in cantonese. ──『藍宇』其の拾五
2011.08.30 Tuesday
「『藍宇』というアイテムをみるたびにぽっちりしたくてしたくてたまらなくなります」病はもちろんまったく治癒なんかしてなくて、性懲りも無く、またしても、まんまとぽっちりしてしまいました。
メイドインホンコンさん。本日届きました。
このひとまだ持ってなかったの。
これで我が家の『藍宇』は、
●日本版DVD
●日本版VHS
●台湾版DVD
●大陸版DVD
●香港版DVD
めでたく五人兄弟になりました。
香港版の菜単ページはこんなかんじ。
そして香港版には、日本版にも台湾版にも大陸版にも無かった「吹き替え」というものが付いていました。
母語以外の映画を観るとき、「最初っから吹き替え版」というセレクトはしません。
映画を体験するということは、役者さんひとりひとりが発する声をあじわうことでもあります。
「声も含めてまるごと役者の芸」だとおもっています。
とはいえ声優さんには声優さんの素晴らしい「芸」があることも勿論承知しています。もう、どれだけお世話になったか知れやしませんアニメっ子でしたから。だけども吹き替えの場合は声優さんの芸が素晴らしければ素晴らしいほど、そこにオリジナルの役者さんとは異なる一個のキャラが立ちあがってしまいます。そして、うっかりするとそれに馴れてしまったりもします。
するとなんだか、オリジナルの役者さんが発している「声」だけが、蔑ろにされ忘れられ消えていってしまう、ような気がしちゃう。
ところが中華圏の映像作品においてはそんなデリケートな気遣いなんざ歯牙にもかけられない。共通する普通話市場向けだろうがなんだろうが、声や滑舌に難ありの役者さんは血も涙も無くばりばりと吹き替えられてしまうものなのだ、ということがわかってまいりました。
たとえば『荊軻傳奇』なんか、
「あああああ劉燁さんのかわいらしいもごもご声が無駄に滑舌良いだけの声優ボイスに……うあああこれじゃ萌えねええええ……」
と、毎度くやし涙をうかべつつ鑑賞しています。『荊軻傳奇』は個人的にはたいへんおもしろいドラマですが、劉燁の声が吹き替えられたことだけは痛恨事といって良い。
『藍宇』の場合はもうぐずぐずに病んでいますので怖いもんは無いです。すすんで広東語の吹き替えで鑑賞してみました。
するとなんだか新鮮でした。
北京の冬の冷えきった空気を切り裂くちょっと尻っぱねなカントニーズ。捍東と藍宇がまるでちがうひとでした。
きゃー藍宇が「謝謝」じゃなくて「唔該」ゆっとるー!とか。ばかものなのでそれだけでテンションあがったりもするのでした。捍東出所おめでとうパーティー場面なんかただでさえ捍東ひとりで50人分の声量に相当ぐらいくそうるさいのに、広東語になるともうそのご宴会のご陽気なこと。到底北京の出来事ではございません。
捍東の声をアテてるひとは、もしかして『インファナル・アフェア 無間序曲』とか『カンフー・サイボーグ』なんかの吹き替えも担当しているかただろうか。声のかんじが胡軍さんにそっくりで、違和感がありません。
問題は藍宇担当のひとです。
藍宇のチャームというのはいろいろとありますが、とても重要なもののひとつが、決してうつくしいとかなめらかとはいえない劉燁のあの声。
低くて不明瞭で不安定なあの声と、表情や立ち居振る舞いの純情さや強靱さや儚さなんかが相俟って、藍宇に特異なお色気みたいなものが成立するんだと思ってます。
少なくとも自分にとってはもう、劉燁の声を抜きにしては、『藍宇』も藍宇も成立しないです。
劉燁の声はそんなふうにざらざらしていて引っかかりがいっぱいあって素通りできないんですが、藍宇担当の声優さんの声はそういうめんどくさいとこ全部すっとばして「恋をする男の子」の声、ただそれだけでした。さらりとシンプル、きれいでかわいくてひかえめで芯が強いかんじ。本来とてもわかりにくい藍宇という青年を、皆さまにもわかりやすく噛み砕いて表現してみましたどうですか的な。
たとえば『藍宇』を観るより先に『北京故事』を読んでいたとしたら、あそこに出てくる藍宇の声として自分がイメージしたのはこういう声だったかも知れません的な。
『藍宇』と『北京故事』はまったくの別物で、片方から感じ取ったものや得た知識を、もう片方を語るときに援用するべきではないとずっと思っていますが、声優さんの声をききながら、そういうことをあらためて考えてみたり。とはいえ単純に声萌えさせてくれるあたりはさすがプロフェッショナルのお仕事という気もしました。でまた決して劉燁に合ってないわけじゃない。「あ、声によってはある意味かわいさ倍増しでいいじゃーん」とか。ごめんねイエたん……。
でも、ラストらへんにある風呂場で捍東と藍宇が“你怎麼捨得我難過”をいっしょに歌う場面。
あすこの声優ふたりのお歌がとんでもなく音程ハズれていて、血の気がひいてしまいました。ユニゾンじゃなくてハモってんのかとおもったわ。悪意?
