蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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在川崎的陰界。
気鬱な日々が続いています。
しかしきょうは久しぶりに楽しい午後を過ごすことができて、ちょっと気が晴れました。
先月『藍宇』&胡軍劉方面のありがたいものをたくさんお送りくださったSさんに、ついにお目にかかることができたのです。カエルさんもお誘い合わせでランチしてきました。そこでまたしてもありがたいものをたくさんいただいてしまいました。「私はもう引退した身ですから……」とおっしゃるSさんでしたが、日本における『藍宇』まわりがリアルタイムに熱かった情熱の時代の生き証人に直接お話を伺えて、訊いてみたかった胡軍さん劉さんまわりのあんなことこんなこと(ブログには到底書けぬはしたない内容)にも快くお答えいただけた。とんでも無く有益な数時間でした。かんしゃかんげきです。ありがとうございますSさん!


ランチの場所は川崎でした。
川崎といえば、『九龍風水傳/クーロンズゲート』を愛する者なら一度は探訪しておくべきディープなスポットがございまして。
Sさんとお別れしたあと、強風のなかを訪ねてみました。


電脳九龍城砦 ウェアハウス川崎。


IMG_4750 (1).jpg


ここは、かつて香港にあった九龍城砦をテーマに作られたアミューズメント施設です。


90年代後半に『九龍風水傳/クーロンズゲート』というゲームに耽溺し、2004年に『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness』という書籍を買いました。著者グレッグ・ジラードさんのHPで在りし日の九龍城砦の姿を見ることができます。
Greg Girard Kowloon Walled City


私が九龍城砦に惹かれたのはやはりそこに「生活」があったから。
ひとびとの日々の営為というものが連綿と、みっしりと詰まっていたから。
九龍城砦が取り壊されず無人の儘に放置されたならば、素敵に凄まじい廃墟となりはてたことでしょう。廃墟は廃墟でたいそう佳きものです。でも、なぜ廃墟が佳きものであるかといえば、かつて其処に誰かが住んでいた、その時間の記憶がありありと残っているから。魔窟と呼ばれる場所にも淡々と営まれる暮らしがあった。その暮らしのなかでいくつもの新しい命が生まれ、笑って泣いて生きて死んだ。それ以上のものは無く、そしてまた、正しくそれ以上のものも無い。


ウェアハウス川崎は、「在りし日の九龍城砦を偲ぶ」とまではまいらないのでしょうが(そもそも「在りし日の九龍城砦」を知りませんし)、『九龍風水傳/クーロンズゲート』のあの異様に美しくおそろしい世界に迷い込んでしまったかの如き錯覚を其処此処で体感できる、稀有な場所であることはたしかです。
錆びついた自動ドアががらりと開き、禍々しい紅にいろどられたアプローチの先にあるもうひとつの扉をくぐると、うすぐらい通りが奥まで延びています。通りの左右からは姿無き住人の話す広東語が聞こえてきます。其処はもう陰界九龍城。気分は超級風水師。まずは重慶花園に消えた鏡屋を捜さなければ。

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| 22:32 | 瑣屑。 | comments(4) | - |
皓月当空。平安健康。




「七歳までは神のうち」
なんてことを申します。

なんてことを以前、書いていました
「神」として此の世にあるその最後の齢を、
きょう、
彼は迎えたという次第。

中国では、

その年の8月31日までに満6歳になる者は
その年の9月1日に義務教育の第1学年に入学する。


というきまりになっているんだそうで。
11月生まれの彼は、
今年めでたくぴかぴかの1年生。


おめでとう胡皓康。


「神」としてあるその最後の年が、
ワンダフルでビューティフルな一年になりますように。





| 22:29 | 瑣屑。 | comments(4) | - |
さてこそ美人病とは名づけけれ。
cleopatra-2.jpg


ひとつ前の記事で書いた、曾て無い身体の異常ですが。
いろいろ調べてもらった結果、病名が判明し、本日正式に(笑)告知をいただきました。
生来、肝は太いが神経は細いわたくし。まっさきにダメージをくらうのはいつだって神経です。おそらく溜まりに溜まったストレスが引き金になって、どっかの神経がおかしくなったのであろうと思い、かかりつけの先生に紹介状書いてもらって某大病院の神経内科を受診しました。
でもね、神経じゃ無かったのでした。
MRIを撮っても脳には(脳内の血管も含めて)まったく異常が無く、血液検査でいともあっさり判明したその病気は

