蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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blanc et noir・cinquième──le lézard noir
海をごらん。暗いだらう。
夜光虫があんなに光つてゐる。

この世界には二度と奇蹟が起らないやうになつたんだよ。

(『黒蜥蜴』 三島由紀夫/決定版 三島由紀夫全集23・新潮社)




同じ月のあいだに、ふたつの満月が夜空に耀う。
「ブルームーン」と呼ばれる現象がみられたのが2010年3月30日、昨夜のことでした。
奇蹟と呼ぶほどでは無いけれど、「きわめて稀に(once in a blue moon)」という英語の成句にはなっている程度の、珍しい景色なのだそうです。

個人的にもいろいろな意味できわめて稀であった2010年3月が今日で終わります。
なにかと頭のおかしい所業をくりかえしてきたその月の最後の日、これもまた病の一環ゆえ致し方無かろうと、憫笑と共にどうぞ御目零し戴けますように。



うつし世はゆめ。
よるの夢こそまこと。
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| 02:46 | blanc et noir | comments(8) | - |
美麗的尸体──霍徳能。
先日、
「美女的尸体」
という検索ワードで拙宅に辿り着いたおかたがいらっしゃいました。

うるわしい死美人を期待してわくわくしながらお運びだったろうに、「ちっ、野郎の死体かよ」と舌打ちされてお帰りだったりしたのかしら、と思うと申し訳ない気持ちで胸がいっぱいです。


座右の中国語の辞典で「美女(meinu)」を引いてみますと、「美人(meiren)」を見よ、とあります。
つまり「美しい女=美人」というふうに、すくなくともこの辞書の編纂者は考えているということだし、それはそのままいまの社会に於ける共通認識であると、言ってしまっても良いのかも知れません。
ところが、そのように「美しい女」という意味で使われている「美人(meiren)」ということばが、女では無く「美しい男」を指して使われていた時代が、かつての中国にはあったのだそうです。中国だけじゃなく日本でも、たとえば。

かしこそふなる眼ざし、こなたの御子息にしては、お心に掛さしやるな、鳶が孔雀を産んだとは此子の事、玉のやうなる美人。ちかごろ押付たる所望なれども、わたくしもらひまして聟にいたします。

(『世間胸算用』巻二/井原西鶴)


「玉のやうなる美人」てのが男の子に対する褒め言葉ってのが素敵だなあ元禄時代。

お蔭様で劉燁の形容として「美女的尸体」ってある意味ぜんぜん間違っちゃいないんだぜ、とすっかりこまった方向で認識を新たにいたす始末。身から出ました錆とは申せ、来る日も来る日もそんな美人の(あは)死に顔ばっかあつめてる2010年、そろそろ弥生も尽きようという今日このごろです。お誕生月なのに、縁起でも無いシリーズでネタにしてごめんなさいねイエたん。せめてものつぐないに(違)折り返し地点の死体目もとい四体目は笑える系のひとにしてみましたよ。


「霍徳能」ってだれだよとお思いでしょうが、『コネクテッド/保持通話』(2008年)のこのひとです。





このひと名前あったのよ奥さん、香港の公式によれば。
知りませんでした。名無しさんだと思ってました。エンドクレジットでも「國際刑警高級督察」ですし。「誘拐犯」とか「国際警察のひと」とかマドモアゼルとか姫とかお嬢様とか坊ちゃんとか呼びたい放題な歳月があまりに長くなってしまったため、いまさら本名で呼びづらいですこまったわ。ちょっと親しみやすいかんじを狙って「徳ちゃん」とか「ノンたん」などと呼んでみたらどうかな? ま、「どうかな?」って言われてもねえ……。


ところでこのかたの姓の「霍(huo)」ですが。この漢字には、

「状態が急激に変化するさま」

という意味があります。日本語でも急性の病のことを「霍乱」などと申しますね。本作で彼が負わされている役割を、姓だけで言いつくしてしまっている感。やはり漢字というのは奥が深く、おそろしいものでございます。



この『コネクテッド』という映画で、劉燁という役者をはじめてスクリーンで観てみたわけですが。
いろんな意味でへたらない素材なんだな、と感じました。
野暮臭いとことかかっこ悪いとことか未熟なとことか荒っぽいとことか無駄に過剰なとことか、あることはあるが、そんなもん全部凌駕してなお銀幕映えする勁さがあるっていうのでしょうか。基本繊細だけど繊細を笑いとばす野蛮さも持っている。技倆と野性がちょうど良いバランスだなあと思った。ちっちゃいモニターでしか芝居観たことの無い役者だったから、劇場という場に置き直すとどうなんだろうという不安も無いでは無かったけど、杞憂でしたね。パワフルな男でしたよ、はい。







