聖地にて。
2010.02.25 Thursday
DVDまつり続行中です。
3時間しか寝ておらず、ねむねむ状態で仕事納品してその足で新橋文化劇場急襲。『コネクテッド』観ました。
もはやDVDも手許にあるのだから、劇場通いもたいがいにするが良い。
なんてなことを映画の神様がおっしゃる道理がございません。
尾籠なお話で恐縮ですが、わたくし先週末から生まれてはじめての膀胱炎に罹ってしまいました。よりにもよってこの時期に膀胱炎デビュー。そのような微妙な状態で劇場で2時間以上座ってんのもなあ、と思わないでも無かったです。しかし映画の神様が膀胱炎という試練を与えてわたしの『コネクテッド』愛を試しているのにちがいないきっとそうだわ、とすぐさま懺悔。
90年代終わりに会社勤めというものをやめてしまったので、オヤジというひとらと触れあう機会も、通勤電車で加齢臭を胸いっぱいに吸い込む機会も絶えて久しくありません。新橋文化劇場はJR新橋駅烏森口すぐのガード下。さすがリーマン聖地に腰を据えるハコだけあって、場内女子率は0.1%くらいです。どっち向いてもびっしり妙齢のオヤジ。一生分のオヤジを2時間で見たと言っても過言では無い。そしてなにかと香ばしい。香ばしいいっぽうで、目の前のスクリーン見りゃ劉燁さんのお綺麗なアップです。五官のどこ開いてどこ閉じりゃ良いんだかわからない。
この綺麗な青年を新橋のオヤジーズはどんなふうに眺めていらっしゃるのかしら。
「お。ちょっとヌケててかわいいな」とか、うっかり思ってくださっているのかしら。
あさってあたり地元のレンタル屋で『藍宇』を手にとって、そっとレジに持っていくかたがいたりすると、うれしいな。
そんなオヤジリアクションが映画以上に気になってしまうのもいかがなものでしょうか。
もはやDVDも手許にあるのだから、劇場で観たってさしたる感慨は無いのじゃないか。
と、思わないでも無かったですがそんなの完全に甘ちゃん考えだったということがわかりましたよ。
やはり劇場は魔境です(オヤジ含め)。
新文芸坐→三軒茶屋中央劇場→新橋文化劇場という軌跡を辿ってみると、封切り直後にMM21のシネコンで観たときよりも、客としてこの映画に感じるおもしろさは倍加しているのです。
映画は映画館で育つ。
客の気持ちによって育てられ、作り手の予想も及ばぬ成長をする。
とある映画監督さんが、インタヴューのなかでそのようなことをおっしゃっていました。
二番館とか名画座というものに必要以上にノスタルジーを抱くのもすきではないが、シネコンや大劇場がけっしてすくいとれない映画への需要は、やはり存在しているのです。
であれば『藍宇』。
『藍宇』という映画を、こんなふうに、劇場転々としながら追いかけていけるのだとしたら。
そんな日がもしもきたら。
きっとひととしてだめになります。
3時間しか寝ておらず、ねむねむ状態で仕事納品してその足で新橋文化劇場急襲。『コネクテッド』観ました。
もはやDVDも手許にあるのだから、劇場通いもたいがいにするが良い。
なんてなことを映画の神様がおっしゃる道理がございません。
尾籠なお話で恐縮ですが、わたくし先週末から生まれてはじめての膀胱炎に罹ってしまいました。よりにもよってこの時期に膀胱炎デビュー。そのような微妙な状態で劇場で2時間以上座ってんのもなあ、と思わないでも無かったです。しかし映画の神様が膀胱炎という試練を与えてわたしの『コネクテッド』愛を試しているのにちがいないきっとそうだわ、とすぐさま懺悔。
90年代終わりに会社勤めというものをやめてしまったので、オヤジというひとらと触れあう機会も、通勤電車で加齢臭を胸いっぱいに吸い込む機会も絶えて久しくありません。新橋文化劇場はJR新橋駅烏森口すぐのガード下。さすがリーマン聖地に腰を据えるハコだけあって、場内女子率は0.1%くらいです。どっち向いてもびっしり妙齢のオヤジ。一生分のオヤジを2時間で見たと言っても過言では無い。そしてなにかと香ばしい。香ばしいいっぽうで、目の前のスクリーン見りゃ劉燁さんのお綺麗なアップです。五官のどこ開いてどこ閉じりゃ良いんだかわからない。
この綺麗な青年を新橋のオヤジーズはどんなふうに眺めていらっしゃるのかしら。
「お。ちょっとヌケててかわいいな」とか、うっかり思ってくださっているのかしら。
あさってあたり地元のレンタル屋で『藍宇』を手にとって、そっとレジに持っていくかたがいたりすると、うれしいな。
そんなオヤジリアクションが映画以上に気になってしまうのもいかがなものでしょうか。
もはやDVDも手許にあるのだから、劇場で観たってさしたる感慨は無いのじゃないか。
と、思わないでも無かったですがそんなの完全に甘ちゃん考えだったということがわかりましたよ。
やはり劇場は魔境です(オヤジ含め)。
新文芸坐→三軒茶屋中央劇場→新橋文化劇場という軌跡を辿ってみると、封切り直後にMM21のシネコンで観たときよりも、客としてこの映画に感じるおもしろさは倍加しているのです。
映画は映画館で育つ。
客の気持ちによって育てられ、作り手の予想も及ばぬ成長をする。
とある映画監督さんが、インタヴューのなかでそのようなことをおっしゃっていました。
二番館とか名画座というものに必要以上にノスタルジーを抱くのもすきではないが、シネコンや大劇場がけっしてすくいとれない映画への需要は、やはり存在しているのです。
であれば『藍宇』。
『藍宇』という映画を、こんなふうに、劇場転々としながら追いかけていけるのだとしたら。
そんな日がもしもきたら。
きっとひととしてだめになります。
ときどきいぢめたくなっちゃうけど
ほんとはみんななかよしさん。