甲状腺機能亢進症。
ざっくりいえばバセドウ病。


ってことだった。

母がバセドウ病持ちなので最初に疑うべきでした。
しかし自覚する症状(暑がりである・疲れやすい・動悸がする・息切れがする)が、自律神経失調症とも更年期障害ともとれるもんだったから、気の持ちようとか適切な運動とか時間経過とかが解決してくれるだろうと思っていたのでした。生来肝は太いが神経は細く、そしてびみょうに詰めがあまい与太郎です。そんな与太郎がどうして病院を受診せねばと思ったかというと、昨年秋から突然、両足が、次いで両手が震えるという、どっからどうみてもやばいかんじの症状が出てきたからです。いまは亡き血縁の叔父がパーキンソン病だったから、「よ、よもやわしも……?」とさすがの与太郎も血の気が引き。
幸いなことに最初の検査でパーキンソン病の可能性は否定されました。そこで神経内科の先生は内臓の病気を疑い、二度の血液検査と甲状腺エコーと心電図とX線撮影を経て病名が明らかになったという次第。

バセドウ病は、免疫の仕組みに異常が起き、抗体TRAbが作られて甲状腺を刺激して甲状腺ホルモンを過剰につくりだし、甲状腺機能亢進症をひきおこす自己免疫疾患です。原因はよくわかっていません。甲状腺ホルモンの過剰分泌によって新陳代謝が活発になりすぎるため、身体は四六時中ジョギングしてるようなことになり、ちょっとのことでも息があがってしまいます。筋力がみるみる落ちていき、いままでかるがると駆け上がれた階段が、途中で休まなければ上れなくなる。睡眠時以外足は常に震えていて、ときどきひどく怠い。そしてふつうに食べているのに体重が減っていきます。
この一年ばかし体重を計測するのをさぼってて、ざっくり50キロぐらいだべと思って今日測ってみたら着衣で46.5キロという数字になっているもんだから魂消ます。

根治はしない病ですが、お薬をのめば症状は改善していくといいますし、日常生活を送る上でも困難なことは(いまのところ)ありません。
だがしかし、メルカゾールというこのお薬には、無顆粒球症(=白血球の中で細菌感染を防ぐためになくてはならない「顆粒球」が極端に減少する病気)をひきおこす副作用があるんだって。だから早期発見のために、最初の服用(つまりきょう)から2ヵ月ぐらいは原則として2週に1回、病院に行って血液検査を受けなければならないんだって。あーもーくそめんどくせえ。めんどくせえけどしょうがないですね。いますぐ致命的なことになる、もっと深刻な病じゃなかったことは不幸中の幸いです。心臓に負担がかかるため、甲状腺ホルモンの数値が安定するまでは太極拳も自粛です。いまのこの状態で太極拳をやることは限りなく自分の身体に負荷をかけるし、できないことをしようと無理をするし、やっていてもきっと愉しくない。すくなくとも自分の太極拳は、「無理」というものを排除したところから始まるものだと思っています。だから3月の大会も棄権することに決めたわ大口叩いた挙げ句にどうも御免なさい胡軍さん(笑)。


さてそしてやっと、冒頭の画像のお話ですが。
バセドウ病は一名を「美人病」というのだそうですよ。
美人が罹るからとか、罹れば美人になるからとか、なんだか胡散臭いことがいわれています。その根拠は以下のようなことにあるみたい。

