蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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你胖了。──『藍宇』其の拾七
22日に赤い星映画を観たあと、お酒をのみながら主に『藍宇』について、いろいろとお話をしたのですが。
三度目の再会のとき、藍宇の「你胖了」で陳捍東は落ちたんですよね、というblueashさんのご意見に、
「あのさー党の名前だけどー、中国共産党ってことでおk?」
と訊かれた各地区代表みたく全会一致で「同意(tongyi)!」な私でありました。


どうして陳捍東はあの場面で「你胖了」といわれて陥落するのか。
理由はよくわかるんだが言葉で伝えるのが難しい。
「大人になればわかるよ」
というのが大人の常套ならば、そういう陳腐な常套に逃げてしまいたくなるような。
(じっさい20代の初めごろに『藍宇』観ててもたぶんなにひとつわからないままだっただろうよなあ、とも思いますし)

それになんだか不思議な台詞ではある。だいいち身も蓋も無い。
「你胖了(Ni pang le)」は直訳すれば「あなたは太りました」という意味。
抱きたいと請われて藍宇は素直に捍東の腕に身を委ね、背中に這わせた手で男のからだの記憶を探りあて、すこし笑って、太ったね、という。
結婚に失敗し事業も左前という悪い目続きの捍東に、かつての傲慢なほどのかがやきはもう無い。
28歳になる藍宇ももはや若いとはいえない齢だが、捍東の庇護を離れて「ひとりで立っている」「自分の力で生活をしている」というささやかな自信が窺える。藍宇のなかにまっすぐで太い芯のようなものが生まれているのが感じられる。
見栄と世間体のために捨てた恋人が、かつての自分と同じ年齢になって、かつての自分のようにそこにいる。
逞しくなって、きれいになって、すこしおとなびて、つやつやとした笑顔をみせて、太ったね、なんていう。


なんだか皮肉のようにも同情のようにも、揶揄のようにも嘲弄のようにもきこえる。
なんにも考えず、ただ素直に零した言葉のようでもある。


しばらくぶりに会ったひとに面と向かって「太りましたね」だなんてちょっと失礼かも、というのが自分の感覚だからそういうふうに思ってしまうのだが、中国ではそうではないそうだ。
中国で仕事をする日本人ビジネスパーソン向けに、中国人のしきたりやマナー、やってはいけない行為やいってはいけない言葉なんかについてわかりやすく解説した本(ためになりました)を読んでいたら、
「太りましたね」
は礼にかなった挨拶なのであると書かれていた。
健康そうである。気持ちがゆったりとしている。豊かな生活を送っている。
そういう相手の状態を祝福していう、
「太りましたね」
なのだそうだ。
とはいえこれはあくまで旧社会以来の習慣で、いまの中国で若い女の子に「太ったね」なんていえばやっぱりプンスカされちゃうらしいが。


捍東と藍宇のあいだにこうした旧社会以来の共通言語みたいなものがあったと仮定して、その上での「你胖了」なのだとしたら。


そのまえに藍宇は捍東に、彼の離婚について訊ねている。捍東がどんなふうに話したのかはわからない(シナリオにも無い)。言葉を濁したのかもしれないし、冗談めかして、あるいは苦い思いをこめて、訥々と語ったのかもしれない。
自分を捨てて女を選び、社会的な体面を保とうとした男の3年。
破綻した婚姻がもたらした失意と不幸。
そういうことをもう藍宇は知ってしまって、知った上での「你胖了」なのだとしたら。


彼らが離れて生きた3年という歳月は、彼らどちらにとっても、「なにも悩まず、のびやかに、豊かに過ごした3年」ではなかった筈。捍東によって深い傷を負わされた藍宇が、傷を抱えながら3年を過ごして、3年前よりひとまわりもふたまわりも美しくなって、

