炎熱的夏天。
2014.08.03 Sunday
♪しゃんらんららん、ら〜ららら〜ん。
グッドイブニング皆さま。
そもそも真夏のアウガストなのでしょうがないと思って諦めるしか無いんだけど、それにしたって毎日どうしてこんなにくそあづいのでしょうね。
夏フェスとか、行きゃあそれなりに音楽聴いて酒のんで浮かれてしまうんですけれど、祝祭感ナッシングな日常に於いてはすでに夏が凶器と化しております昨今。
いかがお過ごしでしょうか。
8月2日土曜日は、最高気温35度超を記録した東京都内にいました。
『王的盛宴』からかじりはじめた秦末楚漢方面でいろいろ勉強さしていただいてるブロガーさんの愛良さんが、今週末に東京にいらしてオフ会をなさるというお話を伺って、こちとら秦末楚漢方面はど素人ではありますが、せっかくの機会なのでご挨拶がてら、カエルさんともどもランチ会に参加させていただいたのでございます。
『王的盛宴』については、やれあの史実が抜けているこの史実が描かれていないのはだめじゃないかだの、お話がわかりにくいだの暗いだの、あそこが納得いかないだのここがおかしいだの、読めば憤懣遣る方なくなるばかりのご感想の数々を目にしてきました。にっこり笑って相対しちゃあいるけれど笑顔の下でははらわた煮えくりかえっています的な局面も多かったです。挙げ句、この映画の美しさおもしろさを理解して愛してくださる方は、たぶんきっと、ごく僅かしかいないのだろうなあという諦観を日々強くしていました。
愛良さんは、自分が知るなかでは数少ない、『王的盛宴』をきちんと評価し愛してくださるブロガーさんでした。
だからこの一篇の(奇妙な)映画につながる細いご縁だけを信じて、一度お逢いしてみたいと思っていた方でした。
お逢いできてよかったです。
尾張盛宴のときに作った王的フォトブックももらっていただけて、嬉しかったです。
私は生来の性分でもあるしだからこういうブログをやっているんだし、孤独とか孤高とか、べつにどうだっていいやと思っているところがあります。
ていうか団体さんで元気よくつるむのが(数を恃むがゆえに赤信号でも平気で渡っちゃうという恥知らずなありようが)、とにかくだいきらいなんです。
自分のすきなものを誰からも「すき」と言ってもらえない、それゆえに自分は孤独だと大仰に嘆いてみせて、その実こっそりひとりで甘美な思いを強くしている、とかいうのも、自惚れたお馬鹿さんの仕業だなと思っています。
私がこのブログをやっているのは自惚れたお馬鹿さんになって充足したいからじゃ無くて、私がすきなものは断固としてすきなのだと執念深く言い続けるためです。だって私がそれをすきなんだから。すきだと言い続けることでだれかを傷つけたとしたってかまわない。報いは私が受けるから。言い続けていればそれはなにかしら「かたち」になるし、そしてそのかたちがだれかに出逢う力にだってなるから。だれかと出逢って、いつかだれかと別れてゆくとしたって。
ある意味、秦末楚漢に生きた彼らだって。
何百倍も濃くて熱くて痛い出逢いと別れをくりかえし、鮮血淋漓たるおもてに白い咲みを湛え、数多の屍を踏んで、足裏に屍を感じて、そこに立っていたんじゃないかなあ、とか思います。
ランチ会のときにご覧に入れられなかったので。
『王的盛宴』において、ひとりの若い役者が年老いた皇帝に変貌してゆく、その過程をごらんくださいませ。
お写真ご提供はこちらさまより。
グッドイブニング皆さま。
そもそも真夏のアウガストなのでしょうがないと思って諦めるしか無いんだけど、それにしたって毎日どうしてこんなにくそあづいのでしょうね。
夏フェスとか、行きゃあそれなりに音楽聴いて酒のんで浮かれてしまうんですけれど、祝祭感ナッシングな日常に於いてはすでに夏が凶器と化しております昨今。
いかがお過ごしでしょうか。
8月2日土曜日は、最高気温35度超を記録した東京都内にいました。
『王的盛宴』からかじりはじめた秦末楚漢方面でいろいろ勉強さしていただいてるブロガーさんの愛良さんが、今週末に東京にいらしてオフ会をなさるというお話を伺って、こちとら秦末楚漢方面はど素人ではありますが、せっかくの機会なのでご挨拶がてら、カエルさんともどもランチ会に参加させていただいたのでございます。
『王的盛宴』については、やれあの史実が抜けているこの史実が描かれていないのはだめじゃないかだの、お話がわかりにくいだの暗いだの、あそこが納得いかないだのここがおかしいだの、読めば憤懣遣る方なくなるばかりのご感想の数々を目にしてきました。にっこり笑って相対しちゃあいるけれど笑顔の下でははらわた煮えくりかえっています的な局面も多かったです。挙げ句、この映画の美しさおもしろさを理解して愛してくださる方は、たぶんきっと、ごく僅かしかいないのだろうなあという諦観を日々強くしていました。
愛良さんは、自分が知るなかでは数少ない、『王的盛宴』をきちんと評価し愛してくださるブロガーさんでした。
だからこの一篇の(奇妙な)映画につながる細いご縁だけを信じて、一度お逢いしてみたいと思っていた方でした。
お逢いできてよかったです。
尾張盛宴のときに作った王的フォトブックももらっていただけて、嬉しかったです。
私は生来の性分でもあるしだからこういうブログをやっているんだし、孤独とか孤高とか、べつにどうだっていいやと思っているところがあります。
ていうか団体さんで元気よくつるむのが(数を恃むがゆえに赤信号でも平気で渡っちゃうという恥知らずなありようが)、とにかくだいきらいなんです。
自分のすきなものを誰からも「すき」と言ってもらえない、それゆえに自分は孤独だと大仰に嘆いてみせて、その実こっそりひとりで甘美な思いを強くしている、とかいうのも、自惚れたお馬鹿さんの仕業だなと思っています。
私がこのブログをやっているのは自惚れたお馬鹿さんになって充足したいからじゃ無くて、私がすきなものは断固としてすきなのだと執念深く言い続けるためです。だって私がそれをすきなんだから。すきだと言い続けることでだれかを傷つけたとしたってかまわない。報いは私が受けるから。言い続けていればそれはなにかしら「かたち」になるし、そしてそのかたちがだれかに出逢う力にだってなるから。だれかと出逢って、いつかだれかと別れてゆくとしたって。
ある意味、秦末楚漢に生きた彼らだって。
何百倍も濃くて熱くて痛い出逢いと別れをくりかえし、鮮血淋漓たるおもてに白い咲みを湛え、数多の屍を踏んで、足裏に屍を感じて、そこに立っていたんじゃないかなあ、とか思います。
ランチ会のときにご覧に入れられなかったので。
『王的盛宴』において、ひとりの若い役者が年老いた皇帝に変貌してゆく、その過程をごらんくださいませ。
お写真ご提供はこちらさまより。