蛇果─hebiichigo─

是我有病。

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中華書架的小宴。──『藍宇』其の吾拾爾



美しい名前。──『藍宇 Lan Yu』
シガ フタリヲ ワカツマデ。──『藍宇』其の拾参(2011年5月13日)
三年不蜚不鳴。──『藍宇』其の弐拾詩(2012年5月13日)
情熱の嵐。──『藍宇』其の燦拾讃(2013年5月13日)
生活と云う名の。──『藍宇』其の燦拾桎(2014年5月13日)
藍くて咲こうとした恋は。──『藍宇』其の是拾溢(2015年5月13日)
遥かに照らせ山の端の月。──『藍宇』其の是拾呉(2016年5月13日)
白刃可踏。──『藍宇』其の是拾潑(2017年5月15日)




そうして今年もまた、魔の五月はめぐってきました。
『藍宇』に出逢ってヘビーローテーションをして泣きはらしてぱんぱんになった顔で仕事をやっつけて日暮れとともにふたたび涙にくれていた、あの五月。
今年で9年が経ちました。

『藍宇』によって得たもの。『藍宇』によって喪ったもの。それぞれにありましたが得たもののひとつが書籍でした。2009年のきょう5月16日、『藍宇』の原作『北京故事 藍宇』(講談社)を入手して、それが呼び水になって、中華方面に関連する書籍が書架を占める率が飛躍的に上がりました。飛躍的といったってごくごくささやかなものなんですが。昨今では置き場所もお金も無いので無闇と蔵書を増やさぬよう、なるべく図書館を利用するようにしているので。『藍宇』以前から所有していたものも含めて、9年後のいまはこんなかんじです。


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ささやかではありますがこれもまた『藍宇』という病が刻んだ爪痕ではあります。
書架にある本のうちの何冊かについては、ここでも感想文などしたためています。

●壮士一去兮不復還。(『荊軻と高漸離』)
●恋之風景・影集+幾米電影挿画。
●うろこ持ついきもの。(『無極 正子公也デザイン画集』)
●既近且遠、既遠且近。──『藍宇』其の拾弐(『關錦鵬的光影記憶 In Critical Proximity: The Visual Memories of Stanley Kwan』)
●他有两个弟弟。──『藍宇』其の拾(『中国近世の性愛 耽美と逸楽の王国』)
●墓碑銘は青春。──『中国共産党を作った13人』譚璐美(新潮社)
●夢かも知れない。(『恋の風景 ─天使といた日々─』)
●髭姫様無頼控。──『項羽と劉邦』上巻(新潮文庫)
●王的拾遺29・書肆的小宴。(『長城のかげ』『楚漢名臣列伝』)
●藍宇漫画。(『私が愛する中国映画/我爱中国电影』)
●彼らが居た場所。(『天安門・撮影日記 1989.5.25〜6.8』)



2010年、「劉の項羽、范冰冰の虞姫で『鴻門宴』映画化」というニュースが流れまして。
でもそれは中華メディアにありがちな誤報で。楚漢がテーマの映画だけども劉は項羽じゃなくてどうやら劉邦を演じるらしい。呉彦祖が項羽を、張震が韓信を演じるらしい。それがつまり『王的盛宴(邦題:項羽と劉邦 鴻門の会)』だったというわけです。胡軍さんが『大漢風』で項羽であったことを思い合わせると、「陳捍東と藍宇」という宿命のふたりを演じた彼らが時を隔てて「項羽と劉邦」という宿命のふたりを演じることは、不思議だけど至極必然という気もしました。それで、項羽と劉邦に関する書籍にがぜん食指が動いたりなんかもしたのでした。風呂で読みすぎて文庫本が湿気でよれよれになっちゃった司馬遼太郎『項羽と劉邦』は愛蔵本までも買ってしまいました。

『史記』樊酈滕灌列伝第三十五『史記 6 列伝二』(ちくま学芸文庫)所収)に、老いて病んだ劉邦が臣を遠ざけて宮中にこもり、宦官の膝を枕に臥していたというエピソードが出てきます。
劉邦の身を案じて押しかけてきた樊噲たちが、秦の趙高の例を引いて涙ながらに劉邦を諫め、諫められた劉邦ははいはいうるせえなみたいなかんじで苦笑しながら起き上がるのですが。
うすぐらい宮殿の一室で劉邦に膝を貸していた名も無い宦官については、『史記』はなにも語っていません。
病み衰えた高祖の孤独な重みをその膝にうけとめていた「彼」。
面貌はどんなだったのか。歳はいくつぐらいだったのか。なにも語られていないからこそ「彼」の来し方と高祖亡きあとの行く末が気にかかります。膝枕を許すほど狎れた相手。其処は彼と無い性的な匂いも感じられ、であるからにはやはり美しくあってほしいしできれば可憐であってほしい。
情報がすくなければすくないほどに、余地は無限にひろがる。
止め処も無いような私のその「余地」にひとつのかたちを与えたのが、黒澤はゆまさんの『劉邦の宦官』だったりしました。


『藍宇』以前に購入した本でいちばん古いのはどれかしらと調べてみたら1964年初版の鐘ヶ江信光著『中国語のすすめ』(講談社現代新書)で、1995年8月刊行の第56刷を購入していました。ほかにも94年、95年、96年に出た本が多かった。このころ、私の目を中国・香港へと向けさせる出来事があったのです。記憶を辿ってみたところ、1995年に香取慎吾主演の『ドク』というドラマである役者に出逢ったことがすべてのはじまりだった、という結論に達しました。役者の名を椎名桔平といいます。その桔平が初の単独主演を務めたのが同年公開の三池崇史監督作品『新宿黒社会 チャイナマフィア戦争』でした。『極道黒社会 RAINY DOG』(97年・哀川翔主演)、『日本黒社会 LEY LINES』(99年・北村一輝主演)とつづく「黒社会」三部作の第一作です。椎名桔平は本作で、中国残留孤児二世の刑事、桐谷龍仁を演じました。母親が中国人という設定でした。ひとりの役者に惚れ、主演作を観てみたところ、中国の血を引く男を演じていた。それで95年以降、私の書架に中国・香港に関する書籍が増えていった。そういう経緯でした。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の反対みたいなことです。高校時代から続けていた同人誌に発表した小説に、桔平をモデルにした中国人の男を登場させたりなんかもしていましたよ黒絹の長袍着せたりなどして。こんな記事書く素地はその時分からあったってことでしたよ。三つ子の魂百まで。雀百まで踊り忘れず。すでに三歳児でも雀の仔でもありませんでしたけれどもね。そんなもんですよファンなんていういきものは。桔平は98年の映画『不夜城 SLEEPLESS TOWN』でも日中ハーフの中国残留孤児二世、呉富春を演じていました。かれの容貌に中国人を匂わせるなにがしかがあるということなのかも知れません。腰を据えて中華沼にはまったいまだから自信を持って申しますが、椎名桔平は清朝の官服もまつがい無く似合うと思うから何時か映画か電視劇で胡軍さんと共演してくれたりしまいか。


