蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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禁果。
吉井和哉オフィシャルSHOP『LOVE & PEACE』最終日行くまえに胡軍さんの微群(ミクシのコミュ的なもん?)覗いてみたらこれですよ。




ご提供はこちらさま。多謝!


これも…………釣りですか?



ちょっとおいこら。中国版ELLE MENのひと。なにを考えているのですか。雑誌の命運懸けた創刊号表紙になんですかこれは。どういう編集会議ですか。極東在住『藍宇』迷のはしくれとしてわたくしなんだかちょっと逆上だわ。やってるひとらはそこそこ愉しんでいらっしゃるのだろうな、ということはうすうすわかるのよ監督の満面の笑みとか見れば。そのうれしさが他人事で無く肌身で感じられちゃうの。うんうん良かったわねスタンリー、と女の子どうし(え)手に手を取って涙にくれたいきもちをおさえきれません。腹に一物も二物もありそげなにいさんの黒い微笑もたまりません。もうこれぜったい陳捍東憑依してるもん。だって小道具が「ビリヤードの球」だもん。オマージュにきまってるもん。ちがうといわれてもいまさらこまるもん。


と、たかが表紙写真のコンセプトに思いをめぐらすだけで明日一日分のエネルギーがまかなえてしまう燃費の良い私ですが、この本まじに欲しいー。ふつうに買える中国のひとらがうらやましいー。





「くわえ煙草でプレイ」って、じつはマナー違反なんだそうです。
つまり「そういう男」ってことなんだね捍東。
| 02:35 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(6) | - |
スーツ番長。
藍宇はパンイチもしくはなんにも着ないのがいちばんですが、にいさんやっぱ背広着てなんぼな男。





ああ、うるわしひわ……。

戦争はだいきらいだが軍服類は大好物。そんな自分こそ観るべきドラマ、『風語』。
ただいま現地で絶賛放映中です。
ネットでも視聴可能→


しかし己の現状(=オールタイムお仕事ぱっつんぱつん)を顧みれば毎日こんなもんにのほほんと溺れていられるほどの時間なんざどの袖振ったってありゃあしません。
とかいいつつ第1集のアタマのほうをうっかり視聴してしまいまして。
そんでもって「椅子に縛りつけられて拷問されて血塗れなにいさん」などとゆうスウィートな禁断のお菓子をうっかりひとくちかじってしまいまして。


ちょっとこまったことにいま、なっておりますが。


そりゃまあお風呂入る時間とか削れば『風語』視聴タイムひねってひねりだせないことも無いよ、ええ。
でもお風呂入んないとくさくなるしな……。
くさくなっても胡軍さんを優先すべきなのかな……。
なんかでもそのうち微博で「風呂入れよ!」とかいわれそうだしな……。


とまあ、ざっとそのくらいこまっておりますが。
「くさいのなんかぜんぜん厭わないわよ!」
という剛の者なそこの奥さんは、ダーティーヒーローなにいさんのアダルツな魅力に、おもうぞんぶん溺れてくださいね。
| 13:54 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(2) | - |
既近且遠、既遠且近。──『藍宇』其の拾弐



『關錦鵬的光影記憶』
In Critical Proximity: The Visual Memories of Stanley Kwan
主編:張美君



2007年4月、香港で初版発行。
關錦鵬監督と彼の作品について、何人かのひとが様々な切り口から分析を試みている一冊です。


こういう本があるんだってことは1年半前に知りました。
「濡れた髪を拭きながら鏡を覗きこむ藍宇」という、この上無く魅力的なカヴァーフォト。
それだけでもう、「欲しいな」と思ってしまった。
思ってしまったが紙物に手を出しはじめると止め処もなくなって厄介だし、買ったところで全編中国語だからそうそう読めやしない。宝の持ち腐れってもんじゃないのとかでも欲しいとか、なんだかんだ1年半迷って、迷い疲れた挙げ句の今月5日、
「ま、春節だしねー。縁起もんだしねー」
とかいいわけしつつ、ぽち。
昨日香港から届きました。


装丁はそれなりに洗練されたシンプルなつくり。テキストも充実してるし、お写真も多くてうつくしいです。
なにしろ表紙写真だけでたまんない上に(表1も表4も藍宇)、映画本編にも『藍色宇宙』にも無かった捍東と藍宇のカットが何点か掲載されていたりして嬉しい。個人的にかなり惹かれるワード(「鏡」とか「父親的禁忌」とか)も散見され、仕事なんかうっちゃって1週間ばかり耽溺したい書。