「太ったね」

という。


あなたはなにも損なわれていないよ。
ぼくの知らない3年を、あなたはちゃんと生きてきたんだね。
あなたはきっと、しあわせだったんだね。


皮肉でも同情でも、揶揄でも嘲弄でもない。
台詞は嘘をつくけれど、藍宇という子に嘘は無い。
多くはいわず、いちばん大切なことだけを、たったひとことにこめて伝えようとする。目のまえにいるのが受けとめてくれると見込んだ相手だからこそ。


いわれた捍東はなんともいえない顔をする。
「陳捍東」というフォーマットを踏みこえて、演じる役者の感情そのものが大きく揺らぎ、なにかが崩れおちてしまったような表情をする。
理ではなく情。知ではなく肉。そういうところでつよく感応してしまうことってやっぱりあるんだと、このときの胡軍の顔をみて思った。
陳捍東と藍宇というキャラクターを「演じる」のではなく、彼らの恋そのものをリアルに生きてみろと關錦鵬が役者ふたりに課した命題が、ここで漸く果たされたのではないだろうか。
『史記』にいう「士為知己者死」の、「知己者(己を知るもの)」。藍宇にとってのそれは捍東であり、捍東にとってのそれは藍宇である。そういうことが捍東と藍宇に、そして胡軍と劉燁にも、はじめてはっきりと、蒼穹からの啓示のように伝えられた瞬間ではなかっただろうか。
そんな気さえした。


冬至の夜の「四箇月」と、ここで藍宇がいう「你胖了」。
どちらもたったの三文字で、どちらも、ひっそりと、しかし熱っぽくこめられた意味は「アイラブユー」。
最初の再会と最後の再会であるこのふたつのシーンは、『藍宇』という、数多の美しさをもつ作品のなかでも双璧だと思う。
と思うのはもちろん私ばっかりじゃございませんで。

6月終わりに『藍宇』を嫁にもらっていただいたARIESさんと二度目の赤い星映画をご一緒したときに、
『これがワタシたちのDVDベストセレクション70』(マックガーデン刊)
なる本を貸していただきまして。腰巻のハッタリ文句によれば、

友情・兄弟・ライバル…などなど
乙女のためのオトコの映画 全70タイトル レビュー&イラスト収録!

というものなのですが。
まあ、火のないところに無理やり付け火をしてでも煙を立ててみせましょうという、ちょっと腐った心意気に溢れた、ちょっと腐ったひと向けの本なのですが。数えてみたら全70タイトルのうち自分は37作品を観ており、もちろんそのなかには『藍宇』も登場します。(中華系映画ではほかに『インファナル・アフェア』『男たちの挽歌』『さらば、わが愛 覇王別姫』『ブエノスアイレス』が俎上にのっかっています)
そこで取り上げられているシーンがやっぱり「四箇月」と「你胖了」のとこで。
どなたがごらんになったところで名場面は名場面てことなのさあ、とあらためて熱くなってこんな記事書いてしまった次第でありました。




イラストレーションを描いておられるのは宮本イヌマルさん。
藍宇かわいいよ藍宇。



そしてほんものはもっとかわいいの。
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| 13:19 | 藍迷。 | comments(10) | - |
ラヴいふたり──李守常与陳仲甫。
25日火曜日、『赤い星の生まれ/建党偉業』をふたたび観ました。


そもそもこれを劇場で2回観る数奇な運命のひとっていうのもあまりいないんじゃなかろうか。
こんなもんに2回も金出すくらいだったらもっとおもしろい映画観るわバカじゃねえの。
というのが所謂映画ファンの姿勢としては正しいんじゃなかろうか。
ましてや、2回観たあげくラヴいおっさんズにますますきゅんきゅんな因果者など、ほぼ絶無なんじゃなかろうか。


