蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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待宵。──『藍宇』其の燦拾壱
2012年最初の記事に、2012年冬至に世界が滅びる可能性について書いた。
そのときは今年の冬至も22日であると思い込んでいたのですが、正しくは昨日、12月21日が2012年の冬至であった。世界が滅ぼうが滅ぶまいがゆず湯には入ったし、かぼちゃはきらいなのでもちろんいただきませんでしたが、一夜明けても世界はとりあえず持ちこたえているようにはみえます。
横浜は生憎の雨模様。それも午後には上がる。いっそ夕刻から雪になってくれりゃ素敵だったのに。
雪害に悩まされぬ者ゆえのわがままをたれつつ24年まえの今日に思い馳せてみる。



1988年12月22日。
木曜日。
冬至。

月齢、13.1
月名、小望月。

「小望月(こもちづき)」とは望月つまり満月の前夜の月のこと。
翌12月23日が満月だったのでそれで正しいのだけれど、季語的には秋に分類される。別名を「待宵(まつよい)」。これも「翌日の十五夜の月を待つ宵」という意味の秋の季語。12月につかうとすれば気違いもとい季違いではある。そもそも降りしきる雪空に月など望めなかったろうが、「待宵」という語には、

「来ることになっている人を待つ宵」

という美しい意味もある。

とすれば1988年12月22日の宵にこれ以上相応しい言葉も無い。待つ宵。彼らにとってそういう夜であることがはるかむかしからの約束であったとしか、思えないし思いたく無い。
ふたりがふたりともに「来ることになって」いた。
ふたりがふたりともに、待っていた。
待っていればこそ出逢う手筈は調う。
返すそばから手札が揃ってゆく奇妙さには『藍宇』をめぐるこの3年で馴染んだし、でもそういう揃い方をするというのも自分が強く願い求めているからなのかも。
門は叩かなきゃ開かないし、虎の仔も穴に這入らない限りつかまえられないもん。
数合わせの好きな身としては、「1988年12月22日」をあらわす数秘「33」(もしくは「6EX」)が、藍宇を演じた役者自身のそれとぴったり重なるという事実にも、ちょっと血湧き肉躍っちゃう感。






※中国での冬至節について→
彼の地では古来、長寿を祝してお年寄りに靴や靴下を贈る習俗があったそうで、いまでも北のほうではあたたかい服なんかを贈るんだとか。
「マフラーをあげる」ってのもちょっと通じるかも。
藍宇はお年寄りじゃないけども北の生まれの仔だから、もしかしたらそういう習慣を知っていたかも。
それだからよけい、マフラーひとつのちっちゃいあったかさが、心底うれしかったのかもしれない。


| 10:06 | 藍迷。 | comments(6) | - |
Comment








レッドさま

お久しぶりです。藍宇の記事をありがとうございます。また冬至の日が過ぎましたね。
未だに彼らに絡めとられている自分がいます。
いつになったら忘れられるのか、という反面、
いつまでも忘れたくないという思いがあります。
今年の冬至の日は中国語のレッスンを受けていました。
レッスンの内容は「中国のお正月」について。
春節は爆竹の音で邪気を追い払うそうですが、
火事が頻発するので北京では10年間爆竹禁止なのだと、老師がおっしゃっていました。藍宇の中ではドンドンバチバチ爆発させていましたね。。

それにしましても、初々しく可愛らしかった劉燁さんが、「我叫劉邦」とおっしゃる。重厚な役をなさっているというのが本当に素晴らしいことだと思います。努力を続けていらっしゃったのだなあ、と思います。来年もどんな彼が見れるのか本当に楽しみです。
長くなりましてごめんなさい。よいクリスマスをお迎えくださいませ。
posted by 晶 | 2012/12/22 9:03 PM |
かの地での冬至の習俗…なんかいいですね〜。教えて下さってありがとうございます!
…ああ、じじい劉邦に靴下や腹巻や唐草模様の風呂敷(カイロ入り)を誰か(笑)。

雪の夜。桿東の体温が移ったマフラーはほんのりあったかかったでしょうね。
寒い雪の夜。あのふたりだけはふんわりあたたかい…何べん観てもいいシーンだな〜と思います。
ところでいつもこの再会シーンで思うんですが、あちらではあのくらいの雪では傘ささないんだなあと(笑)。
いやどーでもいいことですが(笑)。

