究極兵器兄貴。──『十月圍城(孫文の義士団)/BODYGUARDS AND ASSASSINS』
2010.07.28 Wednesday
清朝末期、1906年10月15日。大英帝国植民統治下の香港。
清朝打倒運動を推し進める革命家・孫中山(=孫文)は日本から香港へ渡り、中国十三省の革命勢力のリーダーたちと密かに会談を持つことを計画。それを知った清廷は閻孝国(胡軍)率いる刺客集団を香港へ送り込み、孫中山暗殺を目論む。中国日報社長で革命活動家の陳少白(梁家輝)は暗殺計画を阻止すべく、反逆軍のリーダー方天(任達華)と結託して動き出すが、博打好きの警官・沈重陽(甄子丹)の密告によって方天たちは刺客集団に襲われ、方天の娘・方紅(李宇春)を除き全滅、陳少白は拉致されてしまう。陳少白に資金提供している富裕な商人・李玉堂(王學圻)は、彼に代わって孫中山を護るために義士たちを募り、立ち上がる……。
(って感じでだいたい合ってると思うんですが、もしも違ってましたらお手数ですがご指摘くださいませ。なにぶん簡体字幕でしか観ていないもんですから、細部の詰めがいまいちあまくて……)
孫中山が香港に寄港して、革命勢力のリーダーたちと密談する時間がかっきり1時間。
そのあいだ、李玉堂の息子・李重光(王柏杰)が孫中山になりすまし、囮となって刺客たちの目を引きつけることになる。
重光と陳少白を乗せた人力車が香港の雑踏を縫って疾走し、そこへ執拗に襲いかかる清廷刺客集団。
記録にもとどめられず、痕跡すら残さずに、転換する時代のただなかを生きて死んでいった名も無いひとたち。
「中国革命の父」の名を歴史に刻みつけるのとひきかえに、自らは虫のように路傍に斃れ、果てていった数多のひとたち。
映画はそういうひとたちを、その愛とかその夢とか、情熱とか悲嘆とか、酸鼻や無惨まで含めて描いていきます。
「名も無いひとたち」とはいえエンターテインメントですから、皆さんひと癖もふた癖もおありです。外連に満ちた彼らひとりひとりの佇まいは見ているだけでもすごく愉しい。役者さんもうまい。
ひと癖もふた癖もある彼らなのだから、それぞれが抱えるドラマだってきっとすごくおもしろいだろうと思うのですが、尺の都合か、あまり深く描ききれていないのがちょっと惜しかった。いっそ連ドラなどにしていただいて、たっぷり観たいものだなあという気がしました。
そういう「名も無いひとたち」のなかで、とりわけ素敵だったのがこのひと。
車夫・阿四 謝霆鋒飾
阿四は孤児で、李玉堂に拾われて、その専属の車夫をやっています。無学で文字も読めず、革命のことなんかなにひとつわからない。毎日をおもしろおかしく過ごしていければそれで満足という、のんきで明るい好青年。そしてなによりもだれよりも、大恩ある旦那さまと坊っちゃん(重光)のことがだいすきでたまらない。恋仲である写真館の娘と結婚させてもらう代わりに李玉堂たちの計画に志願し、坊っちゃんを乗せた車を引いて、己の命を的に走り抜く阿四。
演じる謝霆鋒がもう、もうもうもう、すごくすごくすごく良いんです。
(謝霆鋒はこの「阿四」という役の演技で第29回香港電影金像奨最佳男配角[最優秀助演男優賞]を受賞)
謝霆鋒さんについてはまず『無極』の無歓で落ち、その後『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』と『インビジブル・ターゲット』なんかを拝見したのですけど、それらで培ったやんちゃな美形イメージから、しかし阿四はほどとおく。
みすぼらしい服装、剃り上げた額、もつれて首筋にはりつく辮髪、左の目尻から側頭部を這うひきつった傷痕、潰れた左耳。
汗臭そうで、ちょっとどっか頭よわそうで。
でも笑顔がひどくきれいだ。
旦那さまの口利きで、惚れた阿純(この娘が纏足してるとこがまたせつない…)と婚約させてもらえて、写真館で記念撮影する阿四。
この映画のなかで、たぶんもっとも幸福といえる風景です。
弟のように親しみ慈しんでいる重光に陰日向無く仕え、ときには身を挺して庇って。
ただ重光を護りたかった。それだけしか望まなかった。
「天性純朴」「純真赤誠」と形容されるそのまんまの阿四の心の美しさは、革命を志すひとたちが叫ぶどんなイデオロギーよりもまっすぐに胸に響いた。
願うだけ無駄とわかってはいても、最後の最後まで、どうぞ阿四だけは不幸にしないでください神さま、と息詰めて、とまらない涙の被膜の向こうに阿四を見ていました。
さて。
ネットでこの映画の感想文を渉猟していましたら、孫中山たち革命勢力を倒幕派の志士に、閻孝国たち清廷の刺客集団を新選組に、それぞれ譬えてらっしゃるかたがいました。
時代も国も事情も異なるので一概に比定はできないが、いわれてみりゃあそれもありか、という気がしないでも無い組スキーのわたしです。
