蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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情熱の嵐。──『藍宇』其の燦拾讃
マンション建設現場でクレーンから資材が落下し直撃された作業員の男性が意識不明の重体であると昼のニュースで知った。
胸苦しいです。
日々世界中でそういう不幸な事故は(もっと不幸なことも)頻発しているだろうに、それをたまたま今日この日に耳にするから、なんですが。
『藍宇』と出逢って四年が経ちました。ちょっと愉しいことでも書いてみよう。私は愉しいがほかのひとにとって愉しいかどうかわからないが。表題の件です。


拙宅では『藍宇』という表記で統一していますが、この作品の邦題は正しくは、
『情熱の嵐〜LAN YU〜』です。
レンタル屋の棚で「ら」のとこを探していると永劫出逢えません。「し」のとこを探さなければだめなのだ。どういう事情か知りませんがそういうしくみになっているのだ。そのしくみをご存じ無いまま「ら」を彷徨ったあげくにああもう観なくったっていいやと諦めてしまったひと、『藍宇』という作品そのものの存在を忘れてしまったひともいらっしゃるやもしれませぬ。

せつないぜ。
「ら」でいいじゃねえかよなんで「し」なんだよ。
ていうかそもそもなんで「情熱の嵐」なんだよ。

『藍宇』が私の人生を変えてしまうこと。それがはるかむかしに定められていたのだとしたら、その『藍宇』が「情熱の嵐」という邦題を纏うことも、ある種黒衣の如き、脱げない約束なのであろうか。

「ら」で右往左往して以来、この「情熱の嵐」という邦題をつけたのがだれなのか、ずっと心にかかっています。
できることなら命名したそのひとに会ってみたい。
そして問うてみたい。
なぜここで敢えて「情熱の嵐」だったのですか、と。


「情熱の嵐」という邦題が、西城秀樹が1973年に歌ってヒットさせた“情熱の嵐”からきているのは間違い無いと思います。「本歌」が70年代アイドル歌謡のタイトルであるという理由で「陳腐な邦題」と斬って捨てる方もすくなからずおられるのでしょう。自分はリアルタイム“情熱の嵐”世代ですがこの歌はけっこうすきだった。ご存じ無い向きのために、こんな歌です。





フルバージョンはこちら→


まあこれ石持て追われるの覚悟で申しますけど。
18歳当時の秀樹をあらためて見てみたら、なんか『藍宇』で藍宇を演ってる劉燁にちょっとどっか似てんなと思ってしまいました。もっさりーな髪形とか純白の短パンといった記号をひっこぬいても、両者の顔の骨格に一脈通じるものが感じられるのです。
『藍宇』に「情熱の嵐」という邦題をつけた方は、もしかしたら秀樹のファンだったのかもしれない。
『藍宇』の劉燁をみたとき、そこに18歳の秀樹の面影が重なるように、思えたのかもしれない。
なんてね。すべては私の妄想ですが。でももしもそうだとしたらその方はきっと、“情熱の嵐”という歌が好きだったでしょう。そして、“情熱の嵐”という歌のもつ意味を、すごくよくわかっていたのだと思います。


「情熱の嵐」という邦題が「陳腐である」と断罪されてしまうのは、同名の楽曲を歌う「西城秀樹」というひとのパブリック・イメージもあるのでしょう。新御三家だったりワイルドな17歳だったり芸能人水泳大会だったり「ヒデキ、感激!!」だったりギャランドゥだったり。たしかにそれらすべてがザッツ秀樹なのも事実だ。だがそうしたものが揶揄や嘲笑の対象では無く、おおまじめに、アツく受け入れられたのが70年代という、一種「情熱」の時代だったのでした。私自身、「情熱」という言葉のもつ暑苦しい愚直さを鬱陶しく思った時期もあったけれど、畢竟人間を突き動かすものはそれしか無いのだということが、『藍宇』を経たいまではよくわかります。本歌・“情熱の嵐”の歌詞をお読みになったことがあるでしょうか。以下引用してみます。なんというかもうこれおそろしいほど『藍宇』です。