しかし、こういうふうにあらためて映画評論の書籍という場に置いて眺めてみると、なんだか『藍宇』がちょっと遠くなるような気もしました。
はじめて逢うひとのような顔をして、なにやら高級な「作品」然として、つんと澄ましておさまっているのでちょっと可笑しかったり。
『藍宇』が自分の身体にあまりに馴染んで、『藍宇』のことを考えるのが日常となってしまっているいま、こんなふうに第三者の目を通して客観的に『藍宇』の評論をされると、ひどくおもはゆい。

そもそも2011年現在、私が暮らすこの国では、
「關錦鵬といういち監督のいち作品として『藍宇』を繙く」
というスタンスで書かれた文章には、滅多なことでは出逢えません。
劇場公開された当時だったら、そうした言葉にももっともっと出逢えたんではあるまいか。いまとなっては想像するのみです。そうだとすれば、そうした言葉を綴ってたかたたちっていったい何処へ行っちゃったんだろう。もしかしたらいまだに暗い深い場所で人知れず、『藍宇』について数多の言葉たちがひっそりと、濃く熱く交わされているんじゃないだろうか。
そんなことも日々、考えていたりします。


同じく昨日、『情熱の嵐〜LAN YU〜』のVHS(字幕スーパー版)も到着。
ちょっとまえにレンタル落ちの中古ビデオが密林に出てて、あんまりお安かったもんだから脊髄反射でぽちりました。
ブルーレイに移行しつつある昨今、VHSというものはどんどん手に入りにくく、もっといえばレアってやつに、なっていくんじゃないかと思いまして。とか言ってるが『藍宇』絡みのブツならばとりあえず持っときたいという、所詮因果な病の一環にすぎません。


そして、そうだ。
DVDでしかこの映画を観たことが無かったんだ私は。
なんてなことにいまさら気づく。


『藍宇』は計算しつくした知性と洗練で以て敢えてぶっきらぼうにいなたい手触りをつくりだしている作品だと思う。その手触りは、乱暴にいっちゃえばビデオ的、というようなものかも知れません。
そのくせ実際にビデオというメディアで『藍宇』を観てみると、既に自分のなかでは微妙な噛みあわなさが生まれていたり。
内容はおなじなんだけど(あたりまえだ)、「ビデオか」と思っちゃってるせいかこれまたちょっと、『藍宇』が違うひとのようにみえた。そのせいだか、細部の其処此処ではじめて気づいた事実がいくつか判明したりなんかして。なんでいままでこれ見落としてたのこのばかものみたいな。


するとなんだか「初心に返る」的モードが発動して、2009年夏にはじめて書いた『藍宇』の感想文を読み返してみたりしました。
『藍宇』という映像作品の印象とか、『藍宇』からもらったものとか、それによって動かされる自分のエモーションとか、この1年半で随分変化したかと思っていたけれど、さほどのぶれはありませんでした。
無器用で頑固なので、映画にしろ本にしろ芝居にしろライヴにしろ、レヴューとかレポなんつう、スピードと鮮度がものをいうような文章はなかなかするすると書けません。
『藍宇』の場合、はじめて観たときにつかまえたものを言葉に置き換えるだけで凡そ3ヵ月かかりました。でもおおづかみな第一印象のみをよすがに10分で殴り書いていたとしても軸足は揺らがなかったろうし、その殴り書きを1年半経って読みかえしたとしても、やはりぶれは無かったのじゃないか、という気がします。


やっぱ文章って書いとくべきなんだなとか。
初心てすげえなとか。
いや自分の初心じゃなくて当然『藍宇』がすげえんだなとか。
なにかと思いは刷新され、藍色宇宙は果てしも無く、そして病はますます深くなります。
| 11:17 | 藍迷。 | comments(4) | - |
奇跡の拳が降臨する。
やっぱ身長差って、萌へるわ……





