蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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真夏の夜は君が欲しい。
そういえば胡軍さんが来日して、アークヒルズでイベントがあったのが昨年の8月4日でした。

すきなバンドのツアーとかフェスとかならどこまでだって参りますが(昔、ロンドンまで行った)、中華圏の俳優さんの来日イベントなんて未体験。
ものすげえ敷居が高かったです。
行こうか行くまいか、正直前日まで迷ってました。

でも、
「この機を逃したらもう一生逢えねえかも……」
と思って、かなりどきどきしながらナマ兄貴にお逢いしてきました。
あの日から、そろそろ一年になってしまうのですねえ。
あの日もやっぱりくそ暑かったなあ……。


「あの日からそろそろ一年になってしまうのね記念」てわけでも無いのですが。
明日、ていうかもう今日になっちゃいましたが7月31日(土)夜、TOHOシネマズ六本木ヒルズの
「イッキミ2010『レッドクリフ』NIGHT」
というのに行ってまいります。
要はオールナイト上映です。
ただでさえ徹夜出来ない体質なのに、臓器1個無くした上に毎夏恒例の皮膚病が今年もいらっしゃって、お薬で頭ぼんやりしててコンディションちょうバッドなわけですが、もう、背に兄貴はかえられません。
いくら地デジにして32型ハイビジョン液晶テレビで腐るほど観てるぜレックリなんてよぉ、だったとしたって、やっぱり劇場で、でかいスクリーンで拝んでこその兄貴のありがたみだと思います。



だって、なんだろうこのお色気ったら。






土曜日は兄貴のお色気+真夏日復活で、ダブルでクラクラな熱帯夜になること必至。
そして翌日曜日のわたしはひととして使いものにならないこと必至。
| 00:10 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(2) | - |
究極兵器兄貴。──『十月圍城(孫文の義士団)/BODYGUARDS AND ASSASSINS』



清朝末期、1906年10月15日。大英帝国植民統治下の香港。
清朝打倒運動を推し進める革命家・孫中山(=孫文)は日本から香港へ渡り、中国十三省の革命勢力のリーダーたちと密かに会談を持つことを計画。それを知った清廷は閻孝国(胡軍)率いる刺客集団を香港へ送り込み、孫中山暗殺を目論む。中国日報社長で革命活動家の陳少白(梁家輝)は暗殺計画を阻止すべく、反逆軍のリーダー方天(任達華)と結託して動き出すが、博打好きの警官・沈重陽(甄子丹)の密告によって方天たちは刺客集団に襲われ、方天の娘・方紅(李宇春)を除き全滅、陳少白は拉致されてしまう。陳少白に資金提供している富裕な商人・李玉堂(王學圻)は、彼に代わって孫中山を護るために義士たちを募り、立ち上がる……。

(って感じでだいたい合ってると思うんですが、もしも違ってましたらお手数ですがご指摘くださいませ。なにぶん簡体字幕でしか観ていないもんですから、細部の詰めがいまいちあまくて……)


孫中山が香港に寄港して、革命勢力のリーダーたちと密談する時間がかっきり1時間。
そのあいだ、李玉堂の息子・李重光(王柏杰)が孫中山になりすまし、囮となって刺客たちの目を引きつけることになる。
重光と陳少白を乗せた人力車が香港の雑踏を縫って疾走し、そこへ執拗に襲いかかる清廷刺客集団。


記録にもとどめられず、痕跡すら残さずに、転換する時代のただなかを生きて死んでいった名も無いひとたち。
「中国革命の父」の名を歴史に刻みつけるのとひきかえに、自らは虫のように路傍に斃れ、果てていった数多のひとたち。
映画はそういうひとたちを、その愛とかその夢とか、情熱とか悲嘆とか、酸鼻や無惨まで含めて描いていきます。

「名も無いひとたち」とはいえエンターテインメントですから、皆さんひと癖もふた癖もおありです。外連に満ちた彼らひとりひとりの佇まいは見ているだけでもすごく愉しい。役者さんもうまい。
ひと癖もふた癖もある彼らなのだから、それぞれが抱えるドラマだってきっとすごくおもしろいだろうと思うのですが、尺の都合か、あまり深く描ききれていないのがちょっと惜しかった。いっそ連ドラなどにしていただいて、たっぷり観たいものだなあという気がしました。