●バセドウ病が美人病と言われる理由〜クレオパトラもそうだった?
●ちょっとだけ病気の話 クレオパトラの場合

美人薄命を体現した麗しの夏目雅子さんもバセドウ病だったのだそうですね。
私の場合はバセドウに罹病したからつって美人になる可能性はほぼナッシングですが、この半年、誰にもいえず苦しんできたこの厄介な病の名が「美人病」であったかというのは僅かなりとも気散じになるといいますか。暢気極まる自分で良かったー。
| 21:25 | 瑣屑。 | comments(24) | - |
图像的盛宴。
吹き荒ぶ風で明けた2014年が暮れたとき、プラスとマイナスの平仄は一見合っているようでしたが、いま現在抱えている問題の着地のしかた如何では、ああやっぱりマイナスのほうが大きかったということにもなるのかも知れません。動きだしてみなければわからないし所詮はなるようになるのだろうけれど。

吉であれ凶であれすべては己自身が選びとるもの。

だから自らに恃むしかないんだと思います。
目をひらき、空を見て、荒ぶ風を読む。
私という羅針盤の精度を高めていく。


一年前に書いた自分の言葉が一年後の自分の指針になったりもするもんなんですねえ。

私はそういう次第ですが、どんな次第でもきっと年は明けます。
お正月だし、ラブなひとたちのお写真載せてきもちよくなってあげます。

新年快楽。
万事如意。
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| 23:01 | 瑣屑。 | comments(8) | - |
馬に乗った話。
動物占いではペガサスなので自分自身がある意味馬でもありますし動物としてだってむろん好きです。らぶーなミュージシャンだの役者だのも午年生まれが多かったりもするのですが、じつはこれまで、リアル馬ちゃんと触れ合った経験がございません。

今年2014年は甲午の年ですし、ここはひとつ、リアルに馬ちゃんと触れ合ってみたいものだのう。

そんなちっちゃい野望を抱いて日を送っておりましたところ、八月八日女王蜂ライヴ終わりに小淵沢にお住まいのお友達と一献酌み交わす機会にめぐまれ。
んじゃ秋になったら小淵沢に行って馬に乗りませう、という話になり。
25日26日と、行ってまいりました。

小淵沢観光協会さんによれば、小淵沢は「日本有数の乗馬の町」ということです。
町内には本格的な乗馬レッスンのできる施設がいくつかあります。お友達のおすすめを受けて伺ったのは「ララミー牧場」さん

30分の体験乗馬(3750円)というコースを予約しました。ほんとは体験乗馬を終えたあと、45分の乗馬レッスン(5400円)てのも受けたかったのですが、お電話した時点ですでに予約がいっぱいで断念。
ヘルメットを着けて馬場に行きます。インストラクターさんに指導していただいて、台に乗って鐙に左足をかけ、両手で鞍をつかみ、そろそろと跨ります。
跨った瞬間、両足に馬の体温がつたわってきました。

そうか。
「馬に跨る」ってつまり、生きものの熱さをじかに感じることなのか。

なんて、あたりまえのことに感動するし、緊張します。
ドラマや映画なんかでさんざん見ちゃあいるけれど、やはり己の身を以てあじわわないとこの生なかんじはなかなかわからないものです。

さていざ跨ってみますといきなり視点が高くなりますが、鞍上はあんがい安定感があるので怖さは感じません。でも高所恐怖の気のある方はやばいかも。
鐙に爪先をのせ、踵を下げ、そして膝から爪先を外向きにします。膝から下の力はすべて抜く。馬腹を足で締めつけてはいけません。騎乗しているあいだはずっとこの足のかたちを保つのですがこれがなかなかしんどい。左手で鞍の前のグリップを握り(鞍にグリップがあるのはウエスタンスタイルだそう)、手綱は右手の小指と薬指のあいだに挟んで握りこみ、親指でぎうっと押さえます。これまた油断してると手綱がすべって弛みが生じるので、できるかぎりぎうっとしていなければなりません。でも肩から腕はゆるめる。ちょっと太極剣の用法ぽいか。

