蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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毘沙門天も御照覧あれ。
電視劇では自分の声ですら血も涙も無く吹き替えられてしまいがちなふびんな劉燁さんなのに、このたびはなんと、『大閙天宮3D』で初アフレコに挑戦なすったそうでございます。
(関連記事はこちら→


『大閙天宮』ときいて、甄子丹が孫悟空、周潤發が玉帝を演じてる『大閙天宮/The Monkey King』なのかッ!?と思ったらそうじゃなく、1964年に制作された中国アニメーションの3Dリメイクのほうだそうです。ちょっと混乱しました。

『西遊記』の頭のほうに出てくる「大閙天宮(だいどうてんきゅう)」は京劇の演目にもなっていて、

天帝は、下界の暴れ者である孫悟空を丸めこむため、彼に「斉天大聖」(天と同格)の称号を与える、と甘い言葉で騙す。その後、西王母が蟠桃会(ばんとうかい)を開いたとき、悟空は招かれなかった。彼は真相に気付いて怒り、天上界に忍び込み、神々の桃や酒や仙薬を盗み食いしてうさを晴らしたあと、下界に帰った。天帝は天将天兵を下界に攻め込ませるが、悟空はこれを撃退する。「京劇城」

というおなじみのお話です。
劉燁さんが声を当てられたのは哪吒(なた)太子のお父さま、托塔李(たくとうり)天王。
日本でいえば毘沙門天さまにあたります。

どっひゃあ。

7月に「空海と密教美術」展を東博へ観に行って、そのあと「東寺の兜跋毘沙門天さまは『硬漢』の劉燁さんにちょっと似てるとおもいます」的なお話をしていたんでしたがまさかほんものを演じてくださるなんて。だぁれもいないとおもっていてもどこかでどこかで言霊さまが、やっぱり見てないようで見てらっしゃるのですね……。

それにしたって「嘶吼了四五个小时」てどんだけがんばったんでしょうか。
そんな、ぜっさんアフレコちうのりういえおにいさん。




わあああダッフル!!!

私が陳捍東だったらば藍宇にはぜったいぜったい濃藍か深緋のダッフルコート着せちゃうのに、といつも(ちょっとくちおしく)思ってました。
こんな油断しきっためがねショットなくせしてまさかの萌えアイテム・ダッフル。
卑怯にもほどがありました。
| 10:53 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(6) | - |
愛してその悪を知り、憎んでその善を知る。──『新少林寺/SHAOLIN』




中華民国初年(1912年)、辛亥革命によって清王朝が倒れたものの、西洋の国内侵食や戦乱で国土は荒れ果て、軍人たちによる私利私欲の争いが繰り広げられていた。その中に身を置いていた一人の将軍が、部下に裏切られ、最愛の一人娘を失ったことで少林寺に入門し、やがて自らの身を投げ出して、戦乱に巻き込まれ抑圧された民衆を救おうと軍閥の脅威に立ち向かった……。



喜怒哀楽すべての感情があまねく動員され、それらが随所でふつふつと滾る──というのがエンターテインメントの要件だとすればこれは正しくエンターテインメント、であります。難しいことなどなにもいわないし思わせ振りな目配せも無い。委細構わず悪は悪として突き抜け善はどこまでも善であろうとする。関わり方はどうあれひととひととの絆が濃く重く熱い。火薬と血糊の量がそれはそれは半端無くて、当然乍らばたばたと人が死ぬ。清廉な坊さんだろうが罪も無い子どもだろうが漏れなく命を落とす。悪いひともやさしいひともすべて燃えてしまう。喪失という為す術の無さをみつめていると、ファンタジーと割り切っていても痛い。


数多の死と数多の破壊は、ひとえに主人公候杰(劉臆據織▲鵐妊・ラウ)ひとりの業によって少林寺へともたらされる。己の野望のためなら人の命など顧みない候杰が瀕死の愛娘を救ってくれと、かつて自分が血で穢した少林寺へ駆け込む場面で訶梨帝母(鬼子母神)の話が過ぎった。千人の子をもちながら他人の子を殺しては喰っていた訶梨帝母が、最愛の末っ子を仏に隠されて悲嘆にくれる。
「汝は千人のうちただ一子を失うだけでも悲しんでいる。我が子を汝に喰われた親の胸中を思え」
と仏に説かれ、訶梨帝母は改心し仏道に帰依する。候杰も少林寺での修行を経て訶梨帝母同様に「改心」をするのだが、まだそこに到らない彼は目の前の娘の死をうけいれられない。なにがなんでも娘を助けろ助けてくんなきゃおまえらみんなぶっ殺してやると方丈(于海)にくってかかり、「わからないの!? もう死んでる!!」と妻・顔夕(范冰冰)に張り倒される。