みたいなかんじで書架の本から昔の男に思い馳せ、ふたたび2018年に帰還するなど。
なにもかもみな五月の魔の所為でした。
つまるところは『藍宇』の所為でした。
| 17:29 | 藍迷。 | comments(5) | - |
性骚扰,还是甜言蜜语?──『藍宇』其の吾拾佚
セクシャルハラスメントという行為について百家争鳴の感あるきょうこのごろ。
法務省委託・財団法人 人権教育啓発推進センター制作の冊子では、セクハラについて、

「 職場において、労働者の意に反する性的な言動が行われ、それを拒否したり抵抗したりすることによって解雇、降格、減給などの不利益を受けることや、性的な言動が行われることで職場の環境が不快なものとなったため、労働者の能力の発揮に重大な悪影響が生じること」


という男女雇用機会均等法の定義を引いています。
チェックリストにある行為をみていくと、あああのときあの人とかあの人とかにされたあれってセクハラだったのかあ、と思い当たる節が多々あったりもしますが、生来のぼんやり者だからか己がセクハラの「被害者」であるという意識はさほど重たく持つことも無く過ごしてきました。
そんなぼんやり者がセクハラの理非曲直を糺すのも烏滸の沙汰ってもんだよなあと思っていたところ、偶さかこんなツイートを目にしまして。

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ぼんやり者のわたしですが、セクハラの理非曲直はまあ措いといて重篤なる『藍宇』病罹病者としてこれちょっと看過できぬなという気がしまして。

「シャンプーは何を使っているのか訊く」
「シャンプーの匂いを覚えていてシャンプーの種類を変えたかを本人に確かめる」


いまの日本ではセクハラであるとされ世間に指弾されかねぬこの行為が、『藍宇』という映画においては主人公ふたりの因果応報の象徴の如きものとして取り扱われていることは、『藍宇』病罹病者諸氏でしたらば周知のことでございましょう。

『藍宇』の原作『北京故事』において陳捍東と藍宇の関係は、雇用主と被雇用者としてはじまりました。捍東にしてみればそれは、田舎から北京に出てきたばっかの純でかわいい男の子をまんまと手活けの花にするための手段に過ぎませんでした。
上掲の冊子には「対価型セクシュアル・ハラスメント」の説明として、

「職務上の地位を利用して性的な関係を強要し、 それを拒否した人に対し減給、降格などの不利益を負わせる行為」

という一文がありますが、捍東と藍宇の出逢いというものは正しく「職務上の地位を利用して性的な関係を強要」する、ようなところからはじまったのです。捍東のそうした行為が藍宇にとってハラスメントになりえなかったのは、藍宇が「それを拒否」しなかったから、そもそも肉体の「対価」を貰うことが約束であったから、です。それどころかそんな捍東に恋すらしちゃった。これを以て『藍宇』を、ハラスメント加害者に都合の良い性的ファンタジーであると評する方も、もしかしたらいらっしゃるのかも知れません。ですがわたしは本作におけるセクハラの理非曲直を糺したいわけではぜんぜん無いので、いらっしゃったとしてもそこはすっとばします。


捍東はきまじめで一途な藍宇がときどきむしょうににくらしくなっていじめたくなって、藍宇が劉征を褒めたことへの嫉妬も手伝って、



两个人,要是太熟了,倒不好意思再玩儿下去了,也就是说到了该散的时候。

「相手を知りすぎればつまらなくなる。つまり別れるべき頃合いってこと」


みたいな(意訳)つれない言葉を吐いたりなどして、藍宇の反応を窺ってほのぐらく愉しんでいます。
この時点でふたりは何度か寝ているとはいえ再会して数日、それほど馴れ合った仲でも無いのですが、藍宇はきまじめで一途なもんだから、まだ知りすぎてないかな、なんておずおずと訊く。


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くそかわいい。予想も期待も裏切らぬ反応をしてくれやがるなこいつは。
とほくそ笑む捍東は、だいじょうぶまだまだ知らないことがいっぱいあるよという意を込めて、

现在用什么牌子的洗发水呢?
「シャンプーは何を使ってる?」


と訊き返す。

この場面をみて、「若い男の髪の匂いを嗅いでそんなことをぬけぬけと訊くこのセクハラおやじめ! けしからぬ!!」と怒る人も、まずいないとは思うけどひょっとしたらいるのかも知れません。でも、すくなくとも当事者の藍宇は怒ってないです。わずかにのぞくかれの横顔から、捍東のその問いが、捍東に気に懸けてもらえたことが、嬉しくてたまらぬという風情が含羞まじりに伝わってきます。藍宇が使っているシャンプーのブランド(たぶんやっすいやつ)を答える場面はありませんし、そもそもブランドとかどうだって良いんだと思います。
陳捍東がこういうベタな、セクハラすれすれの手管をあざとく使ってみせる男であること。
とても頭の良い子だからそれが男の手管であることも何処かでわかりつつ、それでもはつ恋に溺れていたい藍宇であること。
『藍宇』とは、そんなふたりが互いを知って、そして変わっていく物語であること。
「现在用什么牌子的洗发水呢?」という科白に脚本家がこめたことってそういうことじゃないだろか、と考えてみたりします。