最初は常歩(なみあし)でとことこ。途中で手綱を捌いて左右に曲がる練習、手綱を絞って止まる練習をします。
次に馬腹を蹴って(遠慮無しに強く蹴る)速歩(はやあし)にします。
速歩でちょっと走っていたら、じゃっかん車酔いっぽいかんじになりました。一瞬だけでしたけれど。
そのあと、軽速歩(けいはやあし)というのをやりました。
軽速歩とはウィキペディアによれば、

「速歩のとき騎手が馬の動きに合わせ鐙に立つ、鞍に座る、を繰り返すことをいう。速歩の反撞(=馬の背骨の上下動)による人馬への負担を低減するための技術。」

ということは帰ってきてから調べて知ったことで、そういう説明はいっさい無いまま、鐙に立つ・鞍に座るをかなりのピッチの二拍子でくりかえします。
鐙に立つのは怖いということも無くふつうにできました。でも走る馬の上で立つ・座るのくりかえしをしていますと太腿にすげえ負荷がかかって、あげく絶賛筋肉痛でございます。あと座るときに座骨が鞍に直撃するので座骨らへんも痛いです。
もうすこし練習すればだんだんとコツもつかめそう。

私を乗せてくれたのは綺麗な黒い馬でした。
レッスン後に訊いたら「ジョイス」という名前だそうです。いま調べたがジョイスちゃん(女の子)は1998年4月7日生まれの16歳、もとは「マキノブリッジ」という名の競走馬。母方のおじいちゃんはあの“天馬”トウショウボーイだそうです。


で。
明敏なる大家にはたいがいお見通しでしょうけれど。
そもそも「馬に乗りたいな」と思ったのはやはりこの方の存在が大きいです。





『レッドクリフ』の角色海報、趙雲先生のそれには「驍」の一文字があったっけ。
「驍」とは「背の高い馬。ひときわすぐれた馬」「勇ましくて強い」の意。趙雲というキャラクターをあらわしつつ、同時に趙雲を演じるそのひとのありようも、この一字にこめられているような気がします。

日本の時代劇とか中国の古装劇、あるいは西欧のファンタジー劇などをみていると、役者さんわりかし易々と馬に乗って颯爽と駆けているように感じられます。演技のプロだから、なんであれそれらしくかたちにして「見せる」技術に長けているということもありましょう。でもそうなるまでにはあのひとだってこのひとだって、筋肉痛と座骨痛にひそかに涙した夜だって、あるやも知れません。

30分ぽっちですけれど、私というものを馬に預けてみて。
人間も馬も等しく生きものであり、生きるという上で一歩もひかず対等なその二者によるコミュニケーションが乗馬ってことなのか、みたいなふうに思いました。
いつかまたきっと、馬に逢いに行きたいです。



馬ちゃん繋がりで。
これは競馬ですけれど。
ご存じの方も多いと思いますけれど。

速さは、自由か孤独か。(サイレンススズカ)
群れに答えなどない。(ナリタブライアン)


T.Rexのかの名曲が裏打ちする、数多の名コピーに涙したJRAのCMです。




| 01:11 | 瑣屑。 | comments(8) | - |
双十。
十と十とが重なる今日。


清宣統三年辛亥年(1911)、辛亥革命の発端となる武昌蜂起が起こった日であります。
その99年後の今日、劉燁さんちのお兄ちゃんこいぬ、劉諾一が生まれました。
胡軍さんとこのお嬢さんが九月九日生まれで、劉燁さんとこの長子が十月十日生まれ。誂えたような数の合い方にも勝手にずきずきしてみたり。
ともあれ諾一、今日で満四歳です。
おめでとうね。



祝贺诺一四岁生日!
愿他在这一年里美好幸福。


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なんだかずいぶん大きくなったような気持ちになってしまいますが、生まれてまだ漸う四年なんですね。
おとうさんとか、おとうさんまわりのひとの微博などでの露出がけっこうあるせいか、ずっと以前から知っている遠縁の子、みたいな気持ちになっちゃって。
従姉にあたる、劉燁さんのお姉様のお嬢さんと妹こいぬとのなかよしスリーショットなんか見ていると、気分はすっかり遠縁のおばちゃんです。お年玉あげたーい。