パンフレットに范冰冰のインタヴューが載っていてそれには

「なりふり構わず演じました」

という素敵なタイトルがついている。事実、范冰冰にとどまらずなりふり構ってるひとがだれもいなかった。なりふり構いがちな日常を生きているからせめてフィクションにおいてはなりふり構ってない人間の姿をみたい。いくらどれだけなりふり構ってなかろうと、優れた役者の肉体を通せば映画という虚構のなかのそれはとても美しい景色。劉臆擇砒冰冰もいわずもがな成龍も、登場する役者は皆良い仕事してる。しかし煩悩と欲望に素直になればここはやっぱり曹蛮を演じた謝霆鋒(ニコラス・ツェー)のなりふり構わなさに尽きる。





陳木勝の監督作品は『香港国際警察/NEW POLICE STORY』『インビジブル・ターゲット』『コネクテッド』と観てきてこれが4作目。呉彦祖、呉京、劉燁と、かわいこちゃんで売ってきた役者を血も涙も無い極悪人に仕立てあげるというのが陳木勝監督のお好みらしい。謝霆鋒のインタヴューには、

「悪役をやってくれないかという話で、監督はとても申し訳なさそうだった」

とある。『コネクテッド』で劉燁にオファーしたときもそんなかんじだったそうだけど(「これまでのイメージとかけ離れた悪役を演ってもらえるか心配だった」)、どっか間が抜けてて詰めが甘いあのお嬢様ときたらほんとうに愛らしかったよなあとあらためて劉燁がいとおしい、それくらい曹蛮=謝霆鋒はなりふり構ってないし血も涙も無さすぎにもほどがある。「徹底した悪役は初めて」ということはつまり『PROMISE 無極』の北の公爵・無歓は悪役としては甘さが勝ちすぎてたってことか。とはいえ曹蛮と無歓はよく似ている。ノーブルで頭が良くて並外れた身体能力と美しい容姿をもちながら、それでも絶対に越えられない存在に常に負けを強いられつづける。『無極』なら光明、本作なら候杰。無歓は光明に黒衣を着せ奴隷として跪かせたいと願っていた。曹蛮は候杰のために作った豪奢な龍袍をみずから纏って彼と闘う。





口に出せない愛と憧憬が凝った挙げ句の憎悪。
曹蛮が憑かれたようにくりかえす殺戮も破壊も、流される血も炸裂する炎も、なにもかもが候杰そのひとへの「愛している」にみえてくる。オーヴァードライヴした愛がすべてを破壊しつくしたあとで、愛して愛して愛して、憎んで憎んで憎みきった相手に命懸けて許され救われる。居た堪れない。それでも生きていかざるを得ない。ひとりの身に負うには重すぎる、しかしひとりの身を以て償うほかはない罪業。それを背負った曹蛮が蹌踉と辿る道は真の「救い」へと続いているのか。
そして業火につつまれる少林寺をあとに、成龍演ずる悟道(これもまた象徴的な名)がひとびとを率いて辿る道もまた。

ほんとうに唐突に、少林寺が燃えてしまいますといって泣く少年僧たちに、慶応4年8月23日、飯盛山から若松城を望んだ白虎隊士たちが重なって見えてしまった。そしたらもうだめで、2011年3月11日からこの国で始まった「殺戮と破壊」に思い馳せてしまった。この映画がクランクアップしたのは2010年5月なのだから因果関係はなにひとつ無い。わかっていても、愛するひとを喪い、慣れ親しんだ家や土地にもはや戻れないひとたちの辿る道にやはり思い馳せてしまった。少なくともあの日からしばらくのあいだ、私たちはなりふり構わぬ日々を生きていた。8ヵ月経てばふたたび「なりふり構う」日常へと戻っている。しかしいまも、これからも、なりふり構わぬ生を余儀無くされるひとびとはすぐ近くに、確かにいる。彼らの辿る道と私の辿る道は、異なる軌跡を描いていても、いずれひとつに重なってゆく。愛憎と善悪の綾なす無明のなか、ひとひとりがひとりぶんだけの重さを肩に受けとめて、償いながら、謝罪しながら、祈りながら、歩みを進めていく。道の果てに煌々とかがやく未来は無くても、あしもとを照らす仄かな光、そのあかるさだけ携えて歩みを進めていく。
存外、それで良いような気もした。
| 15:01 | 電影感想文。 | comments(6) | - |
躍動の新作アジア映画特集「サスペンス&アクション篇」。