そういう「名も無いひとたち」のなかで、とりわけ素敵だったのがこのひと。


車夫・阿四 謝霆鋒飾


阿四は孤児で、李玉堂に拾われて、その専属の車夫をやっています。無学で文字も読めず、革命のことなんかなにひとつわからない。毎日をおもしろおかしく過ごしていければそれで満足という、のんきで明るい好青年。そしてなによりもだれよりも、大恩ある旦那さまと坊っちゃん(重光)のことがだいすきでたまらない。恋仲である写真館の娘と結婚させてもらう代わりに李玉堂たちの計画に志願し、坊っちゃんを乗せた車を引いて、己の命を的に走り抜く阿四。


演じる謝霆鋒がもう、もうもうもう、すごくすごくすごく良いんです。
(謝霆鋒はこの「阿四」という役の演技で第29回香港電影金像奨最佳男配角[最優秀助演男優賞]を受賞)
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| 12:20 | 電影感想文。 | comments(6) | trackbacks(1) |
The Birth of Chinese Civilization
  特別展『誕生!中国文明』



くる日もくる日もくそ暑うございます。
昨日ももれなくくそ暑うございました。
そんななか、上野の東博で中国文明についてのお勉強をしてまいりました。

本展は先日『日曜美術館』で紹介されたばかりなので、そして『日曜美術館』で紹介された展観はお客さんがどっと増えるというお約束になってるらしいのでたぶんきっと芋洗いだべな、と思っていましたが、すっごくすいてて観やすかったです。
やはりここまでくそ暑いと、わざわざ上野まで足を運んで中国文明についてのお勉強をしようという気力が、皆さんあんまり湧かないのかも知れません。ていうか展観そのものが地味だしなあ。集客力に欠けるんだろうなあ。しかし、実際かなりおもしろかったです。


地味ながらも、展示品のなかで目玉といえばやっぱりこれですか。

 動物紋飾板(どうぶつもんかざりいた)。

河南省偃師市二里頭遺跡出土。
長らく幻といわれていた中国最初の王朝「夏(xia)」の時代(紀元前17〜16世紀)の作。
ちょっと楯みたいにも見えるのでよほどでかいのかと思ってたら長辺16.5センチメートル。いきなりギャップ萌えです。身分の高い被葬者の胸飾りだったのではないかということです。動物は、猪かなと思ったけど狐らしい。玉をあしらったつぶらな瞳がとてもかわいらしいです。


しかし個人的には目玉はこれです。

  九鼎(きゅうてい)。

河南省新鄭市鄭国祭祀遺跡出土、春秋時代(紀元前7〜6世紀)の作。
これまた「ちっちゃい器なのかな」と思ってたら意外なでかさ。九鼎のほかに、八き(「き」は竹かんむり+艮+皿)と方壺(ほうこ)もセットで、そこだけ独立したお部屋にどどんと展示されています。
新薬師寺の十二神将とか蓮華王院の二十八部衆などもそうですが、自分「揃ってるもの」に弱いんです。
「うわあ揃ってるよ!」
ってだけでかなり脳内物質が出てしまうんです。
「鼎なんかどうせ容れもんでしょ」とかなめたことを考えていましたが、容れもんというより生き物に近いような、なまなましい存在感でした。しかもそれが9個揃って並んでるこのたまんなさ。そんなたまんなさは揃ってるもの好きにしかおわかりいただけないかも知れませんが。


あとこれもすきだ。もらえるもんならもらいたいです。

  神獣(しんじゅう)。

河南省淅川県徐家嶺出土。春秋時代、楚の国のものだそうです。
楚では鬼神信仰が盛んだったそうで、これもかなり特異かつ奇怪なる像容。虎だの龍だの鳳凰だの、いろんなシンボルがごちゃまぜになったキメラ状態で、すーげえかっこいいです。



さて。
ミュージアムといえばおたのしみはグッズのお買い物でございますが、今回は展観同様グッズ類のプロデュースもくそ地味。ていうかどうもあんまり力入れてないっぽい感。そんな、ちょっとばかしさみしいグッズ売り場の一隅がプチ中国物産展みたいになってまして、そこでこれ見つけました。

