水剋火。
2014.05.02 Friday
BSプレミアム『古代中国 よみがえる伝説』「項羽と劉邦 〜王者の条件〜」を観ました。
「古代中国の歴史の現場を“旅人”が訪ね、英雄たちの姿に迫」るというプログラムです。詳細はこちらをご参照ください。
「旅人」は吉川晃司さん。
吉川晃司さんといえば、80年代が青春だった自分の場合はやはりこれ。
“モニカ”以外の吉川晃司さんといえばです。
もとイエロー・モンキーの菊地“エマ”英昭をレコーディングやツアーのサポートギタリストに起用しまくり、「エマちゃん(はぁと)」とお呼びになるほどエマちゃんだいすきエマちゃんぞっこんらぶーな男である。
ざっとそんなくらいの認識しか無かったが吉川晃司さんはじつは中国史マニアとしても筋金入りで、『別冊文藝春秋』2005年1月号で宮城谷昌光先生と対談したこともあるんだそうです。すいませんお見逸れしました。
項羽の生まれ故郷、江蘇省宿遷にて、項羽像(男前)の前に佇む吉川さん。
“モニカ”とエマちゃん以外の吉川晃司さんといえばです。
2009年のNHK大河ドラマ『天地人』で織田信長を、昨年の『八重の桜』では西郷隆盛を演じておられました。
どちらもそれは素晴らしかったのです。静謐な殺気を漲らせ、分の厚い刀をすらりと抜きざま真っ向から脳天に振り下ろすような、そんな芝居をなさっていました。信長と西郷という、非業の死を遂げた一個の英雄をそのように演じる吉川さんをみていてふと、このひとに項羽を演らせたら似合うだろうなあ、なんて思いました。
そんなこともあったせいか、まったく根拠は無いけれど吉川さんは項羽がきっとすきだろうすきにちがいない、と思いながら番組を観ていたら、やっぱりだいすきでらっしゃるみたいでした。吉川さんが項羽について語った言葉を抜粋してみます。
自身のことを顧みつつ、項羽を語っているのかも知れないな──なんておもいました。
項羽への甘苦い哀惜と共感が、彼の言葉のはしばしから滲んでくるように感じられたのです。
以前、中国のメディアがやっていた『王的盛宴』メインキャラクターの皆さんをそれぞれ黄道十二宮にあてはめてみるという遊びにおいて、項羽は獅子座ということにされていました。吉川晃司さんも8月18日生まれ、獅子座です。項羽の正確な生年月日は伝えられていないから所詮は「遊び」だし、暗合というほどのことも無いですが、獅子座のエレメントが「火」であることをおもえば「烈火の如く」とする吉川さんの項羽評は的を射ています。
そして、その「火」を滅ぼすのが「水」。
なんかどうも吉川さんは、劉邦のことがそんなにおすきじゃないようだわ(笑)。
秦への怨嗟で凝り固まった項羽には、「滅秦」という目的しか無かった。
だから、その目的を果たしたあとにどうするか、というヴィジョンをもてなかった。
劉邦はそうではなかった。水が伏流するように、彼は「自分の才能や器量を隠すことができる人間」であり、項羽の数倍老獪であり、負けつづけることで古い革のようにしたたかになった。そしてなにより、国というものがちっぽけな人間ひとりひとりから成っているというたいせつなことを、とてもよくわかっていた。項羽は二十余万人の秦兵を無造作に生き埋めにし、劉邦は敵であろうが「生かす/活かす」ということをかんがえた。
だから最後の最後で項羽は負けて、劉邦は勝った。
劉邦の老獪に敗れた項羽の稚気。いたいけで孤独なエネルギーがみずからを燃やしつづけ、すべてのものを傷つけ薙ぎ倒し暴走した挙げ句に燃え尽きる、そのさびしさ。
吉川さんはそのさびしさをこそ、傷ましい思いを以てみつめているような気がしました。
勝った負けたはともかくやっぱり孤高の英雄・項羽はかっこいい。ひきかえ劉邦。番組では劉邦の事績をそれなりに評価し称えてはいるんですけれど、たとえば司馬遼太郎が『項羽と劉邦』で描いたみたいな、あの滴るようなかわいらしさ、だめ人間であるがゆえの麻薬的チャームなどなどはほぼ伝わってこなくて。ていうか番組制作者にとってはそういうとこどうでもよかったみたいで。
ちょっと残念でした。
しかし劉邦の故郷・江蘇省金劉村がむやみとわんこだらけだった件はひじょうに笑えました。
村のみなさんが集まる会合がなしくずしに酒盛りになっちゃって、茶碗酒呷りながらぐんぐんメートルをあげてゆくおやじたちと、その足もとをうろうろするわんこたち。
あっぱれ劉邦さんのホームタウンというかんじです。
これ微博で拾った仔なんですが、自分的には劉邦さんをわんこ化するとこんなかんじです、つうことで番組とはぜんぜん関係ございませんけど最後に載せさせて。
「古代中国の歴史の現場を“旅人”が訪ね、英雄たちの姿に迫」るというプログラムです。詳細はこちらをご参照ください。
「旅人」は吉川晃司さん。
吉川晃司さんといえば、80年代が青春だった自分の場合はやはりこれ。
“モニカ”以外の吉川晃司さんといえばです。
もとイエロー・モンキーの菊地“エマ”英昭をレコーディングやツアーのサポートギタリストに起用しまくり、「エマちゃん(はぁと)」とお呼びになるほどエマちゃんだいすきエマちゃんぞっこんらぶーな男である。