はっ、いけない。
個人的悦楽に溺れるあまりマウスが勝手に動いて、書きたいこととはまるで関係の無いお写真を載せてしまいました。すみませんドニー先輩。
明日2月19日土曜日、新宿武蔵野館さんにおいて『イップ・マン─序章─』がめでたく公開されますよということをあらためてお伝えしたかったのでした。みなまでゆうな奥さん。とにかく黙って観ろ。じゃなかった観てください。タイムテーブルこんなかんじです。

10:45〜12:45
13:15〜15:15
15:45〜17:45
18:15〜20:15
20:40〜22:40







宣伝戦略のご都合上(笑)先に公開されちゃいましたが、本来は『序章』の続編にあたる『イップ・マン─葉問─』も、19日からはひきつづき下記のお時間で上映されますです。
13:30〜15:30
18:00〜20:00






『序章』10時45分の回を観て、『葉問』13時30分の回を観る。
もしくは『序章』15時45分の回を観て、『葉問』18時の回を観る。
みたいな形ですとたいそう効率良く、お食事やお手洗いのためのほどよい休憩時間も挟みつつ、正しい順序での連続鑑賞が可能でございますよ。
わたくし明日15時45分の回に参戦いたします。もう仕事なんか入れないもん。おかげさまで今夜とあさってがちょっと地獄ですが。明日はイップ師匠ならびに山東の暴れん坊(笑)金山找兄貴に、おもうぞんぶんめろめろさしていただきます!
| 21:10 | 電影瑣聞。 | comments(0) | - |
疑似親馬鹿というものかも。
先日、李嘉欣(ミシェル・リー)さん40歳が帝王切開で男の赤さんをお産みになったそうなんですが。
(微博拝見したらとうてい産後とはおもえないつやつや美貌できぜつ……うるわしひ……)


それを受けての、先日の写真の一件といい、なんかみょうに「あの日にかえりたいなァ」モードっぽい兄貴本日のつぶやき。




「玉良がとうとうおかあさんになったよ! やったー! めでたーい! 良かったねー! とおくからおいわいしてるよフロム贊化」(ちょう意訳)


玉良と贊化、いろいろあったけどとうとう赤さん出来なかったもんね。
そういえば陳捍東も赤さん出来なかったね。妻以外の男といろいろあったしね(笑)。


胡軍さんは微博でいちいち

「餃子食うの忘れんなよ!」
「春餅食うの忘れんなよ!」

などと、ドリフ終わりのカトちゃんみたいにフォロワーフレンドリーつうかドメスティックなこころづかいをなさるかたなんですよね。良い奴じゃないのほんと。だからとっとと『画魂』感想文着手したいんですがまたしても後手に回りそうな感。
とりあえずうるわしいお写真など見てモチベーションアップをはかってみます。






とか書いてるそばから元宵節の本日(2月17日)は抜かり無く
「元宵団子食うの忘れんなよ!」
とのつぶやき投下。にいさんほんまええ奴や(笑)。
| 23:57 | painting soul | comments(2) | - |
blanc et noir・dixième──愛とか情とか。
祝情人節快楽。


中国語で「情人(qingren)」とは「恋人」のこと。
本日2月14日は情人節つまり聖ヴァレンタインデー。
とはいえチョコレートたべると調子悪くなる身体になってしまった関係で、自分チョコ買えなくてさびしいです。レオニダスのオランジェットとかカカオサンパカのロサスイフレサスとか、ばつぐんにたべたいなあベルタのマジアといっしょにさあ……。

ま、そんなさびしい情人節でございますが、私のために捜狐微博の我的首頁がじゃっかんラヴいかんじになってくれててうれしいです。





それチューリップじゃなくてバラだからリウイエさん(ねんのため


「愛人」と「情人」は、昨今の日本語の感覚ではどちらも、「わけありな情事の相手」という意味で使用されているようです。自分などはどちらの単語にも微量のうしろぐらさとまたそれゆえのえろーすを感じてずきずきしてしまうのですが、中国語で「愛人(airen)」は「夫または妻。配偶者」を指します。道に外れた、或いは金銭を媒介にしたお付き合いの相手を「愛人」とはいわない。因みに日本に入ってきたのち、意味はこんなふうに変遷する。

あい-じん【愛人】

1 人を愛すること。
2 愛しているいとしい異性。また、夫や妻以外の愛している異性。

[語誌]もともとは1の意味だが、江戸時代末期からhoney、lover、sweet-heartなどの翻訳語として2の意味でも使われるようになった。第二次大戦後、新聞などで「情婦」「情夫」の婉曲的表現として用いられるようになる。