  刀幣のレプリカ(青銅製)。


「刀幣(とうへい)」(刀貨、刀銭)とは、春秋戦国時代に斉から燕、趙あたりで流通していた刀をかたどった貨幣です。これは「斉刀」と呼ばれる、戦国時代の斉の三字刀。刻まれた文字は「斉法化」または「斉大化」と読むようです。レプリカなのでちっちゃいですが、ほんものは13〜18センチぐらいある。

「ああそういえば『荊軻傳奇』で荊軻さんが、これで窩窩頭(=トウモロコシのおまんじゅう)買って、ボロボロこぼしながら食ってたっけなあ」

とか思って、びみょうににやけつつ買ってしまいました。
あんまりなんの役にも立ちそうも無いですが、縁起もんつうことで。
| 17:38 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
spring fever
こちらのエントリでもちょこっと触れた婁燁(ロウ・イエ)監督の『春風沈酔の夜』ですが。
『スプリング・フィーバー』とタイトルを変えて、日本公開が決まったそうです。
公式→


断片的な情報ばっかりで実際どういう映画なんだかよくわかんないのですが、たぶん劇場へはまいります。11月6日(土)、渋谷シネマライズほか、全国順次ロードショーだそうでございます。ついでに『パープル・バタフライ』もリヴァイヴァル上映とかされてくれたら嬉しいのに。


でも、いいなあ日本公開決まって。
“南”が2個つく映画、どうなっちゃうのでしょうかねえ。
まあもう観ちゃったんだけどもDVDで。観ちゃったからこそ飢餓感がいや増すのです。この映画の劉燁の、汚泥の底から咲く蓮華の如き美しさは正しくスクリーンでみるべきものだと思うから。掛け値無しに。



『スプリング・フィーバー』とはぜんぜん関係無いが「婁燁監督撮影」って繋がりで無理やり載せてみました。単に自分がいつか載せてえなあと虎視眈々だったって話です。『スプリング・フィーバー』は勿論口実にきまってましたごめんなさいゆるして。




嫁とイエたん。



嫁のことをあんまりおすきじゃない向きが多いかも知れないんですが。
(そのような場合は嫁→兄貴に差し替えた上でごゆっくりお楽しみくださいませ)
自分はあのー、べつに誰が嫁でも、いっそ劉燁さんが俺の嫁でも断然オッケーつう。このお写真はあまりにも自分好みの綺麗な景色なので、眺めていると単純にしやわせな気持ちになります。女と絡むと毎度百合百合しいねイエたん。だがそこが佳い。
| 02:47 | 電影瑣聞。 | comments(4) | - |
blanc et noir・septième──buddy萌え。
ひきつづき萌えの裏街道を蹌踉と彷徨中でござります。


世に「バディもの」というジャンルがありまして。
それはなにかと問うならば。

【buddy movie】

二人の友人の人間関係と冒険を描く映画。

(ランダムハウス英和大辞典)


というようなものです。

辞書には「映画」とありますが、ドラマや小説、漫画など、フィクション全般に拡大して適用されています。
buddyは「仲間、兄弟、相棒」の意で、通例男性について使われるそうです。女性ふたりの友情冒険物語を「バディもの」と呼べるのかどうか、ちょっとわかりません。『自虐の詩』の幸江さんと熊本さんの関係は「バディ」と呼んで然るべきだろうと思います。自分は断然支持しますが女性受けはいまひとつ良くないかも知れません。

はてなキーワードの定義によると、バディものに於ける主人公2名は「対照的なキャラクター」ということだそうです。凸凹コンビってやつでしょうか。タラシの助さんと堅物の格さん的な? とはいえ必ずしも凸凹だから面白くなるってわけでも無いでしょう。むしろ似たもんどうしのヤマアラシのジレンマ的確執とか葛藤とか共鳴とか齟齬などをネットリとみせてくださるほうが個人的には萌え余地はでかい。その典型が無歓と鬼狼で、あれは所謂「主従萌え」(主×従も従×主も置換可能)ってやつですが、抜き差しならない彼らの共犯関係はやはりどこかバディの亜種という気がするのです。