そうはいってもやっぱりこの場面のオリジナル音声のいろっぽさに勝てるものは無い、とぞ思ふ。
メイドインホンコンさん。本日届きました。
このひとまだ持ってなかったの。
これで我が家の『藍宇』は、
●日本版DVD
●日本版VHS
●台湾版DVD
●大陸版DVD
●香港版DVD
めでたく五人兄弟になりました。
香港版の菜単ページはこんなかんじ。
そして香港版には、日本版にも台湾版にも大陸版にも無かった「吹き替え」というものが付いていました。
母語以外の映画を観るとき、「最初っから吹き替え版」というセレクトはしません。
映画を体験するということは、役者さんひとりひとりが発する声をあじわうことでもあります。
「声も含めてまるごと役者の芸」だとおもっています。
とはいえ声優さんには声優さんの素晴らしい「芸」があることも勿論承知しています。もう、どれだけお世話になったか知れやしませんアニメっ子でしたから。だけども吹き替えの場合は声優さんの芸が素晴らしければ素晴らしいほど、そこにオリジナルの役者さんとは異なる一個のキャラが立ちあがってしまいます。そして、うっかりするとそれに馴れてしまったりもします。
するとなんだか、オリジナルの役者さんが発している「声」だけが、蔑ろにされ忘れられ消えていってしまう、ような気がしちゃう。
ところが中華圏の映像作品においてはそんなデリケートな気遣いなんざ歯牙にもかけられない。共通する普通話市場向けだろうがなんだろうが、声や滑舌に難ありの役者さんは血も涙も無くばりばりと吹き替えられてしまうものなのだ、ということがわかってまいりました。
たとえば『荊軻傳奇』なんか、
「あああああ劉燁さんのかわいらしいもごもご声が無駄に滑舌良いだけの声優ボイスに……うあああこれじゃ萌えねええええ……」
と、毎度くやし涙をうかべつつ鑑賞しています。『荊軻傳奇』は個人的にはたいへんおもしろいドラマですが、劉燁の声が吹き替えられたことだけは痛恨事といって良い。
『藍宇』の場合はもうぐずぐずに病んでいますので怖いもんは無いです。すすんで広東語の吹き替えで鑑賞してみました。
するとなんだか新鮮でした。
北京の冬の冷えきった空気を切り裂くちょっと尻っぱねなカントニーズ。捍東と藍宇がまるでちがうひとでした。
きゃー藍宇が「謝謝」じゃなくて「唔該」ゆっとるー!とか。ばかものなのでそれだけでテンションあがったりもするのでした。捍東出所おめでとうパーティー場面なんかただでさえ捍東ひとりで50人分の声量に相当ぐらいくそうるさいのに、広東語になるともうそのご宴会のご陽気なこと。到底北京の出来事ではございません。
捍東の声をアテてるひとは、もしかして『インファナル・アフェア 無間序曲』とか『カンフー・サイボーグ』なんかの吹き替えも担当しているかただろうか。声のかんじが胡軍さんにそっくりで、違和感がありません。
問題は藍宇担当のひとです。
藍宇のチャームというのはいろいろとありますが、とても重要なもののひとつが、決してうつくしいとかなめらかとはいえない劉燁のあの声。
低くて不明瞭で不安定なあの声と、表情や立ち居振る舞いの純情さや強靱さや儚さなんかが相俟って、藍宇に特異なお色気みたいなものが成立するんだと思ってます。
少なくとも自分にとってはもう、劉燁の声を抜きにしては、『藍宇』も藍宇も成立しないです。
劉燁の声はそんなふうにざらざらしていて引っかかりがいっぱいあって素通りできないんですが、藍宇担当の声優さんの声はそういうめんどくさいとこ全部すっとばして「恋をする男の子」の声、ただそれだけでした。さらりとシンプル、きれいでかわいくてひかえめで芯が強いかんじ。本来とてもわかりにくい藍宇という青年を、皆さまにもわかりやすく噛み砕いて表現してみましたどうですか的な。
たとえば『藍宇』を観るより先に『北京故事』を読んでいたとしたら、あそこに出てくる藍宇の声として自分がイメージしたのはこういう声だったかも知れません的な。
『藍宇』と『北京故事』はまったくの別物で、片方から感じ取ったものや得た知識を、もう片方を語るときに援用するべきではないとずっと思っていますが、声優さんの声をききながら、そういうことをあらためて考えてみたり。とはいえ単純に声萌えさせてくれるあたりはさすがプロフェッショナルのお仕事という気もしました。でまた決して劉燁に合ってないわけじゃない。「あ、声によってはある意味かわいさ倍増しでいいじゃーん」とか。ごめんねイエたん……。
でも、ラストらへんにある風呂場で捍東と藍宇が“你怎麼捨得我難過”をいっしょに歌う場面。
あすこの声優ふたりのお歌がとんでもなく音程ハズれていて、血の気がひいてしまいました。ユニゾンじゃなくてハモってんのかとおもったわ。悪意?
そうはいってもやっぱりこの場面のオリジナル音声のいろっぽさに勝てるものは無い、とぞ思ふ。