你胖了。──『藍宇』其の拾七
2011.10.31 Monday
22日に赤い星映画を観たあと、お酒をのみながら主に『藍宇』について、いろいろとお話をしたのですが。
三度目の再会のとき、藍宇の「你胖了」で陳捍東は落ちたんですよね、というblueashさんのご意見に、
「あのさー党の名前だけどー、中国共産党ってことでおk?」
と訊かれた各地区代表みたく全会一致で「同意(tongyi)!」な私でありました。
どうして陳捍東はあの場面で「你胖了」といわれて陥落するのか。
理由はよくわかるんだが言葉で伝えるのが難しい。
「大人になればわかるよ」
というのが大人の常套ならば、そういう陳腐な常套に逃げてしまいたくなるような。
(じっさい20代の初めごろに『藍宇』観ててもたぶんなにひとつわからないままだっただろうよなあ、とも思いますし)
それになんだか不思議な台詞ではある。だいいち身も蓋も無い。
「你胖了(Ni pang le)」は直訳すれば「あなたは太りました」という意味。
抱きたいと請われて藍宇は素直に捍東の腕に身を委ね、背中に這わせた手で男のからだの記憶を探りあて、すこし笑って、太ったね、という。
結婚に失敗し事業も左前という悪い目続きの捍東に、かつての傲慢なほどのかがやきはもう無い。
28歳になる藍宇ももはや若いとはいえない齢だが、捍東の庇護を離れて「ひとりで立っている」「自分の力で生活をしている」というささやかな自信が窺える。藍宇のなかにまっすぐで太い芯のようなものが生まれているのが感じられる。
見栄と世間体のために捨てた恋人が、かつての自分と同じ年齢になって、かつての自分のようにそこにいる。
逞しくなって、きれいになって、すこしおとなびて、つやつやとした笑顔をみせて、太ったね、なんていう。
なんだか皮肉のようにも同情のようにも、揶揄のようにも嘲弄のようにもきこえる。
なんにも考えず、ただ素直に零した言葉のようでもある。
しばらくぶりに会ったひとに面と向かって「太りましたね」だなんてちょっと失礼かも、というのが自分の感覚だからそういうふうに思ってしまうのだが、中国ではそうではないそうだ。
中国で仕事をする日本人ビジネスパーソン向けに、中国人のしきたりやマナー、やってはいけない行為やいってはいけない言葉なんかについてわかりやすく解説した本(ためになりました)を読んでいたら、
「太りましたね」
は礼にかなった挨拶なのであると書かれていた。
健康そうである。気持ちがゆったりとしている。豊かな生活を送っている。
そういう相手の状態を祝福していう、
「太りましたね」
なのだそうだ。
とはいえこれはあくまで旧社会以来の習慣で、いまの中国で若い女の子に「太ったね」なんていえばやっぱりプンスカされちゃうらしいが。
捍東と藍宇のあいだにこうした旧社会以来の共通言語みたいなものがあったと仮定して、その上での「你胖了」なのだとしたら。
そのまえに藍宇は捍東に、彼の離婚について訊ねている。捍東がどんなふうに話したのかはわからない(シナリオにも無い)。言葉を濁したのかもしれないし、冗談めかして、あるいは苦い思いをこめて、訥々と語ったのかもしれない。
自分を捨てて女を選び、社会的な体面を保とうとした男の3年。
破綻した婚姻がもたらした失意と不幸。
そういうことをもう藍宇は知ってしまって、知った上での「你胖了」なのだとしたら。
彼らが離れて生きた3年という歳月は、彼らどちらにとっても、「なにも悩まず、のびやかに、豊かに過ごした3年」ではなかった筈。捍東によって深い傷を負わされた藍宇が、傷を抱えながら3年を過ごして、3年前よりひとまわりもふたまわりも美しくなって、
「太ったね」
という。
あなたはなにも損なわれていないよ。
ぼくの知らない3年を、あなたはちゃんと生きてきたんだね。
あなたはきっと、しあわせだったんだね。
皮肉でも同情でも、揶揄でも嘲弄でもない。
台詞は嘘をつくけれど、藍宇という子に嘘は無い。
多くはいわず、いちばん大切なことだけを、たったひとことにこめて伝えようとする。目のまえにいるのが受けとめてくれると見込んだ相手だからこそ。
いわれた捍東はなんともいえない顔をする。
「陳捍東」というフォーマットを踏みこえて、演じる役者の感情そのものが大きく揺らぎ、なにかが崩れおちてしまったような表情をする。