では男性ふたりが主人公である『藍宇』。
これを「バディもの」に括れるのかと問われれば否だと思う。
彼らのあいだに性愛が介在しているからです。

フィクションに於ける「バディ」という関係性に性愛は無用というか、積極的に「あってはならぬもの」という気がします。
治りきらぬままに真皮に埋もれてしまった傷の如き痛痒。
傷は傷の儘に抱える肉体に、最後のワンピースを嵌めるが如く、肉体がどうしようも無く惹かれるさま。
捍東と藍宇のあいだに、自分はそういうものを感じてしまう。そしてそれは、「バディ」という言葉の孕む空気や距離感とは、到底相容れないと思うのです。

とかっつっても脳天気一辺倒なお気楽冒険野郎ズには1ミリたりとも萌えられないわけです。
あと一歩踏み出せばきっと後戻り出来ぬ深みへ堕ちる。その際でどうにか踏みとどまっている、その危うさ。
危ういままに、「彼」が「彼」を思い遣り気遣う、その在りよう。
いうならそれがバディという関係に漂う「お色気」ということじゃないか、などと思うわけです。
そしてお色気というならばあくまでも「ほんのり」にとどめておくのが佳い景色というもんじゃないか、などとも思うわけです。


そんなようなことをぼんやりと考えていましたら、久しぶりにこれを再読したくなりました。


 『真夜中の相棒』
 (テリー・ホワイト/小菅正夫訳 文春文庫)


ジョニーの人生は三つのことで要約できる──アイスクリームを食べること、テレビを見ること、そして人を殺すことだ。相棒マックが仕事を取ってくると、ジョニーは天使のように人を殺す。一度だけ、予定になかった男を殺した。男は警官で、彼には相棒がいた……。
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| 11:01 | blanc et noir | comments(2) | - |
18888。
ここを作って一年──までにはまだひと月以上あるのですが。
そして、カウンタ設置したのが開設の2ヵ月後なので、厳密に正確な数字でも無いんですが。
本日、ユニークアクセスが、なんとなくおめでたい感じの数字を記録してました。



     たぶんここらへんに ↑ 記録されております。



(つかこうへいさんの顰みに倣わせていただければ)恥の多い人生をおくる未熟なる人間が、しょうもない妄言ばかりを書き散らしている場所です。
そんな場所でも、8ヵ月で2万人弱ものお客様にいらしていただけたのだなあ、ということが病の身には感無量であります。
ありがとうございます。
嬉しいです。


末廣がりの数字と共に、ご訪問下さる皆様すべての御多幸を、微力乍らお祈り申し上げます。

| 23:48 | 瑣屑。 | comments(0) | - |
歓迎光臨3。
自分の生まれ日の干支(庚寅)と年の干支(庚寅)がきれいに重なる「律音(りっちん)」にあたる本年2010年。
いろんなことが変革されたりリセットされたり、リセットが悪いほうに転ぶと死んじゃったりする年回りみたいです。
いまのところ死んではおりませんけれどもそれなりに気鬱な日々だったりもします。
気鬱を晴らすにはやっぱりすかっと無駄遣い無駄遣い!

前項の正子公也さんの『無極』デザイン画集購入の前に、上海万博便乗セールに便乗してお取り寄せしといたブツが先日届きました。

・『神槍手』
・『男児本色』
・『無極 超長版』
・『南京!南京!』
・『十月圍城』
・『長恨歌』
・『琥珀』サウンドトラック


3月に届いたまんま封印してた『血色浪漫』を胆嚢摘出直後に再生してみたのですが、劉燁さんはごっついかわいらしいのですが、術後ダメージまっただなかの肉体には中国語マシンガントークで口角泡を飛ばしてるあの展開がそれはそれはヘビーに意味わかんなくて、じつは1話で中断しておりまして……。
それなのに性懲りも無く簡体字幕しかついてない電視連続劇なんか買っちゃって。しかも2作も。
全28話+全38話だってよ。ばかばかわたし。全部観ないうちに死んじゃったらどうするつもりなのわたし。なんか自暴自棄になってませんかわたし?


