蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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エヴァーグリーン。──『藍宇』其の五
こと『藍宇』については些細なことでいちいち迷い道くねくねになってしまうのも、病ならではでございまして。
だからどうしたっつうような、ほんとにつまらぬことで恐縮なのですが。
華華飯店の捍東の部屋に備え付けの毛布のことが、もうずーっと気になっておりまして。
そうですあの緑色のやつ。


あそこはそれなりのお値段のお部屋なのでしょうが、内装のセンスとかがなんだかラブホすれすれで。そのくせ毛布はあんなで。あれホテルで使うクラスじゃないよ。ラブホ以前に田舎の民宿でしょう。ていうか実家帰ると母が出してくるやつ(20年くらい前に自分が使ってたやつ)がほとんどあれといっしょと気づいてからは、恥ずかしくって実家帰れん。


でも、そこに裸の藍宇がくるまって半分ねぼけながらむくむくもそもそしてたりするともう(ご参照ください)けしからんまでにかわいらしいのでございます。
やっぱあのやすっぽいアクリル感が(実際の素材はわかんないですが)決めてでしょうか。
お高いカシミヤ純毛毛布とかじゃだめなのね。
特売グンゼ(推定)の純白ブリーフといい、清貧かつドメスティックなエロティシズムが、やっぱり藍宇には似合います。


ところが有為転変の10年が過ぎて、藍宇が寝室で使ってる毛布がやっぱり緑色だ。
若干色合いが変わっておしゃれ感は増したものの(……増したのか?)、十年一日の如き緑色の毛布の下で捍東と「お客様にはお見せできません」なことやってたりします。
捍東に銘柄訊かれたのが嬉しくて10年間同じシャンプー使いつづけちゃうぐらい一途な子なので、
「捍東にはじめて抱かれたベッドの毛布の色」
とかも、きっと明瞭に記憶しているんだろうな。
捍東に捨てられたあとも、ずーっと同じ「緑色」の下で、ひとりでねむっていたんだろうな。


……不憫な子だなあ。



と、「緑色」のことばっか考えているうちに、自分もなんだか緑色の毛布が欲しくてたまらぬモードになってきてしまいましたよ。
いまさら実家の使い古しを「送ってくれ」と言うのも恥ずかしいので新調することにしましたが、ぐぐってみても、あそこまでチープなアクリル感満載のやつなんかもうさすがに売ってません21世紀には。カラー的に緑色ってのがそもそもあんまり無い。あってもじじいのどてらみたいな色でぜんぜんかわいくない。
どうにかこうにか「ま、これなら」なやつをみつけましたが。



毛布方面ぐぐってるうちに遭遇。
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| 12:55 | 藍迷。 | comments(2) | - |
デンジャーな彼。
 『建国大業』/「2009東京・中国映画週間」
 @TIFF2009
 観てきました。



この数日自律神経の具合がおかしく、昨夜からいよいよ心身ともに調子悪くなり、上映中もちょっとヘビーでしたが、虚仮の一念で乗り越えました。天晴れラブイズザドラッグ。


しかしなにしろ中国共産党にはひとかけらのシンパシーも無いものですから、
「ああ、そう。そうだったの。ほえー。そりゃ大変だねえ」
みたいな、ザッツお勉強な感じで、ストーリーがどうだシナリオがなんだと講釈を垂れるレベルではございません。途中で危うく眠りに落ちそうになりましたがこらえました。

陰翳のくっきりした映像はとても美しかった。
全体に灰色めいてくすんだ色味のなかでお話がずっと進行してゆくのですが、それはたぶん、終盤で登場する五星紅旗の赤を一気に際立たせるためではないかと。