「わるいひと」という場所に置かれたキャラクターは、最終的に「いいひと」が正しく機能する映画のなかではどうしたって滅びてゆかざるをえない。だから彼の死は美しいとか傷ましいとか以前に、「決められた仕事を正しい工程で効率良くきっちりこなしました」、それ以上のものでは無かった。
わるいひととしてどう死ぬかでは無く、わるいひととしてどこまで命根性汚く生きるか。そっちの見せ方のほうが私には断然おもしろかった。
年齢相応に頭が悪くて思慮が浅くて詰めが甘くてわがままでプライド異常に高くてでも中身が伴ってなくて虚勢ばっかで、そういう「だめな子」としてのあれこれが、一頭地抜いて(文字通り・笑)人間離れしたつくりものみたいなビジュアルと相俟って、愛すべきチャーミングなキャラクターになってた。悪役としてこの映画の彼の数倍良い仕事をしている先達が数多いることなんか勿論知ってはいますけど、そういうのはあと20年経ってやりゃあ良いんだもん。
なんだかんだ言っても死に顔、美人でしたし。



(以下は、本作未見のかたは自己責任でお入りください。)

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| 15:54 | 美麗的尸体。 | comments(6) | trackbacks(0) |
歓迎光臨2。
箱根に行ってきました。ここ泊まりました。もともとは團琢磨男爵の別荘であったところだそうです。「昭和40年代のハイブラウ」って感じがしました。お客さんすくなくてさみしいくらい静かで良かったですが雨で一歩も外出できず。フレンチ食って温泉三昧でした。


だめ人間ですから、温泉につかっていても『藍宇』のことしか考えられません。
温泉につかっているのでどのみち邪なことしか考えません。
ああ露天風呂付き個室で密会とか良いなあ、とか。だれが、なにが「良いなあ」なのかは訊いてくれるな。するとそのうち『北京故事』の、

新居で最初に愛し合った場所は浴室だ。

とかいうくだりがふやけきった頭をよぎったりなどしてミストサウナの50倍うるおってしまう。
夜は夜でお友達が寝しずまるのを待ってNANOたんと同衾、こっそり加長版なんてみてしまう。

馬鹿大将状態で帰宅。明日締切のお仕事が待っていますが、温泉と『藍宇』でふやけてしまってほぼ使いものになりません。そんなところへ中国郵政からお荷物が届いたもんでますます使いものになりません。届けてくれたのが小烈だったら即死でした。日本でよかった。ある意味。


 受難のタクシー運転手と
 インテリ不良青年と
 熱血坊ちゃん刑事。



さあて、どの子から剥いちゃおうかなうへへへへ、などとまたしてもすけべおやじ人格にシフトしつつも間一髪で気を取り直して無理やり仕事終わらせました。
当分劉燁には不自由しません。つまり一途にだめ人間化という意味です。本望です。
| 21:20 | 瑣屑。 | comments(4) | - |
祝您生日快楽。
さっき山手線のなかで、
胡軍兄貴激似の赤ちゃん見ました。

そんな、縁起の良いんだかなんだかな本日。
劉燁さん32歳おめでとう。


黒澤明御大も今日がお誕生日ですってね。
すごいわ。映画の申し子みたいなもんじゃないですか。
いつか黒澤版『白痴』の
ムイシュキン公爵(=亀田欽司)とか演って欲しいな。

と思ったけど黒澤御大がこの世のひとでは無いから無理。
そもそも森雅之様(らぶ)が演っちゃってるので無理。


無理だけど、無理を通して見たくなる。
そう云う役者なの。





日常生活に支障きたす程度のだめ人間になって
そろそろ一年になろうかという春。


あなたが責任を取ってください。

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| 14:01 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(11) | - |
美麗的尸体──向東。
劉燁さんは『藍宇』の特典映像のインタヴューで北野武監督がすごくすごくすきなんだと言ってた。『ソナチネ』とか、昨今ならば『アウトレイジ』みたいな北野映画に、すごくすごく出てみたいのかも知れない。そんな彼にとってこれは初の黒社会ものになるんでしょうか。『姐御〜ANEGO〜』(2005年)から、三体目は向東。