(精選版 日本国語大辞典)


では、語誌にある「情婦」「情夫」は中国語でなんといえばよいのですかと中国語教室の老師(彼女も劉燁がすきといってた)に訊ねてみたら、それもやっぱり「情人」なのだそうです。

じょう-じん【情人】

1 恋しく思う人。愛人。こいびと。また、情事の相手。いろ。じょうにん。
2 情のある人。こころある人。

(同上)


「恋しく思う」ということでまとめてしまえば、まあいっしょかという気もする。
しかし気になった。「愛人」を引くとかならず「異性の」という冠が付けられている。「情人」が指す対象には性別の限定が無い。
さらに「愛情」を引いてみればこれは日本語も中国語の「愛情(aiqing)」もどちらも、「異性に対して恋い慕う心」「男女間の愛」なのです。


「同性と同性のあいだにある、相手を恋い慕う気持ち」というものは、「愛情」ということばから完全に疎外されているのであった。すくなくとも日中の辞書的にはね。
じゃ漢字そのものはどうなのだ。なんかちょっと頭にきたのでついでに調べてみる。


愛(あい)

いとおしむ。
かわいくてせつなくなる。
めでる。
好きでたまらなく思う。
かわいがる気持ち。
いとしさ。

情(じょう)

感覚によっておこる心の動き。
男女の恋い慕う思い。
ほんとうの気持ち。
ほんとうのこと。
ほんとうの姿。


「愛」という字は、「心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まないさま」をあらわし。
「情」という字の「青」は「青く澄み切ったエキス」、それに「心(忄)」をあわせて、「心の動きをもたらすエキス」をあらわす。


ということです。(以上、漢字源より)
「情」にも「男女の」は付いているのだが、解字すれば「愛」も「情」も、そこに性を限定するものなどそもそもなにも無かった、ということがわかるのだった。


「愛情」と、私たちはわりと簡単にまとめてしまう。それゆえに、使い方次第ではやすっぽく俗臭に塗れたことばのようにおもわれもするけれど、語の意味を繙いていけば、やはりひとというもののおもしろさとか悲しさとか美しさとか、そういうところに行き着く気がするのです。





ラヴい。



| 17:59 | blanc et noir | comments(0) | - |
可喜可賀。
本日2月12日、13時15分の回をもちまして、





だそうでございます。
おめでとうございます。


カウントダウン目前の昨日、客足の伸びがいちばん見込める三連休初日の東京は雪。
加えて頭の弱い厨房がたわけた真似をやらかしてくれたおかげで、武蔵野館に行こうというかたが躊躇されてしまうんじゃないかとちょっと気に懸かってました。
しかし今日、日付変わった時点で「あと90人」という数字。
その前日が「あと297人」だったので、200人超のかたが悪天候などものともせずにいらしてくださったのでした。
ありがたいありがたい。


で『序章』。
なんといきなり

2月19日(土) 緊急公開!

だそうでございます。

はははははは、なにこの準備万端っぷり。やっぱ出来レごほんごほんともあれ勿論伺いますよ2月19日に、はい。
前売り券は販売せず、『イップ・マン 葉問』関連のもの(チケット半券、整理券、パンフ、雑誌、新聞記事などなど)を窓口で示せば前売り料金(1500円)にしてくださるそうです。
てことは、あたしのかばんで絶賛ぶらぶら中の師匠ズ(のキウピーちゃん)でも無論オッケイ、ってことですね? 良かった。ちっこいおまけ人形に翻弄されてうなされた甲斐がありました。堂々同伴でうかがいます。ド兄さんと少皇さん来日しないかなー(どさくさ
| 20:02 | 電影瑣聞。 | comments(4) | - |
地久天長。──『藍色宇宙/MAKING BLUE』
賛否両論はあるだろうけど
悲しみの色は必ずblue