股間に於ける右手の位置がいささかびみょうなかんじだけども、諾一。
こまかいことは気にせずに、すくすくのびのび育っていってね、諾一。

| 22:30 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
穿旗袍的女人。
惚れた役者がかつて旗袍美少女だったりした ことも手伝って、所謂「チャイナドレス」という衣服にはひとなみ以上に興味をもっています。ひとくちに「チャイナドレス」といっても素材もモチーフも形もさまざまあって、北京様式のそれを「京派旗袍」といい上海様式のそれを「海派旗袍」と呼び、それぞれの土地の文化として位置付けていたなどなど、『チャイナドレスの文化史』という本を読むと、ひとつの衣服が辿った歴史とひとつの衣服に担わされた意味なんかがコンパクトにまとめられていておもしろいです。
同書にも収められている著者・謝黎さんのコレクションも展示された「描かれたチャイナドレス──藤島武二から梅原龍三郎まで」を、本日ブリヂストン美術館でみてきました。


main.img.png



企画展なのでヴォリュームとしてはさほどではないものの、印象的な絵がいくつかありました。藤田嗣治の「力士と病児」、恩地孝四郎の「白堊(蘇州所見)」、岡田謙三「満人の家族」など。
タイトルに掲げられてる藤島武二の数点、特に横顔をみせた旗袍の女はどれも素敵でした。展示会のアートワークに使われているのが「女の横顔」(上)ですが、それにも増してこのふたりが頗る別嬪で。




左向きの彼女:「芳慧」
右向きの彼女:「鉸剪眉」



展示された作品のなかでもっとも印象が強かったのが久米民十郎の「支那の踊り」(個人像)。





漆黒の額縁にはびっしりと雷文が彫りこまれ、恰も異界へとくりぬかれた窓のようでした。横浜のホテルで関東大震災に遭い30歳で夭折した画家が、死に先立つ三年前に、巫女をモデルに雇って描いたといわれる絵です。大正9(1920)年に公開されたのを最後に2007年に発見されるまで、八十数年も行方知れずだったのだそうです。まるい敷物の上でぐんにゃりとのたうつ黒衣の女が背けた顔にうかべているのは苦悶なのか陶酔なのか。みているとあらぬことばかり考えてしまい、そういうことを考えているうちにどんどんうすぐらいところへ迷っていきそうな。行方知れずだったのでは無くて、ほんとうは、意図的に隠匿されていたのじゃないか。そんなふうにも納得してしまえるくらい、「こわい絵」でした。



本展には、チャイナドレスで行くと一般料金を団体料金に割引してもらえる「チャイナドレス割引」というシステムがあります。
「本格的なチャイナドレスではなくても、中国服デザインがファッションの中に取り入れられていればOK」だそうなんで、横浜中華街のteftefさんで買ったチャイナカラーのプルオーバーで行きました。






チケットを買った際に、「広報に載せたいので写真を撮らせていただけませんか」といわれ。お洋服部分しか載せませんとのことだったので、同行した太極拳朋友のジィエさん(惠英紅似の美人さん。薔薇色の旗袍がよくお似合い)とツーショットでおさまってきました。美術館の方によれば、開催当初は少なかったものの、昨今はチャイナドレスで来場される方がだんだん増えているんだとか。今日も藍色の絣っぽい生地で仕立てた素敵な旗袍をきりっとお召しの方がいらっしゃいました。会期は7月21日(月・祝)まで。ぜひぜひ、チャイナドレスでお運びくださいませ。

| 22:37 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
九龍風水傳原聲音樂專輯。
『藍宇』とも胡軍とも劉燁ともまったく関係は無いといえば無いのだが、
『藍宇』とか胡軍とか劉燁に、つまり「中華的なるもの」を愛するに至る道程上、絶対に無視できない。
何度か書いていますが、そういうもののひとつに『九龍風水傳/クーロンズ・ゲート』というゲームがあります。