そんな気がします。
でもちょっとなんかもう、己の業には逆らえないってかんじです。

以下はそんな因果者が腐った脳内で紡いだフィクションに基づく妄想の覚え書きです。現実に存在した人物には寸毫たりとも関係ございませんので怒んないでください。怒りそうだぜ、と思うかたは見ないでください(笑)。すいませんごめんなさい。
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| 14:29 | 電影感想文。 | comments(4) | trackbacks(0) |
わたしがわたしでいられる星へ。──『赤い星の生まれ/建党偉業』@2011日本・中国映画週間




1911年冬、孫文はアメリカから帰国、翌年1月1日には南京において中華民国の臨時大総統に就任する。毛沢東はこの時、光復新軍に参加。清朝の全権を握った北洋軍の袁世凱は強大な軍事力と権力で孫文から大元帥の身分を奪い、南京から北京に拠点を移し北洋軍閥政府を成立させる。同年10月国民党成立。      
 1914年夏、第一次世界大戦が勃発し、1915年、袁世凱は日本が袁世凱の帝政を支持することを条件に日本の対華二十一カ条要求を受理した。しかし、この後、1917年7月1日から12日間、張勲が清朝の廃帝・愛新覚羅溥儀の復位を図るが失敗。各地で武装蜂起が起こり、混乱した時代に突入する。袁世凱が権威を失墜させている中、毛沢東、李大釗、周恩来などは、それぞれ国を救う方法について思索し、時節の到来を待っていた。




昨年『十月圍城』に『ボディガード&アサシンズ』というやっつけ仕事な英題直訳邦題つけて苦情殺到だったのかどうなのか(苦情殺到は字幕か)、今年はちょっと頭使ってみたんだけどどう?的な要らんことをして昨年以上にすべっている『赤い星の生まれ』(いちいち書くのがはづかしいわ)こと『建党偉業』。
22日土曜日、観てきました。まず。


奥さん。字幕がまともです。


ちょっと誤字・誤用的なとことか文語チックな言い回しとかあるが、すくなくとも画面の人物の性別がよくわかんなくなるような仕事じゃありませんでした。(毛沢東は性別がよくわかんないほうがいっそかわいらしかったのだが、と思わないでもありませんでした。)
ただ、いわゆる「字幕翻訳」じゃなくて言ってることそのまま訳して詰め込んでいるかんじなので画面がぎゅうぎゅうして見づらい。字幕読んでると映画がさっぱりわからなくなってしまいます。あと、場面や年月日のキャプションとか多士済々な登場人物の名前なんかも日本語字幕化してくださっているのですが、そういうサブ的な字幕はスクリーン上方中央にちっちゃいフォントで出るのでますます見づらい。日本公開もしくは日本版DVDが出るならもうちょっと洗練されると思いますが、その見込みはほぼ無いと思う。


私はこれ、7月にDVDで観ちゃってるのですが、最初に観たときはなんだこれと思ったんだけど(おまけの紙製組み立て式えんぴつ立てのしょぼさに萎えたせいもある。萎えつつ使ってますが)、そのあと何回か観て、今回映画館で観て、ちょっと認識改まりました。


けっこうおもしろいじゃないか。


スクリーンのマジックというのがでかいんだろうと思います。
やっぱりスターさんてものはスクリーンで拝んではじめてそのパワーがわかるようにできている──というかそういうパワーを備えたひとだからこそ「スター」として選ばれるわけですよね。スターさんのスターさんたるゆえんをあじわえる、という意味では同じく中国共産党党威発揚映画『建国大業』よりずっとおもしろかった。あちらもスターさん山のように出ますが、登場して舞台横切って退場みたいなうすい印象しか残らない。『建党偉業』は断然遊びの余地がある。どのみちよこしまで腐った遊びですが、ええ。前半に出てくる袁世凱(周潤發)×蔡鍔(劉徳華)も良かったですが(オフィシャルの場にこっそり蟋蟀持ち込んで愛でてる蔡鍔に袁世凱が「わしがもっといいやつを買ってやろう」とかにじりよるあたりのすけべ心とか、蔡鍔に叛かれ凋落一途の袁世凱が手のなかで金魚を弄ぶ場面とかいろいろなにかと)、いちおしカップルはやっぱ