『無極』は日本版持ってるんだけども、中国語の台詞把握したかったのと、あと超長版はジャケがこのお写真なもんですから、公爵様と刺客目当てについ手を出してしまい。




そしたら自分の持ってる2枚組バージョンには入ってなかったメイキングが入ってたりした。(日本版でもプレミアムBOXには入ってるのかも)
石門から光明と傾城を逃がしたあと、極北軍の将兵たちの馬に足蹴にされそうになった昆崙を鬼狼が助けるって設定っぽいシーン撮ってたりします。
雪国のセットで、ものっっすごい真剣にモニターで自分の演技チェックしてる劉燁さんとか、自分の出番無いときにぼへーっと撮影見学してるボーダーカットソー+坊っちゃん刈りもあいくるしい劉燁さんとか、なにかとたまらない映像も随所に。買って悔い無しでございました、はい。


『琥珀』のサントラもなんでいまさらというか、劉燁さん歌唱の“琥珀之歌”だけDLして済ます予定だったのだが、「データ」じゃなくてリアルな「ブツ」で持っときたくなっちゃって。
なにしろあの美麗睫毛王子ジャケ写の破壊力ったら半端無いので。
ちなみにいま自分の目の前がこういう状態ですが



ほとんど仕事になりません。

あとこの紙パッケージ、ひっくり返すと裏ジャケのお写真が『最後の晩餐』と同じ構図で、キリストの位置に高轅=劉燁がくるというたまんないことになっていたり。やはり「ブツ」はリアルに持っとくべきだなと、はい。




ところで本日、コメント欄にタレコミいただきました「劉燁が陳可辛(ピーター・チャン)監督作品に主演」という噂ですが。当該記事こちらですね。

これまで何度もお話が持ち上がっては流れたり、一時は金城武と章子怡主演という噂もあったようですがそれもなくなったり、なかなか難航している企画みたいです。
原作は中国人作家・哈金(ハ・ジン)の小説『等待』。『待ち暮らし』というタイトルで早川書房から邦訳が出てます。ざっとあらすじ読んだ限りじゃどえらい優柔不断な男が主人公で、そういうお役を劉燁さんが、と思うと嬉しいような哀しいような……。とりあえず図書館で予約してみましたが、読んでるうちにイライラして気鬱な日々に拍車かかったりするかも知れない。

しかし「待ち暮らし」という邦題に、当てにならない大陸芸能情報に一喜一憂してるヲタの心境をずばり言いあてられた感。天に皮肉られてるような気もせんでも無い(笑)。というわけなのでこの報道も眉に唾をおつけになって読まれることを推奨いたします。
| 23:19 | 瑣屑。 | comments(2) | - |
うろこ持ついきもの。
 『無極 正子公也デザイン画集』
 (キネマ旬報社)




映画観た直後からずーっと欲しかったんですこれ。

『無極』まわりのグッズは劇場用パンフレットのほかにビジュアルブックとノヴェライズ(どちらもソフトバンククリエイティブ)、そしてサウンドトラックCDを購入してまいりましたが、真打ちはやはり本書であろうと思っていました。
思っちゃいましたがお値段見りゃそれなりだし、でもやっぱり欲しいし、ここ数ヵ月のあいだずーっと、むらむら、むらむらしていました。
むらむら、むらむらしすぎていい加減疲弊してしまいまして。
無駄ながまんはすっぱりやめにして、買っちまいました。
さきほど、豪雨のなか、黒猫さんが咥えてきてくれました。

言わずもがなですが、正子公也氏のファンのかたなら必携の一冊かと思います。
自分は正子氏のファンじゃないけれど鬼狼らぶーだから、鬼狼のデザイン設定の変遷をフルカラーで辿れる本書はもう、それだけでたいへんなお値打ちでした。






鬼狼のデザインは、最終的に採用されたバージョン(上)のほかに、6パターンのNGバージョンが収録されています(「白鬼狼」なんつうレアなのもあり)。
そして、これは初見だったのでかなりびっくりしたのですが、黒衣のないバージョン、つまり鬼狼本体(=生身)のデザインが2点、載っています。

「黒衣を纏っていない鬼狼」なんてのはお話のお約束上あり得ないものです。
キャラクターを補強するために正子氏が敢えて描いたのか、あるいは黒衣を脱いで分解するまえの鬼狼をこのように表現したいという意図が監督陳凱歌にあったのか。
劇中で鬼狼は蛇を象った湾刀を使っていて、鳥は蛇から進化したとはいえどうしてここに「蛇」というシンボルを持ってくるんだろうと不思議でした。生身の彼のデザインを見ればその理由が胸に落ちます。正子氏曰く、