いろんな役者さんがいろんなひとの役で出ていますが、中華電影方面にはいたって暗いので、ひとめで名前と顔が一致したのは、

胡軍、劉燁、陳坤、劉徳華、陳凱歌、尤勇、黎明、李連杰、梁家輝、成龍、趙薇、章子怡、陳好、陳紅

くらいでした。予告では呉宇森監督もちらりと出てらしたけど、本編からはカットされてしまったみたい。
劉徳華(アンディ・ラウ)さんがラストらへんで出てきたときは茶を吹きそうになりました『カンフー・サイボーグ』のあとだけに。


胡軍さんは冒頭からご登場。
心の準備も出来てないうちにいきなりおでましだったので、過呼吸になりそうになりました。頭がつるつるなので、どこにいらしても見つけやすいのはポイント高いです。そのあとも(あんまり台詞無いですが)ちらちらちらちら出てらっしゃいます。でも顧祝同は蒋介石サイドの軍人なので、毛沢東サイドメインのお話になる途中から、どっか行ってしまいます。内戦の場面とかでもうちょっと出番があったら嬉しかったのにな……。


『小さな中国のお針子』で「羅」だった陳坤(チェン・クン)さんが蒋介石の息子・蒋経国を演じていますが、あまりにも容貌が整いすぎているためと髪形ががっちりハードなオールバックなため、動かずにいると紳士服のマネキンのようで、「まさかほんとにマネキンじゃねえよな……?」とちょっと不安な気持ちにさせられました。
『お針子』のときもものすごくきれいな子だなあとみとれてしまいましたが、お父様がインドのかただそうだ。道理です。


『小さな中国のお針子』で「馬剣鈴」だった劉燁さんは、毛沢東の北京(北平)入りの歓迎式典のときに顔をお出しになりますが、これがもう噂どおりのとんでもねえ飛び道具。
明星さんが登場されるたびに場内がちょっとざわっとしたり、ささやき交わす声が聞こえたりするんですが、劉燁出てきたときがいちばんどよめいたように思います。自分が病んでいるのでそう感じられたのかも知れません。いいですほっといてちょうだい(笑)。


しかし、たったあれっぽっちの時間で客の気持ちをかっさらってくあの空気のつくり方は、やはり常人の業じゃなかったです。
毛沢東に心酔しきっている人民解放軍の兵士役で、毛沢東そのひとを前にして言葉を発しているうちに表情も声音もどんどんファナティックになっていく。敬礼するシーンでアップになるとあの大きな眸が涙でいっぱいで、いまにもこぼれおちそうで、あやういったら無い。中国共産党にはひとかけらのシンパシーも無くても、劉燁の涙には、うっかりもらい泣きしそうになりました。
『藍宇』からこっち、この子の涙には毎度もってかれてしまうなァ……。





もらい泣きしそうになりながら、あんなうるうるのおめめでみあげられる毛首席もたまんないね、とか外道なことを考えていたあいかわらずの私でほんとうにごめんなさい……。



やっぱお写真載せとこ。
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| 15:45 | 電影感想文。 | comments(10) | trackbacks(0) |
マシーンなあなた。
 『カンフー・サイボーグ/机器侠』
 @TIFF2009
 観てきました。



ストーリーもキャストも全然把握しておらず、
「ま、ざっくりいえばコメディでしょ?」
ぐらいの認識でチケットを買ってみたわけですが。
コメディはコメディだったですが、「コメディでしょ?」で終わりにも出来ないお話でした。


「機械と恋」という相容れないもの。
誰かを好きになるという感情を持ったが最後、身の破滅。
そういう宿命を、生産されたときから抱え込まされている「ロボット」というもの。
主人である人間に仕え、ひたすらに尽くし、尽くしてもなにひとつ報われず、壊れるまで使い倒され、それでも人間を恨むことなく廃棄という末期を素直に受けいれる機械の悲哀。


……って書いてみて、なんかこれってまんま藍宇じゃん、と思いましたが。
どうやら私は、そういうものに致命的に弱く出来ているらしい。


「コメディでしょ?」で観た『カンフー・サイボーグ』もやはり、そうした機械の悲哀が直球で胸に迫ってくるお話でした。笑ってるうちに、笑いの隅っこからせつなさがじわじわと這いのぼってきて、取り返しのつかなさにいたたまれず、なんだかちょっと困ってしまって、エンドロールをぼんやり眺めていました。