それからいろいろあって約10年ののちに捍東と藍宇は三度目の(そして最後の)再会を果たします。「いろいろあった」がためにふたりのあいだに築かれてしまった見えない障壁、それを瞬時に消し去るのもまた「洗发水(シャンプー)」です。
観客にはけっして感知できないシャンプーの香りは、『藍宇』という物語において、主人公ふたりをつなぐ(ある意味肉欲の象徴でもある)ひじょうに重要な小道具になっているといえますし、


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捍东:还是用那种洗发水呢?
蓝宇:对……还是用那种洗发水。


鸚鵡返しのこの会話が、

捍东:你可能不相信,我是真喜欢你的。
蓝宇:你可能也知道,我也是真喜欢你。


捍東が藍宇に別れを切り出す場面の応酬の鏡像でもある、なんてことはわたし如きが申す迄も無いことでした。


藍宇のアパートメントを訪ねる場面において、「シャンプーの匂いを覚えていてシャンプーの種類を変えたかを本人に確かめる」のは捍東で、これまた「セクハラおやじめ! けしからぬ!!」と怒る人も、まずいないとは思うんだけどひょっとしたらいるのかも知れませんけど、ここで手管を使っているのはまちがいなく藍宇のほうではないでしょうか。捍東がねむっているあいだにシャワーを浴びて、髪を洗って、濡れた髪のまま半睡の男に寄り添うその姿態。嘗て問うたその香りを、はたしてかれは憶えているだろうか。手管はそうした賭でもあります。そしてその賭に勝つだろうという自信も、じき28歳になる藍宇は持ち合わせている。

「棘だの皮肉だの期待だのほのめかしだのをちらつかせながら、噛み合わない会話を交わす」
「鏡を多用した演出のために虚実は混沌とし、言葉の下の真意は巧妙に隠され、捍東と藍宇の力関係までもが完全に逆転している」

と以前に書いたことがあります。この夜のアパートメントの場面は、シナリオといい演出といい、ほんとうにもう観ているこちらだって居た堪れなくなるほど秀逸です。俳優ふたりの見事な仕事によって繰り返された「棘だの皮肉だの期待だのほのめかしだの」が、シャンプーをめぐるこのダイアローグを頂点として、さらりと霧消する。
懐かしい香りに鼻孔を擽られ、「同じシャンプーを10年使いつづける純情」という手管に敢えて溺れてみせた挙げ句に、

真想抱抱你。

と素直な欲望で応える捍東。このあたりがじつにどうも、大人です。この科白は日本語字幕では「抱いても?」と訳されていますけど、「真想」には「ほんとうにしたい」「どうしてもしたい」みたいなニュアンスがあります。つぶやくように発されることで却ってかれののっぴきならなさが露呈するようです。ものもいわずに抱きしめるのでは無く、見つめて、抱きたいと言葉で伝えて、応じた相手に体をさぐられて、そうしてあらためて、息もとまるほどきつく掻き抱く。
「シャンプーの匂いを覚えていてシャンプーの種類を変えたかを本人に確かめる」ところから生まれるこの情熱。
対してシャンプーの香りごと男に身を委ねる藍宇の、ここからはじまる道行とその先の死までも見晴るかすが如き眸の漆黒。


ひとつ部屋でふたたび暮らしはじめたふたりがいっしょに風呂にはいって、捍東が藍宇の髪を洗ってやる。關錦鵬と張叔平がこの場面を正規版の『藍宇』から排除した理由はいまもってよくわかりません。
想像できることは、藍宇が使っているシャンプーをきっと捍東も使っただろう、ということ。
いろいろあった10年を経て陳捍東は、嘗てシャンプーは何を使っているのかと訊ねた男の子と同じ香りを纏うようになったのだ、ということ。
遠からぬ未来に男の子は此の世の客でなくなり、香りという記憶を刻まれたからだをかかえて、陳捍東はその長い生を独り生きていくのだろう、ということです。
甘やかで残酷。
そんな場面だからこそ、秘されたのではないでしょうか。
すべては想像にすぎませんけれども。


使っているシャンプーが何かを訊かなくたって、面白い会話なんかいくらだってできます。
人間と人間の関係にセクシャルハラスメントという物差しを当てることによって、世界はクリーンに正しくなり、救われる人も数多くいるのだろうと思います。それはとても良いこと。
一方で、使っているシャンプーが何かを訊ねるところからはじまる縁があることもまた、わたしは忘れたくありません。
世界から零れ廃れてゆくものどものことを、ずっと憶えていたい。
理と非とに切り分けられないその間(あわい)にこそ「物語」は生まれるのだと、信じていたいです。



引用した簡体字字幕は、こちらの記事で取り上げた『藍宇』香港版DVDから。
in cantonese. ──『藍宇』其の拾五
2011年時点では購入できた各国版の『藍宇』DVDも、現在は廃盤になったり在庫が切れたままになっていたりし、年を経るごとに入手が困難になってゆくみたいです。

| 20:46 | 藍迷。 | comments(4) | - |
好像白雾。──『藍宇』其の吾拾
昨年のきょう、『藍宇』殺青から16年が経ちましたという記事に、

「どうもこの2月10日あたりというものは、自分にとってドメスティックな方面でいろいろ変化のあるシーズンみたい」

なんて書きました。一年が経ち『藍宇』殺青17年を迎えたきょうあたりも、やはりドメスティックな方面での変化をシンミリ感じながら過ごしています。

3週間ばかり前に体調を崩してそのままB型インフルエンザに罹患、禁足期間も終わってすっかり復調してみたら、これまで常飲しすぎなくらい常飲していたお酒をあんまり飲まなくなっていました。飲めなくなっちゃったんでは無く毎日飲んではいる。ですが350ml缶のビール、グラス1杯のワインを1時間かけてちびちび、みたいな事態です。1週間かけてワイン1本飲みきらないんですよ昨年夏に酔っぱらってすっころんで右の頬骨を骨折してそんな痛い目に遭ってもなお「金輪際酒はやめよう」とは微塵も思わなかったこの私がですよ信じられないですよ。お酒飲まないから食事の全体量も減ったし。B型インフルエンザは胃腸にくるのでその影響も残っているのかも知れません。でも、もうちょっと経てばもとにもどるのかな。そろそろやばいなんとかせねばと思ってたおなかまわりが3週間ですっかりぺったんこになってくれたのは嬉しいのでそれはもとにもどんなくていいです。