李大釗×陳独秀


切れるように頭がいいが直情径行でちょっとあぶなっかしい陳独秀(馮遠征)を、沈着温厚で懐の深そうな李大釗(張嘉譯)がはらはらしつつも見守って、どーんと受け止めてあげる的なテンプレ関係ですがテンプレだけにたまりません。どっちもインテリで弁が立って演説させればカリスマ。やっぱ男たるもの演説できてなんぼです。このふたりの演説場面は胸がすくほどかっこいい。なんだか自分もなんでも良いからイデオロギッシュなことを(イデオロギッシュじゃないことも)拳振り上げてでかい声で怒鳴りたくなります。上海で活動するために北京を去る陳独秀と李大釗が雪のなかで万感こめて抱きあって別れを惜しむ場面なんか、こんな国策映画でええのか自分そんなことでとちょっと始末にこまるくらいきゅんきゅんです。本作はそこまで語らないけど李大釗はあと数年で殺されちゃうんだよね……なんて思ってますますきゅんきゅん。


あ。
北京に着いたばっかでおなかぺこぺこの潤之がちょっとお行儀悪いかんじでごはんがつがつ食ってるのを、にこにこしながら見つめている李大釗は、電視劇のこっちのひとに自動置換して鑑賞させていただきました。






五四運動場面に登場する学生さんらも、みなさんけっこうええ味を出しています。役者さんのお名前わかんないんですが若いころの大高洋夫さんにちょっと似て蝶なひとだとか、『喧嘩の花道』のやべきょうすけさんにちょっと似て蝶なひとだとか、ほのかに気になりました。立場問わずまんべんなくいろんなタイプのメガネ美人が登場するので、メガネ男子萌えとしてもそれなりに収穫は大きいです。
不満をいえばやっぱり周恩来(陳坤)の使い方がじつにどうももったいない。空前絶後に美人すぎる鄧小平(韓庚)まで出してきてんのにあれだけて。ある意味詐欺。



冒頭に「中国共産党に捧ぐ」という献辞が掲げられていますが(ここで失笑を洩らす客がけっこういたが、じつに無礼だと思いました)、素人目でみてもどうもあんまり中国共産党には踏み込んでなかったような気がします。
「ああ、長い長い前振りが終わってやっとこれから中国共産党の活躍に踏み込んでくれるのね?」
ってとこでなんかなしくずしに船の上でみんなして肩組んで“インターナショナル”唱和して終わりです。

船はいったいどこへ向かったのか。
霧の向こうに希望の赤い星がほんとうに輝いていたのか。

肝心なことはなにひとつ語られずに終わる、という意味では不思議な映画かもしれません。
でも、巷間で罵られてるほどつまんなくもクソでもないと思います。
御用とお急ぎでない向きは、明日25日の上映でどうぞお確かめくださいませ。
| 12:24 | 電影感想文。 | comments(8) | trackbacks(0) |
SYAOLIN。
あっちを向いてもこっちを見ても、たくましい美坊主よりどりみどりの坊主パラダイス。
坊主男子萌えはそれだけで十二分に正気をうしないがちなのに、くわえて片目隠れ男子萌えも兼ねている自分にこの正統片目隠れ美人悪役・曹蛮様をどう処理せえというのでしょうか。





北の国の公爵様の御麗容を銀幕で拝めなかった奴隷こそが観るべき映画だわこれは。

などとふんぞりかえっていましたが(そのくせDVD未購入でゴメン)TIFF2011ではプレリザにも前売りにも完膚無き迄に袖にされてしまい@『新少林寺』
ちょっとごはんも喉とおらないくらいしょんぼりしちゃって……。
しかし捨てる神あれば拾う神ありとは、昔のひとはよう言ってくださったものです。ささやかなご縁で、このたび一般試写会の試写状をいただきました。