情熱の嵐
作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦

君が望むなら 生命をあげてもいい
恋のためなら 悪魔に心
わたしても悔やまない
その瞳 僕のもの
この体 君のもの
太陽が燃えるよに 二人は愛を
永遠にきざもう

君が望むなら たとえ火の中も
恋のためなら怖れはしない
情熱の嵐よ

噂のつぶても かまいはしないさ
体を張って 愛する君を
赤い血が燃えるよう
その笑顔 僕のもの
この若さ 君のもの
太陽が燃えるよに 二人は愛を
永遠にきざもう

君が望むなら たとえ火の中も
恋のためなら怖れはしない
情熱の嵐よ



いい歌詞だなァ。
「恋」ってこういうものですよ。

私、これを陳腐だと嗤うことなんかできません。
私は心の底でずっとこういうことを渇望して(叶えられないからこそ渇望して)生きてきたし、
「自分はこういうことをずっと渇望していたんだな。ずっと渇望していましたって声に出して言うのは、ぜんぜんはずかしいことじゃないんだな」
四年前の今日、そう教えてくれたのが『藍宇』だったからです。
これを陳腐というならば、きっと『藍宇』そのものが陳腐なのです。
だれしもが心の底に押し込めて素知らぬ顔つきで無かったことにしているはずかしさ、さびしさ、みっともなさ。どろどろと腐臭を放つ思い。それらすべてを「善し」と肯定してくれるもの。藍宇を演じた役者がまだ生まれてもいない頃、意味もわからず歌っていたその歌にそのことばに、もう一度出逢わせてくれるもの。
四年のあいだくりかえしてきた『藍宇』を観るという日常、『藍宇』を考えるという営為。いろいろいっぱいもらった。いちいち数えきれない。ありがとう。そして道はつづく。鬱陶しさとか暑苦しさとか面倒くささとかつまり情熱を、胸ひとつに携えてあるく。


美しい名前。──『藍宇 Lan Yu』
シガ フタリヲ ワカツマデ。──『藍宇』其の拾参(2011年5月13日)
三年不蜚不鳴。──『藍宇』其の弐拾詩(2012年5月13日)





| 19:18 | 藍迷。 | comments(9) | - |
Comment








うお!
1973年でしたか、この歌…。
このころもうしっかり物心はついてます(笑)。
うっかり聞くと頭の中にエンドレスでぐるぐるするのは目に見えてますのでこわくて聞けませんが(笑)…この歌詞。
うわあ。読んだだけでもれなくメロディがついてきます…ヤバいな。ぐるぐるしてきた(笑)。

あいや。
ほんとおそろしいほど『藍宇』だったんですね…(汗)。
正直、初めてその邦題知ったときは「…はい?」ってなりましたけど(苦笑)あらためて歌詞読むと、ぢつはちっともはずしてなかったんだな…と思います。
一途な、一途な情熱の嵐ですね。

ところで。“『藍宇』其の弐拾詩”の記事って一年前だったんですね?もっと前だったように思ってました(汗)…そおか。
このあと『王的盛宴』まつりな嵐に巻き込まれたんでしたね(笑)。さらには『厨戏痞』『三兄弟』まつりな嵐が…巻き込まれっぱなしですがな(笑)。
あとは『共演ふたたびな情熱の嵐』とかにぜひ巻き込まれたいものです(笑)。
posted by カエル | 2013/05/14 12:52 AM |
>カエルさん

私はロウティーンでしたけどカエルさんはまだおたまじゃくし(すいません)くらいだったのでわ(笑)。
当時聴いてたのはミッシェル・ポルナレフとかジュリーだったんですけど、新御三家だったらヒデキだな、とか思ってもいたり。それが今になってこんな記事書いてるなんてほんとにいくつになっても迷い道くねくねでございます(笑)。

最初は私も「情熱の嵐? なんだそれ」でした。
でも『藍宇』病が亢進するにつれ、だれかに与えられたイメージだけを信じ込んで、自分の目で確かめ自分の頭で考えようともしないのってばかみたいだな、と思うようになり。
4周年を機に、ちょっと「情熱の嵐」を弁護させていただきました(笑)。
『藍宇』にはほんとに教えられることばっか。
あ、昨夜はもちろん『藍宇』を観ました。藍宇が捍東のおうちに連れてってもらって、捍東の家族のなかでぽつんとして、かわいくしてる場面でなんだか泣けて困った……。

時間が経つのは早いというか、すでに彼らがいる世界が日常になっちゃったってことなんだな、と自分のブログの過去記事読んで感慨に耽ったりなんかして。
今月末公開の『殺戒』まつりもそろそろ始まりそうだし、そのあと『厨戏痞』+『三兄弟』DVDまつりも開幕するんでしょうし、そのまえに『三兄弟』視聴完走したいしもう時間と情熱いくらあっても足んねえ!
posted by レッド | 2013/05/14 11:03 AM |
先日は不完全燃焼の『藍宇』感想にお付き合い下さり有難うございました。やさしいお言葉に感激しています!