これはしかし、
「ルーティーンを手放せ」
というのがいまのシーズンの乙女座の命題だからじゃあ無いか、という気もします。

石井ゆかりちゃん曰く「アタマがカラダ」、逆流すると「気持ちの問題がすぐカラダの異常になる」乙女座だから、私が寝ているあいだにアタマとカラダが勝手に話し合ってそういうことにしましょうと結論したのじゃあ無いか、という気がします。

1月22日、関東地方ではけっこうな雪が降り、その二日後、寒い部屋でお熱をだしてうんうんいいながら、自分の吐きだす息の白さに『藍宇』を思いました。是我有病。
ふたりの出逢い、そして再会も酷暑の時季でありましたのに、映画を観終わってみればかれらの吐息の白さばかりが目交にちらつく。

抱きしめる。くちづけする。互いの熱に分け入っていく。
吸って吐いて。
吸って吐いて。
吸って吐いて。
くちびるからこぼれおちる「生きている」のくりかえし。
その証。

2001年2月10日午後3時半、すべての撮影が終わって、おめでとうと言ったのかおつかれさまと言ったのか。上気したひとびとの吐く息も、真白くはずんでいたことでしょう。


冬ながらそらより花のちりくるは
雲のあなたは春にやあるらむ。


まだ冬なのに空からお花が降ってくる。
雲のむこうはもう春なのかしら。




降る雪をはなびらに類えて未だ来たらぬ春を想う。
平安時代の歌だけど、虹をつかまえようとカメラ持って走りだす藍宇がいかにも言いそうなことよなあ、と思います。古今和歌集所収のこの歌の詠み手は清原深養父(きよはらのふかやぶ)。「深養父」て名前からはじいさんしか想像できませんが(実際清少納言のひいじいさんですが)、みっしり雲の垂れ込めた真冬の空をみあげて「春にやあるらむ。」と呟く歌人のその息の白さも思い合わせてみたり。


夜になって、さきほどから、雨が降り始めました。
きょうはあたたかいので雪にはならないでしょう。
吐息も白くみえない部屋で、『藍宇』に逢いにゆきます。









●2011年2月10日 地久天長。──『藍色宇宙/MAKING BLUE』
●2012年2月10日 後朝。──『藍宇』其の弐拾弐
●2013年2月10日 人人平安。──『藍宇』其の燦拾貳
●2014年2月10日 搬家。──『藍宇』其の燦拾勒
●2015年2月10日 切切偲偲。──『藍宇』其の是拾
●2016年2月10日 降冬的故事。──『藍宇』其の是拾翅
●2017年2月10日 化不可極。深不可測也。──『藍宇』其の是拾悉



| 22:55 | 藍迷。 | comments(6) | - |
Della Robbia Blue。──『藍宇』其の是拾戯
恋というものを知ったの。
それも突然、これでもかってぐらい、たっぷりと。
まるで、それまで影になっていたところにいきなりパッと、
目のくらむような、光をあてたように──

そんなふうに世界がわたしの目の前に現れたの。




冬至です。
世間的には風呂に柚子を浮かべたり、かぼちゃを煮て食べたりする日です。
どちらも江戸時代に始まった風習だそうで、なぜ冬至に柚子でありかぼちゃなのかという理由も諸説あるようです。かぼちゃは夏の野菜で陽の気をもつから、それを陰の季節である冬に食べることで陽の気を補う、というのがそのひとつ。柚子もかぼちゃもその色が(そのかたちも)、陰のきわまるこの日を境に復活へと転じる(=一陽来復)太陽を思わせるからかな、なんて思ったりもします。

冬至が近づくにつれて──というか冬至が近づかなくっても。オールタイム病んでいますので──なにかと『藍宇』のことを考えていました。
すこしまえにAmazonプライム・ビデオに入った『キャロル』をまた観て、自分の書いた記事を読み返してみたりね。
おとといはBunkamuraシアターコクーンで大竹しのぶと北村一輝の『欲望という名の電車』を観ました。
ここでも何度か書いていますが「2」という数秘をもつ私が素通りできない、取り憑かれる、病んでしまう、そういう「ふたりの物語」がいくつかあります。『欲望という名の電車』もまたそう。20代のはじめごろ、エリア・カザン監督によるヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランド主演の映画を観て、そのあとテネシー・ウィリアムズの戯曲を読んで、ブランチがかわいそうでずっと泣いていました。
はじめて舞台を観たのは10年前。2007年11月の東京グローブ座。ブランチが篠井英介、スタンリーが北村有起哉でした。
そして此度が二度目です。

数秘「2」の自分が素通りできない、取り憑かれる、病んでしまう、その集大成でもあるような『藍宇』。それを知ってのちにはじめて観る『欲望という名の電車』。
なににせよ『藍宇』前/『藍宇』後では世界はまるでちがう現れ方をするものだしブランチの科白を借りるならそれこそが「恋」だ。


16歳のときに恋におちて結婚した美しい少年は、じつは同性愛者であった。
いやらしい、と詰られて少年はピストル自殺を遂げる。
彼の死によって負わされた絶望と慚愧。
目をそむけ耳を塞ぐようにして、つぎつぎに男に身をまかせた。
そういう過去をもつ、落魄した名家の令嬢ブランチ・デュボア。

もしも陳捍東が、藍宇と出逢うことの無いままに生きていたとするならば。
いえ。
出逢ってのちに無慙な事故で藍宇を喪った陳捍東は。
あるいはまた「藍宇」という光にはじめて照らされた陳捍東は。
ブランチ・デュボアのようだったかも知れない。
なんて思ったりした。