この映画は、「新感覚・香港ノワール」だそうです。
男優陣がなにしろやたらめったら豪華。渋くてかっこいいおっさんばっかです。そんなに豪華で、かつノワールを謳いながら、わかりやすいノワール的カタルシスを意識的に避けて通ってるみたいなところがあります。そこが新感覚なのでしょうか。よくわかりません。
劉燁が演ずる向東は、そんななかでも、「旧感覚ノワール」の懐かしいエモーションをど直球で感じさせてくれるキャラクターです。





大陸から香港にやってきて、ボディガードとして百徳親分(曾志偉)に雇われた向東は、広東語があんまりちゃんとしゃべれません。そのせいもあってかひどく無口。眉間にシワ寄せた気難しい仔犬顔、どこかもの言いたげな風情で、いつもすみっこでひっそりしてます。
見た目とっつきにくそうだけど、心根のとてもやさしい子。
自分を拾ってくれた親分や兄貴たち(任達華・黄秋生・方中信)には(口には出さずとも)非常な恩義を感じていて、それは親分のお嬢・小瑛(劉心悠)に対しても同じ。
みんなでごはんたべてるとき、魚を上手にたべられない小瑛のために小骨をきれいにとってあげて、「たべな」とそっとお皿を渡してあげたりする。





でかい男の子がうつむいて、無器用な箸づかいで一生懸命作業してる景色はそれだけでものがなしいものです。取りきれなかった小骨が小瑛の喉にひっかかって兄貴たちが大騒ぎして、「え……どうしよう、俺のせいだ」みたいな感じででかい体でおろおろしちゃったりするのでますますものがなしい。
でもたいそうきまじめな子なので、次にごはんたべるときにも小瑛のために魚の小骨取りに励んで





「今度はきれいに骨取ったから」みたいな感じでたべさせようとして、呆れた兄貴たちに「またやるぞ」「やめとけバカ」とか叱られて、ちょっとしょぼんとなってしまいます。(ちょうかわいい)


別のシーンで「あなた頭が悪いの?」と正面切って小瑛に訊かれてしまう向東ですが、頭が悪いんじゃなくて、自分がいまそこにいる意味をずっと考えているんだろうと思います。
自分という人間が生まれてきて、そこにいる意味。彼らと出会った意味。自分にやさしくしてくれた彼らのために、自分はなにができるか、なにをすれば良いのかということを、いつもいつも彼は、考えているんだろうと思います。


百徳が何者かに殺され、護るべき相手を護れなかった罪悪感と慚愧の念を、向東は、小瑛に向けることで晴らそうとします。親分に対しては恩義。けれど小瑛に対しては、ほのかな恋情が垣間見えます。百徳の跡目を継いで、香港最大組織の姐御として立っていこうとする小瑛と、一介のボディガードに過ぎない自分、身分違いのそんな「恋」など絶対に成就しないこともいやというほどわかっていて。





向東は小瑛のために、やすやすと己の命を投げ出してしまいます。



(以下は、本作未見のかたは自己責任でお入りください。)
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| 14:02 | 美麗的尸体。 | comments(10) | trackbacks(0) |
祝您生日快楽×2。
エロサス番長。
じゃなかった胡軍兄貴。

去年の今日、既に出逢っていたのでしたが、
自分が盆暗なのでおめでとうを言いそびれました。
なので2年分言いました。








あなたと出逢わなかったら、
『藍宇』という宝石も、知らないままの人生でした。

生まれてきてくれてありがとうございます。
抱かれたい男ランキング1位の座は、当分不動の予定です(笑)。
| 13:57 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(7) | - |
美麗的尸体──大剛。
老上海繋がりで二体目は、『ブラッド・ブラザーズ─天堂口─』(2006年)の大剛です。


『天堂口』は、製作総指揮が呉宇森だというのでそれなりの期待をして観て、それなりの肩透かしを食らわされました。
監督の陳奕利(アレクシ・タン)は劉燁が主演したDIESELの「A Forbidden Love Story」を撮っています。あっちは妖しげで素敵でしたけど、ショートフィルム向きっていうのかしら、『天堂口』の場合、瞬発的に優れたセンスは垣間見せてもそれがほんとに一瞬だけで息切れしちゃって。その場その場で「らしい雰囲気」を出してみせるのはお上手でも、骨太のノワールを描ききるほどのぶあつい演出力は残念乍ら感じられません。これが長編初監督作だから仕方が無いのかも知れない。見目佳い男優を取り揃えたからといって、優れておもしろい映画が出来るってわけじゃ無い。お金をかけて結果そういう証明をしちゃったような、ちょっと勿体無い映画です。