嫌悪感を与えないよう、焼けただれた皮膚を、蛇の鱗のように表現しています。


膝にとどくほどもある白髪。裸身を隈無く覆う白銀の鱗。下半身から胸元へと這い上り紅い舌をひらめかす蛇。
黒衣の無い鬼狼の造形は醜悪で不気味で、かつとんでもなく美麗です。
これを劉燁自身がボディメイクで表現していたとしたら、あたしゃどんだけ煩悩抉られていたことでしょうか。
あと、黒衣に使われている孔雀の羽。
孔雀は無歓を象徴する鳥だそうで、無歓のデザインの細部には繰り返し孔雀のイメージが現れます。つまり黒衣のあれは、ある意味無歓の印(=オレのもん)ってことなんですね。
黒衣の封印を解く孔雀の帯をダメージ承知で鬼狼が自ら断ち切る行為は、破約、というか無歓に対する絶縁宣言を意味しているんですね。ああ公爵様ったら報われなさすぎて不憫……。


そんなこんなで脳細胞が抜かり無く妄想刻んでるもんだからたぶん今夜寝れません。風邪酷いのに。


それにしたってです。以前も書いたけどどうして自分は「うろこ持ついきもの」に愛と畏怖、同時に感じてしまうんでしょうか。蜥蜴金魚ときて、ここでこのように、当たり前のように蛇が現れる。

この妾宅を始めるときに「蛇果」という名前をまずつけて、それで、

「だいすき」だから「だいきらい」。
「きれい」なのに「きたない」。


「蛇」と「苺」は自分にとっては、象徴的にそんなようなものです。
止め処無く溺れてしまう対象は、ほとんどがきっと、そんなようなものです──ということに、大概は溺れてしまってから気づきます。

などと理由めいたことを書きました。
正直そのときは、劉燁さんというひとが「そんなようなもの」であることに、ほんの僅か、確信が持てていませんでした。

いまだよくわかっていません。
いまだ私はどこにも「ゆきついて」いません。

こんなふうに、偶然でもあるかのように気まぐれに現れては消えてゆく、そのトレースの一端を視界の隅にとらえては踵を返し、闇雲に追いかけつづけるばかりの日々です。



「きれいできたないいきもの」としての鬼狼を嫌悪しながら惹かれて止まないのは、これまた何度も書いていますが、私という人間にもっとも近い存在であると感じられるから。
すごく親和的なのです。
見目佳く体裁をつくろった衣装の下に、醜く爛れた皮膚を隠し持っている「私」。
でも、そうなってしまったそれもまた「私」なのだから、嘘を吐かず逃げず目を逸らさず、平坦にみつめてやるのが供養であろう、とも思います。
正子公也氏が造形した「黒衣無き鬼狼」の醜悪な姿は、自分には、一抹の希望のようにも感じられました。
| 01:30 | 電影瑣聞。 | comments(4) | - |
彼とメガネ。
前項で仔犬系男子について触れました。
ついでと申してはなんですが、この際ですから劉燁さんと己の萌えについてその裾野をちょっとばかし彷徨。以下参考図書。


 『萌え男子がたり』(ブックマン社)



他人の萌えは己の萎えというのが常識であったりもしますので、ここにあつめられた萌え男子の全部が全部、心の底から首肯出来るものとも限らないのですが、「片目隠れ男子」(あおいれびんさん)、「特殊部隊男子」(高城たくみさん)、「喪服男子」(舞妓マリーさん)、「爬虫類系男子」(松尾マアタさん)、「元ヤン男子」(松本ミーコハウスさん)あたりには他人事で無く共感してしまいます。
そのなかでも白眉はやはり、中村明日美子さん語る「非おしゃれメガネ男子」でしょうか。


「自分の魅力に自覚的であること」をメガネ美学に反すると斬り捨て、「いまさらメガネ男子すか?」という世間の白い目は百も承知で、明日美子先生はこのように萌えを語ります。

 メガネは飽くまで…うぶで…おぼこくて…無自覚で無意識で無防備で…。少女の処女性にも通ずる、未踏の雪原の魅力がなくてはなりません。
「あなた…自分じゃ分かってないかもしれないけど…スゴクイイよ…!」
 このかんじです。


 皆は口を揃えてこう言います。
「いつもこういう格好してたらいいのに…もったいない…」
 本気出してない彼。本気出そうとしていない彼。本気出していない自分に気づいてもいない彼。それが私の理想とする『非おしゃれメガネ』なのです。