1997年秋、とあるシミュレーションRGPゲーム絡みのお仕事をやらせてもらいました。それまでゲームなんかまったく興味無かったのですが、これもなにかのご縁なのでそのゲームをプレイしてみようかと、クリスマスにプレイステーションを購入しました。数ヵ月後、たまたま行き逢った古書市で、97年2月に発売された『九龍風水傳』の初回限定版を入手。青龍・白虎・朱雀・玄武の四神の図が盤面を飾るディスク4枚+100ページを超えるブックレットから成るボックスセットで、ご存じの方はご存じでしょうけれど、このブックレットがもう、とんでも無く超絶に素敵なのでした。プレイするより先にブックレットに殺られてしまいましたが、実際にプレイしてみたらブックレット以上に殺られてしまいました。
本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたりして涙することはあっても、ゲームをプレイして泣くなんてまさかそんなことあるわきゃあ無い、とそのときまで思っていました。
エンディング迎えて暫し茫然自失し、次いでコントローラー握り締めて号泣する、などという事態がまさか自分に起きるなんて、そのときまで思ってもみませんでした。


1997年7月1日、イギリスから中華人民共和国へ、香港の主権委譲が行われました。
香港がある意味香港でなくなる、その数ヵ月前にリリースされた『九龍風水傳』では、まさにその返還直前の時代が舞台となっています。返還の4年まえに解体され消滅した筈の九龍城が突如陰界からたちあらわれます。その陰界の九龍城に潜入し、気脈の流れをととのえて、風水を正してゆくというのがプレイヤーに課せられたミッション。

現実の香港には足を踏み入れたことが無いくせに、いやだからこそか、『九龍風水傳』で描かれる「陰の香港」にこうまで囚われてしまうのかも知れません。
現実の香港に行ってみたいなあという気持ちは、『九龍風水傳』をくりかえしプレイすることで八割がた消えてしまったのかも知れません。
人を選ぶゲームですが、ゲームに選ばれたら最後、とことん病み呆けてしまう。
『藍宇』とも似ています。自分のほれるものなんて、たいがいそんなです。


そんなおそろしい(笑)ゲームのサウンドトラックコレクションが、ゲーム発売から17年を経たこの2014年になってまさかのリリースなんだそうです。
ゆめのようだ。
情報いただいて朝から泣きました。


九龍風水傳原聲音樂專輯
〜クーロンズ・ゲート オリジナルサウンドコレクション〜

(初回限定生産)





1997年にプレイステーション用に発売された伝説的アドベンチャーゲーム「クーロンズ・ゲート」のサウンドコレクションが、17年の時を経てついに登場! 「クーロンズ・ゲート」のカオスな世界を彩るオリジナルBGMを、CD3枚組の大ボリュームでパッケージ! さらに未使用曲や体験版にのみ収録された音源だけでなく、作曲者・島邦明による新作ボーカル曲も収録した、まさにパーフェクトな仕様。

ゲーム中で使用されたオリジナルBGMを、CD3枚の収録時間ギリギリまで詰め込んだ大ボリュームなサウンドコレクションとなりました。JPEGダンジョン、リアルタイムダンジョンでの使用曲の他、ムービーシーンのサウンドはもちろん(一部、SEなどが含まれるものもあります)、ボーナストラックとして体験版で使用された楽曲、ゲーム未使用曲を収録。また、今回のサウンドコレクション制作にあたり、作曲家・島邦明自身の手による「2014年の現在、もし『クーロンズ・ゲート』を作るなら」というコンセプトの書きおろしボーカル曲も収録されます!

(from密林さん)


ここ数年は仕事が多忙をきわめていてゲームというものをほぼまったくしなくなってしまいました。
でもこのお知らせを聞いて、もういちど陰界の九龍城を彷徨ってみたくなっています。
迷路の如き胡同にたたずんで、龍さながらに荒びのたうち咆哮する気脈を感じてみたい。
いつかなにもかも終わってしまうし九龍城は消滅してしまうし誰も彼もいなくなってしまうしすべてをとことん失くしてしまう。
わかっていても、わかっているから、何度でもくりかえしたい。
既に此の世の客では無い、変わりはてた老朋友たちの棲むあのなつかしい一期の闇に、もういちど身を投げてみたい。
そんな思いを、いま、解き放ってやりたくなっています。