>きれいな水の湧く泉とか、野生の果実とか、花々の咲き乱れるちいさな谷とか、洞窟のなかの美しい鉱物とか〜
ジワワワ〜ン…レッド様の文章は、いつも、なんて、美しいのでしょう!まるでキラキラ光る宝石のようです。なんちゃって理系(笑)の私には死んだって書けません(文章以前に、読解力も怪しいし…)。憧れます!
いつか、レッドさんが森の外へ出ていかれる時が来たとしても、ずっと、ずっと、書き続けて欲しいです!映画のこと、小説のこと、日々感じられた、いろんなこと…。ずっと、レッドさんの文章に浸っていたい。←寄生虫みたいだ、オレ。

『情熱の嵐』の歌詞…本当に、おそろしいほど『藍宇』ですよね。身も心も焼き尽くすような激しい恋!素敵ですvでも、実際にこんなものに遭遇しそうになったら?……飛び込みたいと思う自分と、踏み止まっていたいと思う自分がいる。熱〜い詩をご紹介下さったお礼に、私のお気に入りの詩を一つ。←どこまでも迷惑なヤツ!

〜歌曲集『美しき水車小屋の娘』〜より『知りたがる男』

僕は花には尋ねない、僕は星には尋ねない。
それらはみな僕に言うことが出来ないのだ、僕のとても知りたいことを。

僕が庭師でもないからだ、星はあまりにも高いところにある。
僕は僕の小川に尋ねよう、僕の心が僕に嘘を言ったのかどうかを。

おお、僕の愛の小川よ、何とお前は今日は沈黙していることか!
ただ一つだけ知りたいことがある。たった一言でいいのだ。

はい、というのが一方の言葉、もう一方の方は、いいえ、
この二つの言葉が僕の世界のすべてをなしている。

おお、僕の愛の小川よ、なんとお前は奇妙なのだ!
これ以上はもう言わないから、教えてくれ、小川よ、彼女は僕を愛しているか?


清純で簡潔なシューベルトの音楽と素朴なミュラーの詩が織り成す世界は、まさに奇跡のようです!聴く度に胸が震えます。
いつか、レッドさんにもお聴かせしたいな〜。



posted by ウサ蔵 | 2013/05/15 2:33 PM |
>ウサ蔵さん

ご紹介ありがとうございます。
「知りたがる男」、つべで聴いてきました。
クラシックにもドイツ語にもほぼ縁が無いのですが、たいそう美しい歌曲で、沁みました。
これBGMにして『藍宇』のスライドショー作りたくなりました(笑)。

『藍宇』に出逢う少し前ですが。
自分のなかで「森」というのがなんでかすごくきていた時期がありました。
そのころ、結界でまもられた森のなかで暮らす、相愛のふたりの青年の物語をずっと書いていたんですが、自分の頭のなかにしか無いその森はおそろしく居心地の良い場所で、ひどく中毒性があって、もう森から出たくないモードに囚われてしまいました。
そんなころ、『藍宇』に出逢いました。
自分のつくった森で暮らす「ふたり」は捍東と藍宇とは似ても似つかぬひとたちですが、だれであれ、「ふたり」という究極をずーっと渇望してきたし、このさきもずーっと渇望しながら生きていくんだなあという気がしてます(運命数「2」ですからもうしょうがない・笑)。

「ふたり」というかたちそのものこそ、きっと自分が求める、出口の無い「森」の姿なんでしょうね。

こんなしょうもない文章ですが、お読みくださってありがとうございます。
私は未熟な人間ですが、未熟な人間なりになにかにときめくことができること、「書きたい」という情熱を失わずにいられること、それだけでじゅうぶんに幸せなことだなあと思ってます。
posted by レッド | 2013/05/15 10:13 PM |
うわ〜っ!曲まで聴いて下さるとは!嬉し過ぎます。どうも有難うございます!ああぁ…だったら私のイチオシ演奏をご紹介すればよかった〜。
ということで…どうぞ!←まるで押し売りだね。

http://www.youtube.com/watch?v=yQl7vGTg2b8
演奏者は”私の永遠の恋人”ヘルマンプライさん(バリトン)です。初めて彼の歌を聴いた時は、あまりの声の美しさに衝撃を受けました。
華やかなオペラも魅力的ですが、ピアノ伴奏だけで、ひっそりと、語りかけるように歌う「歌曲」の方が、より心に響きます。
残念ながらピチピチ30代の演奏はなかったです。でも50代のも渋くってよいですよ〜v
『知りたがる男』は12分45秒〜です。すぐ次の曲『いらだち』、2曲目『どこへ』とかも明るくて素敵な曲ですよ。