池袋・新文芸坐にて今週からスタートです。
「サスペンス&アクション篇」てことは、「そうじゃない篇」の企画もこのあとあるってことなんでしょうか。ちょっと気になるところです。ラインナップと上映スケジュールは以下のとおり。

●11月23日(水)・24日(木)
イップ・マン 序章
10:05/14:20/18:30

イップ・マン 葉問
12:15/16:30/20:40(終映22:30)

●11月25日(金)・26日(土)
生き残るための3つの取引
25日……12:50/17:50 26日……12:25/17:20

モンガに散る
25日……10:15/15:15/20:10(終映22:30) 26日……9:50/14:45/19:35(終映21:55)

●11月27日(日)・28日(月)
レイン・オブ・アサシン
12:50/17:45

孫文の義士団
10:15/15:15/20:10(終映22:25)

●11月29日(火)・30日(水)
MAD探偵 7人の容疑者
10:55/14:55/18:50

冷たい雨に撃て、約束の銃弾を
12:50/16:50/20:40(終映22:25)

詳細→


『イップ・マン 序章』はぜひとももう一度劇場で観たかったのですが、仕事で身動きとれないことが昨日確定してしまいました……。
『孫文の義士団』は行けそうだから『孫文』『密告・者』『新少林寺』三本立て魅惑のニコさんまつり敢行〜とか浮かれていたら武蔵野館での『密告・者』の上映早くも終わっとりました号泣……。
| 15:00 | 電影瑣聞。 | comments(2) | - |
吊胃口。
十月あたまのことですが
モンゴル帝国第五代皇帝フビライの
非常美麗的造型が





流出しましたがそれは正しく

ぽろり

というかなにか迂闊なことだったらしく。
そのあと焦らしにじらして
漸うフビライ様降臨とおもえばこんな





シルエットロマンスだし。
かっこいいのはわかるがかっこいいしかわからないという
複雑な迷心でした。

昨日は昨日でこんな






もはやいじめの範疇的な
どSないたぶりをなすってみたり。
むじなの蕎麦屋じゃないんですから胡軍さん。

だけど傍らのお馬さんが
馬にしてはアツすぎるラブビーム出して
なにかウットリなかんじでご主人様をみつめておるので
やっぱりきっと馬も惚れるほどの非常美麗的造型
ってことでまちがいがないのであろう。


焦らされるのも迷冥利。
お待ち申し上げておりまする。



●下2点のお写真は、ご本人様の微博より。

●フビライ・ハーンのいろんな肖像画像をまとめてくださってるかたがいました。→
前髪が焼きのりみたいだよフビライ様……。
髪形方面はリアリズムにこだわってくださらなくてもぜんぜんいいですからスタッフさん!

| 11:33 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(6) | - |
酷。
先週火星が乙女座に来やがって
なんかもう仕事が
洒落にならないかんじになってきまして、

心身ともに絶賛疲弊中

ですが
たまたま出逢った劉燁さんがきれいだったから、
ふっかぁつ!(げんきん


辛亥革命100周年だからかしらこのスタイルは。
しかし
中山装もなかなかお似合いなのであった。








こっちは『神槍手』のスチルかな。
うわっぱりがなんかちょっとわんこくさい。
もふりたい。





お写真はデザイナー/フォトグラファー王博師の微博より。
| 20:01 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(2) | - |
墓碑銘は青春。──『中国共産党を作った13人』譚璐美(新潮社)



一九二一(大正十)年七月二十三日、上海の高級住宅に十三人の中国人青年が集まった。そこで行われた会合こそ、中国で「歴史的壮挙」とされる、中国共産党第一回全国代表大会である。欧米列強に蹂躙された国土を取り戻すために命を懸け、過酷な運命に翻弄された十三人。彼らの青春群像を丁寧にたどっていくと、従来、中国共産党が意図的に軽んじてきた、党創設にまつわる日本の影響が浮かび上がってくる。