ああ、そのかんじです。
さすがは明日美子先生。
モノスゴクわかっていらっしゃいます。


では、それを踏まえて劉燁さんです。
無自覚・無意識・無防備という萌え三種の神器完備の劉燁さんですが、「彼とメガネ」というテーマについては、語ってみたいがそれはいくらなんでもあまりな仕打ち、とつい手心を加えてしまうへたれな私がいたりしました。でもおととい大腸に腺腫もみつかっちゃったし無駄ながまんと気遣いは体に毒なので、おもいきって未踏の雪原を踏み躙ってみたって良いじゃないかとか思ったり。

下は自分がこれまで拝見した劉燁さんメガネ画像のなかでも、いろんな意味でかなりハイレベルな一点です。





これが「おしゃれ」を意図してスタイリングされたものなのかどうなのか、自分にはよくわかりません。
「ださい」で済ますことは容易いのですが、「ださい」と断言できないところもびみょうにあったりして。メガネロック系スリーピースバンドのリーダーのひとですみたいな空気あるし。ロキノンの2万字インタヴューでお父さんと折り合いの悪かった小学生時代とかいじめに遭って孤立してた中学生時代のことを語ってるうちに思い出し泣きしてインタヴュー5分間中断させちゃうタイプでしょうか。そのくせ血の気は多いので、ライヴで野次った対バンの客と喧嘩したり、ディスったライターを自分のブログでディスり返したりなどします。当然バンド内ではけっこうな暴君です。アーティストエゴ振りかざしてベース(幼稚園から大学までいっしょの幼馴染み)とドラム(社会人経験もある苦労人。既婚)に人で無しな仕打ちを繰り返していたりもして。それでもベースとドラムは彼のことがだいすきなので事あるごとに庇ってあげるんだけど、自分はとっとと別ユニット結成してアルバム作ってツアー出ちゃってベースとドラムちょう気の毒みたいな。ってなんでそんなバンドストーリーいまここで語ってしまっているのでしょう。語るべきは「彼とメガネ」でした。すいません妄想族なもんでつい。


ところでこの髪形とこのARMYパーカはどっかで見たよ、と思って記憶をまさぐってみたら『PROMISE 無極』のDVDに入ってたメイキング特番映像でした。




かわいいなあ。



鬼狼はあんなだが中のひとは素だとこんなにおぼこいのだな年齢相応にパーカとか着ちゃってなまいきに、とか思って観ていたのですが、そこにメガネ足しただけで一気に(略

彼の場合「かけなきゃかっこいいのに…もったいない…」と惜しまれがちなメガネですが、これだけの逆ミラクル目の当たりにしますとかえって「一分の隙無くスタイリングされたおしゃれメガネ」なんてもんに走ることこそ愚の骨頂という気がしてきます。そもそも重度の近視らしいので、メガネはおしゃれというよりマストアイテムなわけですし、ヲタ的にはむしろこの無自覚・無意識・無防備を絵に描いたようなだいなし感をこそ愛おしむのが正道ではありますまいか。だから中国のスタイリストさんも嫁のアナイスさんも無理して劉燁さんをかっこよく作ってくんなくて良いです。未踏の雪原はやはり何処迄も未踏のまま、無歓に蹂躙される前の雪國の如く清浄に、あたしの心の宝石箱に仕舞っておくことに致します。本気出したところで無自覚・無意識・無防備の破壊力には所詮勝てませんから(ヒドス




【追記】
劉燁さんとは関係無いですが、本エントリで中村明日美子さんに触れたばかりなので。
先ほど「執筆休止」という少なからずショックなニュースを知りました。
公式HPに掲載された声明のなかに、

「自身の管理能力不足」
「全ては私の責任です。」

という表現がありました。
さぞ忸怩たる思いを味わっておられるのでしょう。
そして、そのように感じてしまうかただからこその、あの研ぎ澄まされた作品世界なのだろう、という気もします。
創り手を追いつめてしまうのは消費者の業でもあり、そんな者が殊勝らしくお見舞いを申し上げるのも烏滸がましい限りですが、いまはどうぞゆっくりご休養なさっていただきたく思います。


| 01:14 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(4) | - |
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