蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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《爸爸去哪儿3》第4期20150730。
雲南省西双版奈(シーサンパンナ)・タイ族自治州二日目。









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例によっておとうさんたちが軽い運動をやって朝ごはんをゲット。そのあとは、約150頭の野生のアジア象が暮らしている森へ向かいます。父子がそれぞれ3つのルートに分かれて象を観察するという趣向ですが、ルートのひとつはふたりのおとうさんがヘリコプターに乗って空中から象の痕跡を追い、それを撮影するというもの。





撮影クルーの大人たちがつねに周囲にいるとはいえ(映っていないだけで、こどもらの安全確保のために相当数のスタッフが同行していると思われます)、右も左もわからぬ熱帯雨林でおとうさんと離ればなれになるのはちいさい子であればだれだってこわいものです。最年長とはいえまだたった6歳、さすがの康康も「こわいよ」と訴え、胡軍さんも「だったらいっしょにいてやるが、どうする?」と訊きます。ここはあまえてしまいたいけど、年少の軒軒、大竣、夏天が「パパと離れるのはぜったいにいや!」とゴネるからにはいちばんおにいさんのおれが身を引かねばこの番組は成り立たぬ。内心めっちゃこわいけど、ぐっとこらえておとうさんを志願させる康康。






胡軍さんだって勿論、康康がこわくてたまらないのはようくわかっているんだけれども、いったん口に出したからにはあとに引けないせがれの立場もまた、わかりすぎるほどわかっています。そして、一度決まってしまったことはもう覆せない。ほかの子らがはしゃぐかたわらで、頼りがいのあるおとうさんの腹に頬をよせて、内心の葛藤と必死で闘う康康(このときの葛藤があとになって大爆発を引き起こすのですが)。







どうもこの父子を見ていますと、「士は己を知る者の為に死す(死為知己者死)」とか「壮士ひとたび去りて復た還らず(壮士一去兮不復還)」とか、おもに『史記』「刺客列伝」方面の故事成語が過ぎってしまいます。さていっぽう、ひとたび去りて復た還らなかった刺客をかつて演じたおとうさんとその子。




こわくなんかねえよ!





尊敬する(そのわりに名前がおぼえられない)康康哥哥がみせた男気に刺激されたか、意地を張る諾一。しかしよく話を聞いてみると。


パパとはなれる!
だってみんなでへりこぷたーにのりたいもん!



完全に企画の趣旨をとりちがえていました。
へりこぷたーにのるのはおまえじゃなくておとうさんなんですよ、諾一。
そんな、生来の天然ぼけ体質とはいえそこまで諾一が言うのならしかたが無い、と胡軍さんにつづいて劉さんが志願。その瞬間の胡軍さんの、さまざまな思いが去来したっぽい表情のびみょうさがちょっといいかんじでした。





いいのかおまえそんなこといっちゃってせがれがぞうにふまれでもしたらどうするまあおれはおまえといっしょにへりこぷたーにのれるのはねがってもないけどね。
(あにき心の声・レッド代読)

自分と離ればなれになることになんの痛痒も感じていないっぽい諾一にくさってしまった劉さん(とそれをおもしろがる胡軍さん)ですが、






同情を引こうといつものようにうそ泣きをしていると、いたいけなおとうさんを慰めに寄ってきたはずが、逆に泣きだす諾一。







生来の天然ぼけもおとうさんと離ればなれになるのはやっぱりつらかった。
けっきょく康康は林老師とクリスさんが、諾一は鄒市明さんが、それぞれめんどうをみることに。





【チームA】:林老師 大竣 クリスさん 夏天 康康
【チームB】:市明さん 軒軒 諾一


まんがいち象に遭遇したときは、
1. S字を描いて逃げませう。
2. 太い樹木にのぼりませう。

以上2点をふまえて出発です。
そうして餓鬼の居ぬ間にふたりのおとうさんは。










手に手をとって愛の空中散歩へ。
おもえば「爸爸去哪儿」という番組タイトルは、正しくこのふたりのこの瞬間のためにあったんじゃないでしょうかみたいな気がしました。
しかしおとうさんふたりがウキウキランデブーだったまさにそのころ。

地図が雑すぎて描かれている橋が実際には無かったり、方向音痴なくせに自信だけは満々な某おとうさんのおかげで道に迷ったり、すっかり不安になったところへお誂え向きにけだものの咆哮が響きわたって一同もれなく恐慌状態、あぶなくなったらきっとたすけにいくからなと約束してくれたおとうさんは声を限りに呼べど叫べど諾一ぱぱとたのしそうにへりこぷたーで行っちゃうし、ちくしょうおれはおやじにみすてられたもうここで死ぬと絶望したり、恐怖が裏返ってめっぽうハイテンションになってしゃべりづめだったり、象から逃げるはずみにすっころんで膝をぶって大泣きとか某おとうさんが首からさげてたカメラが顔にぶちあたって大泣きとかなにかと痛い目にあっていたりと、おもにおとうさんに置いて行かれたお子らを中心に森のなかでは地獄絵図が。





