するてえと局長近藤勇にあたるのがすなわちこちらさま。
こういうエンターテインメントは悪役がある程度かっさらってってくんないと醍醐味というもんが薄れますが、
「その正体も戦闘能力も不明だが、ただただ闇雲にこわもてでおそろしい」
という一点でものすごく的確に機能し、かつ良い仕事をなさっていた胡軍兄貴でした。
謝霆鋒さんもきれいなお顔に傷などこさえていましたが、胡軍さんは唇のすぐ下から顎にかけての傷のほかに、鼻筋ひん曲がってるわまゆげつるっぱげだわで、キャストのなかでももっともメイクに時間がかかったそうでございます。そして辮髪なので勿論リアル剃髪。
閻孝国は清朝に忠誠を誓う武人ですが、彼にとって革命派の陳少白は、じつはかつての師でもある。(そして結局この物語は、この師弟の闘いというところに着地して終わる)
みためはこんなでまゆげもつるっぱげですが、閻孝国は決して単なるモンスターじゃない。一度は西欧的教育を受けたこともある、すごく聡明なひと。
聡明であるがゆえに、西欧というものを知り西欧というものの実体を知ってしまった彼は、一転、祖国を踏み躙る外国人を憎悪するようになる。
「国を思う」という点では革命派と同じところに立っていて、ただその愛国心のベクトルがすこしちがっている。拉致って捕らえた陳少白との会話の場面では、閻孝国の理知、心に秘めた繊細とか複雑とかが仄かに窺える。
そして、やはりそういうものを垣間見せる胡軍さんの表現にはひどく魅了されてしまう。
とはいえ繊細も複雑も薙ぎ倒して、やっぱり圧倒的におそろしいんですが。
義士のひとり・劉公子(黎明)の鉄扇で辮髪を切り落とされ、怒り心頭に発する場面なんか特に。
ご存じのように辮髪というのは単なる髪形では無い。
そのひとの身分や階級、社会的な立場をわかりやすく表す記号でも無い。
閻孝国のような人間にとってそれは清への忠誠心そのもの。
清国人である己の拠って立つところ。
誇り。
既にそれ自体一個の思想といえるようなもの。
そういうものを確信的に傷つけた劉公子を、抜きはなった大刀で膾に斬り刻む閻孝国。
劉公子(=劉郁白)という人物はそのバックグラウンドがよくわからないのですが、公子(若様)と呼ばれているように、かつては大金持ちの御曹司で、しかしいまは香港の路上で暮らす乞食にまで零落れています。李玉堂はどうやら彼の家の財を引き継いで商売に成功したという設定らしく、通りがかるたびに密かに銀貨を恵んでやったりしている。
劉公子が身を落とすきっかけになったのは、愛してはいけない女を愛してしまったこと。その女はどうやら父親の愛人であったらしい。
彼ひとりとってみても、映画では描ききれなかった背景が、それだけで一本のドラマになるような物語が、山のようにあるんだろうなあと思わされます。
死の間際に劉公子が見る、かつて愛した女の幻。
その幻影として登場するのが李嘉欣(ミシェル・リー)。
奇しくも、「贊化と玉良の邂逅」だったりもする一瞬、なのでした。
玉良はあいかわらずお美しかったけど、贊化の飛距離がものすごかったのでした。
そして、こんなことやらかしてくれるんだったらなんで守信の中のひとがこの映画に出てなかったのか……と天を仰いで地団駄を踏みたくなってしまうわたしなのでした……。
たったひとりで、立ちはだかる義士たちを片手の指の数ほどもぶち殺してくれた閻孝国は、エンターテインメントの悪役らしく、とてもわかりやすい最期を遂げてくれます。
『コネクテッド』の劉燁にも感じたことですが、あれだけあくどいキャラなのに、ラストはあまりにも淡白というか、往生際よすぎる感も無くもない。
でも、かつて馴染んだ師であった陳少白の放つ銃弾を背に受けてふりむき、陳少白に向ける一瞬の表情。
戸惑いと傷心と諦観、微かな含羞を刷いた微笑まじりの。
ほ れ な お す
「このひとにだったら無理無体に頭剃られて辮髪にされてみつあみ部分ひっつかまれて便器に顔漬けられて水流されたってうれしい……」
などとどM体質にまたしても火を点けられてしまい、連日の酷暑も相俟ってぼうぼうアツくなっちゃってる現在進行形のわたしなのでした。
みすぼらしい服装、剃り上げた額、もつれて首筋にはりつく辮髪、左の目尻から側頭部を這うひきつった傷痕、潰れた左耳。
汗臭そうで、ちょっとどっか頭よわそうで。
でも笑顔がひどくきれいだ。
旦那さまの口利きで、惚れた阿純(この娘が纏足してるとこがまたせつない…)と婚約させてもらえて、写真館で記念撮影する阿四。
この映画のなかで、たぶんもっとも幸福といえる風景です。
弟のように親しみ慈しんでいる重光に陰日向無く仕え、ときには身を挺して庇って。
ただ重光を護りたかった。それだけしか望まなかった。