我失敗了。


宇宙は陳捍東の苦いひとことでひらかれる。
そして、陳捍東を演じた胡軍が自身の声で引導渡すかのように、終尾にその日付を刻みつける。

2001年2月10日
下午三點半的時候
收工了


そのように宇宙はとじられた。
『藍宇』の撮影は終わり、そして2011年2月10日──本日を以て10年が過ぎた。


10年まえ。
2001年2月10日。
一生に一度しか無かったその日に、自分はいったいなにをしていたのだろう。なにをしていたのだかもう思い出せない。とてもとてもすきだったバンドが年頭のライヴを一期にその活動を休止したばかりだった。身体のなかにぽかんと生まれた、なにを以ても埋められない、疎ましい虚をもてあましながら、ぼんやりと過ごしていたのだろう。一生に一度しか無かったその日を。
ぼんやりと過ごしていたあいだに、2000キロほども離れた寒い街で、その物語には終止符が打たれていた。
なんだか途方も無い。


『藍色宇宙』という37分21秒のふしぎなフィルムは、10年後の自分が思い返す、その途方も無さの記憶と記録。






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| 09:08 | 電影感想文。 | comments(6) | trackbacks(1) |
五千人斬り射程内。
新宿武蔵野館さんHPによれば、『イップ・マン 葉問』動員5000人キャンペーン、本日朝の時点で『序章』公開まであと


786人


だそうでございます。
わーいわーいわーい。


イップ師匠とホン師匠、どっちのキューピーちゃんも欲しくって武蔵野館の前売鑑賞券を2枚買った私ですが、1枚は公開初日に、もう1枚は先週水曜日に、それぞれ消化してまいりました。2回目は平日の第1回目の上映でしたけどほぼ満員。隣に座った60代と思しき男性が、ラストらへんで何度も涙を拭っている気配を感じて、じん、としてしまいました。
そんなこんなでいよいよ三桁突入というのは感慨深いです。平知盛的にいえば「見るべきほどのことは見つ」みたいな? しかしいま壇ノ浦に入水してもおられない。『序章』観ないうちは死ねません。

まだごらんでない向きは、どうかどうか金山找ダッシュで新宿武蔵野館急襲してくださーい!!





『イップ・マン 葉問』をごらんになって、
「この魚臭そうな、むやみに顔の濃いおにいさんはいったいなにものなのかしら? やたらイップ師匠に馴れ馴れしいわ」
と訝しく思われたそこの奥さんも、『序章』をごらんになれば金さん(樊少皇さん)のかっこよさにきっと腰を抜かしてくださるとおもわれます。
そして腰を抜かしついでに樊少皇さんが若き日のイップ師匠の義理のお兄さんを演じておられる『葉問前傳』も、是非是非ごらんになって。お話そっちのけで葉天賜の七三分けと長袍にさらに腰を抜かしてくださるかとおもわれます。腰を抜かしてるのは自分だけかも知れません。しかしそれでも良い!
| 10:40 | 電影瑣聞。 | comments(2) | - |
陽光普照。──『藍宇』其の拾壱
一日遅れてしまいましたが祝你春節快楽。
『藍宇』に出逢う前は、旧正月がいつだろうとどうだって良い人生でした。
思えば遠くへきてしまったものです。


除夕であった2日夜、いつまで経っても楽になれないぱっつんぱつんなお仕事が終わったあと、当然の様に『藍宇』を観て泣いた。
ほんとに自分頭がおかしいよなこんなに『藍宇』がすきだなんて、と。
なんかもう、だめだわと。
なにがどうだめなんだかもよくわかんない。


観るたびに思うのですが、この場面のふたりが居るこの「朝」。
シナリオには「元旦」としか書かれていないのだけど。
やはり旧暦新年元日のそれと考えるべきなのでしょうか。





どうだって良いか。
ここに封じられたこの幸福だけをみつめていればそれで。


出逢ったのが夏の夜。
別れてのちの二度の再会も、二度ともが夏の夜。
でも愛を交わす場面は決まって冬の朝の光のなか。
ささやかにあたたかい、凍てついた外を遮断する光のなか。


それだけのことで容易く溺れられるものなのです幸福ってものは。




容易く溺れてしまうあまり、藍宇がうっかりアホ毛な件にもいまさら気づいて愕然としたりなんかするのでした。
そうか。やっぱり美少女キャラか藍宇。
なんかいとおしいですね。曰く言い難く。
いとおしくてかわいそうでじたじたしてしまう自分はやっぱり頭おかしいかも知れない。



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| 02:33 | 藍迷。 | comments(4) | - |
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