「欲望」という電車に乗って「墓場」という電車に乗り換えて、六つ目の角で降りてしゃなしゃなと「天国」にやってくるブランチ・デュボアは、ドレスもネックレスもイヤリングも手袋も帽子も、なにからなにまで白ずくめ。
西欧において白は、純潔や貞節、光明や真理、そして処女そのものを表す色です。
てあたりしだいに男と寝ていた女がそうした色を纏う意味と理由については、こちらの論文が解き明かしてくださっています。

白からデラ・ロッビアの青へ― ブランチ・デュブワの心の動き
https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3804&file_id=22&file_no=1

古代中国において、白は不吉な色であり、喪の色でもありました。
白を纏うものに出逢えば一族もろともに死ぬであろう、といわれていました。
五月の初めの逢魔時、ブルー・ピアノが聞こえるニューオーリンズの「天国(Elysian Fields)」にふらりと現れるのは、そういうものでもあるのです。

たとえば天安門事件の夜、『北京故事』においても『藍宇』においてもかれが白いシャツを(だれかの返り血が点々と付着した白いシャツを)着せられているのも、もしかしたら、そんな理由があってのことなのかも知れないです。


妹の夫にレイプされて発狂したブランチが「天国」を去る日。
彼女が纏う色は青。

ユーニス きれいだねえ、その水色のスーツ。
ステラ  水色じゃなくてライラック色。
ブランチ 二人とも違うわ。これは「デラ・ロビア・ブルー」って色なの。古い肖像画でマリア様が着ている服の色。

青は聖なる色であり、生命の力を表す色であり、同時に、早世したひとの棺を覆う布の色でもあるといいます。


15世紀イタリアの彫刻家で、釉を使ったテラコッタ技法を開発したルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia)というひとがいます。かれの甥のアンドレア・デッラ・ロッビア(Andrea della Robbia)が、その技法を用いて作品を作った芸術家のなかで、最も有名な人物なのだそうです。
アンドレアの作品に使われている青こそが、ブランチのいう「デラ・ロビア・ブルー」(デラ・ロビアの青)なのでしょう。
「Della Robbia Blue」で画像検索してみますと、かれの作例をみることができます。








そうそう、シアターコクーンの舞台においてブランチが最後に纏っていたのも、正しくこの青でした。
四つめの画像の作品は“Prudence”という題名で、これは聖母では無く、「分別」「慎重」(=prudence)を擬人化したものであるようです。
老人と若い女の双つ面。
右手に手鏡。左手には蛇。
鏡と蛇はそれぞれにいろいろなものの寓意でもあります。
「鏡」を多用する映画に病み、「蛇」を冠したブログを営む私が、一年でいちばん長い夜にこういうものに巡り会うというのも、ふしぎだけどほんとうのことでした。


●茫茫人海。──『藍宇』其の拾九
●待宵。──『藍宇』其の燦拾壱
●ひらく夢などあるじゃなし。──『藍宇』其の燦拾互
●聖馬利亜。──『藍宇』其の燦拾穹
●夢の曲。──『藍宇』其の是拾澯
●月待者。──『藍宇』其の是拾鹿



戯曲の引用はすべて『新訳 欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ著/小田島恒志訳 慧文社)による。
| 23:23 | 藍迷。 | comments(2) | - |
想抱紧你。


私たちの腕は武器を持つこともできるし、だれかを傷つけることも、殺すことすらもできる。
しかし畢竟、だれかを、なにかを抱きしめるためにこそあるのだと思いたい。
人ひとりの腕が抱きしめることのできるもの。
愛なんて、それくらいで十分だと思う。



人人平安。──『藍宇』其の燦拾貳



これ4年前に書いたことなんですけれども。
自分で書いたことながら、4年経ってもやっぱり忘れたくない、永遠に肝に銘じておきたいことだなと。
きょうが6月4日だから、という理由ばかりで無く。


例によって彼の国のSNS方面からは哀悼の意をあらわす蝋燭のアイコンが消えてなくなっていますし、


香港、台湾、日本、いわば海外などのIPから画像や動画をアップすることができなくなっている


という事実。
そんな事件なんかいっさいありませんでしたよ。
ということにしようとすればするだけ、
あなたのその「躍起」のぶんだけ、
罪はあかあかと照らしだされるとは思わないのか知ら、ねえ。



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一九八九年六月四日。
貴方のその手がかれを抱きしめたのは、きょうと同じ、日曜日でしたっけ、ねえ。

| 19:24 | 藍迷。 | comments(2) | - |
白刃可踏。──『藍宇』其の是拾潑
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5月13日を以て『藍宇』と出逢って8年が経ちました。
諸事情あって当日に記事を上げることができなかったんですけれども。
それが気に掛かっていたせいか昨日の明け方、「夜の渋谷で胡軍さんに遭遇して普通話と英語ちゃんぽんで話しかけたんだけれどもいとも冷淡な目で一瞥され洟もひっかけられずあしらわれて死にたくなる」的な悪夢をみまして。
やっぱこれ記事書かなきゃイカン!と悔い改めまして。


昨年の5月13日に「魔の五月」ということを書きましたが、ひとつ前の記事の事件にしろ、こと『藍宇』をめぐっては正しく五月は魔と化します。


8年前のいまじぶん、ネットで『藍宇』の感想文はすでに渉猟しつくしていました。
いざ『藍宇』のDVDを密林さんで購入するにあたっては、しかし、購入した方のレビューはほぼ読みませんでした。
『藍宇』を鑑賞したのちにネガティブなご意見(たとえばこれなど)も読んでみたんだけれども、レビュアーさんがネガティブな要素として列挙されていることのどこがどうだめなのか、『藍宇』を経た自分には、ぜんぜんわかりませんでした。
既にそのぐらい、取り返しのつかない勢いで『藍宇』という病に罹患していたのでした。