(クールでかっこいいおにいさんだと思っていたのに……)
夏天もまじどんびきでした。


ちょっとおもしろかったのが、象があらわれるかも、ときいていきなりべそをかく諾一の気を逸らそうと市明さんが、
「森のなかでいちばんこわいいきものはなーんだ?」
となぞなぞを出すくだり。
諾一は「蛇」と答えるのですが、あとすこしで目的地に着くというところで彼らの行く手に大きな蛇が立ち塞がる。諾一の答えはこの事態を予言していたのか! しかしそのまえにこんな話もある。

 やがて先行の者があわただしく駈けもどってきて、このさきは通れません、と報告した。きくと、沼から這いあがった大蛇が小径に胴を横たえて動かないでいるという。きいたとたん、劉邦の壮気が酔いに乗って全身をかけめぐった。わしは壮士である、壮士とは勇往して畏れざる者をいうのだ、と叫びつつ前進した。
 なるほど、径に丸太をたおしたようにして灰白色の大蛇が横たわっている。
「こいつか」
 劉邦は剣をふりあげ、力まかせに大蛇の胴を撃ち、狂ったような勢いで撃ちに撃って胴を両断してしまった。

(司馬遼太郎『項羽と劉邦』/新潮文庫)

蛇のなきがらのそばで泣いていた老婆が、白帝の子である我が子が赤帝の子に斬られてしまったと嘆く、ゆえに劉邦は白帝(=秦)を滅ぼす赤帝の子なのである、と『史記』「高祖本紀」はいいます。
『王的盛宴』において劉邦そのひとを演じた役者の子が、労役から逃亡しあても無く夜道を彷徨う劉邦みたいに、森のなかで蛇に遇う。
これひょっとしたら蛇は仕込みだったりするのかもしれませんが、物語としてはちょっといいかんじです。

ちなみに市明さんのなぞなぞの答えですが、森のなかでいちばんこわいいきものは「麋鹿(ヘラジカ)」。
「麋鹿」のピンインはmilu、「迷路」もmiluで、つまりいちばんこわいのは「道に迷うこと」という。
麋鹿は別名を「四不像」ともいうそうで、辞書によれば、角が鹿に、尾が驢馬に、蹄が牛に、頸が駱駝に似ているが、全体として見ればどれにも似ていない(四つのものに“不像”)ということから「得体の知れないもの」「なんともつかない状況」の喩えにも使われるのだそうです。お勉強になりました。

ところで軒軒。
映像で観るかぎり、森のなかを歩いているあいだ、こやつは一度たりとも泣かなかった。
康康や諾一が泡をくったりめそめそしたりしているのにひきかえ、いちばんちいさい軒軒はひとり泰然としていました。勿論おとうさんがいっしょということで心強かったせいもあるでしょうが、泣いている諾一を慰めたり励ましたり、おもしろいことをやってみせて笑わそうとしたり。おとうさんに命じられたからそうしなければとがんばっているんではなく、状況まるごと受け容れて、どこか楽しんでいるかんじ。大事なよそさまの子である諾一におとうさんがまず気を遣って、自分のことはちょっと疎かにされていても、拗ねることもない。よくわからないものはよくわからないまま、まるっこい体で駆け抜けてゆく軒軒は、目の前にある現実(だけ)をぶれずに見ている子なのかもしれない、と思いました。森を出たあと、おいしそうな食べもの飲みものを紙のお金で競り落とすというゲームの段になれば一転、泣いてわめいてぐずってわがままをいうおなじみの軒軒にけろりと戻る。ぶれてない(笑)。






康康が競り落としたアイスクリームの溶け残りでこそこそ乾杯しているおとうさんたちのらぶいかんじも些かもぶれてない(笑)。


目の前にある現実を見ているという意味では林大竣もそうかも知れません。
夜営しているところに明け方ちかく象がやってきて、テントも荷物も捨てて逃走したあと、日が昇ってからそこへ戻ったときの大竣の行動がちょっと不思議でした。立ち去りかけて踵を返し、その場の景色をそのままビデオに収めるよう、おとうさんに頼む大竣。おとうさんといっしょに過ごした幸福な一夜の記憶、打って変わっていろんなものが散らばりひっくり返されたキャンプの現実。五歳に満たないこどもの目には無残なものと映ったでしょう。ほんの数時間とどまったにすぎない場所への、言葉にし難い愛おしさと悲しさに泥む息子に、この番組の撮影が終わったらおかあさんもいっしょにまたここへ来ようとおとうさんは言う。心に刻まれたものと目に映ったものの記憶は、そのとき彼のなかで、どんなふうに醸成されているのでしょうか。