ほんとにほんとに有り難う御座います。(土下座

11月1日(火)、18時から虎ノ門のニッショーホールです。
試写状1枚で2名入場できるそうなのです。ご覧になりたいかたはいらっしゃいますでしょうか? 私と同行になりますが、よろしければPROFILEのメールフォームかコメント欄からご連絡下さいませ。



それにしてもざっと見渡したところ、

10月29日(土)に新宿武蔵野館で『密告・者』封切り。
11月19日(土)から『新少林寺』全国ロードショウ。
さらに11月27日(日)・28日(月)、池袋新文芸坐「躍進の新作アジア映画特集 サスペンス&アクション篇」において『孫文の義士団』再映。

謝霆鋒さんまつり敢行なかんじの2011年オータムです。
勿論全部行きたいです。
じゃまするやつはヌッコロス。
曹蛮様も予告でいろいろとヌッコロしておいでです。








そして拙Macデスクトップでもこそこそとまつり。
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| 11:44 | 電影瑣聞。 | comments(2) | - |
臨渇掘井。──『藍宇』其の拾六
物心ついたら田中角栄と周恩来が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」に調印していた。
上野にやってきたパンダちゃんに夢中になった。
母親にせがんでなんちゃって中国服を縫ってもらった。
東京に出てからは渋谷スペイン坂の『大中』1号店に通いまくった。
『男たちの挽歌』と『ラストエンペラー』から香港や中国の映画に足を突っ込んだ。
烏龍茶のCMみて太極拳の稽古を始めた。
世紀が変わったころは『九龍風水傳(クーロンズゲート)』という狂気の名作ゲームに身も心も溺れた(いま気づいたけど藍宇は小黒にちょっと似てるね)。
2009年が明けりゃ三国志本の仕事
赤壁映画で胡軍という役者を知り、そして『藍宇』を知った。


と、俯瞰してみれば自分はただの中華みーはーというものではないだろうか。
私と「中国」の関係は、そんなふうに周縁を固めながら螺旋を描きつつ、いまここに至っています。
私を「中国」へ向けて大きく動かしたのはやはり『藍宇』ということになりますが、『藍宇』によって動くための準備は、ふりかえってみればずいぶん昔から始められていたようでした。
そういう、いわば下地が無かったなら、『藍宇』観てどれだけ感銘受けたところで、「中国」そのものへ向けて舵を切ろうという衝動は覚えなかったかもしれません。
せいぜい自分内オールタイムベストムービーのランキングが変動したぐらいで、生活そのものが根刮ぎ捩れてしまう、なんつうことはありえなかったと思います。


『藍宇』は、生活も価値観も人生も、そして私という人間も(精神的にも肉体的にも)変えてしまった。
良いものも良くないものも等しく呼び込み、私を慰撫し私を傷つけ、様々な可能性を突きつけてきた。


「可能性」というとなんかこう「前向き」とか「展望」とか「あかるい未来」とか、ポジティヴな要素ばっかり詰まってるようですがけっしてそんなことはない。
ネガもポジも陰も陽も快も不快も生も死もひっくるめて、

「その事柄や事件が起こるか起こらないかが未確定である状態」

なのである。
自分がいくらどれだけがんばってみたところで「可能性」によって容易く押し潰されてだめになることだってあるし、その逆もあるのである。
同じ映画を同じように観てなにがしかの感銘を受けているのに、そういう可能性にまったくさらされずに済んでいるひともいるのはどうしてなんだろう。
道はどこで分かれるのだろうか。