理ではなく情。知ではなく肉。そういうところでつよく感応してしまうことってやっぱりあるんだと、このときの胡軍の顔をみて思った。
陳捍東と藍宇というキャラクターを「演じる」のではなく、彼らの恋そのものをリアルに生きてみろと關錦鵬が役者ふたりに課した命題が、ここで漸く果たされたのではないだろうか。
『史記』にいう「士為知己者死」の、「知己者(己を知るもの)」。藍宇にとってのそれは捍東であり、捍東にとってのそれは藍宇である。そういうことが捍東と藍宇に、そして胡軍と劉燁にも、はじめてはっきりと、蒼穹からの啓示のように伝えられた瞬間ではなかっただろうか。
そんな気さえした。
冬至の夜の「四箇月」と、ここで藍宇がいう「你胖了」。
どちらもたったの三文字で、どちらも、ひっそりと、しかし熱っぽくこめられた意味は「アイラブユー」。
最初の再会と最後の再会であるこのふたつのシーンは、『藍宇』という、数多の美しさをもつ作品のなかでも双璧だと思う。
と思うのはもちろん私ばっかりじゃございませんで。
6月終わりに『藍宇』を嫁にもらっていただいたARIESさんと二度目の赤い星映画をご一緒したときに、
『これがワタシたちのDVDベストセレクション70』(マックガーデン刊)
なる本を貸していただきまして。腰巻のハッタリ文句によれば、
というものなのですが。
まあ、火のないところに無理やり付け火をしてでも煙を立ててみせましょうという、ちょっと腐った心意気に溢れた、ちょっと腐ったひと向けの本なのですが。数えてみたら全70タイトルのうち自分は37作品を観ており、もちろんそのなかには『藍宇』も登場します。(中華系映画ではほかに『インファナル・アフェア』『男たちの挽歌』『さらば、わが愛 覇王別姫』『ブエノスアイレス』が俎上にのっかっています)
そこで取り上げられているシーンがやっぱり「四箇月」と「你胖了」のとこで。
どなたがごらんになったところで名場面は名場面てことなのさあ、とあらためて熱くなってこんな記事書いてしまった次第でありました。
イラストレーションを描いておられるのは宮本イヌマルさん。
藍宇かわいいよ藍宇。
そしてほんものはもっとかわいいの。
三度目の再会のとき、藍宇の「你胖了」で陳捍東は落ちたんですよね、というblueashさんのご意見に、
「あのさー党の名前だけどー、中国共産党ってことでおk?」
と訊かれた各地区代表みたく全会一致で「同意(tongyi)!」な私でありました。
どうして陳捍東はあの場面で「你胖了」といわれて陥落するのか。
理由はよくわかるんだが言葉で伝えるのが難しい。
「大人になればわかるよ」
というのが大人の常套ならば、そういう陳腐な常套に逃げてしまいたくなるような。
(じっさい20代の初めごろに『藍宇』観ててもたぶんなにひとつわからないままだっただろうよなあ、とも思いますし)
それになんだか不思議な台詞ではある。だいいち身も蓋も無い。
「你胖了(Ni pang le)」は直訳すれば「あなたは太りました」という意味。
抱きたいと請われて藍宇は素直に捍東の腕に身を委ね、背中に這わせた手で男のからだの記憶を探りあて、すこし笑って、太ったね、という。
結婚に失敗し事業も左前という悪い目続きの捍東に、かつての傲慢なほどのかがやきはもう無い。
28歳になる藍宇ももはや若いとはいえない齢だが、捍東の庇護を離れて「ひとりで立っている」「自分の力で生活をしている」というささやかな自信が窺える。藍宇のなかにまっすぐで太い芯のようなものが生まれているのが感じられる。
見栄と世間体のために捨てた恋人が、かつての自分と同じ年齢になって、かつての自分のようにそこにいる。
逞しくなって、きれいになって、すこしおとなびて、つやつやとした笑顔をみせて、太ったね、なんていう。
なんだか皮肉のようにも同情のようにも、揶揄のようにも嘲弄のようにもきこえる。
なんにも考えず、ただ素直に零した言葉のようでもある。
しばらくぶりに会ったひとに面と向かって「太りましたね」だなんてちょっと失礼かも、というのが自分の感覚だからそういうふうに思ってしまうのだが、中国ではそうではないそうだ。
中国で仕事をする日本人ビジネスパーソン向けに、中国人のしきたりやマナー、やってはいけない行為やいってはいけない言葉なんかについてわかりやすく解説した本(ためになりました)を読んでいたら、