>これBGMにして『藍宇』のスライドショー作りたくなりました(笑)。
それ、観た〜い。想像するだけで胸キュンです!出会い、焦燥、悲しみ、絶望、苛立ち、幸福、別れ…。
私、ドイツ歌曲の新しい楽しみ方、発見したかも〜。レッドさんのおかげです。『冬の旅』だと「あふれる涙」、『詩人の恋』(ハイネですよ〜v)だと「僕は夢の中で泣いたんだ」かな〜。

『情熱の嵐』で思い出したのですが、中学時代、周りは皆「ひろみ」か「秀樹」か「五郎」のファンで…そんな中で「三善英史」に夢中だったんですよ〜私(笑)。あ、ロボとか尾崎紀世彦とかも好きだった。♪雨に〜濡れながら〜♪ご存知ですか?思えば、あの頃から私の中に音楽のジャンルなんてもんは存在してなくて、好きなものは好き!だったんですよね〜。なので、モーツァルトもリッキー・マーティーンもボンジョビもユーミンもアニソン(娘の影響)も、みーんな一緒なんです。
ところで、レッドさんは吉井和哉さんのファンでらっしゃいますよね〜。少し前につべで聴いてみました。素敵な方ですね〜vお声も透明感があって美しいしvお薦めの曲とかありましたら、ご紹介下さいませんか?←どこまで図々しいんだ、オレ。

おおっと、また長くなってしまった(汗)。
連投、すみませんでした。



posted by ウサ蔵 | 2013/05/16 2:16 PM |
>ウサ蔵さん

永遠のダーリンの歌唱ご紹介ありがとうございました。
ほんとすてき。
聴き惚れました。

時分の花で見せてしまう芸も素晴らしいと思いますが、それを過ぎてのちにどのような花を咲かせるか。それはアーティストに限らず自分たちも、また。
辿ってきた道とか、経験したこととか、観たもの聴いたもの、ためこんだネガティヴな思い、そういうものすべてが、『ちりとてちん』の台詞を借りればいずれ自分だけの綺麗な模様になって、研ぎ出されてくるものなんだろうと思います。
私は小学校5年から高校3年まで合唱をやっていて、聴く側というよりもステージに立って歌う側だったんですが、そのころ私たちを指導してくれた指揮者の先生がほんとうに「伊達男」としか呼びようの無い方で。
いろっぽいプライさんを観ていたら、もうこの世にいない彼のことをちょっと思い出しました。
http://kurenaidon.exblog.jp/2859711


三善英史さんは、はい、もちろん存じ上げておりますです。
影のある美形でしたよね。
彼は少年のころ、私が通ってた高校のある静岡県伊東市にお母さん、お姉さんと住んでらしたんです。世代が上なので実際にお会いしたことは無いんですが、デビューしたときは地元はけっこう大騒ぎでした(笑)。
ちなみに吉井和哉さんも東京生まれの静岡市育ち。
そのあたりも手伝って、どっか他人事じゃないかんじがしてしまうんだと思います。

おすすめですが。
吉井ちゃんネル(笑)http://www.youtube.com/user/yoshiikazuyaに置いてある中では、昭和歌謡世代的には“母いすゞ”をぜひ。
“シュレッダー”も畢生の名曲です。

よろしければ過去のバンド時代の曲も、イエロー・モンキーチャンネルhttp://www.youtube.com/watch?v=xoFuQzrNZGE&feature=share&list=SP32EF4ACD20F42397で聴いてみてくださいませ。
冒頭の“SPARK”はじめすべてが、「時分の花」吉井の姿をとどめて見事です。
posted by レッド | 2013/05/16 10:48 PM |
>ウサ蔵さん