10年前、人間によって傷を負わされ、保護されたちいさい象、然然(ranran)。
その14歳の誕生日をみんなで祝い、ひとり森へと還ってゆく然然を見送ります。








はじめての森も、森のどこかにたしかにいるけれども姿を見せない象も、「得体の知れないもの」という意味では「四不像」であるといえます。生きていくこともまたそうです。こどもらに限らず、おとうさんにとっても、私らにとっても。
見て、知って、触れて、感じてしまえば愛すべきもの。
見ず知らず触れず感じなければいつまでもおそろしいまま。
なんともつかない状況に囚われず。闇雲に畏れず。立ちどまってもいいから。わんわん泣いてもいいから。日の光も月の光も届かない冥い森のなかでも、その道を照らしてくれるほのかなものに、私たちはみんな、きっと出逢える。それだけ信じて前へと進む。
祝福って、そのぐらいでちょうどいいんだと思いました。

| 17:04 | 爸爸去哪儿第三季。 | comments(2) | - |
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!!!きゃー!!
『ぱぱどこ3』第4回の感想文ありがとうございますー!!!
きゃー!!お忙しいところ、まことに、まことにありがとうございますう〜!!
いろいろびっくりな第4回でした。
…それにしてもやっぱりこの地図は雑すぎる…(苦笑)。

さて。
「あにき心の声」を代読してくださってありがとうございます(笑)。うふふふふ腐。
>餓鬼の居ぬ間にふたりのおとうさんは

…ふたりで森の奥に消えるかのような画像、ステキです(笑)…とかいってる場合ぢゃなかった(笑)。
自分だってこわいけど、女の子や弟たちのためにと、胡軍おとーさんに手を挙げさせる康康くん。
おとーさんの腹のわきで涙をこらえる表情がたまりません(;_;)
『ぱぱどこ3』宣伝片の「江湖へ行く父子」はとてもふさわしかったですね〜。
そして「天然父子」の諾一くん(笑)。
それでもやっぱりおとーさんと離れるのはさみしかったんですね(;_;)

しかし。
…康康くん。幼すぎず、かといって10〜12歳くらいのおにいちゃんでもない(ときおりそのくらいに見えるんですが)まだ6歳の男の子だったんですよね。
激しく爆発させる感情に、ただただ、圧倒されました…(汗)。
そしておとーさんゆずりのよく通るでーっかい声!(笑)

こけて泣き、カメラがお顔にあたって大泣きする諾一くんや康康くんの泣き顔を観て、あーこどものころってあんなふうにおもいっきり泣いてたなあ…とかちょっとしみじみモードになっちゃったりしてました(笑)。
そして泣いちゃった諾一くんをはげます軒軒くん!(笑)
かわいかったですねー♪この仔とおとーさんが拳をぶつけあうのだいすきなんですけど(笑)ここでもかましてくれてうれしかったです♪
たしかにこの仔、泣いてませんでしたね。んが、いざ食べ物に絡んでくると「おなじみの軒軒くん」に(笑)。
(…いや、あの…この仔の食べ物への執念(笑)を観てると、まるでこどもの頃のおのれをみてるようで…ああ、いたたまれない…・苦笑)
あと「蛇」のくだり。私も「まー!劉邦のなかのひとの仔のまえでなんてぇおはからい♪(違)」と思いました(笑)。

で。
市明さんのなぞなぞの答え。
「…え?…鹿??…こわい…の???」と思ってしまったんですが(汗)…わあ!そういうことだったんだ?!
「麋鹿」と「迷路」のピンインが同じとわ!!
「麋鹿」の別名のことまで調べてくださってありがとうございます!!すばらしいっ!ひとつかしこくなりました(笑)。ありがとうございます!!