展望という意味では仕事の状況がすこし変わってきまして。
中国、あるいは中国語に関連する書籍のお仕事が、この一年ほどでとみに増えました。


「臨渇掘井」は中国の成語で、「喉が渇いてから井戸を掘る(=手遅れ)」という意味。
日本では同じことを指して「泥縄」といいます。
『三国志』にまつわる本のお仕事をもらったときは、明らかに泥縄とか付け焼き刃とか火事場の馬鹿力とかそんなかんじだったですが、そこからいまに至るまでの二年は、のんでものんでも一向におさまらない渇きを癒すために闇雲に水脈探して井戸掘りまくる、そういう日々でした。
そんなことでもしつこく二年もやってりゃ、水のありかをかぎつける嗅覚と穴を掘るための筋力はそこそこ身につくのでした。
自発にせよ偶発にせよ私は私の意志で変わった。
正確にいえば、私が私の意志で変わるように『藍宇』によって変えられた。
そういうことだろうと思います。



水脈を辿った果ては、宇宙に繋がる何処かの森の深奥、しぃんと綺麗に澄みきった、浄瑠璃の空をうつす泉につながっている。
そういうことがわかったので、というか疾うにわかっていたはずなので、だからもうそのほかのなにものも私は必要としません。
だれもがそうであるように、私が求める水脈も、私にしか見つけられません。
かたい土にスコップを突き刺して、井戸を掘ります。
犀の角のようにひとりになって、ただ井戸を掘ります。









| 21:46 | 藍迷。 | comments(2) | - |
前夜的慶祝活動?
テレビでのオンエアについてはまめに情報収集してないものですから、ていうかほとんどしてないものですから、ぼへっとしてたら放映日過ぎちゃって、「え。『無極』放映しとったの? エェェェェ…」みたいなことが多くって、ときどき壁に頭をぶっつけて反省したりしてします。
これはたまたまいま知りまして、まだ間に合うのでつい嬉しくなっちゃってお知らせしておきます。
明日18日21時からチャンネルNECOで放映だそうですよ。


『ブラッド・ブラザーズ─天堂口─』




いろいろなひとが書いていらっしゃいますが、『天堂口』はノワールとしてみれば不満の大きい作品で、
「同じキャストでオレに撮らせろや。」
と、心あるノワールファンは皆さんはらわたにえくりかえっとることと思います。
でも、とりあえず中華なきれいどころがびしっとスーツ着てかっこつけていますから、目の保養と思って観れば愉しいです。
とくに劉燁さん@大剛の、背伸びしすぎてあちこちすべっているかわいらしい悪役っぷり、むかつく三下をぼこるときの上背まかせのものすげえ雑なぶんなぐり方が、個人的な見どころです。
ごらんになれるかたはぜひどうぞ。詳細→

御用とお急ぎでないかたはついでにどうぞ。→美麗的尸体──大剛。



はっ。
ふと思ったのですがもしかしてこれって、日本─中国映画週間で『建党偉業/赤い星の生まれ』上映おめでとう記念企画だったりもするの?


 暴虐死スタァ。

 イケメン教授。

 美人転校生。



いやいやそんなイキなはからいをしてくださるかたなんかまあおらん。もちろん、ただの偶然なのですよね。
でも、しつこくふと思ったのですがまさかこれって、「『王的盛宴』撮影加油!」企画、なんてことは……。
いやいやますますそんな可能性捨てとけ自分と、思いますが。

とはいえ項羽の中のひとと劉邦の中のひとと韓信の中のひとの初競演作と思ってみれば、なかなか運命的な作品でもある『天堂口』ではあります。
| 16:40 | 電影瑣聞。 | comments(6) | - |
blanc et noir・treizième──古装。
ここ数日ばかし、スチール並べてぼんやり眺めて、日を送っておりました。


『有情鴛鴦无情剣』の劉燁さんと、
『我的唐朝兄弟』の胡軍さん。






うるわしいなー。

時代も違けりゃドラマもちがいますが、ひっつけてみるとなんか愉しいお話がもりもり作れそうな気が。
そして愉しいお話を考えているとついついいろっぽい方向へすべってしまいそうな気が。

