]]>But your love is like a drug.http://she-guo.jugem.jp/?eid=7812018-03-18T13:32:00+09:002018-03-19T04:54:51Z2018-03-18T04:32:00Z2010年このかた、3月18日には仕事を入れない人生をやっています。
たとえ入れていたとしても為すべきことを為果せるまでは手をつけません。
為すべきこと。
すなわち胡軍さんの生日を言祝ぐということです。
「三十路」という言葉を「三十代」という意味で使ってい...レッドHu Jun(胡軍/フー・ジュン)
たとえ入れていたとしても為すべきことを為果せるまでは手をつけません。
為すべきこと。
すなわち胡軍さんの生日を言祝ぐということです。
15世紀イタリアの彫刻家で、釉を使ったテラコッタ技法を開発したルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia)というひとがいます。かれの甥のアンドレア・デッラ・ロッビア(Andrea della Robbia)が、その技法を用いて作品を作った芸術家のなかで、最も有名な人物なのだそうです。
アンドレアの作品に使われている青こそが、ブランチのいう「デラ・ロビア・ブルー」(デラ・ロビアの青)なのでしょう。
「Della Robbia Blue」で画像検索してみますと、かれの作例をみることができます。
右上に「CITY OF VICTORIA HONG KONG 1905」とありますが、孫文が香港を訪れたのは1906年のこと。埋め立てによって海岸線の形がだいぶん変わった香港島ですが、この地図では干諾道(Connaught Road)の向こうがすぐ海で、いくつかの桟橋が海へと突き出ています。
右下、人力車のイラストがあるところがスタート地点でしょうか。赤い矢印が上に向かって伸びています。
はたしてこれが本当に、映画のなかで1906年10月、孫文を護って義士団の面々が走り抜けたコースなのかどうかもわかりません。でもどうせ香港行ったら一度は上環をぶらぶらするんだから、だったらこの地図のとおりに歩いてみるのもおもしろいかも、と思いました。南北を逆にして、通りの名称を手がかりに現在の地図と突き合わせてみたところ、下の地図の破線のようなコースになりました。
まずは海港政府大樓(Harbour Building)の近くまで行き、歩道橋を使って干諾道中(Connaught Road Central)を越え、永和街(Wing Wo Street)に入ってみました。
同様に中國日報の場所も、士丹利街(Stanley Street)にある陸羽茶室がその跡といわれているのに、略図では威霊頓街(Wellington Street)と徳己立街(Dagular Street)の交差するあたりになっています。どうなんでしょうかこのへんは。
ともかく皇后大道中から雲威街を上がり、威霊頓街に入ります。プレスシートの劉公子(黎明)のキャラクター紹介(上掲)に、
3:37pm
Wellington Street
Guarding the entrance of a street against the attack of several dozens assassins.
ちなみに阿四こと謝霆鋒/ニコラス・ツェーさん経営のクッキーショップ「鋒味 by Beyond Desert」が結志街に入る角んとこにあります(百子里公園の地図参照)。「え、こんなところにッ!?」と帰国してから歯噛みをしました。香港まで出掛けていって『孫文の義士団』ゆかりの地を巡ってるくせになんでここで阿四のてづくりクッキーをみやげに買わん!? 阿四じゃないですけど。まことこのあたりは盆暗のきわみでございます。
「鋒味 by Beyond Desert」に微塵も気づかぬまま、通りというよりも市場みたいな趣の結志街を歩いていくと、行く手に有名な茶餐廳・蘭芳園があります。お茶を飲んでいこうかなと思ったのですがクッソ混んでいたのでやめました。蘭芳園手前の吉士笠街(Gutzlaff Street)を左へ折れます。ぼんやりしてると通り過ぎてしまいそうな(ピンクのお花が目印)、ほんとにここ通れんのかぐらいの裏道感漂うストリート(下図左)を下っていくと、ふたたび威霊頓街に出ます。