どうやら『建党偉業/赤い星の生まれ』という映画が不憫でたまらぬようなのです。


10月に日本・中国映画週間でめでたく公開されたものの劇場に足を運んだかたはごく僅かで、感想を書いているかたとなるとさらに僅かで、まとめればほぼスルーという体で。テーマがテーマなのでスルーされても仕方が無いのかも。感想文ふたつも書いてまだ足らなくてこんな本に手を出しているわたしはちょっと変なのかしらこんなにすきだなんてby藍宇。


「中国共産党」がすきってんじゃなく、ひとつの集団がはじまって終わりに至る、その過程を俯瞰することがすき。
志を同じうするものたちが出会い、志を遂げるためにひとつの集団を作る。
集団のはじまりには夢とか希望とか理想とか、頬火照らせたやむにやまれぬ思いしかない。
集団を作ってみてはじめて「志を同じうする」ことの難しさを彼らは知る。齟齬、批判、反目、失望、離反。集団は、あるいは瓦解しあるいは分派して、分派した集団同士が更に反目を繰り返したりして、どちらかがどちらかを滅して、そして集団はそもそものはじまりからはるか隔たったところで老いてゆく。


昔から新選組というものにみょうに肩入れしてしまうんだけどそれもやっぱり上記のような理由に因る。
上洛する将軍家茂警護という名目で募られた浪士組のうち、京に残った14人が独自に作った集団が新選組というものである。会津藩という後援者を得て、やがて集団に規律が生まれ、規律に染まぬものが出て、讒言とか粛清とか逃亡とか闘死とか病死とか刑死とかいろいろあって14人はひとりずついなくなり、最後に残ったひとりが明治になって蝦夷で死んでそして誰もいなくなって、新選組はそこで終わった。

1863年に14人ではじまった新選組は「江戸」と心中する体で終焉を迎えた。
1921年に13人ではじまった中国共産党は、13人すべてがこの世を去ったいまも終わってはいない。

『建党偉業』は中国共産党建党90年を寿ぐために作られた映画だが、党の本格的な活動についてはいっさい語らない。民国初期の軍閥同士のすったもんだに(そればっかりじゃないけれど)やたら時間を費やして、最後の最後で1921年夏におこなわれた第1回全国代表大会の様子をあっさり描いて終わる。「建党」という「偉業」を成し遂げたのは以下の13人。


上海代表──李漢俊(31)、李達(32)
北京代表──張国燾(24)、劉仁静(19)
済南代表──王尽美(23)、鄧恩明(20)
長沙代表──毛沢東(28)、何叔衡(45)
武漢代表──董必武(35)、陳潭秋(25)
広東代表──陳公博(31)、包恵僧(26)
日本代表──周佛海(24)

( )内は1921年当時の年齢。


上海フランス租界の高級住宅に彼らが集い、中国共産党が誕生した。誕生するにあたっては13人それぞれが思いの丈を吐露したり、論を交わしたり、さぞや熱いことがあったのだろうが映画にそういう場面は無い。不思議なほど静謐に美しく13人がまとまって、霧の湖(浙江省の南湖)をゆく船の上で“インターナショナル”歌って、なんだか幻想的なかんじで終わる。ハッピーエンディング(いちおう)にしなきゃなんない党事情というのもあるんでしょうけど「ほんとのところ」はどうだったのかしら。血の気の多そうな若い衆が集まったちっちゃい集団なのだもの、それなりに血の気の多い事態だってあったはずだわ。

と思って読んでみたのが本書、『中国共産党を作った13人』
「13人」とまとめてしまうと見えなくなるひとりひとりの「顔」を、新書というボリュームの許す限りで丁寧に描出していてすごくおもしろい。
思慮深かったりお先っぱしりだったり性格悪かったり態度でかかったり見栄っぱりだったり上海で知り合った女の子との恋愛に夢中だったり嫁連れて上海観光気分だったり。そんなひとらが集まっているのでやっぱり映画とちがって血の気の多い事態は多々あったのだった。1日目、2日目は和やかな雰囲気で進行していたのが3日目から剣呑なかんじになる。「マルクス主義学説に関心をもつ」学究派(李漢俊・李達・陳公博・周佛海)と、「革命も労働運動もまだ知らず、理屈だけで割り切ろうとする」過激派(張国燾・劉仁静)との対立がだんだん激しくなってきて、二派に分かれてわあわあやりあいだす。
なかでも張国燾(ついついヂャンコクトォと読んでしまうんですが)の俺様っぷりが相当なもんだったらしい。彼の自伝(『我的回想』)とかも引用されてるんだけど自分のことは誇大にふかすがほかのひとらについては糞味噌である。映画じゃ上海で毛沢東と再会したとき「潤之にいさん。また会えて嬉しいよ」とかかわいいことを言ってたくせに、

