
年頭早々縁起でも無いことを書いたせいでばちがあたって風邪をひきまして、とうとうお熱が出てしまいました。
いえちがう。
単純に昨年の師走がいろいろ押し詰まりすぎてたせいだ。
仕事吉井和哉@新木場STUDIO COAST仕事仕事吉井城ホール呑み仕事吉井武道館呑みCOUNTDOWN JAPAN11/12呑み帰省呑み呑み仕事。「いろいろ」つっても仕事とライヴと酒しかありません。そしてお部屋の片づけとかはぜんぜん無い。そんな人生ですが今年もよろしくお願いします。


ひとりで熱を出して寝ているとむやみとさびしくなって、ろくでもないことしか考えません。年明けにメールのお返事で触れた『画魂』のことが頭から離れず、うっかり26話をリピートしちゃってますますお熱が上がったりしました。『画魂』、とくに26話ですが、『藍宇』でついに果たされることの無かった叶わぬ夢の残り香みたいな趣が、其処此処に漂っています。涙ぐんだりウットリしたりデレデレしたり、感情方面がなにかと藍色宇宙にすべっちゃってたいへんなことになってしまいます。たとえば潘贊化の熱を測るときの田守信のしぐさとか。






手のひらじゃなくて、手の甲でひたいに触れる。
然り気無くてきれいで、馴染みの無い相手にすっとできるしぐさともおもえない。どこか性的なかんじで、ずきずきしちゃう。でもこれって理に適っているんだそうです。手のひらは温度を吸収するのが早くてあったまりやすい。甲でさわったほうが、相手に熱があるのかどうかがはっきりわかるんだって。

きれいに骨っぽいあの手でお熱を測ってもらう。
ひたいの上をひんやりと微風がとおりすぎていくみたいで、随分気持ちが良いだろう。

熱を出すとむやみとさびしくなるというのはほんとうみたいです。
恋仇であるはずの守信に、なにやらおもうぞんぶんあまったれている贊化。
しょうがねえなおっさんと思いながらも、きまじめに気遣ってあげる守信。
守信にむかって贊化がもらす一言は、とても普遍的な本音かと思います。








「もう少し」しか留まれないことがわかっている場所だから、ささやかな光だから、からだや心にあたたかく沁みとおるお薬になって、もう一度、もといたところへ戻っていける。
病むこと、それそのものが癒しになるというのも不思議なことです。
という次第でからだのお熱は下がっても心はますます平熱を保てそうになく。でもそれでバランスがとれてるんでしょう。今年もすみません胡軍さん劉燁さん。
| 15:20 | blanc et noir | comments(4) | - |
なにもない世界でながいくちづけを。──『藍宇』其の弐拾
終末論者によれば、2012年に世界は終わるんだそうです。


ノストラダムスどストライク世代なもんですから、1999年から先の世界なんてものはそもそも想定しておりません。
2001年にザ・イエロー・モンキーが活動休止して結局はそのまま解散に至った、そのことのほうがよほど恐怖の大王でした。
ある意味そのあとは、「なげえ余生だな」ってかんじです。世界が終わっても終わんなくっても、もうどっちだって良いんだ。そんなことよりいち重篤『藍宇』病者が着目すべきは、世界の終わり或いは世界の「いちから出直し」の期日が、「2012年12月22日冬至」に設定されているという事実。『藍宇』が完成した11年目の、よりにもよって冬至という、わすれがたいその日に。


まあこんなもんはただの偶然です。
ただの偶然ですが、ただの偶然をただの偶然で終わらせないというのが我ながらこまったところです。
『藍宇』に出逢ったことが私たちの宿命ですから。
『藍宇』を愛してしまったすべてのひとたちに舞い降りる偶然はいつか、かならずきっとそうなること、すなわち「必然」というものに変わります。
そうなることをただ一途に信じています。


映画『藍宇』において、藍宇が世を去った日がいつなのかというのははっきり設定されていません。
登場人物の服装や風景から、冬であることだけは確か。
たとえば陳捍東と再会した1988年、そのきっちり10年のちの同じ冬至の日に、あらかじめきめられていた約束のように藍宇が、あらわれたときと同様に、なにもない世界にひとりで還っていった──ってことだったら良いのに、なんて夢想してみたりもします。
『藍宇』的世界においてはいたるところに合わせ鏡のようにシンメトリーな事象が多々仕掛けられているので、それもあながち、私個人の夢想では終わらないのかも知れません。


ともあれ冬至という死にもっとも近い日は、なにかが終わりなにかがはじまるそのとば口になることは間違いがありません。
陳捍東にマフラーを巻いてもらって、あたたかい庇護の翼でくるみこまれた藍宇は、10年ののちにはマフラーも、手袋さえも、もう身に着けていない。
凍える戸外で、白い息を吐いて、顔を上げて、雪のなかに立って、ぱかぁんと笑っています。
時を置かず彼は死ぬ。陳捍東にはじめて抱かれたときのように身ひとつの裸のままで死んでいく。


なんにもないところから生まれて、
なんにもないところへ還る。


私たちもそうなのだと思います。藍宇がそうであったように。陳捍東もそうであるように。
世界が終わっても、其方此方に刻まれた時間の言葉と記憶の欠片、それらが放つかがやきをよすがに、またいつかきっと逢いましょう。








many thanks to:
“NAI”, performed by THE YELLOW MONKEY
“時間の言葉”, performed by SCANCH
| 20:08 | 藍迷。 | comments(4) | - |
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