2009年5月13日、14日と、二日続けて『藍宇』を鬼のやうにリピしたあげく、
「とりあえず『藍宇』は無かったことにしようと思う」
とかっつって無駄な抵抗を試みたのが本日、5月15日。
ま、これはこれで顧みれば一種の記念日であるなあと思います。

賛否というならば、『藍宇』が日本で公開された頃なんかは今の比では無いくらい、いろいろあったんだろうなあと思います。
「誰がなんと言おうとこれがいいんだだいすきなんだ」と一旦思い決めた対象についてはとことん惚れぬき褒めぬく人間ですから、日本公開当時に『藍宇』に病んでいたら、そしてもし上記のようなネガティブな論評を目にしていたら、さぞ殺伐たる、喧嘩上等なことになっていたでしょう。殺伐を避けるべくだまっていれば自分のなかで、「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ」みたいなことになっていたにちがいなく。

だから出逢いの時期って大事。
だから『藍宇』と私は、『藍宇』というムーブメントのほとぼりがさめた2009年に出逢うように、どっかの誰かが粋に取りはからってくれたにちがいない。

いまさら乍らそんなことも思うわけです。

そういえば私、密林に『藍宇』のレビュー書いていなかった。
DVDを観たあと自分なりの感想文を書くだけで3ヵ月近くかかっちゃったし、書きあげてみれば「腹ふくるる」がいよいよ増進して、んじゃもういっそのことブログ作りますかあ!みたいなことになって現在に至ります。
改めて、ここ最近の密林『藍宇』レビューなんか読んでみましたら、こんな論評がございました。


主演俳優の良さに比して、ランユー役の若手が、どうも・・・・。
主人公がのめり込むだけの、美貌かあるいは官能性が欲しかった。



最初に観たときは私もそう思いました。
ですが、二度三度と『藍宇』との逢瀬を重ねていくうちに、そういう印象はころりと覆りました。
そのとば口がまさに8年前のきょうだった。
二度三度、十度二十度、いえ百遍だって観たくなるか、「一度でたくさん」になっちゃうか。こればっかりはもう、胡軍さんの御言葉を借りる迄も無く「ご縁」としか。
藍宇/劉に「主人公がのめり込むだけの、美貌かあるいは官能性が」無かったと感じられたのなら、それはそれだけの縁なんでしょうし。
このレビューを読んで、「『藍宇』って受がぶさいくなのね。じゃ観るのやめた」と思われたとしても、それはそれだけの縁なんでしょうし。
言葉を乗り越えてなお成り立つものがあればこそ、「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ」なんだろうなあ、と思います。矛盾しているようですけれどもね。


1月末に転倒→骨折→手術→リハビリという経過を経た母が、あさって退院の運びとなります。実家おさんどんはこのあとも定期的に続けていくつもりですが、取り急ぎ、この3ヵ月半の己の労をねぎらうべく旅に出よう、と思います。
先月あたりからなんだかむらむらしちゃって、徒然にガイドブックなんか読み漁っていました。ガイドブック読んで、あたまのなかでその街を歩いているだけでも随分と慰めになりましたけれど、やっぱり行って見るに越したことは無いですから。
母を迎える支度を終えて横浜に戻って飛行機とホテルの予約をしました。海外に行くのは2000年7月、ツインタワー在りし頃のニューヨーク以来。ほんとうはまずは北京に行きたかったんです。『藍宇』聖地巡礼したかった。でもまあしょうがない。これもまた、魔の五月の為せる業だもの。


雨季まっただなかの香港です。
五泊六日のひとり旅。
行って参ります。



美しい名前。──『藍宇 Lan Yu』
シガ フタリヲ ワカツマデ。──『藍宇』其の拾参(2011年5月13日)
三年不蜚不鳴。──『藍宇』其の弐拾詩(2012年5月13日)
情熱の嵐。──『藍宇』其の燦拾讃(2013年5月13日)
生活と云う名の。──『藍宇』其の燦拾桎(2014年5月13日)
藍くて咲こうとした恋は。──『藍宇』其の是拾溢(2015年5月13日)
遥かに照らせ山の端の月。──『藍宇』其の是拾呉(2016年5月13日)


| 23:37 | 藍迷。 | comments(5) | - |
化不可極。深不可測也。──『藍宇』其の是拾悉
『藍宇』が香港で公開されてから2016年11月22日を以てまる15年が経過したということを冬至の記事に書きましたが、その15という周年の年を経て、『藍宇』殺青(クランクアップ)から16年が経ちました本日を以て。

彌栄。


藍宇16.jpg


中国の迷様が15周年のときにお作りになったこの海報にも、2001年2月10日午後3時に終わった旨が記されています。


下のほうに過去記事をリンクしていますが、2011年このかた、どうもこの2月10日あたりというものは、自分にとってドメスティックな方面でいろいろ変化のあるシーズンみたいです。私自身は家庭を持っているわけでもなんでも無いのですが、たとえば住処を移してみたり不治の病に罹ってみたり、なにがしか自分の生活そのものをシンミリと顧みる必要に迫られる。先月末に母が転倒骨折入院手術という憂き目に逢い、独居老人となった父の世話をするべく仕事を抱えて実家と横浜を行ったり来たりしているいまも正しくそういうシーズン。

それはもしかしたら『藍宇』がとってもドメスティックな物語だからかしら──なんて思ったりします。

私自身は家庭を持っているわけでも、家庭を持つ機会に恵まれたわけでもなんでも無いのですが、たぶん、とてもドメスティックに出来てんだろうなという気がします。
それは家事全般に於いて素晴らしく有能って意味じゃあ無いの。家のなかとか部屋のなかとかふとんのなかとかに居ることに向いてるということに於いてなの。家から一歩も出ないでやれる業態に憧れて、そういう業態のひとになるべく努力したというのも畢竟、そういうことだと思うの。
そんな人間が『藍宇』という、86分に封じ込められた美しい部屋に、この際室内劇と言ってしまいますがそんなような映画にいかれてしまうのは、それはもう自然の摂理じゃ無いですか。
閉じられた部屋をひとつの宇宙として精緻に彫琢する手業に長けた關錦鵬の仕事──『ルージュ/胭脂扣』にしろ『阮玲玉』にしろ『長恨歌』にしろ『画魂』にしろ──に無闇と惹かれてしまうのは、物語そのもの以前に其処に在るのが「部屋」だから。そうして其処から出たく無いひとだから私が。
退嬰ってもんかも知れません。でもまあべつに退嬰だっても良いじゃ無いですか。