「毛沢東は湖南の田舎臭さが抜けず、まあまあ活発な世間知らずの生っ白いインテリといったところだ」

とか書いている。のちの張国燾と毛沢東との主導権争いについて、「おそらくこの初対面のときの小馬鹿にしたような印象が、ずっと心に深く刻み込まれていたのではないだろうか」と著者はいう。ちなみに毛沢東の中のひとが内モンゴル自治区を舞台にした刑事ドラマで熱血ぼっちゃん刑事だったとき、張国燾の中のひとはぼっちゃん刑事の弟分みたいな立ち位置でパシられていた。さらに李達の中のひとはぼっちゃん刑事に目の敵にされてことあるごとにぼこられるちんぴらだった。張国燾と李達の現実を思い合わせると、なんだかしみじみしてしまうなあ……。

んで、みんながわあわあしてるあいだに毛沢東はなにしてたかっていうと

「ずっと黙りこくったまま、首を掻いたりしながら独りで考えにふけり、他人の目を気にしなかった」
「毛沢東は発言が極端に少なく、存在感もかなり薄かった」

『建党偉業』の毛沢東がある意味姫ポジションでなーんにもしないで百合背負ってかわいらしくしてるだけ、ってのはある意味史実通りということなのだった。
そして1949年10月1日、中華人民共和国成立が宣言された日、天安門上から広場に集まった30万の人民を眺めおろしたのは、なんにも言ってなかった毛沢東なのだった。

13人のなかで毛沢東と董必武のふたりだけが、その栄光の日、天安門にのぼることができた。ほかの11人は死んだり、生きて不遇を託ったりしていた。本書の最後のほうで彼らの末路が語られる。

上海代表──李漢俊(37・殺害)、李達(76・文革で迫害死)
北京代表──張国燾(82・老衰死)、劉仁静(85・事故死)
済南代表──王尽美(27・病死)、鄧恩明(31・殺害)
長沙代表──毛沢東(83・病死)、何叔衡(59・殺害)
武漢代表──董必武(89・病死)、陳潭秋(47・獄中で殺害)
広東代表──陳公博(56・刑死)、包恵僧(84・病死)
日本代表──周佛海(51・獄死)

( )内は死亡年齢と死因。


たとえそれが現代に生きる私たちから見れば、ただの「絵に描いた餅」であり、幼稚な考えのように映ったとしても、若さとエネルギーに溢れ、理想に燃えた頭でっかちの若者たちは、輝かしい未来へ続くと信じた道を一途に突き進むほかなかったのである。



新選組と中国共産党とでは国も時代も目的も規模もちがうが、どちらもそのはじまりには、
「自分たちの国をどうにかしたい」
という思いがあった。
そもそもはそういう旗の下に集ったはずなのに、というか集ってみた結果、おのおのの奉ずる旗が必ずしも同じではないこと、色やかたちが微妙に異なっているらしいことが見えてしまう。
見えて、そのあとの顛末は、まとめれば「いろいろあった」ってことになるんだろうけれど。
13人ひとりひとりのその「いろいろ」に思い馳せて、ちょっと空を見上げたいきもちになる。



ホテルの隣の部屋で殺人事件があって陳公博がびびって帰っちゃったので、ここにいるのは12人。
| 13:05 | 瑣屑。 | comments(0) | - |
ラヴい2頭──番外。
本件についてはミクシでつぶやいてみたりもしたけれど、なんかむしろこっちと無関係じゃあるまいというかんじがしたので。ご存じのかたも多いかろうと思いますが。


カナダで飼育の同性カップルペンギン、繁殖のため隔離へ

カナダのトロント動物園で飼育されているオスのペンギン2羽が、同性のつがいになっていることを示す行動を見せているため、当面隔離されることになった。
隔離されるのは、絶滅危惧種に指定されているケープペンギンの「ペドロ」と「バディー」。動物園は、2羽とも繁殖活動のためメスとつがいを組ませるとしている。
動物園によると、ペドロとバディーはメスとの交尾後に再会できるという。