大竣くん。この仔にも今回ちょっとおどろかされました。
この仔もジャングルでは泣きもせず淡々としていて、ぽやぽや〜♪っとマイペースな仔なんだなあって思ってましたが。
涙をためて、もっかいテントのとこに戻る!と言い出したのにはびっくりでした。
夜テントのなかで「おまえは勇敢だったぞ♪」とおとーさんに言ってもらったことがうれしかったのかな〜。
ふだん言葉に出して言わないだけで、こどもははいろーんなこと感じていろーんな思いがあるんだなーと思った次第です。

そんなこんなで、お仔ズらにいろいろおどろかされているあいだに
こそこそはさまれる胡軍さんとリウイエさんの、阿吽の呼吸のなかよしさんっぷり(爆)。

>アイスクリームの溶け残りでこそこそ乾杯しているおとうさんたちのらぶいかんじ

…といい、
ヘリから降りてきたリウイエさんが開口一番「汗、すごいね」って胡軍さんのシャツを指さして言ったり(笑)。
←なんかこのやりとり、さすが馴染んでるなあって思ったもんですから(笑)。
おもにこのおふたりさんを目当てに観初めましたが、近頃は、いいチームになってきたお仔ズやほかのおとーさんズ観てるのも楽しくて♪
でもやっぱりこのおふたりさんからは目がはなせません(笑)。

そして。
レッドさんのこの記事の締めの文章にいろいろ考えさせられました…ありがとうございます。

…って!!うわあ!こんなにだらだら書いてすいませーんっ!!!m(_ _;)m
次回も楽しみにしてま〜す♪
posted by カエル | 2015/08/19 12:40 AM |
>カエルさん

かつて、とあるドラマのとあるキャラクターおふたりをネタに「森」を舞台にしたお話を遊びで書いていた自分なので、父子が「森」へと入ってゆく今回の『爸爸3』は、観ていていろいろずきずきしました。
とくにおとうさんふたりが手に手をとって(笑)緑のなかへと歩み去ってゆくところ。
このままふたりでどこかへ行ってしまって、もう二度と自分のいる「こっちの世界」には戻ってこないんじゃないか──という、子どもらが無意識に抱いている不安をそのまま表しているかのような、素敵ショットでしたね。
撮影・編集した側にも、たぶんそうした意図があったのでは、という気がします。
言わずもがなだけど、『藍宇』の影が濃厚に感じられました。

とあるドラマのとあるキャラクターのおふたりで書いていたお話は、おふたり+小さい男の子の3人が森(ある種聖域というか、外の世界から結界によって守護されている森)で暮らすというものでしたが、ちょっとこのシーンを観ていて、康康と諾一とそのおとうさんズの4人が森のなかでいつまでも幸せに暮らしましたとさ──とかいうお話までもが浮かんでしまいました(笑)。
私のなかにそもそも、結界・聖域に閉じこもって外界との接触を遮断してしまいたい、という願望が強くあるからこそああいうお話を書いたんだし、『藍宇』という物語にもこんなに強く惹かれてしまったんだな、と思いを新たにもしました。
藍宇のあの小さい部屋は正しくふたりだけの聖なる森であり、そこを出た途端にどちらかが破滅する。
物理的な外出なら何度もしているけれども、最後の朝の藍宇の去り方はやはり、「もう二度と還らない」というおそろしい予感に満ちていて、『爸爸3』で去っていくリウイエさんが振り向いて手を振るというのも、個人的に大好きなもうひとつの物語との暗合のように思えました。
藍宇は捍東を「こっちの世界」に置き去りにしたけれど、こんどは胡軍さんも共に連れて行く、というのがねえ……こわいような素敵なような(笑)。
「蛇」とか「四不像」といったシンボリックなものどもも今回は多々出てきたし。
そのあたりはいずれ、いろいろ書いてみたいと思っていますが。

私は小さい頃、日常的にはあんまり泣かない子だったので(お話を読んだりアニメを観たりして感動して泣くのはしょっちゅうでしたが)、康康や諾一がなにかと爆発的に泣くさまを見ていると、ちょっと羨ましい気持ちになります。
軒軒もそうですが、ちょっとのことでビエビエ泣き、ちょっとのことでころりとごきげんさんになってしまうところも、子どもの感情の振り幅って単純だけどすげえなと思います。
あのめまぐるしい感情の動きに耐えられるぐらいのエネルギーがあるってことなんですよね、子ども。

あと、じつは動物だいすきな大竣が象に寄せる想いなんかもちょっとよかった。
「だいすきな動物」が自分たちのキャンプを襲来し(というか象にしてみりゃたぶんとおりすがりなだけなんだろうけど・笑)、日の光の下であの状態を見て、彼なりにいろいろ複雑な想いに囚われたんじゃないかなあという気がします。
人間によって足に輪をはめられて傷ついた子象の映像を観て「わるいやつらめ!」と罵っていたのも、森へ還る然然を涙をためてじっと見送っていたのも、印象的でした。

父にしろ子にしろ、子どもらしくかわいらしいところ、善なるところばかり強調するんじゃなく、だめな部分(わがままだったり強情だったり見栄っ張りだったり)も暴きたてる視線を持ってるところがこの番組のおもしろさかな、と。
今週金曜日も楽しみですね!
posted by レッド | 2015/08/20 11:14 AM |
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