再会から2日目の今宵は桿東が藍宇をいぢめてるまっさいちうか(こら・笑)。
posted by カエル | 2012/12/23 1:07 AM |
1988年のクリスマスイヴも二人で過ごしてたのですね。
恋の始まりは甘くて幸せしか見えなくて、そのあとのいろいろな苦難のことなど考えもせずひたすら愛情を確かめ合っていたのでしょう〜。
雪の日の再会の時に藍宇のはにかんだ笑顔が好きです。そんな藍宇の笑顔を自分だけのものにしてた捍東。得意げにしてたけど本当は自分の方がめろめろ。
甘い時は永遠には続かないけど

留下的記憶還没完

ですね。
クリスマスを藍宇とともに☆
posted by blueash | 2012/12/24 8:30 AM |
>晶さん

聖誕節前日快楽!
世界は滅びませんでしたね(笑)。

2012年の冬至は暦の上では12月21日でしたが、「世界の終わり」が来るはずだったのは、時差を考慮すれば北京(あるいは日本)では12月22日の午後。
1988年同月同日、あと僅かで再会の夕刻がくる時刻。その24年後でした。
なので今年はじめの記事で世界の終わり或いは世界の「いちから出直し」の期日を2012年12月22日としたのも、あながち間違っちゃいなかったかもしれない……とかちょっとうぬぼれてみます(笑)。

藍宇にとっても捍東にとっても、そこからほんとうに世界が始まった日。
相知ることによって、それぞれが変化せざるをえなくなった日。
目覚めてからその時刻がくるまで、彼らはどんなふうにその日を過ごしていたのだろうかと、22日はそんなことばっかし考えていました。ああああやっぱりぜんぜん忘れられません。

とりあえず世界は滅びませんでしたが、この先なにがどうなるかまったく見えない気がします。なんであれすべてのものごとは起こるべくして起こるのでしょう。『王的盛宴』の劉燁さんに、日本の銀幕で逢える日がきますように。
posted by レッド | 2012/12/24 12:16 PM |
>カエルさん

聖誕節前日快楽!

鬼嫁のドメスティックバイオレンスに日夜さらされ単衣1枚で極寒の森のなかをプルプルさまようじじい劉邦を、時空とかお話がちがうとかそんなもん超えて『大漢風』の項王がお姫様だっこで救いだしてくれれば良いのに。
そして冷えきった手足に息はぁーってしてこすってあっためてくれれば良いのに。

1988年12月22日の雪の夕暮れの北京と紀元前200年あたりの楚漢が、なにかとごっちゃになりがちでこまります……。


マフラーを巻いてもらう瞬間、時間がちょっとだけスローモーションになって、そしてそこから世界が変わって、ひといきに恋へとうごきだす。
藍宇の気持ちが痛いくらいに伝わってきますね。
10年という波瀾の時間を超えて、あのときの藍宇の幸せが、死の直前に捍東に抱かれる藍宇の幸せにダイレクトで繋がっている。それを追体験したくて何度も何度も観てしまうんです、あそこばっかり。

冬至の夜からクリスマスを経て年が明けるまでの、「いぢめてるまっさいちう」のあれやこれやについては、
「いや、でも、そこもうちょっと描いてくれたってバチ当たんないのにさー」
とか、最初は思ったりもしたもんですが(笑)。
しかし、残酷な迄の潔さでふりむきもせずに去ってゆく美しい横顔をもつがゆえに、いつまでもいつまでも、この映画のあとを追いかけたくなってしまうんでしょうね。
posted by レッド | 2012/12/24 12:26 PM |
>blueashさん

聖誕節快楽!
ちょっと体調が悪くなってしまってお返事が遅くなりました、すみません。

一家団欒で過ごすべき冬至の夜、あそこで捍東が声をかけなければ藍宇はひとりで寮で過ごすところだったんですよね。
あんまりいろんな感情を表に出さない子だけど、北京に来てはじめての冬至の夜にひとりぼっちというのはやっぱり寂しかっただろうし、そういうときの再会なだけに、捍東のやさしさが(下心まるみえとはいえ・笑)よけいに嬉しかったんだろうなあ……。
藍宇はきっと最後まで幸せだったと思いますが、冬至から新年にかけての、まったく描かれないこの数日こそ正しく蜜月というものだったんでしょうね。

声をかけたときの捍東もなんかめっちゃ嬉しそうだったしなあ……。
大好きなザ・バックホーンの“美しい名前”の歌詞そのままに、「世界に二人ぼっち」というかんじがきわだつのも、ゆきすぎる人波のなかでふたり同時に立ち止まった、あの夜なのです。
posted by レッド | 2012/12/25 9:12 AM |
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