ロイター






「隔離」の意味がよくわかんないな。
なんで第三者に「繁殖活動」を強要されるのかわかんない。
「交尾後に再会できる」ことにどういう意図を含ませているのかも、ぜんぜんわかんない。

どうも私はちょっと怒っているのだろうか。この画像のこの瞬間だけでどうしてだめなのかと思う。絶滅危惧種というのが前提にあるんだろうということぐらいはまあわかる。たまたま絶滅危惧種に生まれたら繁殖が恋情に優先する事項になるということになると、もうわかんない。
だって全部人間の都合じゃないの。
私自身はケープペンギンじゃないので、ケープペンギンの感情とか感情に基づくケープペンギンの行動とかがいかようなものか、ますますわかんない。恋情にみえるけど恋情じゃないのかもしれない。恋情と読みたい人間が読みたいように読んでいるのかもしれない。報道なんか恣意的なものだし、書き手の恣意が私の恣意とうまいぐあいに合致しただけなのかもしれない。


ただなんか、いわくいいがたくいやなの。
繁殖が恋情にまさるということが。
恋情など繁殖に劣ると思ってるひともどうもこの世界にはいる、ということが。
繁殖という目的さえ果たせば「あとは愛だろうが恋だろうがすきにやっていいよ」みたいなかんじも。


なんだろうこのいわくいいがたいいやさというものは。
自分が繁殖に加担できる(しかし遂に加担していない)ヒトのメスだから。それはどうしようもなく否定もできずそうだから。子を成して血を繋ぐという行為から疎外されているから。愛の水圧のちがうところで愛のことばかり考えて、一代限りで滅びていく種だから。そういう種であることのなにがどう罪なのかがよくわからないから。
だからよけいに、いわくいいがたくいやだ、と思うのだろうか。



ケープペンギンでしみじみしながらつい關錦鵬監督のこのインタヴューまでも思い合わせてしまって、ちょっと申し訳無いことなんですが。
やはり『藍宇』には彼と恋人とのこうしたいきさつがどっかで響いているのだろうな。
というか、こういうことを経てきたひとだからこそ『藍宇』を、
一代限りの絶滅種の見果てぬ夢でもあり尽きせぬ希望でもあるような物語として、
あんなふうに真摯に誠実に、語ることができたんだろうな。
その真摯とその誠実にこそ、自分はこんなにも共感しているんだろうな。

なんて、思いました。
| 00:58 | 藍迷。 | comments(4) | - |
殺青了。
『王的盛宴』、正式にクランクアップしたそうです。

おめでとう。
心の底からおつかれさま。

劉邦を演じた劉燁さんも、呂后を演じた秦嵐さんも、最終日の撮影はヘヴィーな天候の下、たいそう凄まじいものだったみたいです。→

刘邦的扮演者刘烨在搭建的军寨上迎风怒吼,雨雪直接灌进刘烨的喉咙,但丝毫没有影响到台词的流畅


なんて書かれちゃったらあたしゃもうもうもう(牛






劉燁という役者を知ってから、はじめて、キャスト発表からクランクアップまでを通して見守ってこれた。
そういう作品なのですこれ。
あと、8月の『南京!南京!』上映会のときにものすっごい至近距離で陸川監督をお見上げしているもんですからそらもうますます他人事で無いの。
ああ一刻も早くみたい。
日本で公開してください。いや。公開するわ。言霊様のお力を信じてるわ。


ところでクランクアップのことを「殺青(杀青=shaqing) 」という物騒な表現をするのはどうしてなのだろう。
お茶の加熱処理のことをそう呼ぶのは知っていました。
でもなんで撮影用語に転用されるようになったのか、中文初心者なもんでよくわからない。
紙が発明されるまえ、竹簡に文字を書いていた時代に、文字を書きやすくするために生竹を割いて乾燥させることを「殺青」といったのだそうです。
辞書で「殺青」を引くと、

著作を完成する。
原稿に最後の手を入れる。

という意味が載っています。
「殺」という文字には、生命を奪って死に至らしめるという意味のほかにも、「締めくくる」という意味があるんだそう。
結局、いつ誰がこれを撮影用語に転用したのかはわかりませんが、漢字そのものの意味からは、ぼんやりと類推ができるような(由来をご存じのかたはぜひぜひご教示くださいませ)。


感覚的には「青を殺す」という字面そのものに、かなり殺られていたりもします。
| 00:01 | 王的盛宴。/項羽と劉邦 鴻門の会。 | comments(2) | - |
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