ドメスティックな物語とはいっても、陳捍東と藍宇に同性婚をしていただいてハッピーなご家庭を築いていただきたいということでは無いし、「結婚」なんて形態は永遠に取っていただかなくても良くってよと思うのあのひとたちの場合。当人たちもそんなことしたかないだろう。未来とか展望とか。長寿とか繁栄とか。血脈を繋いでいくことだとか。そんなことしたいと思ってるひとたちじゃ無かったでしょうたぶん最初から。私が勝手に思うだけだけど。


陳捍東と藍宇を演じたおふたりは、『藍宇』という美しい部屋での仕事を終えて、扉を開けて出ていって、のちにしあわせなおとうさんになりました。
16年まえのきょう、『藍宇』が殺青を迎えたときにはまだこの世に居なかったひとたちも、いまじゃこんなになってます。


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6歳になった諾一は、自分の名前が書けるようになったようですよ。




●2011年2月10日 地久天長。──『藍色宇宙/MAKING BLUE』
●2012年2月10日 後朝。──『藍宇』其の弐拾弐
●2013年2月10日 人人平安。──『藍宇』其の燦拾貳
●2014年2月10日 搬家。──『藍宇』其の燦拾勒
●2015年2月10日 切切偲偲。──『藍宇』其の是拾
●2016年2月10日 降冬的故事。──『藍宇』其の是拾翅


| 22:39 | 藍迷。 | comments(4) | - |
月待者。──『藍宇』其の是拾鹿
先月のことになりますが、レコードチャイナにこんな記事が載っていました。

衝撃的だったゲイ映画「藍宇 〜情熱の嵐〜」が公開15周年、プロデューサーが語る裏話


「香港で『藍宇』が公開された日、『藍宇』というレジェンドがはじまったその日が、2001年11月22日」
ということは一昨年のきょう、書きました。
2016年11月22日を以て、まる15年が経過したということなのです。





2016年の冬至は昨日、12月21日だったのですが、上記のような事情で敢えてきょう、「22日」に記事を書いております。柚子湯につかって『北京故事』を読んで、

新居で最初に愛し合った場所は浴室だ。

というとこらへんでほんのりするという09年12月22日以来の恒例行事は無論昨夜敢行致しました。


周年はどうして「五」の倍数で表していくのだろう。
きりの良い数字だからと言うけれど、じゃあなんできりの良い数字を考えるときに「五」が出てくるのだろう。

という疑問を抱えて徜徉していたところ、日本が十進法を採用しているため、十の半分の五も一定の区切りと捉えられること、さらに人間の手の指が5本であること(無論、すべての人がそう、というわけではありません)から数を数える基本の単位が「五」なのである、ということが回答として挙げられていました。
ローマ数字においても「五」(V)が基本的計数単位であり、それもやはり、手の形からきているということです。
拙ブログでも5周年のときには「五黄」について書いたりしましたが、中国においては「五」はやはり「五行」との関係が深いようです。
また、「三」が生、「五」が死をあらわし、三五をかけた「十五」は月が盈ちて闕ける時間=15日に為るのである、とも。


マジカル。
2001年に生まれた『藍宇』という月は、今年で望(満月)を迎えたということにもなるわけです。
この15年でなにがしか、盈つることがあった。
だからこそ『藍宇』主演俳優のおふたりは、揃って今年、ふたたび影帝になった。
そういうことじゃないかなあ、なんて思っています。
「月満つれば則ち虧く」が理ならば、これより15年をかけて朔(新月)へと向かうことになりますが、まさに冬至というものが太陽にとってそうであるように、それは再生のために通過する死。無明というものには屹度意味がある筈、と考えます。


『藍宇』という月相。
その変化が照らすかれらの変化。
そして私たちの変化。
みつめるためにまた、漕ぎ出します。


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●茫茫人海。──『藍宇』其の拾九
●待宵。──『藍宇』其の燦拾壱
●ひらく夢などあるじゃなし。──『藍宇』其の燦拾互
●聖馬利亜。──『藍宇』其の燦拾穹
●夢の曲。──『藍宇』其の是拾澯


| 09:39 | 藍迷。 | comments(2) | - |
七年之後、従心之所念。
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“Gethsemane”
Carl Heinrich Bloch




ラッキースター木星が私の星座乙女座に滞在しているいま。
占星術方面において一般にこのシーズンは、「12年に一度の大幸運期」なぞと呼ばれています。
現実はどうかといえば毎度のこと乍ら仕事も仕事じゃ無いこともぱつぱつです。
前の記事にも書きましたが年明けに最愛のバンド、ザ・イエロー・モンキーが復活を遂げ、くわえて大河ドラマ『真田丸』に溺れ、なんだかんだで浮かれぽんちな日々を送っております。
ザ・イエロー・モンキーが解散し、『真田丸』の前の三谷大河『新選組!』が絶賛放映中だった2004年。やはりラッキースター木星は乙女座に滞在していました。それはもう、たいへんでした、いろいろと。なにかと、ええ。石井ゆかりちゃんによればこの時期は幸運期ならぬ「耕耘期」、「その人の可能性の畑を耕して整地し、ここから12年をかけて育てていける幸福の種を新たに蒔く時期」だそうですが、12年前のあれは正しくそういうシーズンでした。蒔いた種を12年かけて育てた挙げ句のいまここであることは、ほぼ間違いありません。

昨晩は、2007年から『藍宇』に出逢う直前まで、夜な夜なこそこそ綴っていたお話たちを読み返しておりました。
自分が書いた文章を自分で読んでおもしろがるというのもなかなか不遜できもちのわるいかんじでありますが、でも、おもしろかったです。
ぶれてないな、と思いました。