ちなみに。
1993年に自分が惚れた27歳の吉井です。
http://youtu.be/3DJGGD1dCnQ
posted by レッド | 2013/05/16 10:53 PM |
ご紹介、有難うございました!
それぞれ、数回ずつ聴いてみました。「SPARK / THE YELLOW MONKEY」…自然な旋律+透き通るような歌声+伸びやかな歌唱が気持ちいい!イヤホンで大音量で聴くともう最高!!「母いすゞ」……これ、中毒性あるかも。心にズキューンときました。特に2分50秒辺りからがヤバイ。昭和な感じがたまりませーん(見当違いだったらごめんなさい)。これは密室で一人で聴きたい曲です(クフフ…)。同じページにあった「LOVE & PEACE(2011.7.1 at 東京国際フォーラム 〜」も聴いてみました。この曲、好きかも〜v吉井さんのやさしさが滲み出てて、なんか涙でてくる。「シュレッダー」は本当に名曲ですね〜。、呟くような部分が特に好き!この2曲はライブで聴いてみたいです。ところで、レッドさんが恋された27歳の吉井さん…少し北村一輝さんに似てらっしゃいませんか?私、北村さん、好きなんですよね〜v「大奥」の上様にクリソツ設定の坊さま役が忘れられない…黒の袈裟姿が素敵だったわ〜vじっくり聴きこんだ後に、また感想を書きたいです。←ホント、迷惑な奴!

なにーっ!芸大卒のラテン系伊達男ですとーっ!……私も会ってみたかった(涎)。 もし、レッドさんがドライブに行かれてたら、情熱の嵐〜な人生になってたかもですね(笑)。メンデルスゾーンの歌曲「ベニスのゴンドラの歌」を思い浮かべてしまった。許されぬ恋v駆け落ちv年は離れてる方がロマンティックよね、やっぱv暗闇にまぎれてね、急いで!追っ手が〜!あああ… 妄想が止まらな〜い!←病気の人だと思って許してやって下さい。


>辿ってきた道とか、経験したこととか、観たもの聴いたもの〜
プライさんの「水車〜」&「冬の旅」を生で聴いた時の感動は今でも忘れられません。彼はその時65歳だったけど、確かに、恋し、夢破れて彷徨う、一人の若者だった。圧倒的な説得力!”継続は力なり”という言葉を実感した瞬間でした。←でも自分はできない…てか、やろうとしない…。  
コワイわ〜。年老いた時、おマヌケ顔だったらどうしよう。「明日こそは真面目に生きるぞ〜!」て、毎日、寝る前には思うんですけどね…(汗)。

posted by ウサ蔵 | 2013/05/19 1:32 PM |
>ウサ蔵さん

そんなにたくさん観ていただいたなんて……恐縮&感激です。
ありがとうございました。

一昨日は吉井和哉に逢いに福島に行っていました。
1993年に出逢って、取り憑かれて、半分以上頭がおかしくなってしまい(正しく藍宇が捍東にいう「我有病」状態)、記事に書いたような愛と憎悪が混沌としたどろどろな想いに支配されていました。
そののち彼との関わりはプライベートも巻き込んで二転三転し、変転した挙げ句ああもうここで終わってもいい、というくらいの思い詰め方で今回、福島に行ってきたんですが。
会場で吉井の声を浴びながら自分自身の何んにも無さに思い馳せ、何んにも無いからこそまた始めることができるな、と感じました。

ライヴの間はろくでもないことばかり考え、口に出せないような気持ちに支配されているのが常ですが、時間が経過するにつれそういう「どろどろ」が愛に、光に変わる。
吉井さんのライヴはいつもそうでした。
今回もまたそうでした。

27歳の吉井が北村に似てるというのは思ってもみませんでしたが、本宅に「北村一輝」というカテ作るくらい私は北村も好きなので、通じるところがあるのかもしれません。それはリウイエさんも(笑)。
いつのことかは覚えてないけれど、吉井和哉に出逢う前に出逢っていた「モノ」が、きっとああいう顔をしていたんでしょう。
記憶に残るうちはお終いじゃない。
正しくそういうことなんだろうと思います(笑)。

吉井というモノによってもたらされたネガティヴなことは数多あって、ああもう今度こそ御免だと思っても、それでも切れない、逃げられない、離れられない。
「縁」というものには良いも悪いも無い。
良い縁だけを殊更有り難がる一方で、悪い縁を忌み嫌い絶ちきろうとするのは、ひどく愚かなことだと思います。
吉井和哉なり『藍宇』なりは、自分にそういうことを教えてくれるものでした。
それがつまり「情熱」であり「希望」ということなんだなあと、思います。
posted by レッド | 2013/05/20 10:02 PM |
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