蛇果─hebiichigo─

是我有病。

| CALENDAR  ENTRY  COMMENT  CATEGORY
ARCHIVE  LINK  PROFILE  OTHERS  RECOMMEND
彼らが居た場所。
『チョコレートドーナツ』観た足で伊勢佐木町をぶらぶらしていて(それを「伊勢ブラ」と云うのだそうです)たまたま入った古書店で『天安門・撮影日記 1989.5.25〜6.8』という写真集をみつけました。著者は写真家・今枝弘一氏。
天安門事件のとき広場において虐殺があったか否かということについては諸説あって、広場では虐殺はいっさい無かったんだとか、広場以外ではあったとか、2011年にウィキリークスが公開した米外交公電によれば1000人以上の学生が殺されたとか、中国政府発表では死者319人とか。今枝弘一氏は、写真とそれに添えた文によって、ありもしない虐殺をあったかのようにミスリードしたということで、虐殺無かった説の人からは手酷く批判されています。

【参考】
「1989年天安門事件関係論文」
「天安門広場での死者はなかった─映画評論家町山智浩アメリカ日記」


そういうことはまあ措いて、『天安門・撮影日記』。
血塗れで横たわる学生さんとか凄惨な遺体の写真にびみょうに腰が引けたりもしつつ、シンミリと読みました。5月25日の天安門広場はまだのどかで、深夜のロックコンサートなども行われ、語弊を怖れずにいえばその風景はなんだか「フェス」のようでもありました。藍宇が居たのはこういうところだったのです。捍東のもとを去った藍宇は、ひっそりと傷心をかかえながらも、夢見がちな眸に熱を湛えたひとりの青年として、同じような青年たちとともに、ここにいたのですね。運命の相手である捍東も知りえない藍宇の時間。捍東が永遠に踏み込めなかった藍宇の、鉄の扉の彼方の領域。写真にとどめられている学生さんひとりひとりがみな藍宇のようにみえ、もしかしたらどっかに藍宇が写っているのじゃないかしらとかしょうもないことを思いながらちょっと泣いたりしながら、ページを繰りました。


あのときあの場所で、藍宇に遇っていたかも知れない彼ら。
或いは自らの心のなかに「藍宇」をたずさえていた彼ら。
25年経ったいま、どこで何をしているのでしょう。
息災でしょうか。恋はしたのでしょうか。仕事に就いたでしょうか。ごはんをおなかいっぱい食べているでしょうか。もう死んでしまったでしょうか。

彼と彼らが居た場所に、いつか立ってみたいと思っています。







『天安門・撮影日記 1989.5.25〜6.8』(今枝弘一著・話の特集刊)より

| 20:55 | 藍迷。 | comments(2) | - |
Comment








もう5日になってしまいましたが(汗)そおか…もう25年も経つのですね…。
25年前そこにいたひとたちの表情をとらえた本にレッドさんは出会えたのですね。

『藍色宇宙』での、心身ともに傷ついた藍宇がとぼとぼ歩いてくるシーン。
途方に暮れた表情の藍宇のカットが印象的でした。
桿東の姿をみとめたときの藍宇は何を思ったんだろうといつも思います。
posted by カエル | 2014/06/05 12:37 AM |
>カエルさん

この本を見つけたのは偶然でしたが、そして手にとってみて買うのを正直迷ったのですが、「これもご縁」と思って買いました(笑)。
ニュースでも言われてますが、「天安門」のみならず、「今日」や「蝋燭」といった言葉までもが検索できない状態だったようです、昨日の中国は。
なんだかねえ。

広場を抜けて大学の寮にたどりつくまでに、藍宇が見た景色はどんなものだったのか。
藍宇は捍東にその後、そのときのことをどう語ったのか。あるいはまったく語らなかったのか。
いろいろ、余地が広がりますね。
posted by レッド | 2014/06/05 12:08 PM |
<< NEW | TOP | OLD>>