「天性純朴」「純真赤誠」と形容されるそのまんまの阿四の心の美しさは、革命を志すひとたちが叫ぶどんなイデオロギーよりもまっすぐに胸に響いた。
願うだけ無駄とわかってはいても、最後の最後まで、どうぞ阿四だけは不幸にしないでください神さま、と息詰めて、とまらない涙の被膜の向こうに阿四を見ていました。
さて。
ネットでこの映画の感想文を渉猟していましたら、孫中山たち革命勢力を倒幕派の志士に、閻孝国たち清廷の刺客集団を新選組に、それぞれ譬えてらっしゃるかたがいました。
時代も国も事情も異なるので一概に比定はできないが、いわれてみりゃあそれもありか、という気がしないでも無い組スキーのわたしです。
するてえと局長近藤勇にあたるのがすなわちこちらさま。
刺客・閻孝国 胡軍飾
こういうエンターテインメントは悪役がある程度かっさらってってくんないと醍醐味というもんが薄れますが、
「その正体も戦闘能力も不明だが、ただただ闇雲にこわもてでおそろしい」
という一点でものすごく的確に機能し、かつ良い仕事をなさっていた胡軍兄貴でした。
謝霆鋒さんもきれいなお顔に傷などこさえていましたが、胡軍さんは唇のすぐ下から顎にかけての傷のほかに、鼻筋ひん曲がってるわまゆげつるっぱげだわで、キャストのなかでももっともメイクに時間がかかったそうでございます。そして辮髪なので勿論リアル剃髪。
閻孝国は清朝に忠誠を誓う武人ですが、彼にとって革命派の陳少白は、じつはかつての師でもある。(そして結局この物語は、この師弟の闘いというところに着地して終わる)
みためはこんなでまゆげもつるっぱげですが、閻孝国は決して単なるモンスターじゃない。一度は西欧的教育を受けたこともある、すごく聡明なひと。
聡明であるがゆえに、西欧というものを知り西欧というものの実体を知ってしまった彼は、一転、祖国を踏み躙る外国人を憎悪するようになる。
「国を思う」という点では革命派と同じところに立っていて、ただその愛国心のベクトルがすこしちがっている。拉致って捕らえた陳少白との会話の場面では、閻孝国の理知、心に秘めた繊細とか複雑とかが仄かに窺える。
そして、やはりそういうものを垣間見せる胡軍さんの表現にはひどく魅了されてしまう。
とはいえ繊細も複雑も薙ぎ倒して、やっぱり圧倒的におそろしいんですが。
義士のひとり・劉公子(黎明)の鉄扇で辮髪を切り落とされ、怒り心頭に発する場面なんか特に。
ご存じのように辮髪というのは単なる髪形では無い。
そのひとの身分や階級、社会的な立場をわかりやすく表す記号でも無い。
閻孝国のような人間にとってそれは清への忠誠心そのもの。
清国人である己の拠って立つところ。
誇り。
既にそれ自体一個の思想といえるようなもの。
そういうものを確信的に傷つけた劉公子を、抜きはなった大刀で膾に斬り刻む閻孝国。
劉公子(=劉郁白)という人物はそのバックグラウンドがよくわからないのですが、公子(若様)と呼ばれているように、かつては大金持ちの御曹司で、しかしいまは香港の路上で暮らす乞食にまで零落れています。李玉堂はどうやら彼の家の財を引き継いで商売に成功したという設定らしく、通りがかるたびに密かに銀貨を恵んでやったりしている。
劉公子が身を落とすきっかけになったのは、愛してはいけない女を愛してしまったこと。その女はどうやら父親の愛人であったらしい。
彼ひとりとってみても、映画では描ききれなかった背景が、それだけで一本のドラマになるような物語が、山のようにあるんだろうなあと思わされます。
死の間際に劉公子が見る、かつて愛した女の幻。
その幻影として登場するのが李嘉欣(ミシェル・リー)。
奇しくも、「贊化と玉良の邂逅」だったりもする一瞬、なのでした。
玉良はあいかわらずお美しかったけど、贊化の飛距離がものすごかったのでした。
そして、こんなことやらかしてくれるんだったらなんで守信の中のひとがこの映画に出てなかったのか……と天を仰いで地団駄を踏みたくなってしまうわたしなのでした……。
たったひとりで、立ちはだかる義士たちを片手の指の数ほどもぶち殺してくれた閻孝国は、エンターテインメントの悪役らしく、とてもわかりやすい最期を遂げてくれます。
『コネクテッド』の劉燁にも感じたことですが、あれだけあくどいキャラなのに、ラストはあまりにも淡白というか、往生際よすぎる感も無くもない。
でも、かつて馴染んだ師であった陳少白の放つ銃弾を背に受けてふりむき、陳少白に向ける一瞬の表情。
戸惑いと傷心と諦観、微かな含羞を刷いた微笑まじりの。
ほ れ な お す
「このひとにだったら無理無体に頭剃られて辮髪にされてみつあみ部分ひっつかまれて便器に顔漬けられて水流されたってうれしい……」
などとどM体質にまたしても火を点けられてしまい、連日の酷暑も相俟ってぼうぼうアツくなっちゃってる現在進行形のわたしなのでした。