ここはねたばれとかに一切配慮しない方針でやってるので書いてしまいますが。
要は胡軍さん演じる田舎の熱血警察署長が、人間に反抗して脱走したロボット〈K88〉を追跡・捕獲する任務の途中でうっかり命を落とし、サイボーグとして復活するんだけど人間だったときの記憶は一切失ってしまっているという。
もちろんそればっかなお話ではないんですが、胡軍さんに特化すればまあ、そういうストーリーです。ものすごいざっくりですが。


熱血が行き過ぎてストーカーすれすれだったり。
タフガイなんだけどどっか空気漏れてたり。
かつての上司の娘(いまは自分の部下)にものすごーくはた迷惑な片想いをしてたり。
そんなおまわりさん時代(おまわりさんの制服着せたら世界一だ兄貴)もチャーミングですが、機械のからだで再生してからがなんかもう、えもいわれずセクシーダイナマイツなのでございました。
好きだった女の子のことも、「恋」という感情を持っていたことすら忘れはて、機械になってしまった自分というものをどうすることもできないまま、降りかかってくる状況をただ受け容れるばかりという。
なんかもう、とことん受け受けしい兄貴なのでございました。


日本で劇場公開されたら通い詰めるわ。
されること切に祈りますけど。
でもされねえんだろうなぁ……。







んで。
病んでおりますのでやはり思いは『藍宇』に収斂してしまうのですが。
もしも藍宇がサイボーグとして、愛しあっていたころの記憶をまったくなくした状態で再生したとしたら、捍東どうすんだろうなあ……とか、ヒルズ帰りの日比谷線でろくでもないスピンオフばっか浮かんで困りました。
藍宇は若くて綺麗なまんまで。
でも捍東は生身だからどんどん年老いていって。
そんなふたりの30年後とか想像して、日比谷線のなかでちょっと涙ぐんだりしたおおばかものでしたすいません。でもせつねえ……。
| 02:13 | 電影感想文。 | comments(5) | trackbacks(0) |
the possessive instinct
5月からこっち呆れたレンタル人生でありましたが、ふと気づけばあともどり出来ぬおかいもの地獄に堕ちてゐるわたしなので御座ひました……。


『藍宇』(日本版)
『藍宇』(台湾版)
『レッドクリフ Part 場J』
『レッドクリフ Part 場K』(コレクターズ・エディション)
『インペリアル・パレス 東宮西宮』(VCD)
『山の郵便配達』
『小さな中国のお針子』
『天上の恋人』
『パープル・バタフライ』
『恋の風景』
『PROMISE 無極』
『王妃の紋章』
『画魂 愛の旅路』(DVD-BOX)

●お届け待ち
『姐御〜ANEGO〜』
『私の中に誰かがいる』

『米尼』(中国版)
『硬漢』(中国版)
『美人草』(US版)
『阮玲玉』(香港版)


そんなていたらくで、すみません……。
自分てやつが、ものっすごーく悪い意味で一途なんだということがよくわかりました。

視聴したときは、
「けっ、なんだよこのクソホラーはよ」
とか吐き捨てた『私の中に誰かがいる』まで気づけばぽちってしまうとは。劉燁おそろしい子。
くわえて付随印刷物(パンフレットとかフォトストーリーブックとかビジュアルブックとか原作小説とか)の入手にも勿論余念がありません。総額いくらとかもう考えるのもいやです。



 郵便屋さんDVDのおまけについてたポスカ。


スタンプ部分が息子さんのシルエットです。いろいろたまりません。
| 10:04 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
四個月。──『藍宇』其の四
今度はもっと急いで君を探すからね
また逢いたい

(「SNOW」/吉井和哉)