事ほど左様に文句は山のようにあるのだが、とりあえず劉燁さんは美人だ。
まがいものの天国(=天堂口)に佇むダークスーツの大剛。
鮮血に彩られたその姿はまるで、死を司る御使のようです。







劉燁はここでもやっぱり、ことあるごとに流血させられています。
殴られ撃たれ、撃たれた傷口に指突っ込まれてぐりぐりされ、クリスタルの灰皿でぶっとばされ。血がとまってる暇が無い。そしてもちろん己が流した血はきっちり倍にしてお返しする主義。「目には目を」じゃなくて「目には目と歯を」。かわいい顔してとんだはねっ返りです。
最初に観たときは、劉燁の個性が「大剛」という役にはまっていない居心地悪さばかりが目につき。
じっくり観直してみたら、身丈に合わない「野心」という借り着に自分の体を合わせようと必死になっている男の子の造形として、その居心地悪さがあんがい奏効してるのかも、と感じました。







ナイトクラブ「天堂口」のオーナーで黒社会の顔役・洪哥(孫紅雷)に憧れ、常にその一挙一動を背後からみつめ、煙草の吸い方からひとの殺し方まで、律儀に洪哥の流儀をなぞってみせる大剛。
自らを狂気へ駆り立て、虚勢で糊塗した傷つきやすさと脆弱さを一分の隙無くエレガントなヴィジュアルの陰からちらちら覗かせる。
立ち位置は「悪役」であっても、過剰な暴力の裏に潜めた怯えや惑いがきっちり伝わってくるあたり、やはり劉燁は繊細な仕事をしてくれます。








(以下は、本作未見のかたは自己責任でお入りください。)

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| 17:13 | 美麗的尸体。 | comments(8) | trackbacks(1) |
美麗的尸体──司徒。
死に際や死に顔がきわだって非凡な役者に弱いんです。たとえば北村一輝。


『あなたの隣に誰かいる』(2003年)という怪作ドラマのなかで北村、もとい、「不老不死の蟲の男」澤村数馬は、

●レンチで頭を殴られ海に落ちて死ぬ。
●もと妻にガソリンをぶっかけられ火を点けられて、火だるまになって死ぬ。
●竹槍が胸に突き刺さって死ぬ。
●警官隊の放つ銃弾に蜂の巣にされて死ぬ。
●短刀で刺されて「む・し・け・ら」とののしられながら死ぬ。

視聴者に明らかになっているだけで五度死にました。悪夢の棲み処にも煩悩の巣にもなりそうな、それは凄艶な死に様で、「浮遊する爬虫類」(名付け親:奥田瑛二氏)の本領発揮としかいいようの無い、見事な仕事でした。


劉燁さんの場合、死に顔が綺麗だから惚れた、ということでもありませんでした。
しかし作品を追いかけていきますと、物語の最後まで辿りつけずに亡くなられるキャラクターをいくつか演じておられます。どうも自分の無意識はここでまたしても、「死に際や死に顔がきわだって非凡な役者」を選び取っていたらしい。


というわけで発作的かつ集中強化的に、イエたんの死に顔ギャラリー*、はじめてみます。
いろいろほんとすみません関係各位。
(*「死に顔ギャラリー」とは、ベニシオ・デル・トロ氏(彼も「死に際や死に顔がきわだって非凡な役者」)の私設ファンサイト管理人様が、サイト内にひっそりつくっておられる鍵付きのお部屋の名称です。リスペクト込みで真似させていただきました。ますますすみません……。)


