先日、
「美女的尸体」
という検索ワードで拙宅に辿り着いたおかたがいらっしゃいました。
うるわしい死美人を期待してわくわくしながらお運びだったろうに、「ちっ、野郎の死体かよ」と舌打ちされてお帰りだったりしたのかしら、と思うと申し訳ない気持ちで胸がいっぱいです。
座右の中国語の辞典で「美女(meinu)」を引いてみますと、「美人(meiren)」を見よ、とあります。
つまり「美しい女=美人」というふうに、すくなくともこの辞書の編纂者は考えているということだし、それはそのままいまの社会に於ける共通認識であると、言ってしまっても良いのかも知れません。
ところが、そのように「美しい女」という意味で使われている「美人(meiren)」ということばが、女では無く「美しい男」を指して使われていた時代が、かつての中国にはあったのだそうです。中国だけじゃなく日本でも、たとえば。
かしこそふなる眼ざし、こなたの御子息にしては、お心に掛さしやるな、鳶が孔雀を産んだとは此子の事、玉のやうなる美人。ちかごろ押付たる所望なれども、わたくしもらひまして聟にいたします。
(『世間胸算用』巻二/井原西鶴)
「玉のやうなる美人」てのが男の子に対する褒め言葉ってのが素敵だなあ元禄時代。
お蔭様で劉燁の形容として「美女的尸体」ってある意味ぜんぜん間違っちゃいないんだぜ、とすっかりこまった方向で認識を新たにいたす始末。身から出ました錆とは申せ、来る日も来る日もそんな美人の(あは)死に顔ばっかあつめてる2010年、そろそろ弥生も尽きようという今日このごろです。お誕生月なのに、縁起でも無いシリーズでネタにしてごめんなさいねイエたん。せめてものつぐないに(違)折り返し地点の死体目もとい四体目は笑える系のひとにしてみましたよ。
「霍徳能」ってだれだよとお思いでしょうが、『コネクテッド/保持通話』(2008年)のこのひとです。
このひと名前あったのよ奥さん、香港の公式によれば。
知りませんでした。名無しさんだと思ってました。エンドクレジットでも「國際刑警高級督察」ですし。「誘拐犯」とか「国際警察のひと」とかマドモアゼルとか姫とかお嬢様とか坊ちゃんとか呼びたい放題な歳月があまりに長くなってしまったため、いまさら本名で呼びづらいですこまったわ。ちょっと親しみやすいかんじを狙って「徳ちゃん」とか「ノンたん」などと呼んでみたらどうかな? ま、「どうかな?」って言われてもねえ……。
ところでこのかたの姓の「霍(huo)」ですが。この漢字には、
「状態が急激に変化するさま」
という意味があります。日本語でも急性の病のことを「霍乱」などと申しますね。本作で彼が負わされている役割を、姓だけで言いつくしてしまっている感。やはり漢字というのは奥が深く、おそろしいものでございます。
この『コネクテッド』という映画で、劉燁という役者をはじめてスクリーンで観てみたわけですが。
いろんな意味でへたらない素材なんだな、と感じました。
野暮臭いとことかかっこ悪いとことか未熟なとことか荒っぽいとことか無駄に過剰なとことか、あることはあるが、そんなもん全部凌駕してなお銀幕映えする勁さがあるっていうのでしょうか。基本繊細だけど繊細を笑いとばす野蛮さも持っている。技倆と野性がちょうど良いバランスだなあと思った。ちっちゃいモニターでしか芝居観たことの無い役者だったから、劇場という場に置き直すとどうなんだろうという不安も無いでは無かったけど、杞憂でしたね。パワフルな男でしたよ、はい。
「わるいひと」という場所に置かれたキャラクターは、最終的に「いいひと」が正しく機能する映画のなかではどうしたって滅びてゆかざるをえない。だから彼の死は美しいとか傷ましいとか以前に、「決められた仕事を正しい工程で効率良くきっちりこなしました」、それ以上のものでは無かった。
わるいひととしてどう死ぬかでは無く、わるいひととしてどこまで命根性汚く生きるか。そっちの見せ方のほうが私には断然おもしろかった。
年齢相応に頭が悪くて思慮が浅くて詰めが甘くてわがままでプライド異常に高くてでも中身が伴ってなくて虚勢ばっかで、そういう「だめな子」としてのあれこれが、一頭地抜いて(文字通り・笑)人間離れしたつくりものみたいなビジュアルと相俟って、愛すべきチャーミングなキャラクターになってた。悪役としてこの映画の彼の数倍良い仕事をしている先達が数多いることなんか勿論知ってはいますけど、そういうのはあと20年経ってやりゃあ良いんだもん。
なんだかんだ言っても死に顔、美人でしたし。
(以下は、本作未見のかたは自己責任でお入りください。)