ざっとそんなくらいの認識しか無かったが吉川晃司さんはじつは中国史マニアとしても筋金入りで、『別冊文藝春秋』2005年1月号で宮城谷昌光先生と対談したこともあるんだそうです。すいませんお見逸れしました。
項羽の生まれ故郷、江蘇省宿遷にて、項羽像(男前)の前に佇む吉川さん。
“モニカ”とエマちゃん以外の吉川晃司さんといえばです。
2009年のNHK大河ドラマ『天地人』で織田信長を、昨年の『八重の桜』では西郷隆盛を演じておられました。
どちらもそれは素晴らしかったのです。静謐な殺気を漲らせ、分の厚い刀をすらりと抜きざま真っ向から脳天に振り下ろすような、そんな芝居をなさっていました。信長と西郷という、非業の死を遂げた一個の英雄をそのように演じる吉川さんをみていてふと、このひとに項羽を演らせたら似合うだろうなあ、なんて思いました。
そんなこともあったせいか、まったく根拠は無いけれど吉川さんは項羽がきっとすきだろうすきにちがいない、と思いながら番組を観ていたら、やっぱりだいすきでらっしゃるみたいでした。吉川さんが項羽について語った言葉を抜粋してみます。
項羽は、指揮官としても、ひとりの戦士としても、きわめて高い能力をもっていたと思います。
その強さに牽引されて、兵士たちも力を発揮したんだと思います。
項羽の魅力とは、ひとりで運命を切り拓いてゆくかのような、つよさだと思います。
歴史に「もし」はナンセンスなんだけども、項羽がもうちょっと人生経験を重ねていたら、戦に一度でも負けることができていたら、違った結果が生まれたのかなあと、俺このひと好きなんで、どうしてもね、思っちゃうんです。
覇王項羽は火の如し。
人間は火は怖いものだと知っているから近づかないでしょ。ある一定の距離から、それを縮めることをしない。大火傷することを知ってるからですね。
まさに烈火の如く。
だから孤独になりやすかったんでしょうね、項羽さんというのはね。
項羽というひとは、本人の器量、器いっぱいに、そこをすべて、闘いで埋め尽くしてしまって、その器量から溢れたときに、その運命が果てたのかな。
自身のことを顧みつつ、項羽を語っているのかも知れないな──なんておもいました。
項羽への甘苦い哀惜と共感が、彼の言葉のはしばしから滲んでくるように感じられたのです。
以前、中国のメディアがやっていた『王的盛宴』メインキャラクターの皆さんをそれぞれ黄道十二宮にあてはめてみるという遊びにおいて、項羽は獅子座ということにされていました。吉川晃司さんも8月18日生まれ、獅子座です。項羽の正確な生年月日は伝えられていないから所詮は「遊び」だし、暗合というほどのことも無いですが、獅子座のエレメントが「火」であることをおもえば「烈火の如く」とする吉川さんの項羽評は的を射ています。
そして、その「火」を滅ぼすのが「水」。
高祖劉邦は水の如し。
どんな形の器にも、己の形をそこに合わせて、フィットさせることができる。
そして、水は脆弱にみえるのに、ものすごいエネルギーをじつはそこに秘めている。
決壊すれば、地上でその破壊力に勝てるものはない。
だけど、なにか狡い匂いも、劉邦さんの場合はするわけです。
水はとどまれば汚れていく。
澱んでいく。
そして腐っていく。
最後には枯れはてる。
なんかどうも吉川さんは、劉邦のことがそんなにおすきじゃないようだわ(笑)。
秦への怨嗟で凝り固まった項羽には、「滅秦」という目的しか無かった。
だから、その目的を果たしたあとにどうするか、というヴィジョンをもてなかった。
劉邦はそうではなかった。水が伏流するように、彼は「自分の才能や器量を隠すことができる人間」であり、項羽の数倍老獪であり、負けつづけることで古い革のようにしたたかになった。そしてなにより、国というものがちっぽけな人間ひとりひとりから成っているというたいせつなことを、とてもよくわかっていた。項羽は二十余万人の秦兵を無造作に生き埋めにし、劉邦は敵であろうが「生かす/活かす」ということをかんがえた。
だから最後の最後で項羽は負けて、劉邦は勝った。
劉邦の老獪に敗れた項羽の稚気。いたいけで孤独なエネルギーがみずからを燃やしつづけ、すべてのものを傷つけ薙ぎ倒し暴走した挙げ句に燃え尽きる、そのさびしさ。
吉川さんはそのさびしさをこそ、傷ましい思いを以てみつめているような気がしました。
勝った負けたはともかくやっぱり孤高の英雄・項羽はかっこいい。ひきかえ劉邦。番組では劉邦の事績をそれなりに評価し称えてはいるんですけれど、たとえば司馬遼太郎が『項羽と劉邦』で描いたみたいな、あの滴るようなかわいらしさ、だめ人間であるがゆえの麻薬的チャームなどなどはほぼ伝わってこなくて。ていうか番組制作者にとってはそういうとこどうでもよかったみたいで。
ちょっと残念でした。
しかし劉邦の故郷・江蘇省金劉村がむやみとわんこだらけだった件はひじょうに笑えました。
村のみなさんが集まる会合がなしくずしに酒盛りになっちゃって、茶碗酒呷りながらぐんぐんメートルをあげてゆくおやじたちと、その足もとをうろうろするわんこたち。
あっぱれ劉邦さんのホームタウンというかんじです。
これ微博で拾った仔なんですが、自分的には劉邦さんをわんこ化するとこんなかんじです、つうことで番組とはぜんぜん関係ございませんけど最後に載せさせて。