します。
ごめんなさいっ。



愉しいお話を妄想してるうちに欲しくなっちゃったんだかどうだかわからんけど。
中華街の武術ショップで新しい剣を買いました。三十二式太極剣のための。




名前は、

無比(wubi)

とつけました。
ふわ、かっこよすぎかも。でもまあ、そのくらい気宇壮大なかんじでお稽古はしたいです。
(BGMはもちろん“フビライ・ハーン”!)
| 03:23 | blanc et noir | comments(2) | - |
1911−2011。
本日10月10日は双十節。

雙十節(双十節)とは1911年10月10日中国で起こった辛亥革命で清王朝を倒し、アジアで初めての立憲民主主義国家 中華民國が成立した日を記念する祭り(建国記念日・國慶節)です。十が二つ重なるので雙十節とも言われます。


といっても大晦日に餃子を食べるとか、立春に春餅を食べるとか、そういうお約束は無いみたいです。無いみたいなのですがなんとなく今日は「臭豆腐」をたべてみたいきもち(いまだ食したことがありませんが)。
だって辛亥革命といえば『十月圍城(孫文の義士団)』だもの。
あれは革命が起きた辛亥の年の5年前、1906年10月の、とある一日の、とある2時間を描いたお話でしたが。というわけでおめでたい今日のこの日なので記念に。



キャラクター設定上、
「ぜんぜんめでたかねえんだよ」
という清朝激ラブなひとも若干名、交じっているようですが。
ま、いいじゃないか。水に流そうよえんちゃん。

それにしたってグラサンのひとらの筋者臭が半端無いです。筋者系殿方にくらっとしがちな自分には、中華明星さんの私服ってものは正しく萌えの玉手箱。先日お友達にこんなものを教えてもらって腹筋崩壊したんですが。

破壊力のある猫の画像/猫ヤクザ相関図

なんだろう、この既視感は……。



さて本日はそして、劉燁さんちのこいぬ、もといご子息劉諾一ぼっちゃんのお誕生日でもあります。2010年10月10日午前10時にお生まれになって、本日めでたく満1歳です。
先日、とあるところでぼっちゃんのご近影を拝見しました。ちっちゃい子はどっちか言うと苦手な私ですが、
この子のおむつだったら替えたっていい、
そして手にうんちがついたってぜんぜんかまわない!
つうぐらい、ちょっとまずい方向へ道を踏みあやまりたくなるぐらい、それはそれはそれはもうあいくるしくお育ちでした。ああやっぱりあの父にしてこの子ありというかなんかもうどうしてくれようという。金木犀の薫る季節に生まれた男の子は将来男前間違い無しつうことは、ぼっちゃんと誕生日二日違いの某ロックスターが証明済みですから。生日快楽。おっきくなってね。
| 13:22 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
有楽町で逢いましょう。
『建党偉業/赤い星の生まれ』@2011日本・中国映画週間。
10月22日土曜日、プレリザーブ当選しました。


などとふんぞりかえってみましたが、別マの全プレみたくエントリすりゃあ当たる企画じゃないかしらという気も、しないでもありませんでした。映画が映画だけに。一般発売で十二分にゲットできるさとも思いました。プレリザーブだと手数料その他ぼったくられますし。でも石橋叩いて叩いて叩き潰して「ほらやっぱり渡んなくってよかったんじゃーん」などと言いかねない12星座きっての慎重派、ざっと鬼狼ぐらいビビリな乙女座A型に、かけられる保険を「かけない」という選択肢なんかございません。


ニコさん+しんちゃん目当てでエントリした『新・少林寺』にはつるっとふられてしまいましたが。(←たったいま、一般売りでも瞬殺されました。しくしくしく)
でもこちらの姫と銀幕でランデヴーだもの。欲かいたら罰当たる。(←でももちろん欲かいて25日の分も一般で買いました。わぁい姫とダブルランデヴ〜♪)