フィルモグラフィー順にしようかと思ったけど最初が藍宇だとかなしくなっちゃって続ける気力が萎えそうなので、『パープル・バタフライ』(2002年)の司徒から。

『パープル・バタフライ』は映画の評価はどうもかんばしくない、というか好みがはっきり分かれる作品みたいです。私の場合は「すき」に入ります。お話はわかりづらい、シナリオも難ありでテンポが良いともいえないし、妙に実験的なことをやってるのがどうも小賢しいのですが、画面構成と色味と30年代上海の空気の捉え方、そこに置かれた役者の撮り方と音楽はとてもすきです。
『藍宇』を観て、次に借りてみた劉燁作品が『小さな中国のお針子』、その次がこれだったと記憶しています。
「ああ、かわいらしい田舎の少年役がお似合いの役者さんなのね」とか思ってたらここじゃそれなりにモダンな上海ボーイで、しかも、
「自分の意思とは無関係に陰惨な事件に巻き込まれわるいひとたちによってたかっていじめられて夢ともうつつともつかぬ迷宮を彷徨する男の子」
です。それ以上俺様の煩悩を抉ってくれる設定があるでしょうかいや無い。さらに、主演女優章子怡がどうもいも臭く垢抜けないつくりをさせられてしまっている関係で、やはりここでも「ヒロイン」は劉燁が一手に担当なのでした。このフィルムに封じられた司徒=劉燁の美しさときたらなんだかもう、とんでも無いことになっています。
「ああ、綺麗……」などとうっとりするより先に本能的な嫉妬で胸がざわざわしてきます。





この映画をみて、つくづく藍宇って、劉燁という素材そのものがリアルに「垢抜けない純朴な男の子」だったわけじゃ無く、本来的に備えた毒みたいな美しさを敢えて封じてああいうふうに演じていたんだなあ、ということが身に沁みました。役者としてほんとうにおそろしいなこいつと思って、たぶん、決定的に惚れちゃったんだと思います。
死ぬよりほかにこの子には道が無い。
映画の始まりからもう、劉燁は、そういう顔をしてそこにいます。


(以下は、本作未見のかたは自己責任でお入りください。)
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| 13:52 | 美麗的尸体。 | comments(9) | trackbacks(0) |
The cat did it. ──『好奇心は猫を殺す/好奇害死猫』



重慶の高級マンション。1階にある写真店で働く陌陌は、現像した写真をマンションの住人に届けるのが日課。ある日写真店の向かい側に、梁暁霞という若い女性がネイルサロンを開店する。
陌陌は、彼女がこのマンションに暮らす鄭重の愛人であることに気づく。鄭重の妻・千羽は、幼い息子・小白の教育と趣味のバラの手入れで日々を送っていた。家族を伴った鄭重やネイルサロンを訪れた千羽に、なに食わぬ顔で接する梁暁霞。好奇心のおもむくままに携帯電話のカメラで彼らの関係を盗み撮る陌陌は、マンションのガードマンの1人・劉奮斗に惹かれ、行動を共にするようになる。千羽の周辺で怪奇な出来事が続発した。鄭重は、すべては別れ話のもつれから梁暁霞が引き起こした嫌がらせだと苦悩する。そして、鄭重と千羽を更なる災難が襲うのだった……



「猫」をめぐる英語の成句や諺は非常にたくさんあって、本作のタイトルのもとになった「Curiosity killed the cat.(好奇心は猫をも殺す)」もそのひとつ。
「猫“をも”」という訳になっているのは、この有名な諺の背景には、これまた有名な、

「A cat has nine lives. (猫に九生あり)」

という諺があるからかと。つまり、
「九つの命をもつといわれるほどしぶとく生きる猫でさえ、好奇心から身を滅ぼしてしまう(のだから、度を超した穿鑿をしてはいけませんよ)」
という意味の警句なんですね。
そしてさらに「猫に九生あり」は、もともとは、

「A cat has nine lives and a woman has nine cats' lives. (猫に九生あり。女に九猫の生あり)」

という形で使われていたのだとか。
どうやらこのタイトルのなかには、

「女性とは本来(猫のように)穿鑿好きで、狡猾で、執念深いものである」

というメッセージも隠されているようです。
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| 14:22 | 電影感想文。 | comments(12) | trackbacks(1) |
夜よこの破廉恥な想像を綺麗に包んでよ。──『藍宇』其の九
韓流王様映画とエロサス兄貴三昧だったせいであろうとおもいますが、

「己が信奉するところのエロティシズム」

というものについて、些か踏み迷いがちな日々がつづいております。
これではいかんじゃないかと。帰巣セヨ我ガ本能応答セヨ我ガ感受性。という次第で正座して『藍宇』たてつづけに2回観て2回泣く。ばかものかも知れません。






ばかものかも知れないがばかものなりに五臓六腑にしみわたりました。
なんでこれこんなに良いんだろう。なんでこのひとたちのことがこんなにすきなんだろう。ってもう何度自問自答したのかそれ。



以下はリハビリ兼気の迷いです。
魔が差しましたごめんなさい。
パパやママにはないしょです。
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| 03:42 | 藍迷。 | comments(10) | - |
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