第一次香港游記。
2017.12.17 Sunday
こちらの記事にいただいたコメントに、こんなお返事をしていました。
はじめて「香港」という街を意識したのは、『男たちの挽歌』を劇場で観た1987年でした。
映画のなかでマーク(周潤發)が食べていた白くてプルプルした食べ物、あれが「腸粉」というものなのだと知ったのはずいぶんあとになってからでした。
『男たちの挽歌』の10年後、『九龍風水傳』というゲームに出会ったことが、自分のなかの妄想香港を決定付けました。
当時既に取り壊されて影も無かった九龍城砦に憧れました。
自分にとっての香港は、ファンタジーのなかにだけあればよい街でした。
だから現実に足を踏み入れることをどこかでずっと、忌避していました。
『男たちの挽歌』の30年後、『九龍風水傳』の20年後に、その舞台になった街を実際に訪れることになる巡り合わせというのも、不思議ですがたぶん疾うにどこかで予感していたことだったなあ、という気がします。
「呼ばれた」というのなら、1987年に既に、呼ばれていたということなのかも知れません。
そんなこんなを踏まえて、「香港」という街を、その街に居る自分というものを、楽しんでこようと思います。
じつは『男たちの挽歌/英雄本色』に先駆けて1979年、『Mr.Boo!ミスター・ブー/半斤八兩』にどはまりした経験もあったりします。許冠傑の歌う主題歌“半斤八兩”はシングル盤を買ってヘビロテしてました。“オバQ音頭”“ブルーライトヨコハマ”と並んで人生三大ヘビロテシングル楽曲のひとつです。いま聴いてもほんとうにカッコイイ、名曲だとおもいます。
そんなふうに長年、映画とゲームというところでしか香港を知らずにきました。
それは謂わば仮想の、空想の、妄想の香港なのであり、まあそれでもいいやと思っていました。
実際に行ってみれば、あたりまえだけど、温度と湿度と匂いのある世界でした。モノスゴイと聞いてはいたが、あの湿度にはとにかく魂消ました。空港に着いて外に出て歩き始めたとき、けっして大袈裟で無く、雲のようにまとわりつく湿度を掻き分けて進んでいる、というかんじがしたものです。
彌敦道(Nathan Road)沿いのホテルに着いて、すぐ裏の白加士街(Parkes Street)にある麥文記麵家(マクマンキー)に海老雲呑麵を食べに出かけてその足で佐敦(Jordan)界隈をうろついているうちに、湿度酔いというか湿度バテみたいなかんじになっちゃって。初日の夜は翡翠市場とか女人街のほうまでうろつこうと思っていたんですけれどもそれどころじゃ無く(それでも裕華國貨[Yue Hwa Chinese Products] はざっくり見学)、冷房のがんがん効いたマックカフェに避難。すこし離れたところに座るとんでも無く美しい香港人青年の横顔を、湿度にうだった頭でぼんやり盗み見ていたりしました。
翌日からだんだん体も慣れていきましたが(慣れた頃にはもう帰国)、湿度があんなにデンジャーなものだとは、これも行ってみなけりゃわからなかったことでした。
公私ともに始まりからいろいろあった2017年。
その「いろいろ」の只中に半ばヤケクソのように敢行した6月13日から18日まで、5泊6日の香港旅。
その簡単な(とはいえもちろんクソ長文)記録を、半年も経っちゃっていまさらではありますが、主に自分のための覚え書きとして、此処に留めておきます。
はじめて「香港」という街を意識したのは、『男たちの挽歌』を劇場で観た1987年でした。
映画のなかでマーク(周潤發)が食べていた白くてプルプルした食べ物、あれが「腸粉」というものなのだと知ったのはずいぶんあとになってからでした。
『男たちの挽歌』の10年後、『九龍風水傳』というゲームに出会ったことが、自分のなかの妄想香港を決定付けました。
当時既に取り壊されて影も無かった九龍城砦に憧れました。
自分にとっての香港は、ファンタジーのなかにだけあればよい街でした。
だから現実に足を踏み入れることをどこかでずっと、忌避していました。
『男たちの挽歌』の30年後、『九龍風水傳』の20年後に、その舞台になった街を実際に訪れることになる巡り合わせというのも、不思議ですがたぶん疾うにどこかで予感していたことだったなあ、という気がします。
「呼ばれた」というのなら、1987年に既に、呼ばれていたということなのかも知れません。
そんなこんなを踏まえて、「香港」という街を、その街に居る自分というものを、楽しんでこようと思います。
じつは『男たちの挽歌/英雄本色』に先駆けて1979年、『Mr.Boo!ミスター・ブー/半斤八兩』にどはまりした経験もあったりします。許冠傑の歌う主題歌“半斤八兩”はシングル盤を買ってヘビロテしてました。“オバQ音頭”“ブルーライトヨコハマ”と並んで人生三大ヘビロテシングル楽曲のひとつです。いま聴いてもほんとうにカッコイイ、名曲だとおもいます。
そんなふうに長年、映画とゲームというところでしか香港を知らずにきました。
それは謂わば仮想の、空想の、妄想の香港なのであり、まあそれでもいいやと思っていました。
実際に行ってみれば、あたりまえだけど、温度と湿度と匂いのある世界でした。モノスゴイと聞いてはいたが、あの湿度にはとにかく魂消ました。空港に着いて外に出て歩き始めたとき、けっして大袈裟で無く、雲のようにまとわりつく湿度を掻き分けて進んでいる、というかんじがしたものです。
彌敦道(Nathan Road)沿いのホテルに着いて、すぐ裏の白加士街(Parkes Street)にある麥文記麵家(マクマンキー)に海老雲呑麵を食べに出かけてその足で佐敦(Jordan)界隈をうろついているうちに、湿度酔いというか湿度バテみたいなかんじになっちゃって。初日の夜は翡翠市場とか女人街のほうまでうろつこうと思っていたんですけれどもそれどころじゃ無く(それでも裕華國貨[Yue Hwa Chinese Products] はざっくり見学)、冷房のがんがん効いたマックカフェに避難。すこし離れたところに座るとんでも無く美しい香港人青年の横顔を、湿度にうだった頭でぼんやり盗み見ていたりしました。
翌日からだんだん体も慣れていきましたが(慣れた頃にはもう帰国)、湿度があんなにデンジャーなものだとは、これも行ってみなけりゃわからなかったことでした。
公私ともに始まりからいろいろあった2017年。
その「いろいろ」の只中に半ばヤケクソのように敢行した6月13日から18日まで、5泊6日の香港旅。
その簡単な(とはいえもちろんクソ長文)記録を、半年も経っちゃっていまさらではありますが、主に自分のための覚え書きとして、此処に留めておきます。