映画やドラマを観るとき、台詞というものがとても気になるたちです。
登場人物がなにげなく放つひとことが、終幕近くになって物語世界をくるりとひっくり返し、返す刀で観客の足場も切り崩す。
そういう鮮やかな裏切りのある台詞が書けたらどんなにか素敵だろうなあ。
以前ちょっとだけシナリオの勉強をしていたころ、そんなふうに思いつつ、「ああでもあたしにゃとうてい無理だ……」と頭を抱えつつ、習作を書いていました。


『藍宇』にこれだけ病んでしまうのは、まがりなりにも映像の土台を作る作業に手を染めてみたことがあるからでしょう。
『藍宇』の世界には(メイキング『藍色宇宙』も含めて)、その気になればいくらだって深く掘っていける台詞が、ほんとうになにげない顔をして、もっといえば粗雑な感じで転がっています。
すくいとるそばから、指の隙間を零れていってしまう砂金みたい。「あ。」と思ったときにはもう見失っている。だから何度でも何度でも、すくいなおしたくなるのだと思います。
とるにたらない片言としてうっかり看過されてしまいそうなそれらは、しかしすべて、撮影の過程で矯めつ眇めつし、削ぎ落とし、磨きぬいた挙げ句の「なにげない」なんでしょう。
自然の造形と見せかけて、その実非常に細心に、狡猾なほど精緻に彫琢された玉のような。

たとえば冬至の夜、捍東と藍宇が再会する場面で藍宇が口にする、

「四個月(4ヵ月です)」

というひとことも、そんな言葉のひとつではないだろうか。
私、藍宇が口にする台詞のなかで、もしかしたらこれがいちばん好きかも知れないです。


捍東:什麼?
藍宇:昨天。剛四個月。


再会の直後、唐突に、脈絡も無く放たれたひとこと。陳捍東は咄嗟にはなんのことやらわからない。

「昨日で。ちょうど4ヵ月です」

いわれて漸く思いあたる。


捍東と出逢い捍東にはじめて抱かれた真夏の夜、それがいつだったかを、この子は全然忘れていないのだ。
からだに刻み込まれた、あまい痛みを伴う一夜の記憶。
捍東の匂いを、
拉く腕の強さを、
キスを教えてくれたそのくちびるを、
自在に欲望を引き出したその指を、
穿たれた熱さを、

捍東を見失っていた4ヵ月のあいだに、この子は幾度、反芻したことだろう。


そう思えば、こんなすれっからしの私だって、きゅんとなってしまいます。


「アイラブユー」という表現を使わずに、如何に「アイラブユー」を伝えるか。
恋愛をテーマにした創作に携わるひと、すくなくとも心あるひとなら腐心するのはそこでしょうし、またそこにそのひとの「芸」というものも問われます。


藍宇がここで口にする「四個月」は、紛れも無く、捍東への「アイラブユー」だと思います。

右も左もわからぬ都会で窮乏しかけているときに偶さか知りあい、やさしくしてくれた男。
彼を想いつづけた4ヵ月という時間。
もう逢えないのか。また逢いたい。
逢える確証も無いままに過ごした孤独な時間。その果ての恩寵のような再会。
無垢な喜びと含羞と、わずかなためらいをこめて口にする、たった三語のその台詞の向こうに、藍宇の無器用な初恋が見え隠れする。


藍宇という子は、想いを飾る術を知らない。訥々と紡ぐそのひとことひとことに、胸の底に滾る想いをまっさらなかたちでこめて放つ。生硬で真摯な彼の言葉はひとの胸を打ち、場合によっては手酷く傷つけもする。


陳捍東はどんなふうに受け止めたのだろう。
4ヵ月前、金で手に入れた一夜限りの、まがいものの「愛」。
一夜限りで逢えなくなるのなら、それはそれだけの縁。
金で買えるものなどには、所詮金以上の価値など無いのだと割り切って生きてきた。


筈だった。


音も無く降る雪みたいな。
10歳年下の男の子の青く愚直な「アイラブユー」は、韜晦に慣れきった文学青年崩れの胸に、どんなふうに積もっていったのだろうか。
| 12:41 | 藍迷。 | comments(2) | - |
フロム香港。
『藍宇』台湾版と時を同じくして(ショップはちがいますが)オーダーしたブツが届きました。

 『東宮西宮』VCD


海外からのお取り寄せもはじめてなら、VCD(Video CD)というものを購入するのもはじめて。

はたしてまともに再生できんのか?(メイドイン香港だし)
ひとばん経ったら葉っぱになってんじゃねえのか?