「太りましたね」
は礼にかなった挨拶なのであると書かれていた。
健康そうである。気持ちがゆったりとしている。豊かな生活を送っている。
そういう相手の状態を祝福していう、
「太りましたね」
なのだそうだ。
とはいえこれはあくまで旧社会以来の習慣で、いまの中国で若い女の子に「太ったね」なんていえばやっぱりプンスカされちゃうらしいが。
捍東と藍宇のあいだにこうした旧社会以来の共通言語みたいなものがあったと仮定して、その上での「你胖了」なのだとしたら。
そのまえに藍宇は捍東に、彼の離婚について訊ねている。捍東がどんなふうに話したのかはわからない(シナリオにも無い)。言葉を濁したのかもしれないし、冗談めかして、あるいは苦い思いをこめて、訥々と語ったのかもしれない。
自分を捨てて女を選び、社会的な体面を保とうとした男の3年。
破綻した婚姻がもたらした失意と不幸。
そういうことをもう藍宇は知ってしまって、知った上での「你胖了」なのだとしたら。
彼らが離れて生きた3年という歳月は、彼らどちらにとっても、「なにも悩まず、のびやかに、豊かに過ごした3年」ではなかった筈。捍東によって深い傷を負わされた藍宇が、傷を抱えながら3年を過ごして、3年前よりひとまわりもふたまわりも美しくなって、
「太ったね」
という。
あなたはなにも損なわれていないよ。
ぼくの知らない3年を、あなたはちゃんと生きてきたんだね。
あなたはきっと、しあわせだったんだね。
皮肉でも同情でも、揶揄でも嘲弄でもない。
台詞は嘘をつくけれど、藍宇という子に嘘は無い。
多くはいわず、いちばん大切なことだけを、たったひとことにこめて伝えようとする。目のまえにいるのが受けとめてくれると見込んだ相手だからこそ。
いわれた捍東はなんともいえない顔をする。
「陳捍東」というフォーマットを踏みこえて、演じる役者の感情そのものが大きく揺らぎ、なにかが崩れおちてしまったような表情をする。
理ではなく情。知ではなく肉。そういうところでつよく感応してしまうことってやっぱりあるんだと、このときの胡軍の顔をみて思った。
陳捍東と藍宇というキャラクターを「演じる」のではなく、彼らの恋そのものをリアルに生きてみろと關錦鵬が役者ふたりに課した命題が、ここで漸く果たされたのではないだろうか。
『史記』にいう「士為知己者死」の、「知己者(己を知るもの)」。藍宇にとってのそれは捍東であり、捍東にとってのそれは藍宇である。そういうことが捍東と藍宇に、そして胡軍と劉燁にも、はじめてはっきりと、蒼穹からの啓示のように伝えられた瞬間ではなかっただろうか。
そんな気さえした。
冬至の夜の「四箇月」と、ここで藍宇がいう「你胖了」。
どちらもたったの三文字で、どちらも、ひっそりと、しかし熱っぽくこめられた意味は「アイラブユー」。
最初の再会と最後の再会であるこのふたつのシーンは、『藍宇』という、数多の美しさをもつ作品のなかでも双璧だと思う。
と思うのはもちろん私ばっかりじゃございませんで。
6月終わりに『藍宇』を嫁にもらっていただいたARIESさんと二度目の赤い星映画をご一緒したときに、
『これがワタシたちのDVDベストセレクション70』(マックガーデン刊)
なる本を貸していただきまして。腰巻のハッタリ文句によれば、
友情・兄弟・ライバル…などなど
乙女のためのオトコの映画 全70タイトル レビュー&イラスト収録!
というものなのですが。
まあ、火のないところに無理やり付け火をしてでも煙を立ててみせましょうという、ちょっと腐った心意気に溢れた、ちょっと腐ったひと向けの本なのですが。数えてみたら全70タイトルのうち自分は37作品を観ており、もちろんそのなかには『藍宇』も登場します。(中華系映画ではほかに『インファナル・アフェア』『男たちの挽歌』『さらば、わが愛 覇王別姫』『ブエノスアイレス』が俎上にのっかっています)
そこで取り上げられているシーンがやっぱり「四箇月」と「你胖了」のとこで。
どなたがごらんになったところで名場面は名場面てことなのさあ、とあらためて熱くなってこんな記事書いてしまった次第でありました。
イラストレーションを描いておられるのは宮本イヌマルさん。
藍宇かわいいよ藍宇。
そしてほんものはもっとかわいいの。