燁如花──ゆりと云へるは、否と云ふに似る。
2011.07.29 Friday
日本上代のことばで「ゆり」といえば、
のち。後刻。後日。将来。
などをあらわす。
あとでね、といわれたらそれは、だめよ、ということなのだ。
やんわりと、きっぱりと拒みながら、
「否」の彼方でゆれている花。
中国の「百合(baihe)」が日本に渡って「ゆり」になったのは、
風に吹かれてゆらゆらとゆらぐさま(=揺り)
からきているというのが定説だそうですがなんであれ、
ゆらぐもの
こそうつくしい。
ゆらいでこそのひとであり、花である。
ゆらぐことはつまり生きること、という気がする。
劉燁が演じているこの「偉大なる首領様」は、
「ゆらぐ」
ということをどんなふうにあじわったのかしら。
なんて考えてみたり。
百合と彼をながめながら。
のち。後刻。後日。将来。
などをあらわす。
あとでね、といわれたらそれは、だめよ、ということなのだ。
やんわりと、きっぱりと拒みながら、
「否」の彼方でゆれている花。
中国の「百合(baihe)」が日本に渡って「ゆり」になったのは、
風に吹かれてゆらゆらとゆらぐさま(=揺り)
からきているというのが定説だそうですがなんであれ、
ゆらぐもの
こそうつくしい。
ゆらいでこそのひとであり、花である。
ゆらぐことはつまり生きること、という気がする。
劉燁が演じているこの「偉大なる首領様」は、
「ゆらぐ」
ということをどんなふうにあじわったのかしら。
なんて考えてみたり。
百合と彼をながめながら。
死に瀕した恩師の枕辺に添う彼のかたわらで、
あたりまえのように百合がゆれている。
のちに彼の妻となる女性(恩師の娘)もそこにはいるのだが、
彼女にはついに一輪の花も与えられない。
作り手はまったくほんとになにを考えているのでしょうか毎度のことだけど。
白百合は聖母マリアを象徴する花。
花言葉は「純潔、威厳、無垢」。
6歳ばかりのころ、小児結核になりかけていたので、
海をみおろす丘の上のサナトリウムで一年ばかり治療を受けた。
キリスト教系の団体が運営するそのサナトリウムの、
院長先生の部屋にはきれいな女のひとの絵像が掲げられていた。
それは聖母マリアだった。
信仰はもたないしもとうともおもわないくせに、
「マリア」や「天使」といったものに奇妙に親和してしまう。
ちいさいころの病の記憶。
薄桃色のあまい水薬。
血沈検査の試験管のなかを暗赤色にゆらぎ落ちてゆく自分の血液。
そんなものたちの記憶と、
百合に荘厳された、えもいわず「うつくしいもの」の記憶とが、
よりあわされた挙げ句のことなのだろう。
聖母が此の世に生を受けたと伝わる9月8日。
1976年のその日の翌日に「彼」が死んでいる。
中国人民元1元札の意匠に彼の肖像と百合が使われているというのも、
なにやら深読みしてみたくなるけれど。
きっと偶然なんだわ(笑)。
あたりまえのように百合がゆれている。
のちに彼の妻となる女性(恩師の娘)もそこにはいるのだが、
彼女にはついに一輪の花も与えられない。
作り手はまったくほんとになにを考えているのでしょうか毎度のことだけど。
白百合は聖母マリアを象徴する花。
花言葉は「純潔、威厳、無垢」。
6歳ばかりのころ、小児結核になりかけていたので、
海をみおろす丘の上のサナトリウムで一年ばかり治療を受けた。
キリスト教系の団体が運営するそのサナトリウムの、
院長先生の部屋にはきれいな女のひとの絵像が掲げられていた。
それは聖母マリアだった。
信仰はもたないしもとうともおもわないくせに、
「マリア」や「天使」といったものに奇妙に親和してしまう。
ちいさいころの病の記憶。
薄桃色のあまい水薬。
血沈検査の試験管のなかを暗赤色にゆらぎ落ちてゆく自分の血液。
そんなものたちの記憶と、
百合に荘厳された、えもいわず「うつくしいもの」の記憶とが、
よりあわされた挙げ句のことなのだろう。
聖母が此の世に生を受けたと伝わる9月8日。
1976年のその日の翌日に「彼」が死んでいる。
中国人民元1元札の意匠に彼の肖像と百合が使われているというのも、
なにやら深読みしてみたくなるけれど。
きっと偶然なんだわ(笑)。