とちょっとびくびくしましたが、もちろんそんなわきゃあ無い。

ディスク2枚組なんですね。東宮西宮ならぬA面B面(すいません)。入れ替えがめんどくさいのが難なのと、画質がVHS並みの粗さじゃありますが、小史@胡軍さんは十二分に堪能できます。ジャケの兄貴がなんだかちょっと拗ねてるみたいで、びみょうにかわいらしい。


映画の感想を書いたときに触れるのを忘れてしまいましたが、阿蘭の回想のなかに「公共汽車(日本語字幕では「バス」)」と渾名される少女が出てきます。渾名の理由は「誰でも乗っける」、つまり尻軽の意。
白いブラウスに黒の袴子という清楚ななりをして、髪をだらしなくおさげに結わえて、かったるそうに足ひきずって歩く。ひとめみて、わあなんて私好みの美少女、と思って二度見したら趙薇(ヴィッキー・チャオ)で。
コーンヘッズ(『少林サッカー』)とデブ助(『レッドクリフ』)のこのひとしか知らなかったもんですから、こんな滲むように淫蕩な美少女だったのかとちょっとびっくりしました。


びっくりといえばこのVCDの送り主。
不在配達票の名前が




リウさんですかい!!!


すいません。ドア先で頽れた。え、じゃあさじゃあさ、次にリウさんのソフト買うと送り主が「Mr. Hu」とかだったり? まさかそんなわきゃあ死んでも無いがささやかな希望は棄てずにな自分。次回のお買い物が楽しみです。

| 14:52 | Hu Jun(胡軍/フー・ジュン) | comments(0) | - |
続・東京でrendez-vous。
先週末から、一日ほぼ14時間仕事の日々がつづいております。
その隙間にシネマ歌舞伎だの落語会だの芝居だの映画だの呑みだのつっこんで自分で自分の首を絞めているわたしです。

19日からの週だってもう1ミリたりとも余裕が無え。
というのは重々わかってるくせに、やっぱりがまんできなくてつっこんでしまいました。


 『建国大業』@「2009東京・中国映画週間」


40年代の戦争から建国直前までの波乱万丈な時期にスポットをあて、 広い歴史の視野から、共和国の多党協力と政治協商制度の重大な歴史を再現。 また、中国共産党と中国各民主党派が、蒋介石の国民党の独裁に反対していく中で、 心を一つにし、団結して戦い、やがて多党協力と政治協商制度を成立させる過程で経験する苦難と、 最後は勝利を収める輝かしい歴史を描いている。


という中華人民共和国現代史のお勉強はさておいて、すいません、予告観てて劉燁ひとりに泣かされちゃって。
なに言ってっかぜんぜんわかんないんだが、まなざしと声と、「そこに立っている」というだけでやはりこのひとはものすごかった。わずか1分半の出演でおいしいとこ全部ひとりで持ってったというお話を先日コメントで伺いまして、
「どんだけコストパフォーマンスの良い役者なんだよおまえってやつは!」
と、あらためて火が点き。中国方面の映画は観られるときに観とかないと一生観られなくなるかも知れないから、もうこの際、睡眠時間とメシ食う時間削っとけと。