更新は絶えて久しくありませんが、『九龍風水傳』というゲームを僅かなりとも知ることができる公式サイトはこちらから→

| 15:25 | 瑣屑。 | comments(0) | - |
mademoiselle N.
ぼんやりしてる隙をついて14日のこんな深い時刻、こいぬおとうさんがまたしても微博で秒删やらかしていたもよう。劉霓娜(Liu Nina)さんのこの美少女っぷりを捕獲してくださったかた、ほんとうにありがとうございます。





ついこの1月に満2歳を迎えたばかりとはおもえぬ、堂々たるマドモアゼルっぷりでございます。眸の深さ、まなざしの勁さは正しくおとうさん譲り。美しい目、とくに役者のそれについて日本では「目千両」とよくいいますが、中国に同様の表現は無いのかしらと日中辞典引いてみたら、

眼晴特別漂亮的容貌

身も蓋も無くストレートな表現が載っておりました。いやまあそりゃそうだけどもうちょっとこのー、なんかないんでしょうか素敵な表現が。中国ならば「明眸皓歯(ming mou hao chi)」という成語がありますか。楊貴妃を詠った杜甫の「哀江頭」の「明眸皓歯今何在(明眸皓歯 今何くにか在る)」からきたことば。「明眸」は「澄んで美しいひとみ」「あざやかな目もと」の意で、たしかに美人の形容ではありますが、その眸が湛える思い、といったものまでは及んでいないようにも思います。ともあれ燕雀鳳を生まずじゃ無くってやっぱり鳳は鳳を生む。将門必ず将有り相門必ず相有り、栴檀は双葉より芳しく蛇は寸にしてその気を現す、どうかこういうお子さんにあやかりたいあやかりたい。こいぬ兄・諾一もすくすく育ってだいぶご陽気なぼっちゃんになってまいりました。ちょっとさぼってたけどこいぬこれくしょん更新しましたので、ごらんくださいね。
※「スンリー ダンチャオ」という検索ワードでこいぬこれくしょんを見てくださるお客様がたいへん多いんですが、コメントでおふたりに触れてはいますが鄧超さん孫儷さんのお子さんのお写真を載せているわけでは無いんです。無駄足踏ませてどうもすみません……。



ついでといってはなんですが。
こいぬおとうさんがリアルマドモアゼルだった芳紀26歳のみぎりの御麗容も。
あと20年経てば霓娜さんもきっとこんなかんじに……。




| 12:05 | 瑣屑。 | comments(4) | - |
活着。





寄る辺無きちっちゃいやつが寄る辺無きままにただ前を向いている。


そういうものにめっぽう弱く出来ている仕様なのでこまります。雅安地震のときのわんこ二宝もそうだった。萌宠物、直訳すると「萌えペット」。かわゆかったり笑えたりする動物のお写真を載せてくださる微博さんで出逢ったこの仔はしかし「萌」なぞという一字には到底収まりきれないし「癒やされましたあ(はぁと)」的な愚昧なる感想とも無縁。雑踏に踏みつぶされそうに稚く、汚れきって、首のところにどうも傷を負っているようだ。おなかをすかしているのかも足取りも覚束無いのかもいまはもう死んだかも。どこから歩いてきたのかそしてどこへ歩いていくのか。双眸になにを映しているのか。あれこれ想像してみるが想像などはなから力尽きる。寄る辺無きちっちゃいやつがひとりで背負えるぶんをひとりでひきうけて愚痴も垂れずだれのせいにもしてない、このかんじ。ただ生きて歩いて生きていく途上の一瞬。こんなふうにあれればという一個の憧憬のかたち。



そして有病の因果者ゆえ天安門事件の夜に白いシャツを血に染めて恋人の腕のなかにもどってきた男の子をあたりまえのように重ねてしまってあらためて涙ぐんでしまったりもしました。


| 10:56 | 瑣屑。 | comments(6) | - |
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