2009年10月24日。
『建国大業』に一瞬だけ降臨する彼に逢うために、渋谷にでかけていったっけ
涙をいっぱいためた眸で毛主席をみあげていた紅軍兵士が2年経ったらこんなことになってるなんて、もちろん微塵も思いませんでした。


まことにおもしろいです。役者との出逢いは。
めぐりあわせるいろんなことも。
| 22:46 | 電影瑣聞。 | comments(4) | - |
水の流れと人の身は。
母方の本家は伊豆の網元です。
遡れば海賊(=水軍)とかやってたんではないでしょうか。
だからか「水」というもののそばに近づくと奇妙なほどにテンションがあがってしまいます。大川を屋形船で下ったりなんかするともう、嬉しくってたいへん。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世中にある人と栖と、又かくのごとし。

どっかの静かな、廃れた町で、堀割を渡る舟の船頭をやって暮らせたらいいのにな、などということをかなりまじめに思っています。


月曜日から三夜にわたって、『長江 天と地の大紀行』というBSのプログラムを観ました。
上流のチベット高原から下流の上海に至るまでの、「水」をめぐる長い長い旅。
おもしろかったです。

旅人は俳優の阿部力くん
じつは阿部くんのことをずっと台湾出身と思っていました。
じゃなくて黒竜江省の生まれで、9歳のときに日本に帰化したんだそうです。通訳無しで現地のひとと交流できる彼の会話力と、控えめだけどひとなつっこい佇まいが、すごく良い効果を生んでいたと思います。

印象的だったのが、阿部くんが香格里拉(シャングリラ)県で出会った、チベット族の美少女ツームー。






外の世界をまったく知らないツームーは、家計を支えるために、仔羊抱いて観光客相手に記念撮影のモデルをやって、わずかなお金を稼いでいます。
「拉薩(ラサ)と上海、どっちに行ってみたい?」
ときかれて、はにかんで「上海」と答えるツームー。
阿部くんはツームーに外の世界を見せてあげたくて、彼女を上海に連れていきたいと申し出ます。でも、
「仏のいないところに行ってはいけない」
と伯父さんに反対されてしまいます。
落胆するツームー。要らぬことをしてしまったと悔いながら、阿部くんはツームーと別れて旅を続けるのですが、最後に上海に着いたとき、お父さんを説得してやってきたツームーと再会するのです。







このあたりの物語の作り方がうまいです。
予定調和だけど、なにしろツームーがあんまりおぼこくてかわいらしいもんですから(北京に来たばっかの藍宇みたいなんだよぉ…)もう予定調和だろうが仕込みだろうがゆるす!みたいなかんじになっちゃうの。
ラストで読まれる、ツームーから阿部くんへの手紙がまた泣けるの……。


そんなふうに地上からひとびとの暮らしを描写する一方で、モーターパラグライダーで天空から長江流域を捉えた映像がまた素晴らしかったです。


緑豊かな、美しい上流の風景。
おそろしいほどに近代化、工業化が進み、沿岸に高層ビル、河のなかにはガントリークレーンが並ぶ下流の風景。
川砂を売って大儲けして村人全員が大金持ちになった南京の村には、「チャンスを見過ごすことは罪」という村長の格言が麗々しく掲げられている。
洪水のためにライフラインすべて止められながらも、慣れ親しんだ中洲にとどまり、長江の水をいただいて綿花を育て、つましく暮らすひとびともいる。


いろいろなものを与えて、そして奪う水というもの。
ひとの世も、世に棲むひとも、ひとびとの縁も、よどみに浮かぶうたかた。でもけっして虚しく流される儘では無い。
明日待たるる。なにがあるかわからぬ明日を震えて待ちながら、やさしくておそろしい水とともに踏みとどまって、いまを生きてる。



遠い祖先からつづく、もしかしたら水上生活者であったかも知れない自分の血が、ちょっとだけざわざわしています。
| 21:46 | 瑣屑。 | comments(2) | - |
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