はい。
紛れも無く病んでいると思います。
変なのかなこんなに好きだなんて。いや変じゃない(笑)。


という次第で、胡軍兄貴もまとめて(まとめても1500円ぽっきり!)お逢いしてまいります。10月24日シアターTSUTAYA@渋谷



HD版予告はこちら。画質きれいですが、内容は編集違いのバージョンをまとめたものです。
| 11:03 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(2) | - |
une abeille et un chien
先々週からテレ東ではじまった、こちらの郵便屋さん物語

一話二話観たらちょっとはまりそうな気配。
だって、ただでさえ「郵便配達の男の子」にとてもセンシティヴになっている自分に向けての駄目押しでもあるかの如く、

「郵便配達の男の子と、その相棒の犬」

とかいう煩悩カプを出してくるのはあまりにも卑怯だとおもいます。やべえ。ゴーシュ・スエードとロダがもはやちがうひとにしか見えませんどうしてくれますか。


ただの一度も郵便配達員の役をしないまま生涯を終える役者さんも多いのでしょうに、20代のうちに二度も郵便配達員の役をしてしまうというのも、なかなか数奇な役者人生というか劉燁さんは。
このままゆくと、30代でもう一回ぐらい郵便配達員役を演ってしまうかもわからない。


郵便配達員というのがわりかし映画的というのは、だれかの想いのこめられたものを運ぶひとであるからでしょうか。
「だれかの想い」を待つひとは郵便配達員がくるのを心待ちにしているのだけれど、彼・彼女が待っているのはあくまでも彼が携える「手紙」であって、郵便配達員そのひとが心底待ち望まれているわけではない。
そのような役回りを引き受けざるを得ない職掌でもあるというあたりが、郵便配達員は随分とせつない。

『山の郵便配達』の息子さんがそうした宿命的なせつなさを味わう日も、遠からずやってくるのではあるまいか。
そのとき彼の傍らに控える犬は、どんな眸で、若い主人をみあげるのだろう。




郵便配達員とは全然関係無いですが。
犬と絡むとやっぱり綺麗ですこのかた。


| 02:20 | Liu Ye(劉/リウ・イエ) | comments(7) | - |
地、這った。空、見合った。──『京鹿子娘二人道成寺』
歌舞伎舞踊の感想文なので、『藍宇』とは直接には関係がありません。
関係が無いのになんでこのカテゴリかといえば、自分のなかではなにもかも地続きだからです。


いえ。
なにもかも地続きであったということが、さきほど銀座東劇でシネマ歌舞伎を鑑賞してみて、いやというほど骨身に沁みてしまったからです。






紀伊国の道成寺では、新しい釣鐘の供養が行われていました。道成寺の釣鐘は、恋人安珍を追いかけ、恋しさのあまり大蛇と化した清姫によって焼き滅ぼされていたのでした。そこへ白拍子花子(玉三郎・菊之助)が現れ、鐘の供養を拝みたいと頼みます。舞を舞うことを条件に参列が許された花子は、さまざまに舞い、踊ります。

しかし花子は実は清姫の怨霊で、その昔安珍を匿い、自分との仲を隔てた釣鐘に恨みを残しているのでした。僧たちの油断を見澄ました花子は、やがて大蛇の正体を現すと、釣鐘もろともいずこともなく去ってゆくのでした。


「京鹿子娘道成寺」は女方ひとりが舞う舞踊劇ですが、「京鹿子娘二人道成寺」は、「白拍子花子」というひとつの役、ひとりの女を、女方ふたりで分け合って演じる舞踊劇です。数秘術においては「2」という数字に支配される私が、こんな素晴らしいもの、素通りして良い道理がありません。

そして、こうしたものを素通り出来ない自分だからこそ、陰陽・表裏・虚実、その他さまざまな二元が複雑に絡みあい鬩ぎあう『藍宇』という世界に、ここまで病んでしまったのだ。

このブログのタイトルに「蛇」と「果」という相反するシンボルを掲げた時点で、そんなこと気づいていりゃあ良さそうなもんでした。与太郎なのでごめんなさい、いまさっき気づきました。