2007年4月から6月に放映されていた『バンビ〜ノ!』というドラマの、所謂SS、二次創作というやつなんですけれども。
舞台となる六本木のトラットリア《バッカナーレ》、そこで働くソットシェフ(副料理長)桑原敦とカーポ・カメリエーレ(給仕長)与那嶺司のふたりがじつにめっぽうわたくしごのみのステキCPで、ぞっこんいかれてしまいまして。
もともとそれぞれの中の人(佐々木蔵之介、北村一輝)の結構なファンでしたしそんな彼らの『医龍』以来の待望の共演つうことも手伝って、いろんなところの箍がはずれまくっていろんなものがどろどろ漏れたりとか、してしまいまして。
もはや取り返しがつかぬくらい決定的に決壊したのがこの回。

con amore。〜『バンビ〜ノ!』六皿目。

それでまあ、決壊ついでに「うまれてはぢめてのSS」などという暴挙に出てしまったと、いう次第です。
『バンビ〜ノ!』って佐々木北村両者のファンのあいだではぜんぜん評価高くないんです。でも佐々木蔵之介がイタリア語をしゃべっているのにほとんどドイツの軍人さんみたいだったり、北村一輝はその2年後に上杉の御屋形様だったり、へたれアップレンディスタの中の人が『ゲゲゲの女房』でブレイクしたり、蔵之介さんのライバル役だった人が『イップ・マン』でドニーさんとガチだったり、個人的にはなにかと興味深い作品だったんです。あと何度も書いていますが「ふたり」というものが異常な迄にだいすきなので私。
件のSSのなかで与那嶺司をモデルにしたキャラクターに「家族」の概念について、

いちばんすきなひとと、朝も昼も夜も、ずっといっしょに暮らすこと。

なんてことを言わせているように、自分、家族と問われてまず浮かぶものは「あなたとわたし」なの。
あなたを残してどいつもいらないの。
二人を残してなんにもいらないの。
私はあなたそのもの、なの。

実人生に於いてはそうしたことが叶わなかった。
なので私はいまもずっとひとりでいるのでしょう。


ふたりはやがてひとりになる、という前提というか予兆というか確信というか。
そうしたものをひたひたと感じればこそ、私はここまで「ふたり」という物語に惹かれてしまうのです。
(翻って言えばそうしたものをまったく感じさせなければそれは「ふたり」では無くてただの複数の人、です)
だから、『藍宇』という物語との出逢いがどれほど大きなものだったか。
『真田丸』第33話の加藤主計頭清正に、
「よっぽどなんだろ? よっぽどなんだよな?」
と問われたら迷うこと無く「よっぽどです」と答えますよ。

朝、眠る情人のかたわらでひっそりと身仕舞いをし、部屋を出てゆく藍宇。数時間後に不慮の事故でその命を絶たれることなど彼は知らない。それなのに、もはや二度とはもどるまいといった、なにがしか純で硬質な決意のようなものを、そのときの藍宇は負っているかのようにみえる。物語がまだ動き出してもいないうちから終幕の彼らの運命を、映画はくっきりと其処に刻んでいる。そして陳捍東と藍宇の軌跡はそのまま、私が当時、夜な夜なこそこそ綴っていたお話の「ふたり」のそれに重なるものでありました。つまり、そう、だから、「よっぽど」なのでした。

『藍宇』で描かれる「悲劇」って言ってしまえば常套なんでしょうし、その点をとりあげてこの映画を批判する向きもあります。
ではなんで常套になるかといえば、それだけたくさんの人がじつはその「悲劇」を、密かに渇望しているからでしょう。
いちばんすきなひとと、朝も昼も夜も、ずっといっしょに暮らすこと。
そんなこと望むべくも無いからでしょう。
ふたりがふたりのままに完全無欠になったとき、それはもはや、「ふたり」ではなくなってしまう。
ふたりがふたりとして完全無欠になるためには、どうしたって「ふたり」という容器を一度、毀す必要があるのではないか。
「私はあなたそのもの」とは、そういうことなのではないか。
私がしんそこ美しいと思うのは、そういうことなのではないか。


そんなことを考えていたりします。
昨日で此処も、七年が経ちました。
中国では「七」は循環や周期において大きな意味を持つ数字であるそうです。だったらまあそろそろいっかみたいなかんじで、上記『バンビ〜ノ!』第六話を観たあとに綴ったお話を載っけてみます。2009年の夏にふた月をかけて書いた『藍宇』の感想文と同じくらい、これもまた私の衝動のひとつのかたちでした。ドラマをご存じ無い向きにはなにがなんだかでしょうし、ドラマ並びに役者さんのファンの方にはご不快にかんじられることもあるやも知れません。まことにすみません。こそこそどうぞ。

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| 17:03 | 藍迷。 | comments(6) | - |
一九八九六四二七。
毎年6月4日は、彼の国のSNS方面から、哀悼の意をあらわす蝋燭のアイコンが消えてなくなる日です。
それはもう、笑っちゃうぐらいきれいさっぱり、無かったことに。
しょうもないことをしやがんなという気がしますが、まあでも私の好きな俳優さんたちはそんな国に生まれそんな国で暮らしそんな国でお仕事をしている。「そんな国で生きていくこと」の大変さは私などにはちょっと、想像を絶するところがあります。日々彼の国のSNS方面を眺めていると、かわいいねこちゃんのお写真とか、おいしそうなスイーツのお写真とか、らぶーな明星さんのお写真とか動画なんかが膨大にタイムラインに流れてくるのでうっかり忘れてしまいそうになるのですがでも、その裏には、ぜったいに口にはできない「そんな国で生きていくこと」の大変さが、きっと膨大にこめられているのじゃないかと思うのです。


まあいいや。
暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけますよ。


IMG_5007 (1).jpgIMG_5006 (1).jpgIMG_5008 (1).jpg


何度吹き消されても、何度だってあかりをつけますよ。
我们不能忘记那一天。
そして勿論、記憶に残るうちは、お終いじゃ無いんです。


| 11:56 | 藍迷。 | comments(6) | - |
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