影のようにまったく同じ動きをしたかと思うと、鏡のように完璧に反転した動きをする二人の花子、同じ姿で恋人同士の男と女になる花子、どちらが実像でどちらが幻影なのか、それとも両方とも幻なのか、陰と陽、光と影、ゆめとうつつが交錯する、まるで白昼夢のようなめくるめく世界

シネマ歌舞伎のパンフレットに掲載された解説がそのまんま、自分が捉える『藍宇』というものを言いあててくれていました。そしてさらに。

「娘道成寺」を貫くテーマは「恋」。
恋をまだ知らないあどけない少女、不実な男への嫉妬、恋の涙、恋の喜び。
そして最後は安珍、清姫の悲恋の伝説に戻り、恋人を焼き滅ぼし、自らも蛇と化す激しい恋。

白拍子花子が道成寺にあらわれたとき、所化たちは、
「あれは白拍子か、それとも生娘か」
ということでちょっとした論争になります。
白拍子、つまり金で芸と性を売る遊女なのか、或いは男を知らない処女なのか。
一見した限りではその女はどちらとも判断がつかない。
ただ「よい匂いのする美しいもの」として、そこに佇んでいる。


なんかもう、既視感ありすぎて泣けたわ(笑)。


つまり『藍宇』というのは、はるか昔から数限り無く繰り返されてきた、「恋」というもののひとつの不変/普遍、ただそれだけなのだ、ということなのですね。
その恋の行く末がどうなるかということなど百も承知で溺れてしまうし、病んでしまう。止め処もつかず滅んでゆくすがたに、どこまでも焦がれてしまう。



以下は今年の2月22日(奇しくも「2」の三つ重ねだった。これまたいま気づいた・笑)に歌舞伎座で「京鹿子娘二人道成寺」を拝見したときの感想文です。
『藍宇』に出逢うおよそ三月まえに、自分は既に『藍宇』の感想を書いていた。
いまあらためて読み返すと、そんなふうにも思います。
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| 14:06 | 藍迷。 | comments(0) | trackbacks(0) |
あらしのよる。
もう行っちゃった地方のかたも、これから来るよ、な地方のかたも、台風お見舞い申し上げます。


昨夜、台風情報そっちのけで私がなにをしていたかといえば『藍宇』を観ていました。またかとお思いでしょうがちょっとちがうの。
これなの。


 『藍宇』台湾版



お取り寄せしてしまいました。

とはいえ収録されているのは日本版と同じ本編86分バージョン、それのみなの。
かつては台湾で完全版が出ていたというお話も伺ったのですが、現在流通しているものには未公開シーンは含まれていません。
なんで買ったかといえば中国語字幕(繁体字)と英語字幕がついてるので、日本版よりも会話のヒアリングが楽なんじゃないかと思って。

あとボカシ入ってないんです、これ。
もう、日本版のボカシがこのうえなく鬱陶しくて下品で大嫌いなんだわ。お客様にお見せしたくない部分以外のところまでもあの鬱陶しいもやもやが波及してしまって、映像が崩れちゃうんだもの。だいたいぼかしたってぼかさなくったってどっちだって良いようなもんじゃないかあんなもの。
というわけで、いまは心底すがすがしい、正しく台風一過な気持ちでございます(笑)。


日本版との大きな違いはラストのモルグのシーン。
藍宇の遺骸を前に捍東が号泣するところ。

私がこれまで観てきたやつ(日本版)では、この場面では途中まで、捍東の嗚咽が音声として一切入っていませんでした。
つめたい灰色の世界で、恋人に取り残されて頽れる捍東。
臓腑の底から搾りだすような号泣。
それはすべて、完全な無音の世界で行われているのでした。

しかし台湾版だとここ、最初っからすべて声が入ってるんです。つまり胡軍の泣きを頭っからフルで聴けるという。

ううむ。
演出的には日本版のが好きだがこっちはこっちで捨て難い。
| 23:11 | 藍迷。 | comments(2) | - |
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